昼行灯(だった)トキの大雑把なひとりごと

クレヨンしんちゃんよりもユルく生きていた(当面過去系)私の備忘録と、大雑把なひとりごと。時々細かく語ることも。

年末年始の記録2016−17

2017-01-03 01:27:05 | Weblog
年賀状を出したのが12月27日。
散髪をしたのが12月29日。
30日は年末恒例大掃除。今年は意外に早く終了。
31日は夕方まで外出し買い物をして帰宅。紅白歌合戦を生視聴。格闘技RIZINとKYOKUGENは録画視聴にした(後者はまだ見ていない)。
この日寝るまでは非常に穏やかな気持ちだったが、何故か就寝後に夜中目覚め、そこからもの凄いイライラ感が我が身を襲う。
全てを投げ出してむちゃくちゃにしたい、でも何にもしたくないし動きたくもない、ただ神経が逆立つという感覚。
そして2度寝。昼頃に起床。
1日日中にRIZINを見る。夜は早く寝てしまうが、朝3〜5時に起床。また2度寝。起きたのは昼。
初夢というほどの夢は見ていない。夢は見たが、快適な内容ではない。いつものことだ。

そして長かった6日の休みもあっという間に終わる。

実を言うと、年末の大掃除を終えた頃に「自分の鬱はほとんど寛解しているのではないか」と思うようになっていた。
今の生活に不満もストレスもあるが、大きな事件があるわけではない。家族の安寧と心の安定があればよい。経済状態は現状維持でよい。
ただし仕事が関わるとこれが暗転するので、不労所得を得て無職昼行灯で暮らしたいという願望はそのまま。

本当は心身の健康を取り戻し、少々の困難にくじけない前向きな心と、皮膚症状にストレスが現れたりしない頑健な身体を手に入れれば、仕事も普通にこなせるのではないかと思っている。が、どうもそうなるまでの道筋は見えない。そして、そういう不幸に耽溺していたい自分も自覚している。鬱に逃げていたいということだ。

努力が報われるということは未だに信じられないし、何か楽しい事が今後起こることも期待していない。知識欲だけはあるが、それは今の年齢になってしまえば、役に立てるべき何かというよりも乱読して刹那的に忘れるような、時間つぶしの意味しかないのかもしれない。

ともあれ、多幸感は半日もせずに暗転する。そんなことをいちいち気にしていてはそもそも社会生活を送るのは困難だし、かつては少々の身体の不快も精神的な傷も、ある程度気にせずに日常を過ごせていた。今は、ちょっとした気分の波や体調の変化にとても敏感になってしまい、そのことが気になりすぎる。
健康を比較的保っていた時代のことは、もうよく思い出せない。ただ、来るべき困難を受け止める心構えはあった。今はそれがない。困難は来ないでほしい。仕事には就かず社会からなるべく隔絶して生きていたい。何もせずにだらだらして過ごしたい。しかし将来の目標もない。

私は迷走している。或いは道を見失い佇んでいる。足元は深い泥。このまま沈むのもいいかもとすら思っている。澱み。
面倒事を避けたい。それだけが私の願い。そうなるために一生働かずに済む不労所得が欲しい。とりあえずそれが無いと苦しみが減らない。面倒事が無くならない。だから、私はそれを望み続ける。

何かもっと書いておくべきことがあったような気がするが、もう忘れてしまった。
今日は楽しくなかった。それだけは書いておこう。