昼行灯(だった)トキの大雑把なひとりごと

クレヨンしんちゃんよりもユルく生きていた(当面過去系)私の備忘録と、大雑把なひとりごと。時々細かく語ることも。

死と復活、昇天、さらに再臨

2008-06-18 22:12:30 | Weblog
 何の話だ、キリスト教の講釈か。そうではない。

 私がマカーであることは以前書いている。昨年春までは初代iMac G5を使っていた。発熱で一回コンデンサが膨張して死んだのだが、修理プログラムに出して復活。それとは別に、今後のことも考えて、熱に強い2代目20インチiMac G5を購入し、データのバックアップを取るとともに、妻専用機としていた。
 その後、初代G5は発熱により今度はHDDがダウンし、保存データが吹っ飛んだ(20インチ購入時を除きバックアップは取っていなかった)。私の机では使い勝手が悪いこともあり、それ以来、初代G5は放置して、新たにMacBookを購入し、今はこちらをメインに使っている。
 そんな風に1年寝かせていた初代G5だが、MacBookのHDD容量が僅少になりバックアップの必要が生じたことから、外付けHDD代わりとして、復活させることにした。
やることは、内蔵HDDを交換するだけなので簡単である。初代G5は、メモリもHDDも簡単に自分で交換できる仕様になっており、ネジを緩めて裏蓋を外せば、すぐにHDDにアクセス出来る。もっとも、市街地のパーツ屋に行く手間を惜しんで、近所の家電量販店で新しいHDDを購入したら、数千円割高になってしまった。(メーカーブランド代とバンドルソフト代なのだろうが、バンドルソフトはwin用なのでマカーには無関係)
 HDDを交換し、DVDから起動→OSインストールを実施。その際、パーティションを区切り、一方をシステム用、一方MacBookのバックアップ用とした。
 そして、バックアップを実施し、目的完了。
 これが「死と復活」か。いや、そうではない。以上は前置きで以下が本題である。


 マカーの私は当然のようにiPodを持っている。3年前に20GBカラー液晶モデルを購入した。その後、保障期間内にいちどトラブルがあったので交換していたのだが、昨秋、以下のような症状となり、使用不能となってしまった。

(症状)
液晶画面が乱れフリーズする
再起動する
アップルマーク表示→Sadアイコン表示→バッテリー不足表示→アップルマーク表示に戻る(以下ループ)
 
 つまり、我がiPodは、この時「死んだ」。

 何度再起動を試みても一向に復帰しないので、あきらめて半年ほど放置していたiPodだが、初代G5復活を期に、ふとiPodをMacBookに接続したら、な、なんと普通に起動!
 なぜか、初代G5復活を待つかのように、iPodも「復活」してしまったのだ。

 このiPod、症状からすると、おそらくHDDがいかれており、バッテリー交換だけでは直らないだろうから、買い換えるしかないと諦めていた。

 しかし、私の保存データはおおよそ11GBなので、買い換えるにしても適切な機種がなかった。現行のiPod Classicの80GBは多すぎるし、かといってiPod nanoの8GBでは足りない。帯に短し襷に流し。
 結果的には、買い急がずに良かった、ということになる。

 それで、喜び勇んで、その週のバス通勤時にiPodを聴いていたのだが、金曜日の朝、突然音楽がフリーズし、再起動したら、また上記の症状に戻ってしまった。(ちなみに聴いていたのはStingの"Fragile"である。まったくFragileだ。)

 やむを得ず、Apple StoreのGenius Barに予約を入れ、症状を説明したところ「恐らくハードのトラブルであり、買い換えるしかない。1割引で購入できるが?」と問われた。
 しかし、上記のとおり、買い替えに適当な機種を選びかねていると、店員さんがiMacを備付のMacBookに接続した。「この状態で起動を確認できれば、バッテリー交換プログラムで対応できる。バッテリー交換といっても、実質は同型機への交換なので、もし別にハードのトラブルが隠れていても、買い換えることなくすべてのパーツが交換されたことになる」とのことであった。

 そして、果たせるかな、iPodは、起動した。

 空気読みすぎだぜiPod!!

 ということで、バッテリー交換プログラムのため、我がiPodは天(メーカー)へと帰っていった。
 そして、先日、交換機種が届き、私のもとに「再臨」した。

 以上が「死と復活、昇天、さらに再臨」の一部始終である。正確にいうと「死と復活」は2度繰り返しているが。

『ゴールデンスランバー』読了

2008-06-10 23:56:18 | 読書
普段は文庫しか買わない私だが、『砂漠』に引き続きこれも購入。山本周五郎賞受賞記念ってことで。

伊坂作品は「主人公が異様な状況に陥る」が、どこか視点が俯瞰的、という印象が強いが、本作の主人公は、とても「俯瞰的」ではいられない。何しろ容赦なく国家権力が追って来る。むろん、最終的には命を奪う算段である。
舞台が仙台だと、毎度のことだが、何となくどの辺りをモデルにしているのかを想像してしまう。主人公が逃走途中で立ち寄るコンビニは、北4のガストだろう。病院は、たぶん仙台オープン病院ではないか?等。
主人公は、どこか孤独に生きているが、それでも、とても多くの人に支えられている。なかなか、こうなるのは難しいな、と思う。だからこそ、小説になるのだろうけれど。