転院断られ死亡の妊婦、詳細な診療情報がネットに流出(読売新聞) - goo ニュース
「新小児科医のつぶやき」さんのコメント欄で紹介されていたニュースです。
これを見て、もし本当に告発とかされると、大変なことだなぁ、と思い、記事を書き始めましたが、同じコメント欄で、「健康、病気なし、医者いらず」さんが、情報掲載者の一人として見解を書いたというので、読ませていただきました。
すると、少なくとも「健康、病気なし、医者いらず」のブログ主、Dr.Iさんのソースは、「遺族がマスコミに配布したカルテのコピー」であったとの事です。今回はそれを前提に話を進めます。
まず、今回の不幸な事件については同情の念を禁じ得ません。
しかし、「では訴えればよいのか」というと、そうではない、というのがはっきる分かる例になってしまった、というのが私の見解です。
確か、今回の件では警察が動いていた筈です。ということは、遺族は刑事告発をした、ということでしょう。また、現在も代理人弁護士が付いているということは、民事による提訴も視野に入っていると思われます。(実際に提訴しているかどうかは覚えていません)
もし、実際に訴訟となれば、民事であっても公開が原則ですから、原告・被告の攻撃防御の中で、今回問題にされたような当日の情報は、さらに詳細に検討され、それが公開されることになります。
記事では、「個人情報を病院・医師側が漏洩した」という観点から問題視しています。実際、そういうことがあったとすれば問題かとは思いますが、自らカルテのコピーをマスコミに配り、訴訟を視野に入れている人が「個人情報を公開されては困る」というのは、いくらなんでも通用しない、と思うわけです。
(このへん、わざわざプレスリリースを出した環境ホルモン名誉毀損事件とも類似点があるように思います)
訴訟をするとか、マスコミに資料を配る、という行為は、むろん遺族側からすれば、損害賠償請求であり、責任追及であり、また同情を得ようとする意図からなされるものでしょう。ではそこに、今回のようなリスクが全くない形をとれるのかというと、無理だ、というのが結論になります。
そのくらい考えてから行動しなさいよ、と。
こういう報道を見て思うのは、ある種の人々は、自己に関する「情報」や「状況」は、自己に有利なように完全にコントロールできて当然だ、あるいは、勝手に自己に都合のよいようになってくれる筈だ、という思い込みが、どこかにあるのではないか、ということです。
いうまでもなく、世界は、そんなに都合良くできてはいません。
それを他者の所為にばかりしたところで仕方がないでしょう。何かを得るためには、当然リスクが伴うのですから。
といっても、私が本ブログでぶつぶつ言っているコトってのは、どうも、この「リスクが伴う」ことを考慮していなさそうなコトについてが多いんですけどね。いまの日本人は、そういう人が多いのだろうか。
「新小児科医のつぶやき」さんのコメント欄で紹介されていたニュースです。
これを見て、もし本当に告発とかされると、大変なことだなぁ、と思い、記事を書き始めましたが、同じコメント欄で、「健康、病気なし、医者いらず」さんが、情報掲載者の一人として見解を書いたというので、読ませていただきました。
すると、少なくとも「健康、病気なし、医者いらず」のブログ主、Dr.Iさんのソースは、「遺族がマスコミに配布したカルテのコピー」であったとの事です。今回はそれを前提に話を進めます。
まず、今回の不幸な事件については同情の念を禁じ得ません。
しかし、「では訴えればよいのか」というと、そうではない、というのがはっきる分かる例になってしまった、というのが私の見解です。
確か、今回の件では警察が動いていた筈です。ということは、遺族は刑事告発をした、ということでしょう。また、現在も代理人弁護士が付いているということは、民事による提訴も視野に入っていると思われます。(実際に提訴しているかどうかは覚えていません)
もし、実際に訴訟となれば、民事であっても公開が原則ですから、原告・被告の攻撃防御の中で、今回問題にされたような当日の情報は、さらに詳細に検討され、それが公開されることになります。
記事では、「個人情報を病院・医師側が漏洩した」という観点から問題視しています。実際、そういうことがあったとすれば問題かとは思いますが、自らカルテのコピーをマスコミに配り、訴訟を視野に入れている人が「個人情報を公開されては困る」というのは、いくらなんでも通用しない、と思うわけです。
(このへん、わざわざプレスリリースを出した環境ホルモン名誉毀損事件とも類似点があるように思います)
訴訟をするとか、マスコミに資料を配る、という行為は、むろん遺族側からすれば、損害賠償請求であり、責任追及であり、また同情を得ようとする意図からなされるものでしょう。ではそこに、今回のようなリスクが全くない形をとれるのかというと、無理だ、というのが結論になります。
そのくらい考えてから行動しなさいよ、と。
こういう報道を見て思うのは、ある種の人々は、自己に関する「情報」や「状況」は、自己に有利なように完全にコントロールできて当然だ、あるいは、勝手に自己に都合のよいようになってくれる筈だ、という思い込みが、どこかにあるのではないか、ということです。
いうまでもなく、世界は、そんなに都合良くできてはいません。
それを他者の所為にばかりしたところで仕方がないでしょう。何かを得るためには、当然リスクが伴うのですから。
といっても、私が本ブログでぶつぶつ言っているコトってのは、どうも、この「リスクが伴う」ことを考慮していなさそうなコトについてが多いんですけどね。いまの日本人は、そういう人が多いのだろうか。