良い文章を書くための条件は、①体験、②気づき、③普遍性 だという。
①の体験は事実に基づいて書き、ウソをついていないから文章に説得力がある。 ②の気づきは、様々な体験、思考により高まるのだろう。 ③の普遍性については、文章に説得力を持たせるため、読者の立場に立って普遍性を持たせるのは当然だろう。
ところで、気づくということは感受性の問題であるから、人によって気づく事柄と気づかない事柄、そしてその程度にも違いがあると思う。私は以前、このブログで「つもりということ」で書いたが、私たちはいつも、“つもり”で生きていることが多い。例えば、知っているつもりとか、覚えたつもり、言ったつもり、約束したつもりなどである。
私は高次機能障害なので、“覚えたつもり”でもすぐに忘れる。齢をとったら忘れることは当たり前だが、病気なので齢をとらなくてもすぐに忘れる。この“つもり”のことで、気になることがある。
人は、どこかで聞いたことがあるとよくいうが、その中身を問いただすと詳しくは知らないという。これは確かに聞いたことがあっても、詳しく知らなければ聞いたことにならないのと同じで、はじめから「知らない」と言った方が良いのではないだろうか。
“覚えたつもり”、“聞いたつもり”、“見たつもり”など「つもり」はたくさんあるが、新聞やテレビ、読書にしても、知識や情報などを蓄積するのが目的であるが、知識などがないために恥をかくことが多い。
しかし、実際に体験することが重要であるから、私は、“現場に行き、現物を取って、現実を知る”という三現主義を大切にしている。三現主義とは、現場・現物・現実の「現」を重視する考え方で、管理者などは必ず現場に行き、現物をみて、現場を知るべきだといわれているが、なかなか出来ていないのが現状である。
しかし、現場に行かないと「机上の空論」になりかねないので、現場に行って初めて分かることも多く、三現主義を忘れてはいけない。「百聞は一見に如かず」という諺もある。現場に行くと、見ると聞くとは大違いのことがあるので、現場に行って見るようにしている。また、いつも思うのであるが、テレビは一面だけを写してあたかも全体がそうであるかのように放送されることがある。だから、物事は局部的ではなく全体を見て判断することが大切であると思っている。
あらぬことを言ったために辞職した政治家をたくさん見てきたが、「そんな事は言っていない」と弁解するが、心の中でそのように思っているから口に出たのだと思う。昔から口は禍のも元といわれるが、言葉に出してしまえば“後の祭り”で、後悔しても手遅れでいくら悔やんでも仕方ないのである。
「十勝の活性化を考える会」会長