昼行灯(だった)トキの大雑把なひとりごと

クレヨンしんちゃんよりもユルく生きていた(当面過去系)私の備忘録と、大雑把なひとりごと。時々細かく語ることも。

最悪の向こう側。

2014-01-19 22:39:46 | Weblog
最悪の状態は、続く。
ストレスの原因である仕事は、いつまでも終わらない。
先日は、午前様になってしまった。
そして、休日にストレスを発散しようとしても、上手くいかない。

睡眠薬の服用を再開して、眠れるようにはなったが、夢見が猛烈に悪い。
その所為で、休んだ気がしない。
それでも職場に行くと、何となく仕事はしてしまう。できてしまう。
やっている仕事は完成はしないし、追いついていない。自分の許容量を溢れ出している。
そして新しい仕事が余計なものとして降って来る。

しかし、何とかできているような・・・いや、出来ていないのかもしれない。

帰宅後のごくわずかな時間や、休日には、本を読んだり、模型を作ったり、小旅行に出掛けたり、ブログ更新を再開したり、ストレス解消法を色々しているがダメだ。
年明け以降、これまでは上記の趣味棟で処理出来ていたストレスが解消されなくなってしまった。

それでも仕事には行けてしまい、仕事を出来てしまう。
それが、逆に怖い。
自分の中の危機管理回路が焼き切れた所為で、仕事ができてしまっているという気がしてならない。

ひょっとしたら自分は、自分でも予測のつかない最悪の結果に至ることを、もう止められないのではないか。
恐ろしい。

そんなことになるくらいなら、仕事をさぼるなりやめるなりした方が得だ。
何より、周囲もそのほうが得というか、後味が悪くない。
それより酷い結末になるよりは。

冷静になっていられるだろうか?こんな狂気じみた仕事量が続いていて。
俺にはわからない。
これが「最悪の向こう側」というやつか。
また、明日から仕事。
外は雪だ。
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身体が重たいです。

2014-01-17 00:47:03 | 仕事
おかしいなあ。半年前に比べて14キロは痩せているのに。

丁度先週、睡眠薬切れで死にそうになりながら仕事してた時と同じような症状。
鉛の半纏でも着ているかのような感覚。

とりあえず、今週はあと一日だ。
それだけは、何とか。

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服薬ログ。

2014-01-12 23:20:14 | Weblog
昨年末、残っている抗鬱薬と睡眠薬の数を数えた。
年末年始の休み中に、睡眠薬が切れてしまう。
12月27日までに、かかりつけ医への受診が必要だった。
しかし、出来なかった。
仕事の予定が調整出来なかった。
会社トップレベルまで報告が必要な案件が突発的に出て来たせいだ。
あとは、いつものゲリラ豪雨を真面目に受け止めて頑張りすぎた自分のせいで、余計な仕事が増えたせいだ。

結果、1月1日夜で、睡眠薬が切れた。
以前に飲んでいた、効かない睡眠薬の残りを飲んでいたが、それも効果がなかった。
その薬も、1月5日までに尽きた。

翌日から、仕事。
そこから3連続で深夜まで残業。
それでも当初の予定では、7日朝には、朝数時間の休みで受診出来たはずだったのだが、こちらも若干関係する多部署の仕事で、会社トップに報告し指示を仰ぐ必要が生じ、付き合わされる羽目に。
結局、7日も受診できず。

8日には、重要な会議があった。これも当然、休めない。
しかし眠い。仕方なくカフェイン剤を朝、昼と飲む。
会議では珈琲が出た。これにも手を付ける。

その会議の記録を、当日中になるべく完成させなければならない。
しかし、頭が回らない。身体がとても重たい。
効率は、最悪だった。
その日は、21時過ぎに限界が来た。22時を待たずに帰宅した。

とても疲れていたが、元妻が夕飯を準備して待っていてくれた。有り難く頂く。
食べた量は、普通だ。

その夜。
とても疲れていたので、ソファに横になる。
風邪も悪化していた。
おそらく眠れるだろうと思って、小一時間頑張ったが、眠れない。
仕方なく入浴する。
眠くなるまで購入した本を読む。
マッサージチェアで、全身のこりをほぐす。
それでも、まだ眠れない。

帰宅がそれまでよりも早かったのに、気づけばもう3時半だ。
仕方なくベッドに潜る。
もちろん眠れない。

ようやく眠ったのは、おそらくそれから一時間くらい後だろう。
夢を見ていた。
夢の中では、ひたすら吐いていた。
吐き続けていた。
あまりの胃の不快感に、目覚ましが鳴る前に起床した。

一週間に渡る不眠と、カフェインの摂り過ぎで、胃がやられていたのだ。
前日も胃薬を服用していたのに、全く効かなかった。
仕方なく、朝、再び胃薬を飲む。
幸い、実際に戻してしまうことは、なかった。

その日は、ほとんど眠っていなかったが、なんとか仕事に行く事ができた。
そして、ようやく睡眠薬も入手出来た。
金曜の夜は、睡眠薬を飲み、泥の様に寝てしまった。10時間は眠った。
そこで見た夢の内容を、よく覚えている。現実の状況認識を寓話的に示した内容だった。

睡眠中に、ヒトは脳の中にある情報の「最適化」を行うというが、あれは本当なのだと感じた。
夢でそういう内容整理をしたからか、翌朝の体調は明らかに違っていた。

睡眠をしないと、自分は狂ってしまうだろう。
今は、睡眠薬を切らせない。切らしてしまうと、おそらくとんでもないことになる。
あれだけ草臥れ果てていても、余計に眠れないだなんて、ひどすぎる。

俺は、大丈夫なのだろうか。
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前言撤回しようかな。

2014-01-07 23:51:33 | 仕事
仕事始めから連続して深夜残業してます
昼行灯は、まだ棚上げのようです。
こうなるともう厄年関係ないっすね。
しかも仕事進んでません。ううう。

鬱の薬も切れちゃった。大丈夫かな自分。もう知らないや。
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書評『タブーすぎるトンデモ本の世界』

2014-01-06 00:04:20 | 読書
トンデモ本シリーズは初回から購入している。筆者も中学からオカルトビリーバーに片足を突っ込み始め(中ニ病というヤツだ)、大学卒業まで約10年間分の月刊『ムー』を保管していた。ある時期から同誌は広告が多くなり、又読者投稿欄が「戦士症候群」で占められる様になり、「どうもおかしい」と考え始めた。
どちらかというと、同誌の中でも最新科学の紹介記事に惹かれていた私は、次第に読書の中心を並行して購入していた『科学朝日』(現在は休刊)にシフトしていた。そういう経過を辿った筆者の立場は、おそらく山本弘会長に近い。
今回も楽しく読ませていただいたが、筆致鋭い山本会長の記事にひとつだけ引っかかる点があった。
それは同書の94ページから始まるコラム「Y染色体を守れ!」「側室制度の復活を!」ー皇室をめぐるトンデモ説という一節。
そこで紹介されているのは、1999年頃の雅子妃殿下御懐妊と流産の経緯を巡る報道に関する記事。当時、皇室を巡る過熱報道が問題とされており、宮内庁から「節度ある報道を」という意思表示がなされている。それを受けての産經新聞「産経抄」が引用・批判されている。
産経抄の記事はこうだ。「かつてコウノトリは日本のどこにもいた。それが明治の初めごろから激減し、いま野生のものは絶滅した。ただでさえ希少なコウノトリのご機嫌をそこなわないためにも、自粛と自戒をしなければならない。事態を静かに見守るときのようである」
これを受けて山本会長はこう批判する。
「皇室はコウノトリか?」「いや、これは目が点になったね。この文章を書いた奴は、皇室の方々を人間だと思っていない。もちろん神様だとも思っていない。希少なコウノトリだと思っているのだ。トキの産卵やパンダの出産と同じレバルの興味で報道していたことを、うっかり自白してしまっているのだ。」

ええー!?それは違うでしょう。
コウノトリは赤ちゃんを運んできてくれるとの寓話で有名。産経抄ではそれを受けて、日本にコウノトリが絶滅したことと、皇室でのお世継ぎ誕生がなかなか周囲の期待通りいかないことをかけているだけ(もちろん両者に因果関係は微塵もないが、要するに赤ちゃん=コウノトリ=日本では絶滅=数が少ないから運んできてくれないという連想を膨らませている)で、「事態を静かに見守り」「コウノトリのご機嫌をそこなわない」ようにして「皇室に吉報が訪れるのを待とう」という意思表示をしている、としか、私には読めない。
全然「皇室をコウノトリのような希少種動物扱いしている」なんて文章には解釈できないぞ。山本会長、大丈夫ですか?
差別報道に熱が入りすぎて筆が滑ったのだろうか。

本日はと学会関連本として、原田実氏の『トンデモニセ天皇の世界』を購入。ASIOSの『謎解き超科学』をネット注文。
余り時間もないが、暇な時間が出来たら読むことにする。
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明日から仕事。

2014-01-05 23:24:24 | 仕事
うーむ気が重い。それに体調管理を失敗した。風邪気味で微熱がある。
酷くならないように寝よう。

今年の目標は「スマートに生きる」だ。
いらんことはしない。最小限のことだけやる。周囲に惑わされない。
やれるようにやろう。やりすぎないようにしよう。


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宗教学徒にあるまじき「後厄終了宣言」と「年始」

2014-01-01 10:23:38 | ものおもい
いきなりで何ですが、去年までほんっっと最悪でした。
いろいろ書いていたような不調の連鎖と促進。
仕事では全く成果を出せず、ただひたすらに忙しく。
そこに起こった東日本大震災。
個人的な日常生活は通常に戻ったけれど、社会人としては勿論今でも影響ありまくり。
鬱治療を本格的に開始して2年半くらいでしょうか。昨年後半は、思いがけず効いた睡眠薬の効果から、回復期に転ずるも、また別の問題発生。

繰り返しになるけれども「努力すればするほど逆効果になる」というのが、ここ数年の経験により得た結論。
鬱が酷い頃は「努力する」こと自体があまり出来ずにいたから「逆効果」の方も控えめだったけれど、最近は鬱の回復傾向の所為で、「努力」できてしまいます。
すると、努力した分だけ状況が悪化します。いや、仕事とかだと、きちんと成果に繋がってはいるのですが、その成果が新たな仕事を増やしていき、個人の仕事量が頑張れば頑張るほど増えるという「負の連鎖」になってしまっています。
うちの会社、ノルマ達成とかで報酬変わるシステムじゃないので、こういうのは結局、損です。
仕事は上手くいったほうが、モチベーションは上がりますが、生活クオリティが反比例して下がっていき、結局のところ何を目的に仕事をしているのやら分からなくなってきたり。

怖いのは今、そういう客観的状況を自己認識していても、仕事で「手を抜く」ことが出来ないこと。
前回記事のアンドレアに少し自分を重ねてしまいます。
今の多忙化促進サイクル、辛いんですよ。辛いんですけど、ある程度やれてしまうのです。何なのでしょうこれは。
これ、薬の効果なのでしょうか、それとも個人的な資質(鬱サイクル)の所為なのでしょうか(いやそれは主治医に相談しろよ俺)。
結果として、折角鬱から回復に転じたというのに、2013年はワーストの年でした(主に仕事の所為で)。

ということで、年も明けたことですし、今年こそは「昼行灯」に戻りたいです。
スーダラに生きられるように、ほどほどにします、色々と。
それが外部的に実現しないかなあという願いが「後厄終了宣言」の趣旨です。ほんともう勘弁して今年は。
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