最近更新されていないようですが、こちらのページ。
「首都大学東京」スタート時のあれこれを書いておられます。
職業柄、色々と思うところもあるのですが、次の部分に引っかかりました。(以下引用)
8月の怒涛の資料集めと提出文書の作成の嵐の最中に、新学長の「開学の挨拶」が回覧されました。
これがもの凄く内容が理解しにくい文章です。
ためしに意味不明箇所に赤線を入れていくと、それだけで真っ赤になってしまいました。
(中略)
心ある係長や課長は、事務側で直さないと出せる文章ではないと忠告をしたようです。
管理本部の担当部署もさすがにマズイと思ったらしく、電話などで内容の訂正を行いました。
現在出ている「学長挨拶」はそうしてできあがった文章です。それでも文句を言いたい方はたくさんいるかもしれません。
確かに文章の下手な研究者の方もいらっしゃいます。
しかし今回の場合、根本的な問題は、文章の上手下手ではなく中身でした。
最初の文章と、公開された学長挨拶を見てわかるのは、事務方が直そうとして苦労した挙句、結局失敗していることです。
http://www.tmu.ac.jp/university/messages/president.html
「学長挨拶」というのは、大学のこれから目指すべきもの、理想などを示す文章です。
事務方がそれを直そうとして、結局到達できなかったのは、元の文章に全く中身がないせいでした。
(中略)
しかし仮にも東北大学総長や岩手県立大学長をしたらっしゃった方が、全く新大学の未来を語れない文章しか書けないなんて実に悲しいことです。
(中略)
西澤学長が、東北大や岩手県立で同じようだったとは思いません。おそらく今は大学の未来を語るだけの情熱を失ってらっしゃるのでしょう。
(引用ここまで)
わたくしが学生してましたころ、研究室に総長挨拶がまわってきました。この方の。
いちおう郷土の誇りなわけですよ。わたくし、もと理系ですし。尊敬もしておりました。
ほんで、読んでみました。
「?」
「?」
「??????」
なにかいてるか、皆目わかりません。
研究室助手のMさんに、「この文はないっすよねぇ」なハナシをしたところ、Mさんは苦笑しながら、
「まあ、忙しい人だから、だれか代筆してノーチェックなんじゃないの?」とのたまっておられました。
あれから十余年が経ちますが、上の文章を読んで、ああ、あのときの総長挨拶は「直筆」であったのか、と確信するに到りました。
ちなみに、首都大学東京のあいさつは、まだすっごくマシです。だって、日本語として読めるもの。
ところで、えーと、わが母校のGMやさんは、だれもチェックしなかったの?ネェネェ