十勝の活性化を考える会

     
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“漫画「巨人の星」”

2021-01-06 05:00:00 | 投稿

私は子供の頃、漫画には興味が無かったのでほとんど読まなかったが、なぜか少年マガジンの“漫画「巨人の星」”だけは読んだ。なぜなら当時、「巨人、大鵬、玉子焼き」と言われたように、子どもに人気のある代名詞として、読売巨人軍があったからである

日本の高度経済成長期は西暦1960年代で、その雰囲気を表現する言葉にも使用される。巨人軍は、1950年代から常に上位を占める強豪チームだったが、長嶋茂雄王貞治ON砲に加えて川上哲治が監督に就任し、6年ぶりに日本シリーズを制覇したのが1961年。日本シリーズ9連覇を成し遂げたのが、1965年から1973年である。

巨人の王貞治選手が、後楽園球場対ヤクルト戦でホームランを打ち、通算756本の世界記録を樹立したのは43年前の1977年のことで、プロ野球ファンだった私は、この試合を見にいったのを覚えている。

王貞治選手は、長嶋茂雄選手のように天才ではなく努力の人であり、大鵬も柏戸のような天才ではなく努力の横綱だったので、お互いに仲が良かったそうである。

努力で駆け上がった野球選手はたくさんいるが、野村克也選手やイチロー選手も努力の人であったろう。野村選手は、テスト生として南海に入団、イチロー選手はドラフト会議4位で、オリックス・ブルーウェーブに入団している。

阪神タイガースの藤浪晋太郎投手は、高校時代は「浪速のダルビッシュ」と呼ばれてドラフト会議で、4球団から1位指名を受けて入団したが、3年間はそれなりの成績を上げたものの、その後は不調に苦しんでいる。

現在、大リーグで活躍中の田中将大投手と夏の甲子園で投げ合った日本ハムの斎藤佑樹投手も二軍落ちで苦しんでいる。プロ野球選手をみても栄光と挫折や運と不運があるが、それを乗り越えていってもらいたいと思っている。

人生は挫折と不運の連続であるが、どちらにせよ自分で納得するほかはないと思っている。諦めるか諦めないかは、自分で決めねばならないのである。諦めた方が良い場合もあれば、諦めなかった方が良い場合があるので、何とも言えない。

ところで、私が利用していた介護施設に“りすた”というものがあるが、英語のrestart(再出発)から採ったと思われるが、人生における再出発は、様々である。

例えば、再就職や再結婚、再起業などいろいろあるが、失敗の経験を通じて学んだものがたくさんあるだろう。それを第二の人生に活かせば、少なくとも前の人生よりも良いものを作ることができるだろう。人生は、再チャレンジが大切であると思っている。

「十勝の活性化を考える会」会長

注) 漫画 「巨人の星」

『巨人の星』は、原作:梶原一騎、作画:川崎のぼるによる日本漫画作品。本項では、続編である『新巨人の星』についても併せて解説する。主人公の星飛雄馬は、かつて巨人軍の三塁手だった父・星一徹により幼年時から野球のための英才教育を施される。

プロ野球の読売ジャイアンツに入団後、ライバルの花形満左門豊作やオズマらを相手に大リーグボールを武器に戦う。いわゆるスポ根野球漫画の走りともいえる作品。

『巨人の星』は1966年から1971年まで『週刊少年マガジン』に連載され、『週刊少年マガジン』連載直後にKC(講談社コミックス)全19巻で刊行された。KCスペシャル版と1995年の文庫版では全11集である。その続編『新巨人の星』は1976年から1979年まで『週刊読売』に連載された。『巨人の星』・『新〜』ともによみうりテレビ系でTVアニメ化され、アニメ映画も7作品が製作されている。

左腕編と『新〜』の間の時期を描いた『巨人の星・外伝〜それからの飛雄馬』も読みきりで『週刊少年マガジン』に掲載されており、飛雄馬失踪の開始から3年後を扱っている。これは『新〜』の文庫版の巻末に収録されており、1978年掲載で『週刊読売』の『新〜』掲載期間と重なるが、河崎実の著書『巨人の星の謎』では「昭和48年」=1973年であるとしている。

(出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)

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