小さな栗の木の下で

保護犬のミニチュア・ダックスを引き取り、
小型犬との暮らしは初めて!という生活の中で、感じたことを徒然に…。

応急処置の講習について

2008-06-08 | つぶやき

 かつてEMPジャパン(現・MFAジャパン)のMFA(メディック・ファースト・エイド)のインストラクターをしていたことがあります。カヌーを趣味でやっていたことに加え、カヌーの専門誌を制作していたことから、全国の川や海、湖(海外の水辺も)を取材して回わることが頻繁にありました。月のうち半分を水の上で過ごすようなことも少なくなかった。犬が3頭に増える前のことですが。

 カヌーをやる場所は人里離れた場所で、万が一、救急搬送が必要な仲間や、そういったほかのカヌーイスト、カヤッカーに遭遇した際、救急車が到着するまでの間、やれることをやっておきたいという思いからMFAを学び、そうした状況に対応できるカヌーイスト、カヤッカーが一人でも増えてもらいたいという気持ちで、インストラクター資格を取得したのでした。そんな現場に行くことが年中でしたから。
 実際に大切な恩師や友人・知人を川や海で亡くしているので、その思いが強かったんですね。インストラクターとしてのキャリアは短いのですが、応急手当のトレーニングを受けたことは大きいと思っています。

 MFAはアメリカで25年以上も前に誕生した、一般市民レベルの応急救護の手当の訓練プログラムで、講習プログラムも大変優れたものでした。ただ単に手当のテクニックを練習させるだけでなく、救助前の安全確認や感染予防から手当後の心のケアまで、救助される側だけでなく救助する側の安全やメンタルな面までカバーしているし、繰り返し繰り返し内容を復習するような実践的プログラムによって、自然と体が動くようになる。
 市町村の消防署で行なわれている救命救急の講習に比べると、受講料は確かに高いのですが、単に知識の習得では終わらない。どんな状況かを見極め、バイタルサインの確認をする。出血はないか、ショック状況に陥っていないか、呼吸はあるか、なければ人工呼吸。脈はあるか、なければ心臓マッサージなどなど、それが順を追って自然にできるようになるのですから、本当に画期的なプログラムだと思っています。

MFAジャパンのHP:http://www.mfa-japan.com/index.html

 MFA講習を受けると、巷で具合が悪そうにしている人にも、ためらいなく声をかけてあげられるようになるんですね。「どうしました? 何か手助けできますか?」といった具合に。仲間の中には、実際にCPR(心肺蘇生法)を施したとか、溺れた人に水を吐かせたなどという人もいます。

 なぜ急に応急手当のことを思い出したかというと、今日秋葉原で、またしても理不尽な通り魔殺人事件が起こり、ニュース映像のあちこちで、救急隊によるCPRを見たからです。四川大地震の際もあちこちで懸命にCPRが行なわれていました。
 CPRは肋骨を折る危険があるけれど、それでも続ける必要があると習いました。なぜなら、折れた肋骨は生きていれば治る(元に戻る)けれど、失われた命は戻ることがないから。肋骨が折れたとしても、それは助かることを前提とした善意の処置なのです。

 なぜこうも、いともたやすく人の命が奪われるのか。なぜ人を殺したくなるのか。自暴自棄になって人をあやめる人が多い現状をどう捉えていいのか、分りませんね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クライアント・セッション

2008-06-08 | アニマル・ケア

 今日のドッグマッサージセラピスト講習のメインは、受講生が2人、ないし3人ひと組になって、実際にクライアント(犬と飼い主さん)にセッションするというものでした。ほかの受講生が犬に施術を行ない、飼い主さんにお話するのを見ることは、とても勉強になりました。

 私のチームは3人で、セッションを行なう相手はドッグマッサージセラピストの方で、ワンチャンはその方の6歳になるコーギー。プロのセラピストの方を相手にセッションを行ない、しかもチームを組んだほか2名の受講生は、私がこれまであまり話したこともない仲間。ううん、難しかったです!

 私が自覚している自分の弱点はリードワーク。リードをゆるめずに、ついショックをかけたり、強く引いてしまったりする。脚側歩行やチョークチェーンによるショックなどという方法は極力使わないようにしているのですが、やり甲斐のある我が家のワンたちへの十数年の癖が抜けないんですね。
 加えて、ネガティブな言い回しをしてしまうこと。先生にも指摘されましたが、「~しちゃダメだよ」などと犬に話しかけるのはNG。グッドなのは「~しようね」という前向きな言い方。また、施術して何かを感じている犬に対して、それがどんなに困惑した様子に見えても、それは犬が「意識した」こと。「混乱している感じ」という受け取り方、書き方はよろしくないんですね。
 私の課題レポートの至る所に散りばめられていた否定的な用語を先生は見逃さず、正してくれました。「おぉぉ、そうであった!」と改めて開眼。

 もしかしたら、先生に見透かされちゃっているのかも…。批判的になりがちな私の傾向を、そして、みんなで何かを一緒にすることが苦手だということを…。先生は大学時代、心理学専攻だったしなぁ…。ううむ、ヤバイ。

 今日は新たな手技を学ぶでもなく、クライアント・セッションと課題レポートについての先生の考察などが中心だったのですが、クライアント・セッションそのものは別として(?)、セラピスト、アドバイサーとしての先生の極意が学べて、私にはとても面白い内容の授業でした。

 気が重かった人前でのクライアント・セッションも終わり、我が家の犬たちにしてあげる課題もさらに納得でき、ホッとするやら、気が抜けたやらで、そそくさと講習会場を後にして、帰宅後は戴き物の新鮮なそら豆を茹で、ビールで乾杯、乾杯、乾杯といっぱい乾杯をして、犬たちとゴロゴロしながらくつろぎました。しばし次回の課題を忘れて…。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする