世界中がいま、新型コロナ禍で100年に一度といわれる人災に遭遇している。一刻も早い日常性を取戻したいのだが、世界各国の足並みが揃っていないようである。私は70歳になるが、国のコロナ対策に注目している。
なぜなら、今までに創りあげてきた豊富な便利なモノが人間を幸せにするという価値観が、崩れ始めているからである。人類の生存にも関わる大きなことなので、いろいろな角度から検討しているが、この流れをもとに戻すことは出来ないだろう。
ところで、地域経済の話であるが、先日、小売業を営む経営者の方とコロナ禍のことで話す機会があった。経営者は、次のように言っていた。
「確かに、緊急事態宣言に伴う地域経済活性化策の国民一律10万円は、ありがたい話ではある。だが、民間人に言わせると、この急場におよんで国民が望んでいるものは、公僕のヤル気と気概である」と。
常に、倒産の危機にさらされている企業経営者から見ると、行政機関の人たちの行動が歯がゆくて仕方ないのであろう。昔から確かに、「お上に立てつくな!」と言われ、日本人は行政機関の人たちに甘く、それが癒着や忖度を生む原因にもなっている。
しかし、そろそろ癒着や忖度が無い世界にしていかなければ、世界に後れを取っていくのではないだろうか。今回のコロナ禍にあたり公僕に求められるものは、国民の生命と財産を守るべく役割を、充分に果たすことである。だが、コロナ対策で湧水のごとく国債残高が増えていくのを見るにつけ、戦後の1941年(昭和21)に「新円切り替え」のされた過去があるので、将来が心配になることもある。
さて、上記のとおり民間人が怒っているのは、日頃の行政機関との信頼関係がないことにも起因していると思われるが、そのことがこの場におよんで如実に出たようにも思われる。当然のことながら日夜、大多数の公僕は、国民のために頑張っていることは言うまでもない。
コロナ対策とひと口に言っても、国や道、市町村によって様々であり、それぞれの特徴を活かすことが重要だろう。北海道の十勝に関して言えば、コロナ禍により十勝への移住者が増加しているので、行政の人たちがこの流れをどのように分析し、今後の政策に活かしていくかは、腕の見せどころと言えるだろう。
未来学者 エイミー・ウェブ氏がコロナ後の社会について、社会が急速に変わっていく時、目の前の小さな兆しをキャッチすることで、5年後・10年後の未来を予測することが出来ると言っていたが、地方への移住者の増加はその前兆なのであろうか。
「十勝の活性化を考える会」会長
注) お上
転じて、公儀権力を示す。なお、「おうえ」と読んだ場合は、主婦あるいは座敷・居間を意味する。四等官筆頭の長官がカミと呼ばれるように、日本では古より最上位の権力者をカミと称してきた。武家政権時代であれば、庶民にとってのオカミは領主であり、武士にとってのオカミは主君であり、公家にとっての主上(おかみ)とは天皇であった。
明治に入り一君万民論の浸透とともに、狭義には天皇一人を、広義には「天皇の政府」としての公権力一般を指すようになった。第2次世界大戦後は「お上」をもって天皇を指すことは一般的にはなくなり、揶揄的に役所・政府ないし政府機関、省庁を指す俗用のみが残っている。
(出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)
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