昼行灯(だった)トキの大雑把なひとりごと

クレヨンしんちゃんよりもユルく生きていた(当面過去系)私の備忘録と、大雑把なひとりごと。時々細かく語ることも。

定期的に見る悪夢

2018-01-28 00:39:55 | Weblog
今日は睡眠薬が効いている最初の3時間以降はずっと悪夢を見ていた。
不快感、焦燥感、屈辱感、生理的嫌悪感をもたらすイベントが次々起こる。
自分が自発的にそういう出来事を求めているはずはないので、何故そういったイベントを夢に見てしまうのか理解に苦しむ。

あえて言えば、日常に感じているマイナスの感情が夢の中で具体的なイベントとして想起されているということだろう。
それにしては生理的不快感の度合いが高いのが気になるが。別にそういう出来事は現実の方に存在していない。

眠るときぐらいゆっくり、リラックスしたい。そうできないのが病気なんだろうけれど。

以前は「こんなに辛い事があって、それでも耐えて来たんだからきっとまた何かいいこともあるさ」と思うようにしていた。
そういったことは起こらず「努力してもダメで、むしろ努力はマイナスになるし、努力しなければしないで悪い結果になる」と思うようになった。
今はそういう前後関係や因果関係すら考える気にならない。惰性で生きている。
独り身なら自殺してるだろう。特に生き続けている理由ないし。

要するに、ストレスが溜まっている。これを解消しないと心の崩壊が悪化する。
悪化しすぎると社会的な問題行動のリスクが高まることは知っている。それを予防することは最低限しなければならない。

ということで、明日すべきことを考える。この不快感を解消するだけのストレス発散行為とは何か。少なくとも睡眠が効果的でない事は分かった。
じゃあ何だ。
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想起

2018-01-18 00:56:09 | Weblog
小さなことから色々な忘れていたことを思い出す。
風呂で1986オメガトライブの「君は1000%」を歌っていて、当時のバッププロデュースを多く手掛けた林哲治を検索。
楽曲に島田奈美の「負けないで片思い」があった。タイトルは覚えていて、エアチェックもしていたはずだが現存していない。1曲買いするか迷う。
それから「アイコ16歳」に関わっていたとも知る。もっともTV版。私にとってアイコ16歳は当時14歳の富田靖子が全てである。初めてファンになった芸能人。美人だけど素朴で、透明感とは違う爽やかさを持っていた。いま思うと、少し母親に似ているのである。最近はあまりTVにでないが、たまに目にするとやはり美しい。
その原作者についても当時高校生ということ以外知らなかったが、ずっと作家活動をされていると知る。
そして監督の今関あきよし氏。名前は聞いたことがあったというレベル。のちの展開が諸行無常というか宜なるかなというか。そういう作風だしそりゃそうだろうという気もする。
林哲治プロデュースに平井菜水の名前が!曲は思い出せないが名前は覚えていた。検索を掘ると「知ってるつもり」エンディング1曲目「めざめ」2局目「輝きたいから」とありこれで思い出した。「命は〜輝き〜たいから〜切ないのです」というサビを覚えてる。「猪木は〜アゴがな〜がいから〜猪木なのです」という替え歌まで思い出した。記憶への旅。結構色々忘れていてくれ、そして思い出せるものです。
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仕事が片付かない

2018-01-17 00:56:42 | Weblog
ので、年始から2、3時間の残業をすると決めた。
決めたが、体調不良が頻発して休んでしまっていて、結局効率が変わっていない。
3時間残業×3日をやって1日休んだら、残業なしフル出勤と同じだ。
残業のせいで体調悪いのか、そうじゃないのかも分からない。
これも努力が実らない事の典型なのかな。
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期待はしてないけれど

2018-01-14 03:20:17 | Weblog
それにしても嫌なこと起こりすぎじゃね?
そんなに悪い事したかね俺。
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1年前を振り返る

2018-01-03 22:28:47 | Weblog
ブログは日記なのでこれが出来るのが唯一よいところだ。

ちょうど1年前の1月3日に書いた記事を再読。
1年後も大体同じように過ごしていた。夢なんかも大体同じ。
ただ、1年前にもの凄いイライラ感があったというのはすっかり忘れていた。

1年後の今はどちらかというと身体症状の方が酷い。
願望はないと直前の記事で書いているが、まあ実のところは1年前と同じだ。
諸々考えると、やはりそうなることが自分にも社会にも最も効率がよいのだと思える。

今日は午前中に結構な降雪があり、そのあと日がさしたのでその隙に雪かきをした。
それもあって疲労したのか、ペットの世話を妻任せにしてしまった。また。
これが良くない。こういうことにならない身体が欲しい。

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年が明けて何もなし

2018-01-02 02:04:34 | Weblog
2017年は20数年ぶりに津波のない年だったとか。

さて、特に人生に希望とか要望とか持たなくなってしまった。
身体的苦痛も精神的苦痛も相当程度今後も続くし、或いは悪化するのであろう。
未来に展望がないので、今を今生きるべく、あるいは生きたいように生きている。
じゃあ例えば反社会的な、もしくは組織内規律を逸脱するような行動を取っているかというと、そんなこともないのが面白いといえば面白い。
惰性なのかもしれないが、これまでと同じように生きているほうが楽なのである。したがって楽に生きられるスタンスで生きている。そうしないと世界が苦痛で満ちて身動きが取れなくなる。

年末にまとまった降雪があり、その日は交通麻痺の様相だったので、最悪徒歩で帰ろうと決めて家路についた。
運良く、運行の遅れたバスが立て続けに2台来たため、2台目のバスがガラガラだった。それを発見し、先のバス停まで小走りして2台目のバスを待った。
凍結路面でのノロノロ運転が幸いし、先回りに成功。職場から歩きはじめて約40分でバスに乗ることができた。
混雑しているのは市街地だけであり、北部の住宅地に差し掛かっていたその辺りからは、渋滞はなくなっていた。
そのため、予想外に早く帰宅出来た。が、身体はやはり疲れてしまっていた。

そのうえ、年末年始の休みに入ってから、家の掃除やらしていたら、全身筋肉痛である。おまけにそこかしこが化膿している。
疲労が溜まっている証拠だ。こういう時は眠らないと風邪を引いたりもっとひどい病気になったりする。
休みもあと2日。基本ゆっくり過ごすことにする。特に何もない。何もしないし、今後も何もないだろう。
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