昼行灯(だった)トキの大雑把なひとりごと

クレヨンしんちゃんよりもユルく生きていた(当面過去系)私の備忘録と、大雑把なひとりごと。時々細かく語ることも。

環境ホルモン濫訴事件/ご本人から見た証人陳述書

2007-01-29 23:47:14 | Weblog
 中西さんが、カウントダウン日記で原告側証人陳述書に触れています(カウントダウン日記参照)。
 そこで、「9億円もらって自分たちを利用しただけなのか・・・」という文章ですが、誰がこういうことを言うのかが理解できないのです。と述べておられます。
 これについては、私も以前書いた通りで(ここの記事)、やはりそうか、と思う一方、研究費の配分システムにまで突っ込んで、より詳細に論じておられます。この辺は、業界の外の人間にはわからないところで、中西さん本人ならではの意見です。
 そして、特に印象に残ったのは下記のくだり。
 また、松井さんは、環境ホルモンとナノの共通性は専門家なら言わなくとも分かると言っています。であれば、専門家、少なくとも同じテーマで科研費を受けるような人がこのような批判をする筈もないと思うのです。
 ここでの批判は、上のくだりです。「利用しただけなのか」というもの。
 文脈上、この批判は、環境ホルモン研究とナノ粒子の研究との関連がわからない人しか行いえない、となってしまいます。

 整理しましょう。
 有薗さんの人証(松井さんの主張でも同じ)では、研究者は2つのタイプに分かれます。
 1)「環境ホルモンとナノ粒子の研究の関連性が当日のプレゼンで分かる人」=専門家A
 2)「上記が分からない人」=専門家Bないし非専門家

 1)は、「プレゼンが適切だった」という主張に関係します。
 2)は、「名誉毀損があった」という主張に関連します。

 当日、シンポジウムに来ていた人の多くは1)で、そうでない人、かつ中西さんの雑感を読んで上記の思いに至る人が2)ということになります。
 しかし、2)の人は、少なくとも科研費を得るだけの専門家ではある筈です。ならば1)だって分かってもよさそうです。そうでないならば、環境ホルモンで科研費を受け取った研究者にも、1)と2)の「レベルの差」(という言葉が適切かどうかわかりませんが)がある、ということになりはしないか。
 プレゼンを聞いた人と、雑感だけを見た人では、情報ソースが異なるので、違った感想を持つのかもしれません。しかし、「次はナノです」という雑感の表現でも、当日のプレゼン「今回学んだ環境ホルモンの研究はどうやって生かせるのか。私は次のチャレンジはナノ粒子だと思っています」でも、大差はありません。そこに「要するに環境ホルモンは終わった」が付いたとしても、関連性が分かる人には「環境ホルモン研究を発展させるのだな」と分からなければおかしいのではないでしょうか。

 あまり形式張って突っ込んでも仕方ないのでやめますが、いずれ、何らかの理屈はつけられるとしても、上記1)と2)が矛盾することは確かです。裁判で主張をする場合、普通は、こういった論理の上の矛盾は極力潰します。そうでないと説得力がないからです。それができていないということは、すなわち、主張に無理があるのだ、と思われてもやむを得ないのではないでしょうか。
 
 もっと言えば、原告側の主張にある1)と2)については、以下のように言えそうです。
・1)と2)は大部分が重なっていると考えられる。ここでは仮に全てが重なっていると考える。
・1)と2)を同時に満たす者は存在しない。
・ということは、1)の人がいないか、又は2)の人がいないか、或いは1)と2)の両方の人がいない、ということになる。

 どうでしょうね。1)は証人御自身でしょうから、2)がいない、が正解かな、と思うのですが。
 というか、結局2)って専門家じゃないヒトではないのか?と、思ったりする訳です。しかし、そうすると証人の発言と矛盾するんだよなあ。「研究者で松井氏を直接知らない人たち」って限定されているし。そうすると始めのほうに戻ってしまい、ますますもって、2)の存在は疑わしい気がします。

 うーむ、つまり原告側は証人として、

松井先生にはガッカリだよ!

 と言ってくれる研究者を呼ぶべきだったのではないか。え?そんな結論でいいの?

 いいえ、勿論よくはないのです。

 だって、この証人がなんと答えるかと考えてみるに、

 「松井先生が宗旨替えしたと思いガッカリしました!」
 「では、環境ホルモンとナノ粒子の研究の関連性はあると思わなかった?」
 「はい!思いませんでした!」   → ×(原告主張「専門家なら分かる」に反する証言)
 
 「関連性は分かりました!」
 「では、『宗旨替え』ではないと分かるのでは?」
 「それは分かりませんでした!」  → ×(論理の欠如。証言の威力なし)

 「今は分かりましたよね。それで、今も松井先生にガッカリしていますか?」
 「私の誤解でした。今はもうガッカリしていません。」  → ×(原告主張「名誉毀損があった」を事実上無効化。名誉回復は簡単で損害を認める程ではない)

 「今でもガッカリしています!」  → ×(矛盾する証言。威力なし)
  
 ということで、いずれにせよまともな証拠になるのは無理です。そう考えると、実際の原告側証人と証言はよく考えられている、とも言えるのでしょうかね。
 
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12年前。

2007-01-27 23:47:46 | Weblog
以前、12年前は卒業前で・・・とか書いたが、世間的には、阪神・淡路大震災と、地下鉄サリン事件が起こったのが12年前である。つまり、戦後としては未曾有のハザードの年であった。
のほほんとしたことを書いている場合ではなかったのだ。
といっても、震災では現地に知己が居るということもなく、地下鉄サリン事件では、新採研修所(当時のそれは大学の近くにあった)の食堂で、第一報を知らせるTVを見たことを覚えている位である・・・と思ったら、この記憶は間違い。同事件が起こったのは3月なので、まだ研修は始まっていない。花粉症に苦しみながらアパート探しをしていた頃だ。

ともかく、これらのハザードに関して、私は、傍観者であった。
そのことを居心地悪く思ってしまったりもするが、そういう感情は偽善であって、さらに、そんなことをくどくど表明しているのも、結局、偽善を重ねているにすぎない。
ああ、何やってんだ、俺は。つまり、何が言いたいのだ。
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雑記

2007-01-24 22:42:16 | Weblog
(TB)
無断でのトラバにも関わらず、TBを返してくださったとらさん、有り難うございます。
また、サイト名を誤記しておりました。併せてお詫びします。すみません。
TB・引用させて頂いている他の多くのサイトの皆様にも、改めて御礼申し上げます。

(環境ホルモン濫訴事件)
あまり多くは書けないが、最近の展開は、現実的というか、かえって現実的でないというか。
中西さんが体調がすぐれない様で少し心配。確か1~2週間前も?そういえば、結審が目前。

(読書感想文)
延び延びになっている『神は沈黙せず』だが、簡単に。
超常現象知識はかなり面白い。ガキの頃その手の雑誌を読んでいた私には馴染みの話が多い。
「証明」が「シミュレーション」というのはすっきりしない。それは「比喩」にすぎないではないか?
「ヨブ記」は、理不尽にこそ宗教的価値が生ずるのであって・・・とか言いたくなるが、分かるヒトにしか分かるまい。(私は別にキリスト教徒ではないので、信仰に基づく意見ではない。念のため)
つい、伊坂作品と比較してしまうが、「臨場感」は伊坂作品が上。まあスタイルだから仕方ないし、個人的な事情も関係するだろう。作家側からすれば、見せ所が違うということ。
いずれにせよ、渾身の作であろう。と学会本のまえがき、あとがきにも通ずることが多い。
次に読むべきは?ラノベは読む気がしないのだが、『妖魔夜行/戦慄のミレニアム』には興味がある。まあゆっくり。
超常現象については腹案がある。それもいずれ。

(次の読書)
『アヒルと鴨』の感想はまた後で。
『歴代首相の経済政策全データ』を読んでいる。少し経済史をおさらい。某ブログの常連氏の影響。
小説は『BRAIN VALLEY』を購入済み。初の瀬名作品。東北つながりの他、超常現象つながりでもある。

(宮崎県知事選挙)
こういうことについて余り多くを語るべき立場にはないが、言ってもよさそうなことだけ。
とりあえず、大化けする可能性はある。多くの先達が居る。むろん、人物と意思が重要。

(医療崩壊)
『新小児科医のつぶやき』さんが大変(今日のエントリ)。前から言っているが、身勝手な人が増え過ぎた。想像力が足りない。深謀遠慮しようよ。この件については、患者になり困るまでとりあえず私は医者側の味方。(←これ自体が至極身勝手な言い分なのは重々承知であえてこう書いている)
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読書感想文。

2007-01-20 16:35:43 | 読書
 伊坂作品で関心するのは「抑制」であります。
 作中に見られるのは、すごく有り体に言ってしまうと「ある種の罪には私刑をもって当たるしか無い」という思想です。これだけを素直に書いてしまうと、亦体もないバイオレンス小説になっておしまい、なのですが、そうはしない。「私刑」という非日常に、ちゃんと日常があり、哀しみがある。それが奥行きとなっている。
 「哀しみ」もキーワードでしょう。『アヒルと鴨』で言えば、語り尽くされないドルジの行く末は、哀しい。けど、その哀しさは救いにすらなっている。『ラッシュライフ』で言えば、河原崎のその後がそれに当たる。「どうにもならない哀しさ」をきっちり描くからこそ、ある種の「私刑」が、ようやく受け入れられる余地が生ずる。
 ところで、『アヒルと鴨』、どう映像化するか何となく察しがつきました。小説の構成と少し異なるので、例のトリックの驚きは半減するでしょうが、逆に「何でそうなっているの?」というところで引っ張ることはできるような気がします。はて、実際の画面ではどうなっているでしょうか。
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WE先送り。

2007-01-19 00:04:18 | Weblog
昨日のニュースですが。今回も手抜きで駄目人間夢日記さんにリンク。ホントすみません。

休みたいなら休めば良い」とか言いますが・・・で、それやるとクビになったり何らかのペナルティを課される訳ですよ、そういう本音と建前を正統化されては、使われる方はたまったものではありません。

 と、おっしゃっている通りだと思います。

 ついでに言うと、今夏の参院選で与党が勝利したら、

  「国民の理解が得られた」

 とか言って速効でWE導入するに10000ペリカ。しかも年収400万以上対象で。はあ。こんな賭け勝っても嬉しくないぞ。

 何度か取り上げている人材派遣会社社長の奥谷禮子氏は、関連して「能力のある人は8時間の仕事を4時間で済ませ、残りを勉強やボランティア、育児に使えるようになる」「能力の無い人間がそれなりの処遇なのは当然」「祝日も無くせ」と言いたい放題ですが(こちらを参照→晴天とら日和さん@村野瀬秘書経由)、経営者の本音と上記をふまえて、WE導入後の予想をするとこうなります。

1)とりあえず24時間365日分相当以上の仕事を預ける。
2)出来ない奴は頭か体を壊してリタイア→はい次補充(以下ループ)
3)出来る奴は、そいつにとって「24時間365日分相当以上」の仕事になるまで仕事を増やす→2)へ。(以下ループ)

現状、経営者には、上記の様にしない、という自制は効くのでしょうか?最近のあれこれを見るに、とてもそうは思えません。
だいたい、「労働基準法」が出来たのは「自制が効かなかった」からではないのか?とも思います。

余談。なんか「疲れたから更新休む」とか言って全然休んでないな俺。「自己管理が出来てない」ってか。ああそうですね。
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『アヒルと鴨のコインロッカー』

2007-01-16 22:39:35 | 読書
 先日、仕事に行く前に寄った本屋で文庫を購入。先程読了。
 感想は諸々あるが、とりあえず、


 これどうやって映像化すんの?


 小説の筋立てどおりに映像を作ったら、重要なトリックが成立しないじゃん。

 うーむ、謎だ。

 
 
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賃金抑制、企業海外移転、経済の先行き・・・追記

2007-01-16 00:27:18 | Weblog
 2回に渡って取り上げたこの話題(ここここ)ですが、ごくごく平易な回答としてまとまっていたのがclausemitzさんの記事。
 実感としては、こんなとこですよね。
 リンク先のコメントの中に「非上場企業の割合はどうか?」という意見がありましたが、この場合は、経営者と労働者の国内格差が広まるだけでしょう。いずれにせよサラリーマンにとっていいことはない。
 個人的にはイヤなのですが、いまの流れだと、若いうちにパラノイア的に勉強し、働き、少々遊びもして、とにかくスキルアップ、キャリアアップに努め、行ける所まで行って、最終的には経営者なり投資家として収入を得ることを目指す、しかないのかな、と思ってしまいます。
 誰もがそういう価値観で動ける訳ではないでしょうが、日本でも多くのヒトがそういう人生設計に価値を見出せる様になるなら、諸制度に対する見方も変わるのかもしれない。善し悪しは別にして。
 逆に、そんな風に誰もが自分の尻を血が出るまで叩きまくる様な社会となるためには、セーフティネットが小さいほうがよい、となるのかな。かつての受験戦争を更に苛烈にする感じで、でも実社会上の役立ち加減は微妙にすぐれているような気もする。
 いやいや、そんな簡単な話ではない。これはまさしく弱者切り捨てでしかない。「ヒサンな生活をしたくなければひたすら足掻いて水面に出ろ。でなければああだ(と水底を指す。そこには累々たる・・・)」なんてのはごめんだ。
 成功者だって、体か頭か随分壊れてしまいそうだ。これが即ち「市場の失敗」そのものだろう。
 もっといいシナリオがあるはずだ。

(追記)
 少し疲れたので、しばらく更新を休止するかもしれません。悪しからず。
 
 
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K-1 秋山問題

2007-01-12 21:43:04 | Weblog
 昨夜のニュースで、主催者サイドが綿密な調査に踏み切ったことと、その結果が流れていました。
 感想を書こうかと思ったのですが、二日連続で濃いネタを扱ったせいで疲れております。
 というわけで、駄目人間夢日記さんが書かれていることと大体私も同じ感想ですので、手を抜いてリンク&トラバで済ませます。駄目人間さんすみません。
 
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報道ステーションの古舘発言・・・まさか惑わされる人はいないでしょうが。

2007-01-12 00:33:07 | Weblog
 昨日、ヘビーな記事を書いたので、今日は更新を休む予定でしたが、これはちょっと書かずにおれない(最近こんなのばっか)。
 先程、報道ステーションを点けていたら、「ホワイトカラー・エグゼンプション(以下WE)法案 今国会提出」というニュースが流れていた。(字幕の一字一句まで同一ではない)
 内容はまあその通りで、例によって新橋の酔ったサラリーマンへのインタビューとか、法案推進派の奥谷禮子氏の発言とか(これについては別記)、過労死や適用範囲拡大への懸念とか、同法案が米国企業の対日進出を容易にする目的で要求されたものだとか、そんな感じ。あとは、政府と与党筋の推進派対慎重派の食い違いなど、この問題に関心のあるヒトであれば既知の内容。
 そして、締めの言葉として、アップになった古舘氏が、以下のようなことを述べた。(これも一字一句同じではない)
 「これだけ問題がありながら、政界、財界がホワイトカラー・エグゼンプションを導入しようとしている。どうぞ導入して頂いて結構。ただし、それをやるからには国や地方公共団体の無駄使い、裏金作り、こういったことが無くなれば15兆から20兆円の税金が節減されるという試算もある。まずはこれをきっちりやって、税金の無駄遣いを無くしてから進めてもらいたい」(下線は筆者)

 もうお分かりだろう。ここには論理の飛躍、あるいは議論のすり替えがある。

 まず、この制度を導入しようとしているのは確かに政府であるが、米国であれ日本であれ、産業界からの要望があっての話であることは、同番組内でも紹介されている。したがって、ここで責められるべきは、第一に同制度により、労働者に犠牲を強いることで利益を得ることになる(と目されている)、産業界、企業ではないか。
 次に、税金の無駄遣いの問題と、WEの問題は直結しない。上記の古舘氏の発言は、「政府、官僚、役所による税金の無駄遣いがなくなれば、WEが導入されても国民の負担はあまり増えない」ということを前提にして初めて意味を為す。ところが、この前提はおそらく成立しない。
 というのは、既に相当膨らんだ累積赤字があるからだ。これはちょっとやそっとで解消されるものではない。従って、WE導入の如何に関わらず、当面、労働者が減税される見通しは残念ながらない(消費税増税論議や、御手洗経団連会長による企業減税アピールによる現状について知らない訳ではなかろう)。ということは、労働者にとってのWEは、「税金の無駄遣いを止める」ことによって負担が減るものではない、ということだ。大体、政府による企業負担軽減化、サラリーマン負担の増加傾向を批判的に扱う流れの中に本報道があるのに、「税の無駄遣いがなくなればサラリーマンの税負担が下がるはずだ」ということを前提とすること自体が矛盾だ。現政権にそのような期待ができるのかどうか、よく分かっているはずではないのか。
 ここで「そもそも累積赤字の原因は役人による税金の無駄遣いではないか」という疑問が出そうだが、そうではない。現在の赤字が膨大になった原因は、バブル崩壊後の景気浮揚策として、起債による公共事業を乱発したことによる。そして、この「ケインズ式の景気浮揚策」を強く支持したのは、建設業界を中心とした産業界・企業である。これらが政府筋に働きかけて、結局は国・地方の赤字を膨らませた。それは「役人による税金の無駄遣い」か?違うだろう。「使え」と予算が決められれば、それを使うのが役人の仕事で、使わないのは職場放棄である(無論、このことは、漫然と割に会わない買い物をすることを意味するものではない。誤解のないように)。予算を決めるのは議会であり、議員を選ぶのは国民自身であることも忘れてはならない。
 もっとも、国・地方を問わず、役所に今でも多くのルール違反が発生していることは確かである。それを改めるのは当然で、むろん、ルール違反でなくとも「税金の無駄遣いがある」ならば、それを無くすのもまた当然だ。しかし、それとWE導入はバーターしない。望み薄とはいえ、国家予算が減ることで税負担が軽くなる可能性はあるから、まったく無関係ではないだろうが、それはWEが導入されようとされまいと同じことだ。それでもこういうことが言いたいのなら、「政府は、WEを導入する代わりに、個人減税をしろ。そのために、もっと税金の無駄遣いを減らせ。ルール違反による裏金等は言語道断だ」と言わなければならない。この「個人減税をしろ」がないから、古舘氏の上記の発言では、意味が通らないのだ。
 さらに、最初の指摘に戻るが、WEにより直接の利益を得るのはあくまで企業であって、国や地方公共団体ではなない。しかも、企業の税負担は、企業自身の圧力によって減らされる傾向にあるのだから、WE導入による企業利益の国等への還元は、ごくごく間接的・限定的なものにしかならないことも自明だ。つまり、政界については上記のように注文をつけるとして、財界に対しては「WEでさらにコストを減らして労働者に痛みを強いるのであれば、利益を上げた分はきっちり税金として国等に払い、個人が減税されるように配慮せよ。企業減税とWEとの『いいとこ取り』など言語道断だ」と主張するのが筋というものではないか、と、私は思う。

 そして、邪推すれば、古舘氏が上記のように筋の通った主張をせず、「政府・役所叩き」を落ちとする、論理的整合性を欠いた「感情論」で締めた理由は、スポンサーへの配慮であろう。経団連に名を連ねる大企業は彼ら民放のお得意様で、正面切って批判する訳にはいかない。TVを見る場合、こうした偏見が必ずつきまとっていることを忘れてはならない。

**********

 そもそも、古舘氏の締めの発言がもう少し巧妙であれば、こんな構図に見られてしまうこともなかったのだろう。私は金曜8時のプロレスを見て幼少期を過ごした世代であり、同番組で実況をして一躍有名になった古舘氏のことを決して嫌いではない(氏がテレビ朝日を退社する時に出した著書を購入した経験もある位である)。そんな氏が、そういう隙だらけの発言をしてしまうことも、そういう内容(安易な役所叩き)の発言をしてしまうことも、私は残念でならない。
 


 
 
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シナリオ編

2007-01-11 00:35:32 | ものおもい
 では、前々回の続き。
 実は私は、言われている程に企業の海外逃散が起こるとは思えないのです。きょうちらほらと、あちこちのブログを見ましたが、同様な意見も散見されます。
 実際には、前々回も述べた様に、安価な労働力を求めた海外移転は、それなりの初期投資及び日本国内ではあまり考慮しなくてよい教育水準の差分を埋めるための費用がかかります。それらをどれだけの期間内に回収出来るかがミソで、それには、国内外の労働単価の格差×稼働年数、及びこの企業戦略を市場がどう評価するか(すなわち増資による回収がどの程度可能か)の、大きくは2つの要素が関係するでしょう。
 この辺になると、現実には多くの仮定を含む複雑な推論が必要で、どこまで経営予測が立てられるかはわかりません(私には)。
 とはいえ、ここでは、財界諸氏の主張に則り、「高い労働コストは企業の海外移転を促進する」という前提で話を進めます。

 まず、最悪なケースを考えます。仮に「クラッシュモデル」としましょうか。
 この場合、企業はいずれ有利な海外に生産拠点を移してしまいます。それは「生産コストが低くて有利」か、「販売価格が高値となり有利」かのどちらかです。
 日本では何が起こるかというと、まず人件費はどんどん下がります。にもかかわらず、日本の人件費よりも安く上げられる地域があるうちは、企業はどんどん海外に逃散します。(まあ、取引の安全性とか、治安とかの変動要素も大きいでしょうが)
 そして、移転した先では労働市場が活気づき、超長期的には人件費が上昇します。
 ごくシンプルに、古典的にいうと、日本で下がった人件費と、海外で上がった人件費とが均衡したところで、企業の海外逃散が治まります。
 ただし、このとき、日本国内の購買力は下がっているでしょう。そのため、もし、同一価格でより多く売れる、或いはより高価格で売れる地域が他所にあるなら、企業の生産拠点はやはりそちらにシフトします。輸送コストがかからないからです。
 ここで想定されるのは中国やインドの富裕層等です。そのようにして、国内ではもはや収益を上げる企業もなく、労働単価もジリ貧下げ止まり又は底なし、という悲惨な状態が現出します。
 そして物価ですが、例えば現政財界人がモデルにしている米国は、農業国で食料にかかるコストはかなり低い。一方、日本はそもそも土地が少ないため、1億2000万人を養う食を国内だけで作るのは至難の業です。つまり、食料価格はかなり下がりにくい(下方硬直性なんて習いましたねその昔)。そのため、どうしても物価全体が十分下がらず、貧困の度合いはいっそう悪くなるでしょう。(食料を輸入すればどうかという話もあるが、そもそも国内総生産が足りないので日本から売るモノがなく、輸入での食料調達コスト低下にも限度がある、又は低下できない)
 こうして、企業と経営者だけはまんまと美味しいところをかっさらって日本からバイバイ、後には国富が食いつぶされた焼け野原と、貧困にあえぐ下層国民だけが残る。これがクラッシュモデル。ちなみにこの場合、企業は愛国心ゼロ。御手洗会長は何と言うでしょうか。
 より緩やかなシナリオは、「ハードランディングモデル」。といっても、実際には上記モデルの「賃金の内外格差」が埋まるのがより早いだけ。企業の海外逃散は続くが、周辺諸国の経済成長が早いため、日本国内の物価水準と、賃金水準との格差が上記程生じないというもの。しかしいずれにせよ、格差の固定化と日本のビンボー化が進んでしまう。
 さらに周辺各国の経済成長と賃金上昇の足が速ければ「ソフトランディングモデル」になれるかもしれない。この場合、海外に拠点をシフトして初期投資をするより、日本国内で生産を増大させた方が稼ぎが大きくなる。無論教育水準とかの要素も均衡する。こうなれば、とりあえず企業の海外逃散は止まる。賃金もある程度の水準で下げ止まるから、生活困窮度は前のシナリオほど酷くはならない。

 さて、ここまで論じてきて気付くのですが、上記は基本的に製造業のモデルです。トヨタとかね。
 例えばイオン等の流通・販売業の場合は、そもそも「海外逃散」モデルが当てはまらない。なぜなら、彼らの顧客は普通、海外になりえない(商社なら別だが)。もし海外進出するとしたら、ウォルマートが西友を買ったように企業買収になる。それは基本的に同一国内での流通販売のビジネスであって、企業自体の移転ということではありません。
 例で挙げたスーパーといった商売が増収増益となるためには、とどのつまり内需拡大しかない。なので、こういった業種がキャノンなりトヨタなりの唱える海外逃散前提のビジネスモデルをどう軌道修正できるかが、今後の一つの鍵である気がします。
 以前、イオンがいち早く定年の5年延長を決めましたが、おそらくは上記のことが念頭にあるのでしょう。製造業がやらないなら、自分達がやるしかないのですから。
 
 ついでに言うと、内需喚起によるしかない企業のほかに、国内の景気のカギを握るのは、上でも書いたように食糧でしょう。
 いまは好みや変な衛生指向のようなものが強く影響し過ぎていますが、輸送コストや傷みの問題から、食糧の輸入依存は一定のブレーキがかからざるを得ない。これにより、食糧価格が高止まりになりやすいことが、ある意味内需を引っ張るのではないかとも思えます。
 ただし、高価格は実質貧困率の上昇に繋がるので、これも均衡点がどこになるかで難しい面があります。
 あとは教育。あまりにも貧困化が進むと、現在の教育水準すら維持出来ない。そうすると、雇用者側からは魅力のない労働市場になるので、よけい海外移転が加速してしまいます。これも、貧困化と労働単価下落がどこまで続き、どこまでで止まるのかに関わってくるでしょう。クラッシュモデルなら、無論「手遅れなレベルに下がる」ことになるでしょうね。
(ここで一旦UPしますが、後日見直して改稿予定です)
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