十勝の活性化を考える会

     
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羽毛の海 (読み聞かせ)

2021-01-25 05:00:00 | 投稿


私は石狩川の中ほどの所の村おさで、私ぐらい狩りが上手で物持ちのアイヌは、ほかにいないと思うほどの者でした。
うわさによると、ある時から私たちの国のずうっと東の端の、モシリパサリヒという所の村おさの娘が、行方不明になってしまったという話です。
近郷近在のコタン(村)の人が大勢出て、何日も何か月も捜し歩いても、まったくわからないということです。
その話を聞いた私は、気の毒に思ってはみたものの、遠い所のうわさであり、行ってみるわけにもいかないし、と思いながら暮らしていました。
 ある夜のこと、私の夢枕に、私の家のソパウンカムイ(家の守護神)だという立派な神が現れました。その神の姿は、胸いっぱいに広がるというか、胸を覆ってしまいそうな真っ白いひげを伸ばした神様です。
 その神がいうことには、
 「このアイヌモシリ(国土)の東の端、モシリパサリヒの村おさの娘の行方がわからないということなので、神である私もあちらこちらと捜したが、まったくわからなかった。
それがこのごろになって、ようやくのことその行方がわかった。村おさの娘は、パコロカムイという病気をまき散らす神の息子がかどわかしたのだ。その病気をまき散らす神の所へ行って娘を取りもどせるのは、あなたのほかにはいないであろう。
その方法は、明日になったらこの家を出てモシリパサリヒのコタンへ行き、娘の父である村おさに会って、『私があなたの娘を捜してきますので、コタン中の家から一にぎりずつの供物を集めなさい』と言って集めさせる。その供物は、病気をまき散らす神にあげるもので、魚の背びれとか胸びれとか尾といった、人間の食べられない部分だけにするがよい。穀類を集めるにしても、上等なものではなしに、半分精白にしたもの、ヒエあるいはアワにしても、籾交じりのものにするがよい。
それらの供物が集まったら、あなたはモシリパサリヒの村おさから舟を借りて、舟の前へはエンジュの木の神、舟の後ろへはシコロの木の神をつくって立て、それら二柱の神を道案内にさせて行くがよい。
途中海の上では、トプシアトゥイ(根曲がり竹の海)が生えたような海や、コムコムアトゥイ(羽毛の海)といって、櫂のきかない海もあるが、神々が舟を進めるので心配することはない。
 また、持っている供物を海の神にあげるといいながらまき散らせば、神々があなたを守って、病気をまき散らす神のいる赤い山と青い山へ行けるであろう」
と聞かされました。
 夢を見せられた私は、次の朝早く起きて、うわさに聞いたコタンを目ざして歩き、途中で何回も何回も野宿しながら、モシリパサリヒヘ着きました。コタンへ着いた私は、村おさの家を訪ね、来た理由を村おさに聞かせ、さっそくコタン中から、病気をまき散らす神への供物を集めてもらいました。
 それらのものは、私の家の守護神が聞かせてくれたとおりに、魚の尾びれとか背びれや胸びれのような、人間が食べない部分と、ヒエやアワは籾交じりのものばかりでした。コタンの人が供物を集めていた間に、私はイナウ(木を削って作った御幣)を削ってエンジュの木のご神体にした神と、シコロの木をご神体にした神をつくりました。
 村おさから舟を一般借りて、前の方へはエンジュでつくった神、舟の後ろへはシコロの木でつくった神を立てて、先ほど集めた供物なども舟に積んで舟をすいっと押し出し、私も乗りました。すると、舟は誰かが前から引っぱるか、後ろから押しているかのような速さで水面を滑って進みます。
 私はただ舟に乗っているだけで、神々が舟を進めてくれました。しばらく行くと、家の守護神が聞かせてくれたとおりに、海の中に竹林でもあるかのような、普通であれば舟は進めそうにもない海が広がっていました。それは根曲がり竹が生えたような海でした。そこで、あの供物を少しだけ出して海面へまき散らしながら、海の神々へ、ここを無事に通りぬけられるようにとお願いしました。すると、根曲がり竹のようなものが両方へ分かれ、舟は難なく通りぬけることができました。
次は羽毛の海という海で、まともに来たのであれば櫂などはききそうにありません。
その海も神々の力で滑るように通りぬけると、家の守護神が聞かせてくれた赤い山と青い山が向かい合ってそびえています。
 家の守護神にいわれたように、赤い山のふもとへ舟を上げて、さっさと赤い山を登りました。頂上近くに病気をまき散らす神の住居がありました。ふもとから見た時には、人間の足ではたして登ることができるだろうかと心配しましたが、思いのほか簡単に来られたのは、神々が守っていてくれたからでしょう。立派な家があっだので遠慮せずに中へ入ってみると、囲炉裏端で老夫婦が上座と下座に並んで座っていました。私は老夫婦に向かって、私の家の守護神からの使いで、アイヌの娘を取りもどしに来たことを伝えました。すると、老人は家の奥の方へ向かって大声で息子をしかりつけて、「だから前々からいっていたように、今日ここヘアイヌの若者が娘を迎えに来たのだ。さあすぐにアイヌの娘を戻しなさい」と言いました。おしまいには哀願でもするように、「息子よ早くしてくれ、そうでないと人間の臭いと、舟の中でこの若者を待っているエンジュの木の神の臭いで、神である私たちは死んでしまいそうだ」と言いました。すると、家の奥の方から若者が一人の娘を抱えて出てきて、娘を私のそばへ置き、すぐに家の奥の方へ戻ってしまいました。それを見た父親である老人は息子に、「だからいったであろうに。アイヌというものは、目そのものは壁までしか見えないが、多くの神を祭っているので、神々が助けに来る。そのようにいい聞かせたにもかかわらず、娘を返すのが遅くなってしまった」
 などと息子に悪口を言っています。そのあとで私に向かって、「アイヌの若者であるあなたがここへ来た印に、宝物をあげよう」と言いながら、神の国のカムイイコロ(宝刀)をたくさん出して、私にくれました。
それとは別に母親の方は、玉飾りを出して私にくれながら、「これはあなたの妻への土産にしてください」と言うのです。その玉飾りは、「サタイワンアッエリキン、マクタイワンアッエリキン タマサイ」といいます。というのは、前の方に六本の紐、後ろの方に六本の紐、それに玉が通され、その下ヘシトキという円盤状のものが下げられているからです。私はそのような立派な玉飾りももらいました。そして老人がいうのには、
 「これからはどこかで病気がはやったと聞いたら、これらの宝物をそっと出しておきなさい。そうすると、それを見た私どもの仲間は、あなたであることを知って避けて通るでありましょう。それと、これから後は酒を醸した時に、『パコロカムイアノミナー』といいながら、私に酒を贈ってほしい。そうしてくれれば、これから先、ずうっとあなたを守ってあげよう」と言ってくれました。
 話を聞き、娘を受け取った私は、宝物と娘を抱えて赤い山を下りて、舟に乗り海へ出ると、来た時と同じように誰かが舟を引っぱっているかのように、海の上をぐんぐんと進みます。先ほど通った根曲がり竹が生えたような海も、羽毛の海も難なく抜けて、あっという間にモシリパサリヒのコタンへ帰ってきました。
 死んだようになっている娘を抱えて村おさの家へ入っていくと、夫婦はそろって立ち上がり、私の腕から娘を受け取ると泣いて喜び合いました。私は死んだようになっていた村おさの娘に、親たちといろいろ手当てを加え、どうやら息をさせました。
 夫婦こもごもいうことには、
 「石狩の村おさが来てくれたおかげで、娘の生きた顔をふたたび見ることができました」と私の手を取って、あるいは膝のところを手で押さえながら喜んでくれました。娘自身がいう事には、
「死んでいたのか眠っていたのかもまったくわからずに、意識もうろうとしていたので何も覚えていない」ということでした。何はともあれ、村おさの娘が、何か月ぶりかで生きて帰ってきたということなので、コタツ中からヒエやアワなどが集められて、さっそく酒が醸されました。
私は鮭がおいしく醸されるまでの何日かを、そのコタンで過ごしました。十分においしい酒が出来上がり、その酒で神々にお礼の祈りをしました。それが終わってから私が帰ろうとすると、モシリパサリヒの村おさが私へのお礼にと、たくさんの宝物を出してくれましたが、私も余るほど宝物があったので、一つももらいませんでした。
そして私が家を出ようとすると、娘が母親の耳もとへ何やらささやくと、母親がいいづらそうにいう言葉は次のようなものでした。
 「見たとおりまったく取り柄のない娘ですが、石狩の若い村おさのおかげで生き返ったので、水くみ女にでも、薪集めの女にでも加えて、一生そばへ置いてほしい、と娘からのお願いです」
そこで、私も本当は気が進まなかったけれど、゛私には妻がいるので、勝手に返事はできないけれど、村へ帰って妻に相談してみましょう。もう一度来てみますが、それまでよく考えておきなさい」と言い残して、私は野宿を重ねて家へ帰ってきました。
妻へは、わが家の守護神が夢を見せてくれたので、それに従って歩いたことを事細かに聞かせました。それと、助けた娘が私の二番目の妻になりたいといったことも、妻に聞かせました。すると妻は大変に喜んで、「わたしは身内も少なく寂しいので、ぜひそうしてください」という返事でした。
 そうこうしているうちに、モシリパサリヒの村おさからの使いで、数人の若者がたくさんの宝物を背負って私の所まで来てくれましたが、私は持ってきたうちの二、三点を受け取っただけで、残りは戻しました。
 しばらくたってから、私かモシリパサリヒのコタンへ行ってみると、村おさの娘は本気で待っていてくれたのでした。念のためもう一度聞いてみると、本当に私と結婚したいということです。一人娘であったので、連れてきてしまうとあとが心配なので、別に精神のいい若者夫婦に頼み、老夫婦の面倒を見させることにしました。
その村おさの娘と一緒に石狩のコタンへ戻り、私の妻に会わせると、妻も大変喜んでくれて仲よく暮らしています。その後、二人の妻たちは次から次へと子どもを産んでくれたので、大勢の子どもに囲まれた私は、何不自由なく暮らしています。
 それとモシリパサリヒの方へは遠いので、なかなか行くことができませんが、私か来るのを待っていたかのように、私が行くたびごとに老父母は亡くなりました。
 それといい忘れていましたが、モシリパサリヒから帰ってきてから特別にお酒を醸し、家の守護神へも、病気をまき散らす神へもイナウと酒を贈りました。そして近くで病気がはやっていると聞くと、私はさっそくあの玉飾りや宝刀を出しました。すると、私たちのコタンだけは病人が出ることもなく、無事に暮らすことができました。
 というわけで、私は若い時に、神の使いとして病気をまき散らす神の国へも行ってきたものです。それが縁で遠いコタンの女をも嫁にしていたのですから、子どもたちよ仲よく暮らしなさい、と一人の老人が語りながら世を去りました。

語り手 平取町荷負本村 木村まっとぅたん
(昭和39年5月22日採録)


【作者解説】
木村まっとぅたんフチ(おばあさん)は季節保育所の保母などをしていた方だけに、話の中は日本語混じりで語られています。

■アイヌの民具■タマサイ(玉飾り)
女性が首から胸にかけるもの。神祭りや人が死んだ時に使います。起源は不明、サハリンの方から渡ってきたものと推定されます。大きな円型の部分をシトキといい、直径十五センチくらい。紐についている玉はコンルタマ(ガラス玉)といいます。

萱野茂著「アイヌと神々の物語」より

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