昼行灯(だった)トキの大雑把なひとりごと

クレヨンしんちゃんよりもユルく生きていた(当面過去系)私の備忘録と、大雑把なひとりごと。時々細かく語ることも。

エゴグラム診断をまたやってみた。

2016-09-27 23:47:49 | Weblog
タイプ BCACA

性格
笑った顔を滅多に見せず、口数が極端に少なくて、何時も暗い目を伏目がちに、何かを考え込んで居ると云った風なタイプでしょう。冷え切った心の持ち主で、人間らしい喜怒哀楽の感情は死んで終って居ます。その癖、病的な程に、他人の顔色や風評が気になるタイプです。死んだ感情に鋭い頭脳の回転が同居して居るタイプで、自分に付いても、世間に付いても、知り過ぎる程、全てを知り抜いて居て、しかも何をする気力も起らず、他人を愛せないばかりか自分自身に迄、かなり愛想を尽して居るような節が見受けられます。何かもう一つバランスが狂えば、発狂したり、自殺したり、と云う悲劇の生まれる可能性が少なく無いタイプです。

恋愛・結婚
この様な特殊な性格構成の状態では、恋愛や結婚と云う極めてポピュラーな人間としての営みが、かえって物凄く難しい大事業的な性格を帯びて来ます。結婚生活には絶対に必要な愛の心と、性に対する行動力が致命的な程、欠けて居るのです。貴方の人生観や価値観から見ると、それ等は全て空しいもので有り、何等の価値も見出し得ないと云う事に成る可能性が強いのです。大宇宙の真理から見れば、全くその通りで有り、一人一人の人間の存在など、宇宙のゴミにも値しませんが、しかしそれでも依然として我々は、生きて居ると云う事実は動かし難いものです。

職業適性
極く一般的な仕事は、とても勤まりそうに有りません。図書館司書、科学者、コンピュータ技術者などでしたら、その道が好きな場合には、案外向いている可能性が有ります。貴方の性格改造に最も役立つ職業を捜すのでしたら、動・植物や大自然を相手にする、農林・漁業の仕事が一番適切でしょう。

対人関係
思い切って人の余り住んで居ない山の中か海へ出て、大自然とは何か、人間とは何か、動物とは何か、生きものとは何か、と云う生きる為の原点を、問い詰めて見る事が、絶対に必要なタイプのような気がします。

ようはオマエは社会生活に向かんと。大自然で野垂れ死んで野生動物の糧にでもなったほうがマシと。
まあまあ合ってる。
妻が出来たことを除けば。あと恋愛欲求と性欲は強かったぞ。それに対する達観はあったけれど。

やっぱり宝くじ当てて引きこもり生活させて欲しいな。社会不適合者なんだから。

こち亀の最終回

2016-09-22 01:47:49 | 読書
連載40年、単行本最終巻となる200巻同時販売ということで、先週土曜日、住宅地からやや外れたコンビニでジャンプ本誌とコミックスを購入。
まずはジャンプ本誌から読む。
ネットでは、日常系の話、麗子と両津の仲の進展、いつもの部長の怒り「両津のバカはどこだ!」で締めてほしい等色々な希望が出ていたが、内容は御存知のとおり。
その後、コミックス版を読む。こちらの方がいつものこち亀らしいオチだった。
なんか期待はずれだなあと言う感想を私も抱いた。ジャンプ黄金期の80年代から2000年頃まで購読を続けていたので、その時期前後の話がやはり好きだ。100巻に至る前あたりが。それに比較すると、色々考えてしまう。

そして、今日あらためて両方を読み返してみた。
そうすると、ジャンプ本誌のオチはあれがベストな気がしてきた。
毎週ジャンプを購読してリアルタイムで追って来た読者には、あのオチがふさわしい。そして、コミックスの方は、私のようにジャンプ本誌の購読はとっくに卒業して、久々に読んだ読者にも受け入れやすい。単行本の最後の話としてもよい締めくくりになっている。
つまり、これは結構考え抜かれたベストの編集ではないかと思う。

そうなると、こち亀展でのエクストラ話が気になって来る。観に行く時間はない。第一鬼込みらしいし。そのうち分かる日が来るのだろうか。

貧血と胃腸

2016-09-22 01:37:06 | Weblog
昨晩は比較的早く床に就いた。
しかし、寝姿勢はどうにも楽じゃない。
ベッドから降り、正座してベッドにもたれかかるようにして寝ることにする。

これが存外効いたのか、翌日今までになく胃の調子が良い。
これまで、何時に夕食を摂っても翌朝もたれていたのに、それがない。軽い空腹感すら覚える。
そして、昨日のめまい症状は起きなかった。

考えるに、今の自分は胃の病(よくわからないが多分あるだろう)のせいで、消化時間が異常に長くかかる。
そのため、床に伏してしまうと、胃が消化を十分に行えないのではないか。
寝る時に、机に突っ伏すような姿勢を取ることで、胃は垂直を保ち、時間のかかる消化が多少しやすくなるのではないか。
これで、日中の仕事や家事の効率が上がるといいのだが。

貧血悪化か

2016-09-20 22:47:57 | Weblog
貧血と診断されて、特段の自覚症状がないままここまで来た。
そう、昨日までは。
3連休は十分に休息を取って過ごした。
そうして迎えた週明けとなる火曜日。

職場に着く。
それなりに仕事をする。
2時間程経過すると、どうも体調がおかしい。
めまいのような感覚が常につきまとい、いつもとは違う感じで仕事に集中出来ない。
いつもは「疲れ」「だるさ」のようなもので、集中するスタミナが続かない感じなのだが、今日のは高熱時のように考えがまとまらない。
あとから思い返すと、あれは失敗だったというような処理があった。その時は気づかない。集中力に欠けるせいだ。

食事を取る。そのあとで仕事に戻る。一層集中できない。満腹で眠いというのではない。脳に血液が足りない感じ。
消化管内出血がひどくなっているのだろうか。
一時期は真面目にぶっ倒れそうだった。世界がぐるぐる回ったり、目の前が暗くなったりはしなかったから、そんなに酷くはないのだろうけれど。

人間ドックでは見つからなかった消化管内出血。私は胃もしくは十二指腸からの出血を疑っている。
本来は胃透視なり潜血なりで見つけられるのであろうが、何故か今回の検査はすり抜けている。
鉄材を今服用中で、およそ2週間になる。来月始めには採血して検査がある。たぶん数値の改善はあるまい。

本格的に消化器系が悪いのかもしれないと思い始める。

昼寝と悪夢

2016-09-19 14:27:16 | Weblog
昨日は昼に起き、近所のしまむらで服を試し買い。
その後、桃源花でDX担々麺を食べ、帰宅した。
撮り溜めていた2週分の「ジョジョ」を見て、夕方5時。
仮眠に入った。

見た夢は辛いものだった。
私と妻が大学に入っている。
オリエンテーションの場のようだ。
妻は名を呼ばれそつなく対応する。私はまだ順番が来ない。妻に「こうするんだよ」と言われるが反発し、険悪になる。
そこで自分がこれからどうしていいのかわからないままオリエンテーションが終わり、皆が去ってしまう。自分だけ残される。

場面が変わって、寮方向に向っていると,エレベータに幼なじみの兄弟が。どうやら、同時に入学したらしい。彼らは既に入寮先が決まっているらしく、私に構わず部屋に行ってしまった。私はまた、どこにいればいいのかわからなくなった。
次第に世が明けてきた。多くの体育会系部活が暗いうちから活動している。それを撮影している写真部も。写真部の一人と知り合いだったらしく、彼と2言3言話して分かれた。私は大学を出て外へ向った。まずは家に戻り入学書類を読み込まなければならない。
次第に明るくなる光景。道路の向かい側に公園がある通りを東方向に歩く。公園内の様子がおかしい。警官らしき人と、何人かが倒れている。
歩道橋がある。老人が階段を降りている。すると、ありえない光景だが、老人の上から歩道橋の階段を車が落ちてきて、老人をはねた。

どうしたらいいか戸惑う。老人はまだ息があるようだ。警察を呼んでいるが来ない。公園の中に警官がいるというのに。
私は警官を呼びに公園内に入った。それがいけなかった。

公園内では10数人が血を流して倒れている。他に数十人の人が手を上げている。どうやら、左翼系のデモを行っていたらしい。警官のような軍隊のような集団が、「秩序を守るよう再三に渡り注意したが、全く聞き入れない。暴徒だと判断し鎮圧する」と述べた。手には機関銃。
つまり、皆殺しするということだ。

私は関係ない。ここで殺されるのは嫌だ。そう思いながら覚醒した。
それからまた眠りに落ちた。

今度は、見知らぬバス停付近からシーンが始まる。先ほどの公園に近い仙台市の南西部のようだ。夜明けの道を急ぐ。前に居る高校生の集団や中年女性を押しのけるように道を急ぐ。焦る。自分はどこにいけばいいのかわからない。手持ちの金が数万円あるはずだが、これが尽きたらどうしたらいいのだろう。そうだ、スマホを持っているはずだ。兄に連絡を取ってみよう。ひょっとしたら家に上げてくれて少しはくつろがせてくれるかもしれない。

とにかく、自分の所属、アイデンティティ、そういったものが不明になるという夢だった。ひどく恐ろしかった。目が覚めてからも、いい知れぬ不安感がしばらく消えなかった。今も若干、その感覚が残っている。


シンゴジラ

2016-09-14 20:05:30 | ものおもい
怪獣映画にはディザスタームービーを求める自分的にはドンピシャのはずだが、イマイチ乗れなかった。
分析するに
・3.11描写が身近すぎて逆に映画世界にハマれない。ビオゴジ冒頭で一気に作品世界に引き込まれるのと好対照
・被災者目線のカットやドラマが少なく感情移入できない。クローバーフィールドと好対照

要するに自分は、クローバーフィールド的にゴジラを作ってくれると嬉しいらしい。

団塊ジュニア世代のパソコン事情

2016-09-06 22:26:08 | Weblog
80年代少年ジャンプの伝説的編集者 鳥嶋氏のインタビュー記事より。
(引用元:http://news.denfaminicogamer.jp/projectbook/torishima)

――堀井さんのゲーム特集コラムは、プレゼントページにくっつく形で始まったものなんですか?

鳥嶋氏:
 そう。
 ちょうどその頃、パソコンが売られだして、家庭用ゲーム機もどんどん出てきたんだよ。トミー、タカラ、バンダイあたりまで出していた時代だったからね。そこでジャンプでもパソコンゲームの特集から始めてみたんだね。

佐藤氏:
 そんなことをジャンプがやっていたんだねえ……。でも当時といえば、団塊ジュニアの子たちが小学生5・6年生でしょう。そうなるとPCを買ってもらっていた子は……あれ、いたのかな?

鳥嶋氏:
 いや、買えなかったと思うよ(笑)。当時のジャンプの読者は小学校高学年、中学生のあたりだもん。それなのに国産のパソコンなんて一番安いPC60シリーズでも、まともに周辺機器を揃えようとしたら20万円を超えていたでしょう。絶対に、ムリムリ。


一同:
 (笑)

――じゃあ、ゲーム仲間でジャンプ誌面を乗っ取ってパソコンゲームの宣伝をしたようなものじゃないですか、ひどい(笑)。

鳥嶋氏:
 でも、記事の評判は良かったんだよ


と、書かれている。

ゲームウォッチが流行ったのは、団塊ジュニア世代の私が小学3〜5年生頃。
そして、その頃には、もう小学生には定価10万円を切るパソコン(当時は「マイコン」という呼び方が一般的)の情報が入っていた。
切っ掛けは多分、コロコロコミック。ゲームをやっていた子供は同誌の「ゲームセンターあらし」を知っていた、そして、作者・すがやみつる氏の書くホビー入門書(ラジコンなど)も手にしていた。その一つに『こんにちはマイコン』があった。
同書で紹介されていたのはNEC製のPC−6001。「パピコン」の愛称で武田鉄矢氏が宣伝していた。定価89,800円。

これを私は買ってもらった。もちろん大ねだりしてだが。
これに拡張RAMとプログラム読み込み様の安いカセットデッキを買ってもらい、モニタは自宅にある古い14型TVと、3万円程の白黒モニタを併用していた。これで、黎明期のパソコンゲームを遊んでいた。
そして、私の他にも、クラスで数人は、パソコンを持っていた。この後、鳥嶋氏のいう通り、トミーやバンダイなどのおもちゃメーカー、カシオなど計算機メーカー、ヤマハといった楽器メーカー、そしてソニーなど、きわめてバラエティに富んだメーカーが廉価パソコン市場に参入する。その中でも、友人たちは、10万円台前半のものを購入していたように記憶している。仲の良かったある友人はソニーのXシリーズを買ってもらっており、その高スペックがうらやましかったものだ。
70年代後半からのテレビゲームブームは、こうして一時、パソコンゲームのブームへと繋がった。そして、そこに小学生の消費者は確かにいた。1本3,000〜5,000円のカセットテープに記録されたゲームプログラムを購入し、遊んでいた。その時代が終わるのは、ファミコンの登場によってである。
この後、コンピュータゲーム「プレイヤー」は、ファミコンに流れた。私は中学生になっており、ファミコンには興味を持てなかった。すがやみつる氏の『こんにちはマイコン』には、BASICによるプログラミングの基礎が紹介されていた。私はすでに「プログラミング」の方に興味が移っており、ゲーム自体への関心は薄れていた。
同様に、ゲーマーでないパソコンユーザーは、たぶん多くがDTMなどの作曲分野やコンピュータグラフィックといった、パソコンでしか出来ないクリエイティブな趣味へと流れていったのだと思う。

私自身は、パソコンをお遊び程度には使っていたものの、日進月歩の世界でPCー6001の性能ははすぐに陳腐化、ファミコンの登場により廉価PCという市場自体がなくなり、時代は20万円前後のミドルスペックパソコンが中心となっていく中で、趣味としてのパソコンからは遠ざかった。PC−9800シリーズが全盛となる頃には、恐らく思春期を迎えたパソコン少年達がエロゲーに群がるようになっていったと認識している。
その後、私がパソコンに復帰するのは、就職後、Mac(Performa)を購入してからだ。まだ初代iMacが登場する前の話である。