昼行灯(だった)トキの大雑把なひとりごと

クレヨンしんちゃんよりもユルく生きていた(当面過去系)私の備忘録と、大雑把なひとりごと。時々細かく語ることも。

メモ代わり

2007-07-14 02:06:48 | 裁判
福島県白河高校PTA解散問題、というのがあります。
詳細は「酔うぞの遠めがね」さんでどうぞ。
 
 白河高校PTAが労働争議で解散
 白河高校PTAが労働争議で解散・その2
 白河高校PTAが労働争議で解散・その3
 白河高校PTAが労働争議で解散・その4
 白河高校PTAが労働争議で解散・その5
 白河高校PTAが労働争議で解散・その6
 白河高校PTAが労働争議で解散・その7
 白河高校PTAが労働争議で解散・その8
 白河高校PTAが労働争議で解散・その9

 さて本文・・と思ったけどもう遅いので後で書きます。

(7/15 追記)

 時系列的に経緯を書くと、
1)白河高校PTAでは、独自に職員を雇い、PTAの会計事務や学校本体の事務の一部を行っていた。
2)さらに、PTA費は、学校運営費用を柔軟に使うための「便利な別会計」としても利用されていた。
3)職員の雇用は1年契約で、これまで毎年更新されており、現在の職員は17年雇用されていた。
3)白河高校では、少子化による生徒数減少等から、PTA独自の事務員に大幅な給与削減を求めた。
4)職員はこれを断り、従来と同じ条件での継続雇用を求めた。
5)PTA側は、「それならば来年度は契約を結ばない」として、話し合いを終了した。
6)この間、職員は労組に加入し団体交渉を求めたが、PTAは拒否
7)職員および労組は、職員の地位確認と雇用継続を求めて福島地裁に提訴
8)これに対しPTAは、「提訴されたこと」を理由にPTAを解散。会費を各家庭に戻した。
9)PTAは「人格なき社団」であるため、代表者に訴状等が届いたが、すべて受取り拒否
10)裁判は結局被告が出廷せず、擬制自白(原告の主張を被告がすべて認めたとみなすこと)により被告勝訴 ←いまここ

 この間、1)や2)のような実態は、古くから全国的にあったことが判明しています。
 そこで、
問題1:PTA事務に独自雇用が必要なほどの仕事があるのか?
問題2:その仕事の内容は、本来学校事務職員が行うべき事務もあるようだが、学校事務員として正規雇用でまかなわれるべきではないか?
という疑問が生じます。
その次に、学校側の対応への疑問が出ます。
問題3:「訴えられたから解散し、訴訟を徹底無視」という手段は、法治国家のルール違反であり教育機関として不適切な対応ではないか?

これらの疑問に対し、別の視点からの疑問が出されます。
問題4:PTA活動の停滞や解散などという事態を招くこと事態が、教育の停滞を招き好ましくない
問題5:そもそも、職員の仕事は高給に値すべき内容のはずがない
問題6:「正規雇用」というが、試験も受けず公務員並みの待遇をするというのか。それは不当利得だ
問題7:生徒数が減ったのだから賃金が減らされるのも当然。守られるべき権利ではない

さらに、野次馬というか、外野からの素朴な疑問が生じます。
問題8:「解散」という手段で、裁判自体や、債務から逃れられるとは思えないが、なぜこのような手段を学校側は選んだのか?

大体、このような視点が絡み合っている、そういう問題です。

で、結局、被告側は裁判を徹底無視し、結果、債務だけが膨らむ状態となったわけですが、気になるのはこの後。
裁判では仮執行まで認められていますが、実質、PTAの財布にはお金が残っていない。
となると「解散決議」と「会費返還」事態が、詐害行為として無効だ、と争われることになるのでしょう。
そして、差押などの強制執行が行われる対象は、各家庭に返還されたお金だ、ということになる。
ということは、1000人規模の口座を押さえることになるわけで、これは大変な手間です。
結局、この段階で、原告側は打つ手がなくなり、学校側は逃げ切る、という展開を、はじめからねらっていたのでしょう。ここまで計算していたとすれば、なかなかの策士です(教育的効果はともかくとして)
実際、解散そのものまでを無効にして、今後も雇用継続をする、というのは、さすがに無理だと思われますし。
(もっとも、今後ふたたびPTA様の組織が結成されれば、そこに法的関係の継続を求める、ということは不可能とは言い切れないでしょうが)

まあ、結局このようにして「逃げ切る」として、では、なぜ最初に「PTA解散」などという強硬手段を取ったのか?という疑問が残ります。
これは、なんというか「訴訟になるようなこと自体が『あってはならない』ことだ」という思想の表れではないかと推測します。
とにかく、徹底的に「争いが生ずるような問題自体が存在していない」というスタンスを取る、そのためには手段を選ばない。
「問題の存在」そのものを認めない、という態度です。

なにやら、どごぞの国の政府を見ているような気になります。
無論、この対応、教育的にはダメダメでしょう。力技で責任逃れができる、という実例を、まざまざと見せつける訳ですから。
言ってしまえば、2ちゃんのひろゆき氏の対応と同じな訳です。「じゃあ、差し押さえてみろよ」という。

私としては、生徒がこの件を反面教師としてくれることを願うしかありません。

それと、問題4~7のような視点は、私は好ましくない、と考えます。
むしろ、公明正大に法廷の場で争うことのほうが、教育的効果もあるし、社会に広くこの問題を知らしめ、みんなで考えるいい機会となることでしょう。「災い転じて福となす」をすることも不可能ではなかった。
そういう好機を、「臭いものにフタ」とばかりに、摘んでしまった。それはいってしまえば愚かしい。
また、親の経済状況や労組批判とからめて、労働者の権利を簡単に剥奪してもよい、というような論調は、はっきり言って、言っている本人の首を絞めるだけです。そのようなことの積み重ねが、結局は「弱者を保護しない」社会風潮を作り出していきます。「自分は保護されていない。おまえだって保護されるのは許さない」という論理は、そもそも許されません。そうすることで得をするのは誰か?というのを、よく考えるべきです。

結局、問題は、法に則り、話し合いで時間をかけて解決するしかないのです。
そうでない社会は、法治国家とはいえない。それはとても危険なことです。







環境ホルモン濫訴事件/準備書面(5)公開

2007-02-06 23:51:33 | 裁判
 環境ホルモン濫訴事件:中西応援団で、原告と被告双方の準備書面(5)が公開されました。
 本裁判は結審し、3月下旬に判決が出ますので、上記が事実上は最終準備書面となるのでしょう。(当日、被告側は原告の準備書面提出が遅かったことから、後日さらに追加で書面提出があり得るとはしているようですが、双方を読み比べた結果、私はその必要はないと感じます)
 さて、双方の準備書面に早速目を通しました。まずは原告から。


 あー!逐一つっこみたくなる!!



 次に被告準備書面を読む。


おお、全て簡潔に反論されてるじゃん!!


 相変わらず見事です。原告主張の枝葉はバッサリ斬り落として主要部分に絞った上で、その主要部分も簡潔に斬って捨てています。
 私が改めてつっこむ必要がありません。

 しかも、さすがプロと思うのは、これが原告準備書面(5)提出前に出されていることです。ちゃんと、何が書かれそうか、これまでの主張立証から過不足無く掴んでいる、ということです。この無駄のなさが素敵だ。

 まずは御一読を勧めます。「準備書面の書き方」という点でも、非常に参考になります。双方とも。
 かつて私の書いたのはどうも冗長になりがちで、いかにも素人、というものでしたので、今思い返しても反省することしきりです。

環境ホルモン濫訴事件:陳述書に見える価値観

2006-12-27 01:43:56 | 裁判
 「環境ホルモン濫訴事件:中西応援団」で、新たな書証等がUPされていました。
 今回取り上げるのは、原告が証人申請していた熊本県立大学環境共生学部・食環境安全性学講座の教授である有薗光司さんの陳述書です。
 なお、 裁判所は本陳述書の提出を受け、人証の必要はないと判断しています。
  有薗さんがどのような方かは全く存じ上げないのですが、少しこの陳述書を検討してみようと想います。
(全文はこちら→甲23号証 )

 原告側の証人(予定)ですから勿論、内容は原告の主張に沿ったものになっています。大きくは3点。
1)被告雑感は事実ではない。
2)被告雑感の記述によって、原告の名誉は毀損される。理由は、シンポ会場には中西雑感の記述により原告に失望するであろう立場の研究者も多かったからである。
3)原告のプレゼンテーションは、環境ホルモン研究者にとってはよく分かりかつ興味深いものであった。

 以下、私が気になった点を、原文を引用しながら記載します。

4 このセッションで座長を努めた中西準子氏は、松井氏が研究代表者だった文部科学省科学研究補助金特定領域研究(1)「内分泌撹乱物質の環境リスク」の公募研究の審査委員(主査)をしており、私もこの特定領域研究に加わって研究を続けてきました。この研究は9億円もの補助金を使った大変重要なものでした。
 中西氏は、ダイオキシン問題は空騒ぎだったという文章も書き、また環境ホルモン問題についても、マスコミや一部の学者が誤った情報を流したなどと主張しておられる方ですが、それでも上記研究の審査委員(主査)を勤められたのです。私はその中西氏が、上記セッションのはじめに「私自身は環境ホルモンやダイオキシンなど内分泌攪乱化学物質に関してそれほど詳しい人問ではありませんし一一」と述ベセッションを始められたので、おかしな発言をするものだと違和感を覚えて』いました。


中西さんの専門は環境リスク学である、とすれば、例えば化学物質の内分泌かく乱作用だけを研究している訳ではないのですから「それほど詳しい人間ではない」旨の発言も特に違和感はないように思います。逆に、「詳しい」と言われるためにはどれだけの経験なり実績なりが必要なのか、という点についての認識のずれの問題ではないかという気がします。おそらく、中西さんが「詳しい」と言うためのハードルはかなり高めなのでしょう。

5 セッションの中で松井氏はただ一人の環境ホルモン問題専門家として、リスクコミュニケーションの前提となるリスクについてご自分の研究成果を発表しました。特に松井氏の研究室が解明したインディルビン、インディゴの代謝についての説明は非常に興味深いものでした。会揚でも、もともと環境ホルモンの研究者向けの国際会議ですので環境ホルモン問題についてバックグラウンドのある参加者(研究者)には、松井氏の発表はスムースに飲み込まれたはずです。

 いち素人の私にはここが分からない。インディルビン、インディゴの代謝に関する説明は、なぜ興味を惹くのでしょうか。というより、原告は準備書面等で、「人体内でインディルビン、インディゴが産生されていることを世界で初めて発見した」と、その実績をことさら強調しているのですが、これは専門家からすれば「凄い事」なのでしょうか、という疑問です。

最後に述べた「インディルビン研究及びダイオキシンを中心とした環境ホルモン研究で得られた成果を生かす(松井氏の)次のチャレンジはナノ粒子です。」という趣旨の一言を「環境ホルモン間題は終わった。」という趣旨だと理解したのは間題です。松井氏の発言を全部理解すれば、松井氏がみつけたインディルビン・インディゴ研究の成果をナノ研究へも応用できるという趣旨であることは当然理解できたはずです。

 これは本当かな?テープ反訳をもういちど確認してみましょう。

もう一つ、最後になりますけど、我々は予防的にどうやって次の問題に比べるのか、今回学んだ環境ホルモンの研究はどうやって生かせるのか。私は次のチャレンジはナノ粒子だと思っています。ご存知のようにナノテクノロジーがこれからどんどん進展します。私はそのこと自身は非常に重要と思います。人類が地球上で生存するために大変重要な技術とおもいます。しかし、ここに書いてあるようにナノ粒子の使い方を間違えると新しい環境汚染になる。我々はこのナノ粒子の問題にどのように対応できるかが一つのチャレンジだと思っています。時間が来たのでここまでにします。

どうでしょう。ナノ粒子についての言及はここだけです。ここで示された京都新聞の見出しは「ナノ粒子 脳に蓄積」というものです。スライドには本文も映ってはいたでしょうが、中西さんには見えなかったとのことです。聴衆にもどれだけ見えたでしょうか。

つまり、ナノ粒子の話を出す前には、確かにインディゴ、インディルビンの(というかダイオキシンの)解毒機構の話をしています。そして、話の流れ上、それが「細胞内に蓄積するから問題なのだ」という趣旨の発言である必要があります。
再びテープ反訳から該当箇所を探すと、以下のものがそれに該当しそうです。

インディルビンとTCDDとほとんど同じ領域の遺伝子を動かしている。いったいどこに毒性の差があるのかということになってきたんですけど、TCDDはなかなか体内から出て行かない、しかし、インデルディンはすみやかにOHラジカル、CYPが動いてそれ自身がインディルビンに作用してOH基が勝つことによって、その次にサルフェイという芳香体が出来てすぐにおしっこから出てくる。その差に大きな点が出てきたわけです。

「TCDDはなかなか体内から出て行かない(から毒性の差がある)」+「ナノ粒子 脳に蓄積」→「蓄積することが共通だ」
だから、
「松井氏がみつけたインディルビン・インディゴ研究の成果をナノ研究へも応用できるという趣旨であることは当然理解できたはずです」
ということになるようです。

私の疑問は
「これだけの情報源で、当日プレゼンを見聞しただけでここまで理解できるものだろうか?」
「よしんば専門家なら理解出来たとしても、『リスクコミュニケーション』をテーマとしたセッションで、そういうレベルのプレゼンをするのはあまりに不親切ではないか?」
というものです。
そして、中西さんが問題にしているのは、まさしく上記2点目のことのはずです。

ですから、ちょっと飛びますが、有薗さんが、
松井氏が新聞記事を示したことは事実ですが、ナノ粒子をきちんと管理しないと新たな環境汚染を引き起こす、だからインディルビン・インディゴ研究の成果を利用して、これからナノ粒子の評価にチャレンジしようと思っているとの趣旨で発言されたと思います。ナノ粒子の科学的評価が必要であることは中西民にも異論はないはずです。当日、松井氏は原著書論文の趣旨を説明する時間的ゆとりがなかった可能性もあります(実際にナノ粒子のところは時間切れで終わっていると思います)から、松井氏が新聞記事だけでナノの有害性を主張したととられる趣旨の文章をホームページに記載したのは不適切であったと思います。
と述べているのはどうかと思う訳です。
 まず、「ナノ粒子をきちんと管理しないと新たな環境汚染を引き起こす」ことが確実かどうかが分かっていないのが現状でしょう。だからこそリスク評価をしなければならないのであって、つまり、ここでは、分からない事は「分からない」と言うべきなのではないでしょうか。なぜ「ナノ粒子の科学的評価が必要」であることと「ナノ粒子をきちんと管理しないと新たな環境汚染を引き起こす」ということが等価で言われなければならないのか。
もう一度テープ反訳を引用すると、

しかし、ここに書いてあるようにナノ粒子の使い方を間違えると新しい環境汚染になる。

と言っている訳です。私にはここの部分、「新聞記事はナノ粒子が環境汚染を起こすと書いてあり、かつそれは真実だ」と言っているようにしか聞こえません。もちろん、上記には原論文についての言及はありません。そして、ここでの中西さんの指摘は、「原論文を松井さんが読んでいるか読んでいないか」を問題にしている訳ではなく、「新聞記事を引用して発表するなら、少なくとも記事のもとになった論文に基づいた発言をしないと、誤解を招くことになるのではないか、それは本シンポのテーマの『悪い見本』ではないか」ということであると思われます。
また、有薗さんは「松井氏が新聞記事だけでナノの有害性を主張したととられる趣旨の文章をホームページに記載したのは不適切であったと思います」と述べているわけですが、反訳を見る限り、松井さんはナノの有害性については新聞記事だけで主張しています。「毒性の作用機序の要素のうち『排出が遅い』ことが重要であり、ダイオキシンとナノ粒子はそこに共通点があるかもしれない」という主張は、特に「ナノ粒子に関する」研究データや論文に基づいて発言されている訳ではないのですから。

最後に、

3) 松井氏は、前記公募研究グループのリーダーで、この研究に加わった研究者は総数300人位に昇ります。中には松井氏を直接知らない人もいます。こういう人達は、役に立たないと言われ続け、研究費がなかなか出ない地味な基礎研究をコツコツ続けてきたのです。そしてこのグループ研究に参加して、自分たちの基礎研究が環境ホルモン問題の解明に役立ったということを知り、喜びと誇りを感じていたはずです。


ここまではまあいいでしょう、しかし、


 そういう人たちが、中西氏のホームページを読んでその内容を信じたら、「松井氏は何という人だ。9億円もらって自分たちを利用しただけなのか!時流に乗って金がつく間だけやり、金がつかなくなったらすぐ次の問題に移ってしまう人なのか!」と思うことは明らかです。また「松井氏が原論文も読まず、新聞報道だけで問題提起するような底の浅い人なのか!」と思い・松井氏に対する信頼感、尊敬の念を失い、自分たちの研究に対する熱意さえ失うことになりかねません。


 このように続くと、なんだかおかしな話になるような気がします。なぜなら、松井さんがどんな人であれ、自分達の研究が環境ホルモン問題の解明に役立ったと言う事実は変わらないのだから、その喜びが左右される事も特段ないはずだからです。つまり、前段と後段で因果関係が成立していない。

ところで、ここで見られる「研究グループのリーダー像」って、何なのでしょうね。
 素直に読むと「研究者というものは、自らの研究テーマそれ自体ではなく、そのテーマを掲げたリーダーへの信頼感や尊敬の念で研究意欲を抱いている」という風にしか読めないのですが。
そんなことってあるの?そんな訳はないでしょう!
 それでは、「松井さんは自分の研究に予算を付けて脚光を浴びせてくれたから尊敬する」っていうのが、研究者の価値観だ、ということになってしまう。
 研究とは、そんな人間関係のみで意欲が左右されるものではないでしょう。本人が重要なテーマだと思えば、松井さんに頼らずとも自分で何とか予算の都合をつけて研究を継続しようとするものなのではないですかね?

 私は、外野の勝手な意見かもしれませんが、研究者が研究を、研究者を評価するときは、その「研究内容」に依っていただきたいと思います。ここで述べられている見解は「研究者社会における研究者の評価は、その研究者の人物像で左右され、研究内容や研究実績は考慮されない」という意味に取れて仕方が無い。そういう要素が入る事は否定しませんが、本来、それが全てではない筈です。

(追記)
中西さんの人証の調書がUPされていました。
ダイオキシンの毒性機構とナノ粒子の毒性機構との関連性については、「ナノ粒子はサイズに起因する毒性が疑われるのであって、ダイオキシンの細胞内での動きと共通性があるとは思えない。だから、当日のプレゼンで両者の関連が分かるということはなかったし、法廷で出された説明を聞いても『それは違う』という意見」と、一刀両断です。言われてみれば確かにそのとおりで、「蓄積」という言葉からの連想は、まあ着想としてはいい・・・といったところでしょうか。ここは、松井さんの研究成果に期待しましょう。是非いい結果を出して頂きたい。
 あと、ついでに書いてしまうと、神山弁護士の尋問がすごかったですね。「生まれてこれないリスクについては調べることができないですよね?」ってこれ、モロに悪魔の証明でしょう。大体、調べることができないリスクを心配する根拠って何なのよ。
 他にも、神山弁護士は理系で教官が研究室を持つことがどういうことかイメージ出来ていないようだし、もう少し準備しても良かったんじゃないかなあ。

 

中西裁判個人的備忘録/被告尋問直前対策

2006-11-20 23:48:15 | 裁判
タイトルは適当ですので,内容と一致しないからといって怒らないで下さい。 

 個人的にずーっと疑問なのが,原告は本訴訟での名誉毀損事実をどのような法的根拠で主張しているのか,ということ。
 ここまでの展開で,ある程度は明らかになったものの,まだ不明瞭なところがある。
 そこで,私なりに考えるとこうしかない!というあたりをメモしておこうと思った次第。

 まず,名誉毀損の構成要件ですが,民事の名誉毀損で準用されるのは刑法第230条です。

(名誉毀損)
第二百三十条 公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、三年以下の懲役若しくは禁錮又は五十万円以下の罰金に処する。
2 死者の名誉を毀損した者は、虚偽の事実を摘示することによってした場合でなければ、罰しない。

(公共の利害に同する場合の特例)
第二百三十条の二 前条第一項の行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあったと認める場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。
2 前項の規定の適用については、公訴が提起されるに至っていない人の犯罪行為に関する事実は、公共の利害に関する事実とみなす。
3 前条第一項の行為が公務員又は公選による公務員の候補者に関する事実に係る場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。


 そして判例では以下の通り。被告準備書面(1)から引用します。

 ある事実を基礎としての意見ないし論評の表明による名誉毀損にあっては、その行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあった場合に、右意見ないし論評の前提としている事実が重要な部分について真実であることの証明があったときには、人身攻撃に及ぶ意見など意見ないし論評の域を逸脱したものでない限り、右行為は違法性を欠くものである(最高裁第3小法廷9年9月9日集51. 8. 3804)


 つまり,形式的要件としては
a.公然性
b.事実摘示
(b'として「意見の表明」である場合は該当しない。ただし,それが実質上事実摘示である場合を除く)
の二つが必要であり,その例外として
c.公共の利害に関係し公益を図る目的でなされた場合かつ,
d.意見・論評の前提事実が重要な部分について真実である場合で,人格攻撃等の度が過ぎたものでない場合
ということになります。
 そして,このほかに,
e.前提事実が真実ではなかったが,真実であると認めるにつきやむを得ない事由があった場合
というのもあります。

 以上を前提にして,今回の訴訟を検討してみます。

 a,bは当然成り立つものとして,問題はc~eです。原告の主張は,これらに「該当しない」とならなければいけない。
 それで,まずはdからですが,原告の主張は,「意見・論評の重要部分が真実でない」というものです。
(被告の反論は当然この逆で「意見・論評の重要部分は真実であるか,又は重要でない部分に限り真実でない場合がある」です)
 原告が挙げる「真実でない」箇所は,以下のとおり。(記憶で書いているので間違いもあるかもしれません)
1「つぎはナノです」と言った(証拠から判明した真実は「次のチャレンジは,ナノ粒子だと思っています」であった)
2「要するに環境ホルモンは終わった、今度はナノ粒子の有害性を問題にしようという意味である。」という意味のことを言った。
(上記のうち特に名誉毀損に繋がったのは下線部との主張)
3 原論文を(よく)読まないで紹介した
4 新聞報道を鵜呑みにして検証せずに紹介した
5 原告の肩書きを「京都大学工学系研究科教授」とした(正しくは「京都大学地球環境学大学院地球環境学堂教授」)
 他にもあったかもしれませんが、私が覚えているのはこんなところです。
 ここまでがdで,これに基づく原告の論理構成としては,
1)上記の「真実でない事実摘示」があった(ここでいう「事実」とは,真偽を問わないたんなる「出来事」という程度の意味)
2)上記のいずれも重要な部分であり,すべて名誉毀損に直接つながる表現である
3)被告は上記のいずれについても誤解するにやむを得ないと認められる状況ではない(eの部分)
4)したがって,違法性阻却事由を欠くから名誉毀損に当たる

 そして,dが成立しないという主張の故でしょうが,cについては明示されていません。その代わり,dの関係で
5)被告の言説は人格攻撃に当たる
 と主張します。
 もっとも,被告の当該記事には,「ここの部分が人格攻撃だ」という明確な記述は,一見すると見当たりません。(原告は「肩書きの違い」をそうだと思っているフシがありますが,それは措いといて)
 そこで,原告と被告の環境ホルモン問題に対するスタンスが対立しているという「背景」を持ち出したうえで,b'を援用し,
6)背景を考慮すれば,意見表明に見える部分も事実摘示だ
と主張し,さらに,
7)そういった「真実でない事実摘示」全体が,極度の不注意で,あるいはひょっとすると故意になされたものであり,対立する立場の人間をおとしめる意図である
 といった主張になっています。
 さて,上記1)~7)のうち,構成要件として重要なのは1)~4)です。ただし,原告の戦術としては,「主張の一部だけでも認めさせる」ことを目指しますから,第二,第三の防衛ライン(というのもヘンですが)として,5)~7)の「人格攻撃に該当」を入れている,と考えられます。
 あるいは,「人格攻撃を受けた」という原告の被害感情を,こういった形で婉曲的に表現した,ということかもしれません。

 さて,ここで原告の主張に対する意見を述べてもいいのですが,まあ時期も外れているのでやめておきます。
 ただ,少なくとも「真実でない事実摘示」であることを主張するために原告が準備した当日のプレゼンを説明する資料が,録音テープ反訳と比較すると,明らかに当日のプレゼンに含まれると考えられない内容がある,ということは指摘しておきたいと思います。
 これについては,原告証人尋問まで終わった段階でも,原告は厳として「当日のプレゼンは説明資料の通りであった」として譲りません。
 その理由として,
・専門家向けに発表しており,専門家は背景知識を持って聞くからこういう内容であることは分かる。
・被告は「環境ホルモンの専門家」ではないが,研究者として関心があり背景知識も十分である上,原告のことは研究内容も含め旧知であるから,やはり内容は説明資料の通りと分かるはず。(本当はこうは言っていないのだが,たぶんそう言いたいのだと推測する)
・聴衆も優良入場者でありおおむね専門家と推測できる。
等を挙げています(私にはそう読めます)。これをどう考えるか,というところ。
 
 ところで,12月1日には被告の本人尋問ですが,原告からの反対尋問は何を問うつもりなのでしょう。
 本訴訟は,シンポジウムの場で起こった事実と,雑感の記述が事実内容のすべてですから,それは証拠から十分に明らかであり,争う点があるようには思えません。とすると,原告としては,被告の「意図」を問うしかないのではないか,と考えます。すなわち「被告はこう書いていますが,こういう事実があったことを知っていますか。或いはこのときにこういった話をしたことを覚えていますか。では,そうであるにもかかわらずこのように書いたのはなぜですか」といったことです。
(あるいは,心象形成のために「反省しているか」「謝罪の気持ちがあるか」等を質問するかもしれません。もっともこれは,被告の返事がYESでもNOでも使える質問ですから,意味があるとは思えませんが。)

 それとも,また「予想外」となるのでしょうか。

環境ホルモン濫訴事件/原告人証は予想外

2006-10-31 00:19:57 | 裁判
 事件の概要は省略します。すみません。なお、併せて「中西応援団」原告提出書類「準備書面(4)」と「甲22号証(陳述書)」も目を通して頂けると助かります。(長いですけどね・・・。)

 さて、今回の人証では、主に「本件で名誉毀損が法的にどのように成立するのか」を説明、証明するものと思っていたのですが、原告が最も時間を費やしたのは、当日のプレゼンのやり直しだったようです。(中西応援団の掲示板や、kkyamasitaさんの日記を参照)
 まさか尋問の時間を使ってプレゼンのやり直しをするとは。本当に予想外でした。原告は法理の部分には本当に関心がないようです。
 なんでこんなことをするのか?すぐには理解できなかったのですが、以下のように考えているのなら、まあ理解できなくもない、と思い至りました。
 まず、原告は自分が「研究者として、批判すらされるいわれがない」と思っているということ。
 そして、「自分が批判されるいわれのない人物だ」ということを示すには、自分の研究内容を説明することが有効であると信じている。
 なぜなら、自分の研究は学問的に正当な手続きに則って行われており、その着眼点、および成果の両方が、学問的にも社会的にも注目に値するものだから。
 そのことは、研究内容を説明すれば分かってくれるはずだ。専門家なら当然分かるだろうし、専門外でも理系の学者なら相当程度分かるだろう。全くの素人だって、これだけテクニカルタームを駆使して再三説明すれば「すごいことをやっているんだ」という位はわかるだろう。
 そして、自分の研究成果が分かってもらえたなら、「批判を受けるような人物ではない」のだから、被告のいう「批判」というのはすなわち「批判に名を借りた中傷」にほかならないことも分かってもらえるだろう。
 こう考えれば、なぜ学問的成果の説明にこれほどこだわるのかが分かります。そこに、ひとかどの人物たる自信と誇りを持っている、ということなんですね。
 無論、研究成果が立派だ、だから批判は中傷の隠れ蓑だ、というのは飛躍というものです。そこで原告は、この論理を補強するために、ようやく「名誉毀損が成立する論理」を明示することにしたようです(実はこっちの方が重要)。これについては、以前別の場所で(こっそり)書いた予想が当たっていたようで、つまりは「環境ホルモンは終わった」が、事実摘示の主要部分ということ。
 これは良く分かります。問題となった中西雑感の記載された字句で、原告の信用が失墜するならば、それは原告が何度も説明している「環境ホルモン重要派」対「環境ホルモンから騒ぎ派」の対立構造があるとした場合に(あるかどうかは異論もあるようです。hetareDさんの日記参照)限られる。すなわち、原告が前者から後者に「宗旨替え」(という表現を原告が使っています)したと誤解させるものだということで、「原告の属する派閥内での信用」が失墜したから(派閥意識が強い人なら、このことにがっかりするのはありそうなことです)名誉毀損になる、ということ以外にはありえない。
 ここまできて、ようやくこの論理を明示しました。
 まあ、名誉毀損が成立するのはこの「派閥内」という部分社会にしかない、というのは、事前に予想できたことですから、驚くことではありません。しかし、これは逆にいうと、原告が想定しているのは「派閥内社会」のことでしかないことを認めたことになりますよね。つまり、「広く一般社会(派閥外含)の価値観からして名誉が毀損された」とは認められない、ってことになりはしないか。実際そうだとは思いますけど。原告がそれを認めた形になると、だいぶ「損害」が矮小化すると思うのですが、いいのかな。いいのか。
 そして、あえて意地悪に言って申し訳ないのですが、派閥内では「宗旨替え」と捉えられることが信用失墜につながるのは分かるとしても、研究者の問題意識として「次のチャレンジはナノ」と考えたことの「目の付け所」自体はいいと思うんですよね。だったら、研究者なんだから、「派閥」なんて気にしないで、研究テーマを堂々と変えて構わない、むしろそうすべきだと思うのですが。それを「派閥」にこだわり、そこに留まっていることを声高に主張するというのは、「派閥外」の論理からすれば、逆に「この人は学問の成果を客観的・冷静に受け止められる人だろうか」という点で疑問を感じざるを得ないのです。
 「派閥にこだわる」というのは、研究の中身よりも、そこにまつわるヒトやカネにこだわっている=他者への影響力を維持したい、と私には見えてしまう。
 つまり、名誉毀損裁判で「部分社会での信用失墜だ」なんて言ってしまうことが、「研究成果・客観的データよりも部分社会内の信用の方が大事だと思う学者ってどうなのよ」という感想を招きかねない。というか私はそう思ってしまいます。 
 いや、一般的に考えても部分社会内(例えば会社内)とかの信用とか評価は大事でしょう、といわれれば確かにそうですが、「派閥性」にこだわればこだわるほど、「学問」としてのありようからは遠のいていくような気がしてなりません。そのことは、逆に「派閥外」からの「学者」としての評判に影響しないか?と、いささかの老婆心。
 それと、もうひとつ、はっきりいうと呆れたのが「発表はスタイルだから、批判するものではないし、スタイルの批判は研究内容と関係ないから学問上の批判に当たらない」という主張。これはすごく時代遅れ。研究内容や成果を社会にわかりやすく提示し、もって社会の発展に資すると同時に、社会から研究継続を認めてもらおうと努力することの重要性なんて、今や研究者の常識だ、位に思っていたのですが。これって斟酌するに「研究テーマとか内容それ自体が重要性を語るから、表現方法は重要でない」と思っているということですよね。しかし、そういうことを言っている(ように私には見える)研究者が、細々と自分のテーマにのみ向き合って孤独な研究をしているというならともかく、多くの科研費予算を取り、300人が関わる研究を成し遂げたことを誇るというのは、矛盾とは言わないまでも一致しないことは確かです。科研費を取るための申請だってプレゼンと同じでしょうに。
 まあ、ここは本当は「プレゼンだってヘタなはずはない」と言いたいところを、敢えて慎んだのでしょうかね。
 それにしても、上記は(陳述書にあるのですが)、原告準備書面(4)の
 >また、仮に本当に原告のプレゼンテーションの仕方に問題があったというのであれば、それに対する本来の学問的批判は甘んじて受けるつもりである。
 というのとは矛盾しているような気が。
 陳述書から予想するに、原告が想定している「学問的批判」は、どうやら「私の研究では、AhRはインディルビンを排出するためにあるのではなく、○○を排出するためのものだ」とか、そういうことに限られるようです。・・・って自分の土俵でしか勝負しないってこと?いや、逆に中西応援団の掲示板とか、chem@uさんグレガリナさんの指摘は「学問的な批判」になりますよね。これはいいのか、な?
 ということで、まったくの素人の私もひとつ。原告の主張には、被告の「リスク管理」論を批判して「内分泌かく乱物質は、死亡だけをリスク指標とできないから難しく、かつ恐ろしい」旨の記述があるのですが、その理由は、生殖系を乱すことで、正常に生まれないという新たなリスクを増加させるおそれ等の別のリスクがあるからだということのようです。それで、原告の研究によって明らかになった、ダイオキシンやベンゾ(a)ピレンの排出機構で起こりうる遺伝子の「過剰な発現」(私なりの表現)とか「活性酸素種の発生」っていうのは、生殖細胞や生殖器(周辺)の組織で特に影響が大きいということはあるのでしょうか?それが言えないと、上記の主張に説得力がないように思います。以下、「神経脳活動影響」や「性同一性障害」についても同じ。(性同一性障害の場合は、遺伝子レベルまで関係するのかなぁ?ホルモン受容体とホルモン様物質との関係だけだと思うんだが)

ヒトはかくも偏見から逃れられない動物である。

2006-07-03 22:30:48 | 裁判
詳しい経緯は「環境ホルモン濫訴事件:中西応援団」を参照してください。
そろそろ裁判も終盤のようで、ちょっとした感想を。

「被告の記事は環境ホルモンを重大事と考える者の社会的地位を低下させるためである」
という偏見を念頭に読めば、なるほど件の記事はそう見えなくもない。
だから、原告側がこのような主張をするのはよくわかる。
しかし、それは畢竟、原告側自身の意識を映し出す鏡にすぎない。
つまり、

「被告は環境ホルモン重大派を不当にも攻撃している」
「その方法はリスク論によってである」
「リスクコミュニケーションというテーマは、そもそも攻撃のために設定された」
「『環境ホルモンが重大事』は『宗旨』のごとく堅持すべきである」
「その『宗旨』を変える者は糾弾されて然るべきである」

という意識である。

言葉は悪いが「陰謀論」と言う単語が浮かぶ。

付言すれば、原告側はおそらく「被告を貶める作戦」として上記の主張をしたのではない。
本気で上記のように思っており、だからそのように書いた。
なぜなら、裁判での勝訴を目指すなら、こんなことは書かない。
それにしても、準備書面を書きながら「無理がある」とは思わなかったのだろうか?
(ときには「無理がある」と思っても、あえて書くのが裁判ではあると承知はしているが)

追記:先日放送された「ためしてガッテン」の、環境ホルモン(通称をあえてそのまま使用)に関する内容は、酷かったようで。
興味のある方は、中西応援団の掲示板をごらん下さいませ。