福島県白河高校PTA解散問題、というのがあります。
詳細は「酔うぞの遠めがね」さんでどうぞ。
白河高校PTAが労働争議で解散
白河高校PTAが労働争議で解散・その2
白河高校PTAが労働争議で解散・その3
白河高校PTAが労働争議で解散・その4
白河高校PTAが労働争議で解散・その5
白河高校PTAが労働争議で解散・その6
白河高校PTAが労働争議で解散・その7
白河高校PTAが労働争議で解散・その8
白河高校PTAが労働争議で解散・その9
さて本文・・と思ったけどもう遅いので後で書きます。
(7/15 追記)
時系列的に経緯を書くと、
1)白河高校PTAでは、独自に職員を雇い、PTAの会計事務や学校本体の事務の一部を行っていた。
2)さらに、PTA費は、学校運営費用を柔軟に使うための「便利な別会計」としても利用されていた。
3)職員の雇用は1年契約で、これまで毎年更新されており、現在の職員は17年雇用されていた。
3)白河高校では、少子化による生徒数減少等から、PTA独自の事務員に大幅な給与削減を求めた。
4)職員はこれを断り、従来と同じ条件での継続雇用を求めた。
5)PTA側は、「それならば来年度は契約を結ばない」として、話し合いを終了した。
6)この間、職員は労組に加入し団体交渉を求めたが、PTAは拒否
7)職員および労組は、職員の地位確認と雇用継続を求めて福島地裁に提訴
8)これに対しPTAは、「提訴されたこと」を理由にPTAを解散。会費を各家庭に戻した。
9)PTAは「人格なき社団」であるため、代表者に訴状等が届いたが、すべて受取り拒否
10)裁判は結局被告が出廷せず、擬制自白(原告の主張を被告がすべて認めたとみなすこと)により被告勝訴 ←いまここ
この間、1)や2)のような実態は、古くから全国的にあったことが判明しています。
そこで、
問題1:PTA事務に独自雇用が必要なほどの仕事があるのか?
問題2:その仕事の内容は、本来学校事務職員が行うべき事務もあるようだが、学校事務員として正規雇用でまかなわれるべきではないか?
という疑問が生じます。
その次に、学校側の対応への疑問が出ます。
問題3:「訴えられたから解散し、訴訟を徹底無視」という手段は、法治国家のルール違反であり教育機関として不適切な対応ではないか?
これらの疑問に対し、別の視点からの疑問が出されます。
問題4:PTA活動の停滞や解散などという事態を招くこと事態が、教育の停滞を招き好ましくない
問題5:そもそも、職員の仕事は高給に値すべき内容のはずがない
問題6:「正規雇用」というが、試験も受けず公務員並みの待遇をするというのか。それは不当利得だ
問題7:生徒数が減ったのだから賃金が減らされるのも当然。守られるべき権利ではない
さらに、野次馬というか、外野からの素朴な疑問が生じます。
問題8:「解散」という手段で、裁判自体や、債務から逃れられるとは思えないが、なぜこのような手段を学校側は選んだのか?
大体、このような視点が絡み合っている、そういう問題です。
で、結局、被告側は裁判を徹底無視し、結果、債務だけが膨らむ状態となったわけですが、気になるのはこの後。
裁判では仮執行まで認められていますが、実質、PTAの財布にはお金が残っていない。
となると「解散決議」と「会費返還」事態が、詐害行為として無効だ、と争われることになるのでしょう。
そして、差押などの強制執行が行われる対象は、各家庭に返還されたお金だ、ということになる。
ということは、1000人規模の口座を押さえることになるわけで、これは大変な手間です。
結局、この段階で、原告側は打つ手がなくなり、学校側は逃げ切る、という展開を、はじめからねらっていたのでしょう。ここまで計算していたとすれば、なかなかの策士です(教育的効果はともかくとして)
実際、解散そのものまでを無効にして、今後も雇用継続をする、というのは、さすがに無理だと思われますし。
(もっとも、今後ふたたびPTA様の組織が結成されれば、そこに法的関係の継続を求める、ということは不可能とは言い切れないでしょうが)
まあ、結局このようにして「逃げ切る」として、では、なぜ最初に「PTA解散」などという強硬手段を取ったのか?という疑問が残ります。
これは、なんというか「訴訟になるようなこと自体が『あってはならない』ことだ」という思想の表れではないかと推測します。
とにかく、徹底的に「争いが生ずるような問題自体が存在していない」というスタンスを取る、そのためには手段を選ばない。
「問題の存在」そのものを認めない、という態度です。
なにやら、どごぞの国の政府を見ているような気になります。
無論、この対応、教育的にはダメダメでしょう。力技で責任逃れができる、という実例を、まざまざと見せつける訳ですから。
言ってしまえば、2ちゃんのひろゆき氏の対応と同じな訳です。「じゃあ、差し押さえてみろよ」という。
私としては、生徒がこの件を反面教師としてくれることを願うしかありません。
それと、問題4~7のような視点は、私は好ましくない、と考えます。
むしろ、公明正大に法廷の場で争うことのほうが、教育的効果もあるし、社会に広くこの問題を知らしめ、みんなで考えるいい機会となることでしょう。「災い転じて福となす」をすることも不可能ではなかった。
そういう好機を、「臭いものにフタ」とばかりに、摘んでしまった。それはいってしまえば愚かしい。
また、親の経済状況や労組批判とからめて、労働者の権利を簡単に剥奪してもよい、というような論調は、はっきり言って、言っている本人の首を絞めるだけです。そのようなことの積み重ねが、結局は「弱者を保護しない」社会風潮を作り出していきます。「自分は保護されていない。おまえだって保護されるのは許さない」という論理は、そもそも許されません。そうすることで得をするのは誰か?というのを、よく考えるべきです。
結局、問題は、法に則り、話し合いで時間をかけて解決するしかないのです。
そうでない社会は、法治国家とはいえない。それはとても危険なことです。
詳細は「酔うぞの遠めがね」さんでどうぞ。
白河高校PTAが労働争議で解散
白河高校PTAが労働争議で解散・その2
白河高校PTAが労働争議で解散・その3
白河高校PTAが労働争議で解散・その4
白河高校PTAが労働争議で解散・その5
白河高校PTAが労働争議で解散・その6
白河高校PTAが労働争議で解散・その7
白河高校PTAが労働争議で解散・その8
白河高校PTAが労働争議で解散・その9
さて本文・・と思ったけどもう遅いので後で書きます。
(7/15 追記)
時系列的に経緯を書くと、
1)白河高校PTAでは、独自に職員を雇い、PTAの会計事務や学校本体の事務の一部を行っていた。
2)さらに、PTA費は、学校運営費用を柔軟に使うための「便利な別会計」としても利用されていた。
3)職員の雇用は1年契約で、これまで毎年更新されており、現在の職員は17年雇用されていた。
3)白河高校では、少子化による生徒数減少等から、PTA独自の事務員に大幅な給与削減を求めた。
4)職員はこれを断り、従来と同じ条件での継続雇用を求めた。
5)PTA側は、「それならば来年度は契約を結ばない」として、話し合いを終了した。
6)この間、職員は労組に加入し団体交渉を求めたが、PTAは拒否
7)職員および労組は、職員の地位確認と雇用継続を求めて福島地裁に提訴
8)これに対しPTAは、「提訴されたこと」を理由にPTAを解散。会費を各家庭に戻した。
9)PTAは「人格なき社団」であるため、代表者に訴状等が届いたが、すべて受取り拒否
10)裁判は結局被告が出廷せず、擬制自白(原告の主張を被告がすべて認めたとみなすこと)により被告勝訴 ←いまここ
この間、1)や2)のような実態は、古くから全国的にあったことが判明しています。
そこで、
問題1:PTA事務に独自雇用が必要なほどの仕事があるのか?
問題2:その仕事の内容は、本来学校事務職員が行うべき事務もあるようだが、学校事務員として正規雇用でまかなわれるべきではないか?
という疑問が生じます。
その次に、学校側の対応への疑問が出ます。
問題3:「訴えられたから解散し、訴訟を徹底無視」という手段は、法治国家のルール違反であり教育機関として不適切な対応ではないか?
これらの疑問に対し、別の視点からの疑問が出されます。
問題4:PTA活動の停滞や解散などという事態を招くこと事態が、教育の停滞を招き好ましくない
問題5:そもそも、職員の仕事は高給に値すべき内容のはずがない
問題6:「正規雇用」というが、試験も受けず公務員並みの待遇をするというのか。それは不当利得だ
問題7:生徒数が減ったのだから賃金が減らされるのも当然。守られるべき権利ではない
さらに、野次馬というか、外野からの素朴な疑問が生じます。
問題8:「解散」という手段で、裁判自体や、債務から逃れられるとは思えないが、なぜこのような手段を学校側は選んだのか?
大体、このような視点が絡み合っている、そういう問題です。
で、結局、被告側は裁判を徹底無視し、結果、債務だけが膨らむ状態となったわけですが、気になるのはこの後。
裁判では仮執行まで認められていますが、実質、PTAの財布にはお金が残っていない。
となると「解散決議」と「会費返還」事態が、詐害行為として無効だ、と争われることになるのでしょう。
そして、差押などの強制執行が行われる対象は、各家庭に返還されたお金だ、ということになる。
ということは、1000人規模の口座を押さえることになるわけで、これは大変な手間です。
結局、この段階で、原告側は打つ手がなくなり、学校側は逃げ切る、という展開を、はじめからねらっていたのでしょう。ここまで計算していたとすれば、なかなかの策士です(教育的効果はともかくとして)
実際、解散そのものまでを無効にして、今後も雇用継続をする、というのは、さすがに無理だと思われますし。
(もっとも、今後ふたたびPTA様の組織が結成されれば、そこに法的関係の継続を求める、ということは不可能とは言い切れないでしょうが)
まあ、結局このようにして「逃げ切る」として、では、なぜ最初に「PTA解散」などという強硬手段を取ったのか?という疑問が残ります。
これは、なんというか「訴訟になるようなこと自体が『あってはならない』ことだ」という思想の表れではないかと推測します。
とにかく、徹底的に「争いが生ずるような問題自体が存在していない」というスタンスを取る、そのためには手段を選ばない。
「問題の存在」そのものを認めない、という態度です。
なにやら、どごぞの国の政府を見ているような気になります。
無論、この対応、教育的にはダメダメでしょう。力技で責任逃れができる、という実例を、まざまざと見せつける訳ですから。
言ってしまえば、2ちゃんのひろゆき氏の対応と同じな訳です。「じゃあ、差し押さえてみろよ」という。
私としては、生徒がこの件を反面教師としてくれることを願うしかありません。
それと、問題4~7のような視点は、私は好ましくない、と考えます。
むしろ、公明正大に法廷の場で争うことのほうが、教育的効果もあるし、社会に広くこの問題を知らしめ、みんなで考えるいい機会となることでしょう。「災い転じて福となす」をすることも不可能ではなかった。
そういう好機を、「臭いものにフタ」とばかりに、摘んでしまった。それはいってしまえば愚かしい。
また、親の経済状況や労組批判とからめて、労働者の権利を簡単に剥奪してもよい、というような論調は、はっきり言って、言っている本人の首を絞めるだけです。そのようなことの積み重ねが、結局は「弱者を保護しない」社会風潮を作り出していきます。「自分は保護されていない。おまえだって保護されるのは許さない」という論理は、そもそも許されません。そうすることで得をするのは誰か?というのを、よく考えるべきです。
結局、問題は、法に則り、話し合いで時間をかけて解決するしかないのです。
そうでない社会は、法治国家とはいえない。それはとても危険なことです。