“縄文人”とは、縄文時代に日本列島に居住していた人々で、約1万6000年前から約3000年前まで日本全土、北海道から沖縄にかけて住んでいた。
“弥生人”とは、弥生時代に中国大陸や朝鮮半島等から日本列島に渡来してきた「大陸系弥生人」、「縄文系弥生人」、および両者の混血である「混血系弥生人」に分けられ、「混血系弥生人」が和人、日本人につながったとされている。
この弥生時代は、紀元前10世紀頃から西暦3世紀中頃までにあたる時代区分で、水稲農耕を主とした生産経済の時代だったと言われている。但し、青森県で「三内丸山遺跡」が発掘され、縄文時代にも稲作を行なわれていたようである。
そして弥生時代が終わり、4世紀から6世紀ころにかけての時代区分として、「古墳時代」や「飛鳥時代」、「大和時代」などが広く用いられているが、大和朝廷とはその時期に日本列島の主要な部分を支配した政治勢力であった。
そして“エミシ”とは、「縄文系弥生人」が関東地方やその以北に住んでいた人々で、大和朝廷への帰属や同化を拒否した集団であった。エミシは統一した政治勢力とならず、ある者は積極的に朝廷に接近する集団もあれば、敵対した集団もあったと考えられているが、大和朝廷が次第に影響力を増大させて、エミシを征服・吸収させていったといわれる。
エミシと呼ばれた集団の一部は中世の蝦夷(えぞ)、すなわち“アイヌ”につながり、一部は和人につながったと考えられている。だから、青森には下北アイヌコタンや津軽アイヌコタンがあり、江戸時代までは和人とアイヌが共生していたのである。
また、アイヌという「自民族の呼称」として意識的に使われだしたのは、大和民族とアイヌとの交易が増加した17世紀末から18世紀初めにかけての時期といわれる。
神奈川県に住んでいる知人に、このアイヌの歴史のことで電話したところ、既述のことは日本の歴史では当たり前のことだと言われた。
日本人の起源は縄文人にあり、その末裔にエミシ(アイヌ)がいるのであるが、このような事実が日本人にあまり知られていないことが、アイヌに対する差別の原因になっていると思っている。
北海道平取町に、「北海道びらとり会」がある。3年前の2017年に設立され、70名余りが会員である。平取町はアイヌの血を引く人が多く住む町で、東京など遠い所に住んでいても故郷とのつながりを強く持っているから、会員になる人が多いと思う。
私は民間ロケットで有名な十勝の大樹町で生まれたため、「帯広大樹会」に入会しているが、発足当時の会員は130名余りだったそうであるが、現在は30名足らずである。
どんな会にも言えるが、会員が減り続けている。減る理由にはいろいろあるが、何といっても“少子高齢化”で、解決の糸口を見いだすのは難しい。ただ、それにより人とのつながりを無くしていくのであれば、そのことを人々が望んでいたか、又は、人とのつながりを求めない世の中に変わったからでもあろう。
ギリシャの哲学者 アリストテレスは、「人間は社会的な動物である」と述べたが、人間は他者との絆を結ぶことは本能のようなものであり、他人とのつながりを絶って孤独のうちに一生を終えることができる人は、ほとんどいないと思う。
現在の日本を振り返ると、「新型コロナ禍」で人々の価値観が変わりつつあるので、もう一度、日本人のルーツや人とのつながりを考える良い機会だと思っている。
「十勝の活性化を考える会」会長」
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