まったりモードのトチ。車の荷台にて
仔犬の頃の愛らしさは格別だけど、犬は歳を重ねれば重ねるほど、味わいが深くなり、愛おしいですね。
淡泊で、あまりベタベタされるのが嫌いだったトチ。いつもクレートでくつろいでいたのに、いつの間にかクレートに入らなくなっていました。今思うと、耳が遠くなってきた頃からだったようです。
私が帰宅しても、気づかないことがたびたびありました。また3頭を座らせてビスケットを前に置き、「待て」をさせてから「よし」と言うと、ブナとクリが一瞬で食べるのに、トチだけは私を見上げて待ち続けていることがありました。「よし」と言った私の声が聞こえなかったのでしょう。「ああ、もう聞こえないんだな」。ずっと「待て」をしているトチの姿に、胸が熱くなりました。
トチは以前よりはるかに、私のそばにいることが多くなりました。仕事部屋にもよく来て、そばに寝そべっています。オフリードでグランドで遊ばせているときも、土手道を歩かせているときも、よく私のほうを見るようになりました。私がどうしようとしているのか、またどんなハンドシグナルが出るか、気をつけているんですね。本当に愛おしいと思います。
訓練士さんの中には、コマンドを出す際、声符(言葉による命令)とともに決まった指符(指、あるいは手によるサイン)を併せて教えてくれる人がいますが、私はそれをとてもいいことだと思っていました。耳が聞こえなくなった場合にも、ある程度、指符で意思を伝えられると思っていたからです。うちの犬たちと接する妹にも分かるように、この声符にはこの指符と、表に書いて張り出したりしていました。
犬は老いても、新たなサインを覚えることができますから、試してみるといいと思います。うちではみな、私が言葉にしなくても、手招きだけでこちらに来るし(もちろん、クンクンに夢中とか、好きなことをしているときは、手招きどころか、大声で呼んでも、罵声を浴びせても、すぐに来ないこともあります!)、手のひらを前に押し出せば、制止の合図だということを理解してくれています。耳の聞こえなくなったトチが私のサインに気を配り、積極的にコミュニケーションを取ろうとする姿に、私はいつも励まされています。