戦後の農地解放の折に千葉県下では里山は畑と解釈されて、農地解放が進められた。その時に払い下げを受けた農家は、何よりも税金を払わないで済むように、徹底した里山の所有地の分筆を行った。
分筆は親類縁者を主体に行われた。分筆の意味は一口が小面積で、税額が3000円以下であれば、国の事務手数料の関係から免状された。従って税金を払わない、当然相続もなく、里山は手入れもせず放置することが選択されて、現在に至っている。
千葉県茂原市だけで、分筆の結果5,000口座以上におよび、いかにそれを整理するかで今でも呻吟しているという。
問題は税金の支払いがなされていないことの結果として、里山を所有する農家とも、この面ではで行政との接点もなく、里山はしっかりとした測量さえも行われないまま、時間経過で分筆された先の貴人が所在不明や死亡したなど所在不明のまま現在にいたっている。
しかし実際問題、日本では公共工事では道路工事ひとつでも、地権者全員の署名捺印がなければ工事に取り掛かれないという現状から、行政側や建築会社側に対して地権者として、足元を見て法外な買収費用の要求が出たとして、多くの場合にそれを尊重せざるを得ないという事態を招いているという話です。
今回の3.11の東北大震災でも、宮城県等で海岸から高い台地への町ぐるみの移転などは、その里山の部分の買収と全員の署名捺印を必要とする法体系のはざまで、手続きが今になってもほとんど成立できないという話を聞く。
結果として測量や建築工事設計などを経て、入札日程などが組めない状況と聞かされている。
しかもそこで相対する行政側が、地権者をないがしろに扱ったり、少し無理な動き方をすると、かっての成田空港工事での三里塚闘争のごとく、全くの不条理な騒動が発生しかねない。
現在、里山は千葉県では全体の86%以上が、主体は農家が個人所有地として存在をしている。そのため工事が遅延しっぱなしの事態がいたるところで生じてしまっている。
逆説的言えば、その結果として
行政側の思惑通りには公共工事に取り組めることができないために、戦後の高度経済成長時点での過度の公共工事を抑制することができ、結果として環境破壊が地域にとって致命傷になることをぎりぎり拒んできている。
また、お蔭で江戸時代から連綿と続いてきた里山景観の保全にも結び付いてきていて、その面ではいままでは存在価もあったとみなせることができる。
しかし、改めて地域創生という言葉が意味する地域再生を本気になって感が出すとすると、たちまちこの土地の所有権の問題でニッチもさっちもいかないことが予測されます。
地域創生に関わる部分として、土地の所有に関する法律の改定を必要としている事態と想定されます。
いかにして、残された里山の所有者に協力をいただけるのか、その仕組みの整備が事前に必要と思われます。
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