昼行灯(だった)トキの大雑把なひとりごと

クレヨンしんちゃんよりもユルく生きていた(当面過去系)私の備忘録と、大雑把なひとりごと。時々細かく語ることも。

休んでも休めない

2017-10-24 23:57:29 | Weblog
昨晩から腹痛が酷く、今日は仕事を休む事にした。
そして休んでも,色々と意味の分からない逡巡を繰り返しながら半覚醒状態で1日を過ごす。

休んだから、心が休まるわけじゃない。
ただ「休んでよかったのだろうか?無理しても出勤すべきだったのでは?」との思いが湧き出るにすぎない。
そこまで仕事というものに重きを置いてはいないが、誠実に真っ当に取組まなければならないし、人並みの仕事ができるためには相応の努力が必要だとも認識している。
とはいえ、努力がろくなことにならないことも強烈に経験済みである。努力しないと人並みの仕事はできない。努力すると余計に酷い結果になる。これは矛盾である。演繹的に考えると、ある程度塩梅のいい努力を行い、そこで出来る人より見劣りする成果が私の最高傑作であって、それ以上の努力を重ねると結果はどんどん損なわれる。注いだエネルギーの分だけ破壊力がでかい、ということになる。
これは、私がポンコツでしかない事を示している。要は私には及第の仕事を仕上げる能力が無い。

やはり、不労所得だ。これで暮らすことが個人的にも社会的にもベストだ。誰にも迷惑かけない。
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聖地巡礼その3

2017-10-14 14:35:53 | Weblog
肉体的疲労を癒すには寝るしかないが、精神的疲労は寝てどうにかなるもんでもない。
そのため半日小旅行をしてきた。

とはいえ、別に行きたいところがあるわけじゃない。

とりあえず新幹線に乗り東京へ。


23区内はしばしば訪れるが、西部市町村は足を運んだことがない。

そこで大河原邦男先生の故郷、稲城市のガンダム・ザク立像を見にいってみた。

京王だったかに乗り、乗り換えてJRの駅へ。途中の鉄橋で多摩川を渡る。


昼日中の駅は、人影まばら。
駅の脇に観光案内所的な場所があり、その前に立像がある。








ガワラ先生拘りのラインを再現した立体は、かつてのお台場RX-78とは違った味わいがある。


案内所の中には、ガワラ先生デザインの公式マスコットキャラと、ハロが。



ついでに何か買おうかとも思ったけど、あまり荷物を増やしたくなかったので、マップだけ頂いてきた。

稲城市はよみうりランドの隣といったらいいのか、東京のイメージがないくらい地方山間部を開いた場所感。
ゴルフ場があるけれど、まさにゴルフ場周りの開発都市感である。旧仙台ハイランド的な。
正直、ここで観光といっても、立像見る以外に何をしていいかよくわからない。
住むにはいいところなのだろうか。ここから横浜方面に移動するとどんな感じなのだろうか。あるいは高尾山に行くべきか。

などと考えたが、結局もう一つのガノタ場所に移動。

移動途中で担々麺を食べたが、あまりよろしくなかったのでレポは割愛。

次の訪問先は、完成したばかりのお台場ユニコーンである。
本当は変身の時間帯に間に合うように移動したつもりだったが、久々のお台場で迷ってしまい結局間に合わず。





かなりの人がいて、半分くらいは外国人観光客の方。「ガンダム見た事無いけどこれはすごい」といった声も。
ファーストじゃなくてもガンダムだってわかんだね。すごいねガンダム。

もちろん、みんなパシャってたが、最近はほとんどが自撮りの背景に入れるスタイルだった。
私は自分の顔を衆目に晒す気にはならない。皆は陽キャだなあ。

撮影しているうちに、いつのまにか日が暮れてきた。





ユニコーンは真っ白だし電飾があるので、夜景の方が映えるかもしれない。

帰りに東京駅丸の内口を撮影。工事終了後はたぶん初訪問。



このドーム内も、外国人の方がみんな撮影していた。

ついでに外も。




しかし東京の担々麺屋で、混雑を避けて食べられる美味いところはないものだろうか。
私の好きな濃厚胡麻ザラザラ細麺タイプの店。酸味極少・シビレ多目がいいのだが。
大人しく鼎'sで食ってればいいのか。わざわざ東京行かんでも。

あー、そして精神の癒しには大してならなかった。
どないせえちゅうんじゃ。

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メメントモリ

2017-10-12 05:32:29 | ものおもい
寝付けない日々が続いている。
昨晩遅くに帰宅し食事。入浴後服薬し就寝。
いつもなら効いてくるマイスリーが効かない。

眠れないので、頑張ってる自分を心の中で褒めてみた。
まったく実感が伴わない。
ネガティブな自己否定をしてみた。
鉛を飲み込んだように胸が苦しくなる。
そして腑に落ちる。

つまり、自分の実感、本音はやはり自己否定なのだ。
頑張っても無駄だしどうせ失敗する。それでも頑張らざるを得ない状況に追い込まれる。苦労だけしてリターンはない。というか頑張りに比例し事態が悪化する。
体調もだんだん悪化する。家族のケアも満足に出来ない。休日は眠ってばかり。ここ最近少し遠出してみたが疲れただけ。気晴らしにもならない。誰かのためにとやったことは主に生理的嫌悪の対象となる。世界は理不尽でありその理不尽がここに吹き溜まっている。

そういう人生は、意味があるか?
やはり鬱は治っていない。
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