昼行灯(だった)トキの大雑把なひとりごと

クレヨンしんちゃんよりもユルく生きていた(当面過去系)私の備忘録と、大雑把なひとりごと。時々細かく語ることも。

(ステマ)つや姫がうまい

2015-12-02 21:09:27 | 農業
我侭に美味しい物を食べているせいか、最近、食に関する感動が薄れた。
これまで美味しいと感じていたものでは、満足できなくなっていた。
そんな中、以前から気になっていた山形の「つや姫」を購入。

たまごかけごはんにして食べようと思ったけど、ごはんだけですごく美味しい。おかずがいらない。
食で感動するというのが久しぶりだったので記録。

圃場と生態系

2007-11-13 00:34:15 | 農業
 はぐれけんきゅういん♀リターンズ:人為的影響下の「生態系」できのこさんが言及している、中西準子先生の「雑感408」について。

(昨晩の原稿を全面改稿しました)

 「圃場そのものが生態系という環境なのか?」という中西先生の疑問に対し、きのこさんは「「人工的に作られた環境下でも生態系の一つであると考えるべきでは?」と仰っています。
 私もまたそう思うのですが、それは、最近の農業施策に関わる仕事をしていたから、というのが理由です。
 近年の農業振興施策の典型として「農場・農村」という「独自の生態系」に価値を見いだし、これを守ろうというものがあります。
 そして、そこで保全されるべきは、機械化・化学肥料・農薬使用による効率化の進んだ農地、ではなく、より生産性の低かった時代の、そしてそれゆえに生物層がそこそこ豊かであった時代の「農場・農村」です。
(似たような考え方に、「里山」があります。落葉広葉樹を中心とした二次林で、人家に近接し、薪炭材や堅果の採取などの人為が加えられることにより持続する森林です。これも、典型的には江戸時代~戦後のスギ植栽以前までのイメージです。)

 さて、最近は環境負荷を低減する技術を導入した農業が、世論・消費者ニーズから広く期待されています。上記の「農場・農村」もまた、環境負荷低減技術を駆使することにより実現されるべきものとして語られます。
 ここでのキモは何かというと、「農場」や「農村」を、審美的な価値観で扱う、というものです。
 ありていに言ってしまうと、日本の農業は斜陽産業を通り越して衰退期にあるといってよいでしょう。それを食い止める方策として行政が注目したのが、農業・農地・農村に「美」を見いだす立場です。この「美」を守るためにも、農業を、農地を、農村を守ろう!そのためにはこれこれの政策が・・・というわけです。
 この「審美的」農村観はなにも行政が勝手に言い出しているのではありません。農業者自身や、かつて農村で暮らしていた消費者においても、この価値を認め、積極的に保全すべきと主張する人達は居ます。言い方が悪くて申し訳ないのですが、いわばそういった人達の価値観を「利用」した農業振興施策というものが存在しており、その意味では「圃場」が「護るべき生態系」であるという考え方は、不可欠なものとなります。ここでの研究テーマ設定に、上記のような行政の意図が噛んでいるかどうかはわかりませんが、上記の視点が含まれたものと仮定した方が分かりやすい研究のように、私には思えます。(だからといって陰謀論的に見ているわけではありませんが)

 さて、特殊な湿地としての水田を主な要素とした生態系というのが存在し、相応の生物種がそこで繁殖していたことは事実といってよいでしょう。農業の効率化が、水田を住処としていた多くの生き物を追いやったことも然りです。
 GM作物は、使用する農薬の種類と量を減らす事ができる技術ですから、減農薬の分だけ、生物層にはやさしくなるでしょう。ですから、ここで言及されている研究成果はわりと分かりやすいものです(もっとも、そんな単純な理解で本当にいいのかどうかは、私にはわかりませんが)。
一方、中西先生、あるいはその他大多数の方の問題意識、およびGMOをめぐる環境影響といった観点からすれば、「遺伝子組み換え作物が栽培された圃場」というのが、その「外部」を含む生態系の擾乱要因である可能性が考えられるから、それを研究すべき、ということになります。
 結局ここでの問題は、「場」をどの範囲に設定するかで、GM作物が「環境によい」「悪い」が逆転してしまう、ということになります。(GMが環境にほんとうに悪いのかどうかはさておき)
 でも、考えてみれば、他の多くの事象だって大同小異であって、結局は、どちらに価値基準をおくか、あるいは共通の「環境のモノサシ」をうまく設定して、リスクを比較考量し、判断するかのどちらかしかありません。
 余談ですが、当県の研究者がシンポジウムで以下のように述べていました。
「環境保全型農業に広く取り組んでいる地域では,地域の実情に合わせて、減農薬・減化学肥料の栽培体系が確立され、それが普及している。すると、多くの農地では、同じような時期に、最低限度とはいえ同じ農薬が使われることになる。農薬への感受性は様々な動植物で異なるが、画一した農法としての環境保全型農業が普及することで、その地域では、ある生物に限り絶滅してしまう、といったことが起こる。だから、『すべての農地で環境保全型農業をやればよい』というものではない。農法もさまざまなものがないと、思わぬ環境負荷の突出を招く場合があるのだ」
 「だから無農薬・無化学肥料でやれ」という誰かの声はあえて無視します(餓死したいならそれでもいいですけど)が、この例を見てもわかるように、答えはシンプルに、とはなかなかいかないようです。結局は、ヒトそれぞれが「決断」し、その結果に「責任を負う」しかないのでしょうね。

簡単に言うけどね。

2007-04-23 00:34:59 | 農業
農業を「もうかるビジネス」に、政府が活性化案の規模拡大(読売新聞) - goo ニュース

 拙ブログでは、農業と医療の問題をよく取り上げますが、この2つ、似ているところがあります。
  ・どちらも健康に直結している。
  ・どちらも「過剰サービス」が当然とされており、それが保証されないと「キレる」お客さんが一定数居る。

 健康関連がここまで安価でかつ充実している国はほかにありません。

 個人的には、携帯電話に月2万円かけるくらいなら、医と農に1万円ずつ負担を分けて、今の水準を維持したほうがどれほどよいことか、と思います(それで維持できるかどうかは分かりませんが)。
農業は、保護主義的といわれようと、とにかく(国民が飢えない程度の)一定の規模は維持するような施策をとるしかありません。でなければ国が滅びる。

 個人の「企業家精神」はもちろん重要ですが、それだけではどうにもならない点もあります。資本主義的競争だけではなく、国がもう少し枠組みを整えてやらないと、「もうかるビジネス」になるのは一部のみ、あとはジリ貧で供給総量は不足、ということになってしまいそうな気がします。

微妙にカブっている。

2007-02-01 23:11:56 | 農業
 別に内舘牧子氏のファンでもなんでもないのだが,彼女が東北大の宗教学研究室などというドマイナーなところを選んで勉強してくれたおかげで,私が2年間入り浸っていた研究室も,ずいぶんと知名度が上がったとは思う。今回は、そんな内舘氏のコラムを紹介。なんと,仙台の地場の野菜「仙台野菜」を取り上げている。

 読売新聞には悪いが,全文引用させてもらいます。

・内舘牧子の仙台だより第45回(読売新聞仙台版?:1/31付)「みんな私が悪いのよ」
 1月16日から1週間,東北大学宗教学科の連続講義があり,私も聴講させてもらった。講師は東大宗教学科の島薗進先生。みっちりと島薗先生の講義を受けるなんて千載一遇のチャンスだ。
 私は東京の友人や仕事仲間には内証で仙台に滞在する気でいたのに,どこで聞きつけたのか,次々と女友達から電話が来る。
 「ねぇ,仙台で授業に出るんだってね。アータってそんなに勉強が好きだったのね。偉いわ。立派だわ。友達として誇らしいわ」
 口先だけでほめまくる彼女たちの,真の用件にカンづかない私ではない。要は「仙台みやげ」が欲しいのである。手ぶらで帰って来ちゃなんねぇぞというのが,彼女らの真意なのである。
 その「仙台みやげ」は牛タンや笹かまぼこではない。「仙台曲がりネギ」とか「仙台白菜」,「仙台雪菜」や「仙台芭蕉菜」や「寒締めちぢみホウレン草」などの仙台野菜なのである。重くてそうそう持って帰れないし,宅配にすると言うと「買いたてをすぐほしいわ」とぬかす。
 もっとも,彼女たちに仙台野菜のおいしさと珍しさを教えてしまったのは私で,マイカーの時にはトランクいっぱいに積んで東京に帰っていたのである。そして,よせばいいのに,ついつい,
 「これはね,今朝,朝市で買って来たのよ。曲がりネギはね,横倒しにして土に埋めて育てるの。そうするとネギが立ち上がろうとして曲がるのよ。そういうパワーが他のネギにはない甘さと柔らかさを作るんだっちゃァ」
 なんぞと能書きをたれるものだから,友人たちは欲しがって大騒ぎになるわけだ。みんな,私が悪いのよ。だが,今回は新幹線で帰るので,仙台野菜は次回ということで諦めさせた。
 すると,仙台のホテルに女性編集者から電話があり,仕事の都合で1日早く帰京せざるを得なくなった。そして彼女はつけ加えた。
 「あなたも知ってるA子が,明日手術するのよ。また立ち上がれということで縁起がいいなら,曲がりネギをお見舞いに買ってきて」
 そういう事態ならと,私は買いました。曲がりネギをしょって新幹線に乗りましたとも。
 で,A子が何の手術かというと美容外科でレーザーを使ってシミを取ったんだと。すぐに終わって日帰りだと。私,カンペキにだまされました。(うちだて・まきこ)


 「仙台野菜」というのは、「京野菜」や「加賀野菜」等と同じく、地元近辺でかつて多く栽培されていた野菜類、今ではあまり流通しなくなった、ちょっと懐かしく、いまの消費者にとっては珍しい、地域限定版の独特の野菜をいう。近頃はこういった「ここでしか味わえない」というような、プレミア感のある食材が人気である(テレビの影響だと思うが)。加賀野菜の成功で、多くの地域でこうした地元独特の野菜を発掘し、ビジネスにしようという動きが見られる。
 「仙台野菜」の種類は、上で内舘氏が記している分で殆ど網羅される。もっとも、ちぢみほうれんそうは、仙台というよりは県東部の石巻近辺が有名産地で、宮城の地場野菜ではあるが、「仙台野菜」とは言わないかもしれない(もっとも、県外のヒトにとっては関係ないことだろうが)。また、ここに挙げられていないものに、サトイモの葉柄を食用にする「からとりいも」(又は「あかがら」、「ずいき」)がある。これは干物にするもので、まあ地味な食べ物である。
 実は、上記の仙台野菜のうち、スーパー等で普通に買えるのは、冬期のちぢみほうれんそうと、曲がりねぎ位である。曲がりねぎはこちらではポピュラー過ぎて、地元独特の野菜である事を私は成人するまで知らなかったし、恥ずかしながら普通の長ねぎとの味の違いを意識した事もない。
 では他のものはというと、昨年あたりから、行政の後押しで、仙台朝市のある青果店が扱う様になり、ようやく一般流通の回路が出来たという段階である。もっとも、生産量はまだまだ少なく、しかも結構人気なので、入手するのはそれなりに苦労する。内舘氏が、これまた未だ余り知られていないであろうモノを知っており、かつ愛好しているというのは、ちょっと驚きである。氏は、密かにマイナー指向であろうか?等と疑ってしまったり。
 ちなみに、白菜は明治の頃に中国から日本に入った。そして、日本で初めて本格的に栽培されたのが、実は宮城県(松島、仙台)である。上で言われる「仙台白菜」とは、この黎明期の品種に近い特性の品種を指す言葉である。
 仙台白菜は、柔らかく甘いため人気が高かったが、反面、傷がつきやすく、傷むのがのが早かったこと、収穫可能な期間が短いこと等から、次第に他の品種にとって代わられた、いわば「市場競争に負けた」品種である。それがこうして時を経て復権するというのが、何とも面白い。
 ところで、「仙台野菜」というのは、仙台市の農政担当部局が名付けた言い方である。他方、宮城県庁では、同じものを「仙台伝統野菜」と呼称している。こちらの名前で検索すると、詳細な解説サイトがヒットする。しかし、同じものをわざわざ違う名前で呼ばなければならないというのは、いかにも縦割り行政といった感じで、いかがなものか、と思ってしまう。何より、消費者にわかりづらくなるのが痛い。
 

 で、何がカブっているのかというと、この野菜のプロデュースなんかも、私の職場の所掌範囲に入っていたりするのです。何だか私がやけに仙台野菜に詳しいのもそういう理由。
 

農地改革の評価は私にはわからんが。

2006-09-24 23:00:24 | 農業
今日もanhedoniaさんの記事。正しくはそこを経由したこちら
う~む。農地改革なかりせば、機械化等の設備投資も適正水準であったのではないか、とな。
逆にいうと、法人化とか集落営農ってのは、古いヒトたちには「小作に戻る」ことを連想させるから進まないってことなのかなぁ。
「作業受委託」が好まれて、「利用権設定」があまり好まれないのも同じか。
(「利用権」はかなり強い権利なので、いずれかつての地主のように土地を取られてしまうのではないか、という危惧)
もし、「土地の権利でウマー」ということへのこだわりが強ければ、やはり効率化は進まないのではないか、と思う。
ちょっと、解決策が見えない。





定年就農とか徴農とか

2006-09-20 21:11:33 | 農業
今回はanhedoniaさんへトラバ。

>定年で就農した70歳の人が出てた。
>5000万円払って、0.5haの農地を取得したそうな・・・。
>私の目から見れば、インチキ占い師に感化された人が、安物の花瓶に何百万円も払っているようなもの・・・。

>で、散人センセイも噛みついてますな
>NHK:定年帰農を考えるサラリーマンは現実を分かっていない! 
>可哀想だが、まさにアホ丸出し。農村への思いこみと憧れを持つ「環境指向」のインテリ都市住民は、まさに彼ら農村利権集団の絶好の餌食となる。
>スカウト商法に引っかかって借金作っちゃう女の子と同じ。
>たいへんお気の毒だけど、騙される方も悪い。
>もちろん、騙す方が一番悪いんだけど・・・。

確かに、たかが5反分に5000万円は高い。
「農村利権集団」なるものがどのように機能しているのかはよく分からないのだが、まあ通常売買価格ではないね。
こういうのって、情報収集を丹念に行えば避けられるんじゃないのかな?それとも、どこの帰農者向け農地斡旋でも同じなのだろうか。
***
徴農についてはリンク先記事(過去にもある)を読んでもらうとして、「農業体験」を若者の教育に使おうということと、失業対策にしようというのと両方らしい。
唱える人によってどちらが主眼なのかは異なるのだろう。
ブログ主さんも「農業は人手不足ではない」と批判しているがまさにその通り。不足しているのは「自分の農地を昔と同じように耕作してくれる自分の家の働き手」なの。
(いや、だからって集落営農が無条件でイイ!とは思わないけど)
ところで、養老孟司氏が「参勤交代」を提唱しているが、彼の主張は「身体を使え。身体を意識しろ。脳の中だけで生きるな」ってことだから、まあ若者教育の視点に近い。
で、それもこれもひっくるめて思ったのが、「それで、食糧生産はできるの?」ってコト。
どうも、農業は食糧生産機能以外の部分にしか価値がない、だからそういうことで無理やり就農人口を増やそう、という風にしか見えんのだが。
そんなことしたって、農村社会は解体が加速するだけだし、なんつーか、幼稚園児のイモ掘りを今更元服年齢の少年少女にやらせてどうするの?と。
オジさんオバさん達のノスタルジーに付き合わされるだけなのではないか?と。
こういう提言は、何を解決しようとしてなされているのかサッパリわからない。
・・・仕方ない、昼行灯の名に反するが少し調べてみるか。
***
調べたがわからんかったorz。たぶん言いだしっぺは農業現場に明るくはないのだろう。

スローライフの一歩先

2006-08-23 21:34:28 | 農業
社団法人農山漁村文化協会で出している『現代農業増刊 山・川・海の「遊び仕事」』が面白い。古くからの集落の共同作業に
焦点を当て、「遊び」と「仕事」の区別が付かない活動、楽しい仕事、という側面をあぶりだしたものだ。書き手も巧みなのだろうが、読むだけでもワクワクする。テレビのバラエティでは、「ビンボーさん」と銘打った半自給的生活を楽しく営んでいるヒトを面白おかしく紹介しているが、これも元々は都市部に住むほんとうの「ビンボーさん」のヒサンな生活を紹介する番組だった。現在のように「スローライフ紹介番組」と化したのには、ネタ不足と、視聴率の実績が関係しているのだろう。
いずれにせよ、本書ではにわか「ビンボーさん」達よりもずっと魅力的な、地域と伝統に根ざした「スローライフ」が紹介されている。ここでの価値を計るモノサシは、金銭ではない。そのことがはっきり分かる。ヒトにとって「自然の恵み」と向き合う喜びはやはり格別なのだろうと思う。
何度も書いているが、私自身は、今後の農業のキーパーソンは団塊退職世代だと思う。彼らは「農を楽しむ」ことに飢えている。そして、従来の農家が苦手な経営・経理の経験を持ったヒトがいる。都会での経験を農業経営に還元し、彼ら自身は農業から元気と活力、いくばくかの収入を得る。そうして、自然と向き合う喜びと、経営とがうまく結びつけば、「会社的農業」をやる部門と、「自然体験・集落管理」をやる部門に分かれてもいい。好き好きでいい方にかかわればよい。食べ物に困らないのなら、少ない年金や貯蓄といった現金だって他のことに回せる。そうして、彼らが現在のお年寄りから地域の生活を学び、身に付け、十分に楽しみ、かつ働いたら、次の退職者世代にその地位を譲る。それでよいのではないか。
そう考えるにつけ、やはり「農地の所有権」が大きな問題なのだろうと思う。もっとも、経営的には赤字の農家もなんだかんだと言ってなかなか農地・農業を手放そうとはしない。その理由は、農業がやはりどこかの点では「楽しい」からなのではないか、とも感じる。(多くのヒトが指摘していることだが)
で、オマエはどうするのか?リタイアしたら帰農するのか?
うーん、ウチは、ムシ嫌いなおヨメさまの理解が得られそうにないです。ワタシ自身も濃密なコミュニティは苦手ですし。
とはいえ、定年後の生活の糧をどうするかは至極重要な問題。現在の家屋は心ならずもランニングコストが高いタイプ。
うまく工夫して、機器更新時にローコスト化できるといいのだが・・・。

日本農業のバッドエンド

2006-08-23 21:32:18 | 農業
縁起でもない。が、とりあえず考えておくことは必要。
現在、農業政策は来年度から始まる「品目横断的経営所得安定対策」と、農地及び農用地施設等の多面的機能(耕作・水利等の機能のほか、洪水調節、景観形成、生物生息環境提供等の機能を含む)の維持のために非農家も含めた維持管理活動を行う団体へ助成する「農地・水・環境保全向上対策(仮称)」に向けて動いている。そしてこの2つの施策は「車の両輪」に例えられている。
極めて大雑把にいうと、前者は助成対象を大規模経営農家(又は集落営農組織)に絞り込むことで、「効率化」を推し進めるもので、後者は、農家の減少・高齢化に伴い、水路の清掃ややあぜ道の補修といった農地・農業用施設の維持管理ががままならなくなってきたことに対する対策である。
そして、後者はさらに、「田んぼの生き物調査」といった「農地のもつ生態系維持機能・学習機能」に着目した試みの成功を受けて、農地の農業以外の機能に関心を持つ人々を取り込んで、人手不足を補おうとするものである。
(その方法は、生き物調査のような機能維持管理以外の活動にも助成することによる。また、こういった活動に参加する人の多くが、「農地・農村」に高い価値を見出してくれており、その維持管理活動への参加にも理解が得られるだろうといった期待がある)
何が言いたいのか。すなわち、「品目横断的経営所得安定対策」は、原則、農業者に離農を促す施策である。他方、「農地・水・環境保全向上対策(仮称)」は、非農家を営農に参加させようとする施策である。両者は、ヒトの流れが逆だ。これは本当に両輪なのか。
たとえば、「品目」が、農業経営体を大規模農家に絞り込む。勿論、独自の販路を持ち、高付加価値農業経営を行っているような農家は、小規模でも存続するだろうが、そのことは措く。ところで、数少ない大規模経営農家が利用する農業用水路やあぜ道は、これまで、いわゆる「農村」の共同作業として、伝統的にボランティアで整備されていた。農家が少なくなれば人手は減るので、いままで通りの維持管理ができるかどうかは分からない。(離農した元農家の人手を期待する向きもあろうが、自己の利益にならないことを「慣習だから」と無理強いさせるというシナリオは続かないと感じる)
そこで、「農地・水・環境」によって誕生した活動団体が、足りなくなった人手を補う・・・となるのだろうが、この団体は、非農家の参加も前提にしているとは言え、その主体はやはり「減らされた後の農家」である。核となる部分の人は減らし、その周辺の、直接利害関係のない人を増やして維持管理してもらうというのは、虫がよいのではないか?しかもそれらの増やされた人は、言ってみればレクリエーション活動に関心があるのであって、農業そのものには関心がない層だと思われる。いつか、「ていのよいただ働きをさせられている」と思うようにならないだろうか?
私の考えるバッドエンドの一つがここにある。すなわち、施設整備が追いつかなくなり、生産機能が低下する。あるいは、施設の維持管理にかかるコストが増大し、大規模農家の経営を圧迫する。結果、従来型のボランティア頼みのインフラ維持管理を前提とした農業は立ち行かなくなる。
もう一つは、自給率だ。現在、中国からの農産物輸入が多い。しかし、今後は、中国でも国内向けの需要が増し、輸出に回される分は減るだろうと予想される。そうなれば、日本国内の農業に光が当たるのか?
個人的には厳しいと思う。まず、農業者数を絞ってしまえば、生産量を急増させることも難しくなるだろう。加えて、上記の維持管理の問題がある。生産量を拡大するにはそれなりの施設が必要であり、それなりの従事者が必要だが、農業はだれでもすぐに始められるようなものでもない。
つまり、今回の政策転換で、安定的な農業経営体が育ちきる前に、食糧危機が起きたらどうなるか。農業は破壊されないかもしれないが、国民生活そのものがダメになる。これがもう一つのバッドエンド。
まあ、そうなったら、政策も何もかなぐり捨てて、農地開墾、食糧増産にいそしむしかないのだろうけれど。


そのためには、むしろ、「農地・水~」のような集落管理型のインフラシステムではなく、たとえば、国内需要が高まった時に、新規に企業等が農業に参入し、そのためのインフラをすぐ利用できるようなシステムが必要なのではないか。もしくは、インフラの維持管理機能は、「集落のボランティア」で賄うのではなく、NPOのようなある種の対価を得られる団体が担うほうがよいのではないか。
「そういう団体として土地改良区があるではないか」と言われるかもしれないが、これは、旧来の農業者・農村という社会システムに余りにも縛られ過ぎている様に思う。そこから脱却できるのであれば、母体は土地改良区でもいいが、果たしてどうか。
いずれにせよ、そのようにして、維持管理システムも市場経済化するしかない。そして、そのコストを払えるだけの経営体が農業をやっていく。そして、維持管理コストが高止まりにならないように、あるいは生産コストそのものが高止まりにならないようにするために、
定年帰農者を安い労働力として使う。そのかわり、彼らには「金に換えられない喜び」が与えられる。
もちろん、会社勤めの経験を活かして本格的に経営管理に参加してもよい。そういう人ももちろん、農作業には従事する。
というわけで、結局は「世襲的な農業の解体」こそが鍵だ。そのためには、農地という財産の世襲(相続)を何とかすることだ。

農業:無農薬栽培は誰の為か

2006-05-28 17:51:56 | 農業
以前にも書いたことですが、無農薬栽培が健康被害リスクを低減するのは、消費者に対してではなく、農家に対するそれが殆どです。それ以外のヒト、つまり口に入れるヒトにとっては、現在の科学技術水準で確認できる限りは、まず実害はないと言っていい。そう考えます。(そうじゃない、というヒトは、複数の実験結果で検証された確たる証拠を見せるように。)
そういうわけで、私がはたともこさんのブログにブツクサ言っているからといって、無農薬栽培に意味がないと考えている訳ではない。例えば、農地に生息する生物にとっては、いうまでもなく無農薬栽培のほうが望ましい。そういうメリットもあります。だから、農産物を買うヒトは「自分の為に」ではなく、「生産者と環境」のために、無農薬栽培の農産物を買いましょう。万が一にでも、「自分の健康のため」だなんて思わないように。
もちろん、例外はあります。アレルギーで極微量の残留農薬もダメ、という方がいるのも事実です。逆にいうと、無農薬栽培農産物というマーケットが、消費者自身の実益によって選択される場合があるとすれば、これ以外にはない、と、私は思っています。(もっとも、この場合のアレルゲンがほんとうに極微量の残留農薬かどうかは、個人的には疑わしいと考えています。ですが、無農薬栽培農産物でアレルギーが回避できるなら、どんどんやるべきです)
最近疑問なのは、この減農薬・減化学肥料又は無農薬・無化学肥料栽培が、イメージとして良いため(どう良いかは不明だが、どうも「体によい」らしい)、よく売れるということです。そうして、売れるからと言う理由で、これらに取り組む農業者も出てきているのではないか。調べてはいないが、そう思えます。(少なくとも「売れる米づくり」等と言って、環境保全米の栽培拡大を図る一部の動きはこれに当たる。)
動機は何でもいい、とは、私には思えません。そもそも、いま環境保全型農業で成功している方には、かつて生産者が農薬によって健康を害されたことを知っている人達が多いように思います。自分の身に降り掛かる問題だからこそ、本気で農薬削減に取り組めたのです。そうでなければ、手間ひまのかかるこんな栽培方法は続けられるものではありません。
私は、恐らく、売らんが為に環境保全型農業を始めたヒトは、早晩、手を引くことになると思います。国は国内農業全体を環境と調和した農業にしようと言って旗を振っていますが、全体がそうなれば、価格面の優位性はなくなりますから、こういう人達は続ける気がなくなるでしょう。そして、そもそも適正に使用するなら、農薬も化学肥料も使って構わないはずだということに気付くでしょう。消費者の誤解に基づく「嗜好」にあわせて、生産量を落とし、収入が減るなんてばかばかしい話です。
さて、農産物に限らず、食料における最も恐ろしいリスクは何か。過去数千年、人類が戦ってきたのは「食料不足」=「飢餓」です。無農薬栽培は確かに良い点もありますが、生産量の減少は避けられない。なぜかというと、前々回の記事で書いたように、果物の多くは無農薬栽培に向かないからです。農薬を使わない場合、モモの収穫減少率は100%と言われています。全滅です。「すべて無農薬に!」と言っているヒトは、何と恐ろしいことを言っているのだろうか、と思いませんか?
もうひとつ違和感があるのは、無農薬・無化学肥料栽培って、なんとなく「有害物質で汚染されていない」「クリーン」といったイメージが付いているている点です。しかし、土耕栽培の場合、化学肥料のかわりに使うのは堆肥です。もとは糞尿です。発酵等の処理がきちんとされている完熟堆肥であれば、大腸菌とかはそんなに居ないでしょう。でも、おおもとは排泄物ですよ。イメージ大事の消費者の皆さんが、「クリーン』なイメージでそれを有難がっているように見えるのが、私には滑稽でなりません。もし、「クリーン」イメージで農産物を選ぶなら、値段の高いLED光源・水耕栽培の野菜工場のものを選ぶべきでしょうね。(コメや果物の多くは食えないってことになりますけど。)こういうの、すごく気になるんですよ。ちょっと考えれば矛盾があるってわかりそうなモノなのに、どうしてヒトは合理的に考えないのだろう。
 まとめると「環境保全型農業の推進は、その『環境負荷を低減する」というメリットゆえに進められるべき。そうして生産された農産物であろうが、そうでなかろうが、食べるヒトの健康リスクは変わらないということは徹底しなければならない。消費者は、『あぁオレ環境にいいことした』っていう満足感に金を払うこと」
「あなたがキレイだと思って選んだ物のほうが、むしろ汚いんじゃないの?そんなの止めな。」

農業:ポジティブリスト制(あれれ・・・?)

2006-05-22 23:33:49 | 農業
 今回、予定変更で農業ネタをUPします。
 食品衛生法の改正施行が来週に迫ってきました。
 再度整理すると、今回の改正は、食品中に残留する農薬等の成分について、これまでは、規制するものだけを記載するようにしていたのが、今後は、原則一律禁止し、特定の食品中における特定の物質のみ独自の規制値を設ける、というものです。(一律基準は0.01ppmで、その他の基準はこれと同じかこれより大きな値になる・・・はず。確認してませんが)
 これまでは、たとえばA農産物で0.1ppmまでの残留と規制されていた物質が、B農産物では規制がなく、何ppm残留していてもOKでした。また、規制値が定められている農薬の種類も多くありませんでした。
 それが、今後は、規制値が独自に決められていないものは、一律基準が適用されるため、一気に厳しい制限が課されるようになるのです。
 さて、国内の農業者にとっては、農薬の使用について別に「農薬取締法」というものがあり、そちらを遵守して、用量、用法を守った農薬使用をしていれば、別に今回の食品衛生法の改正は怖くありません。(たとえば、ある作物に適用のない農薬をうっかり使ってしまった、というのは、成分検査の結果、食品衛生法ではねられる前に、農薬取締法でアウトになります)ですが、問題なのは、隣接する農地で、違う作物を栽培していて、隣の作物に農薬が飛散してしまった場合です。通称「ドリフト問題」と言われています。現場では、これの対策が急がれています。
 というわけで、長々と書きましたが、農業者側では、モノスゴク大きな問題ではありません。これまでどおりきちんとやっていれば、まあよい、ということになります。
 さて、消費者側ではどのように思っているのか・・・と探していたら、見つけたのがこのブログ→
「はたともこ」日記
 あれ、gooだ。
 この方、薬剤師で民主党員(前回衆院選次点)とのことだが、いやはや、薬剤師さんとは思えない主張です。
 要するに、農薬は少量でも危ないのだ、と言いたいようですが、とりあえずここにツッコミます。(以下引用)
 指定外の農薬に適用される0.01ppmという濃度は、水深1m・幅12m・長さ25mのプールに、塩ひとつまみ(3g)を溶かした程度の濃度だ。僅かなようだが、これで害虫は死滅するのだ。農薬は、体内に蓄積して、人体に様々な悪影響を及ぼす。ポジティブリストの導入は、これまでのザルに近かった規制の相当の強化に違いないが、安心・安全の保障では決してない(引用ここまで)
 あの、0.01ppmっていうのは、この濃度でも薬効があるから規制する、っていうふうに決まっているモノじゃないんですけど。ふつうに食べる分には、このくらいの濃度ならヒトに健康被害がないだろうという基準であって、それも相当安全側に振って決められているはずです。(一律基準でないものが0.01ppmより緩やかなのは、実験データ等が整っているから、そのように決められています)そもそも、どのくらいの濃度で薬効があるかってのは、薬剤によって違うでしょうが。「農薬は、体内に蓄積して、人体に様々な悪影響を及ぼす」ってのも、大雑把すぎやしませんか。
 あと、これはイクナイ!(以下引用)
 農家が最も恐れているのは、「ドリフト被害」と呼ばれる飛散による被害だ。近隣の田畑で使用する農薬が、不幸にも飛び散ってくるケースだ。風向きの関係というよりも、その場合、農薬を散布した農家の杜撰な散布方法に問題があることは明らかだ。加害者である農家は、まさに「生産者は絶対に食べない」出荷専用の農作物を生産しているとみなすべきなのではないか(引用ここまで)
 加害者呼ばわりとは、ずいぶん、農家に厳しいですねぇ。大体この場合、加害ー被害関係はドリフトさせた農家とされた農家のことでしょうが、食えなくなるのは被害農家の農産物で、加害農家のそれではないでしょう。なのに、「加害農家は生産者は食べない農産物を出荷してる」のかい?どうしてそういう文章になるの?何より、ドリフトが起こったとして、その原因が「風向きより農家の杜撰さ」だと断言出来る根拠は何なのじゃ。
 と思ったら、別の日にはこんなことも書いてます。
 ざっくり要約すれば、「直売所に出ている農産物は地域の小規模農家からの出荷が大半だが、こういった農家では、ポジティブリスト制の負担が(過剰に)大きくなる」と。
 いや、それはあなたのようなヒトが思い込みと誤った知識をもとに大騒ぎするからでしょうが。おたく、農家を叩きたいの?擁護したいの?どっちなのよ。
 で、結論は「無農薬・無化学肥料栽培にシフトせよ。それで問題解決」だそうです。
 ところで、無農薬栽培では効率が落ちます。小規模農家は人手も少ないし、作付けも減る、実りも減るでは、続けていけませんが何か?離農しろ、と?
 こういうこというヒトは、果物なんかは、農薬使わないと収穫が激減するっていうの、知らないんでしょうね。モモなんか食えなくなりますな。(このヒト岡山のヒトだよね)しかも、果樹消毒に使われるスピードスプレーヤなんかは、ドリフト防止が難しい。つまりあれか、もう国内では果物作るなと。岡山は名産のモモを作りませんと。
 民主党さんも、もう少し人材の審査をしっかりした方がいいんでないかなぁ。主義主張の根拠となる事実認識が間違っていたら、選挙演説も説得力皆無でしょうに。
 とりあえず、グレガリナさんのHPを熟読することをおすすめしますです。
 (アレルギーとかの問題については、別に思うところがあるので、また後日)