昼行灯(だった)トキの大雑把なひとりごと

クレヨンしんちゃんよりもユルく生きていた(当面過去系)私の備忘録と、大雑把なひとりごと。時々細かく語ることも。

大変だがそれどころではない。

2007-05-29 00:15:23 | Weblog
松岡農相とかZARDとか色々あって書けるものであれば書きたいのだが、無理だ。
今の仕事が苦痛だ。特に偉い人達の日程調整をすることが非常に苦痛だ。
詳しくは書けないが調整する項目が(私にとっては)多すぎる。
しかも、過去の資料を見たら調整作業は現時点より1ヶ月以上前から始めていないと間に合わない。

4月に代わったばかりで、数年ぶりの作業で、その準備から何から初めてやることばかりの私には、これは、無理だ。
ということは「私の能力では間に合わない」ということだ。

もう嫌だ。鬱になる。
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映画を見た。

2007-05-24 00:02:43 | Weblog
ようやく「アヒルと鴨のコインロッカー」を鑑賞。
以前の記事で書いていた「やな予感」はハズレ。原作の軽妙な雰囲気を良く拾っていたと思う。
細かい変更点がいくつかある。が、それより何より、椎名はあそこまでどんくさくはないだろう、というのが私の見解。
あとは、ロケに使われた書店の裏口が、原作とは雰囲気が異なり、通りから見通せる箇所にあったのがちょっと違和感。
まあ、こればっかりはロケ現場の都合があるから致し方ない。

でも、一番印象に残ったのは、実は

大塚寧々の劣化ぶり

だったりする。
クールな感じは好演していただけに、余計に惜しい。

叙述トリックについては、まあ、だいたい予想通りの処理だった。
原作は過去と現在を交互に描くことで、特に過去部分の緊張感を全体に漂わせているが、映画ではどうしてもそういう構成が取れない。その意味での物足りなさはあったが、クライマックスでは、ちゃんと泣けたので、構成自体は成功していると思う。
欲を言えば、伊坂作品の魅力は登場人物の魅力によるところが大きいので、本当は、もう少し個々の人物像を丁寧に描いてほしかったのだが、2時間程度に纏めるにはちとキツいのだろうな。
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個別事例は取り上げないが

2007-05-23 23:47:35 | ものおもい
とかく昨今、エゴを押し通すという類いの事例・事件が多すぎる。
医療事情等を見ていると特にそれを強く感じる。
残念ながら、日本社会は今後数百年単位で再構築される必要があるのかもしれない。
「バカの壁」があれほど売れたというのに、読者は何も汲み取っていないのではないか。
もう、考えるのすら面倒になってきた。
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既視感

2007-05-18 21:42:18 | Weblog
というやつが最近、非常に多くて困る。
仕事が変わってから、職場の光景や出張の様子等について「あれ、この光景は前に夢で見たような気がする。たしか全体的に薄暗くて・・・」などと思う事が多い。いや、そういえば、昨年末の島根出張も、「この光景、夢で見ていたような・・・」と思ったものだ。
どうも、仕事上のことで高ストレス・疲労蓄積状態になると、既視感を覚えるのではないか、と推測する。
もう少し経過を観察することにしよう。
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単なる覚え書き

2007-05-13 13:20:42 | Weblog
土曜日の仕事で色々と刺激になることがあったのだが、しょうもない手違いでそういう気分が台無しに。
本日は足回りが筋肉痛。明日からまた仕事。なかなか辛いところだ。
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デフレスパイラル

2007-05-05 23:12:40 | Weblog
何がデフレかというと、「体の調子」。
本当は、体重がデフレスパイラルだとよいのだけれどねぇ。

4月の超多忙→ダウンを経て、外食が多くなり、あまり野菜を食べなくなってしまった。
しかも、連休に入り、夜更かし朝寝坊で食事を摂る時間も不規則に。
そのため、連休の前半はまた太ってしまい、呼吸するのに十分な体腔がない感じがしたり、肩まわりの贅肉が邪魔に感じたりといった状態になった。
これではいかん、と思い、とりあえず食事の改善をはかるため、野菜を大量に買い込んで、煮浸しやら何やら作っていた。

ところが、そんな風に体に気を使い出すと、逆に体調がおかしくなる。
昨日は、昼過ぎからの頭痛が夕方にひどくなり、小一時間寝込むはめに。
本日は、家の掃除などしていたのだが、口唇ヘルペスが出てしまった(疲労が溜まり免疫力が落ちると出る)。
これでは、「何もするな」と言われているようなものだ。

つまり、健康を取り戻そうと努力すること自体が体調の悪化を招いてしまう。
我が身朽ち果つるまで放置せよ、ってことかいな。俺はどうすればいいのよ。

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偉くなくとも正しく生きフガフガ

2007-05-05 16:33:30 | ものおもい
apjさんの「事象の地平線」より。 突っ込みたくなる論説文

わたくし、昼行灯でして「偉くなりたい」とは思っていません。
それも、かなり積極的に「偉くなる」ことを拒否する傾向にあります。

なぜかというと、私の亡父は「偉くなる」ことに大層執着したヒトだったんですね。
私や家族が「偉くなるということは、それだけ責任だけが増していくことになるし、下手をすれば部下の尻拭いで首になったりする。いいことなどない」と言っても、彼は全く耳を貸さず、
「医者でも学校の先生でも、政治家でも、あるいは上級公務員でも、偉くなればいいことばかりだ。皆に頭を下げられて、運転手付きで送迎され、自分は何もせず部下を動かしていればよい。何か不祥事があっても部下に責任を負わせれば済む。責任がどうのこうのと言うのは綺麗事に過ぎない」と言い張っていました。
そういう父の考え方は嫌いでした。たとえ「綺麗事」であろうと。
確かに、古い時代の「偉い人」には、そういうヒトも居たでしょうが、20年前だって既にそういう時代ではなかったし、今ならなおさらそうです。

だから、私には「偉くなりたい」と思わないヒトが多い、というのは、ある意味大変健全なことなのではないか、と思えます。
つまり「偉くなる」ことがハイリスクであることが常識となった、ということです。
本来、「偉い」=ハイリスクローリターン(又はノーリターン)であるべきだ、というのが私の持論。
逆に、そうでないヒトは、いくら肩書きだけが偉くても、実際には「偉くも何ともない」のです。
だって、権力の座とその旨味を求めるようなヒトが「偉い」とは、とても思えませんから。
真に「偉い」ヒトというのは、報酬と無関係に、その職責を果たすヒトのことでしょう。
むろん、一般的な意味で「偉い」コトを評価して高報酬である職業があったとして、それを否定するものではありません。ただ、中身が伴っていないと、それはあっという間に下劣の極みに転落する、ということになります。

もっとも、現実がどうだったのかというと、清貧を貫くような、高潔な「偉い」ヒトも居たし、ただ権力の座に胡座をかいた「名前だけ」のヒトもいたでしょう。また、「偉い」だけのことはして、しかもそれにふさわしい報酬を得ていた、という、きわめて理想的な状態のヒトも、もちろんいたでしょう。
つまり、父の考えも、私や家族の考えも、どちらも「極端すぎる」ということになります。

ところで、「偉い」ヒト=「ハイリスクノーリターン」は、たしかに美しいけれど、実際の社会がそうなってしまえば、現実として、アンケートにも出たように「偉くなる」ことを志すヒトがほとんどいなくなってしまう。つまり「誰も責任を取らない」社会になってしまいます。それは、やはりまずいのではないか、とも思います。
かといって、「ふんぞり返る」ことに喜びを感じるヒトが偉いとも思えないし、そうすると、少なくとも金銭的には十分な報酬がないと「偉い」ヒトは存在できない筈です。

まあ、人生の喜びは金銭的な報酬だけではなく、目的の達成とか、色々ありますから、単純には言えませんが、とにかく「偉くなる」=ハイリスクノーリターンを取る=結果的に報酬その他で報われる、という理想的な状態が、うまく出来ないものか、とは考えます。
よこしまな考えで「偉く」なりたいヒトは減るほうがいいけれど、現に職責を果たしている「偉い」ヒトが逃げ出してしまうようでもいけない。その「バランス」が、極めて難しい。何か、よいモデルはないもんでしょうかね。何せ、apjさんの記事の後段にもある「ネットカフェ難民」の問題ひとつをとっても、いまの日本社会の「偉い」ヒトは、搾取ばかり考えているような気がしてならない訳で。そんなのが大手を振って歩いており、しかも一方では「責任を取らされる」ようなことも多い。なんか、ダメな「偉いヒト」か、偉いことの「ダメな部分」ばかりが目立っている。社会の病理というものでしょうか。



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アヒルと鴨のコインロッカー(映画)

2007-05-03 00:36:53 | 読書
5/12の仙台先行上映が近づいてきた。
折角の機会なので、混雑はするだろうがこの日に観ようかなどと考えていたのだが、当日仕事が入ってしまったorz
ま、まあ、いいさ。人混みは苦手だし。

ところで、この映画、原作の叙述トリックをどう映像化しているかが興味の一つなのだが、何かで読んだ監督インタビューに次のような一節があった。

「過去と現在の話の間に、小説では描かれていない重要な場面があるのに気づいた。そこを丁寧に描くようにした」

なーんか、激しくやな予感。変な解釈で改変してなきゃいいんだが。

あと、東北大卒の私としては、ロケ地が東北学院大泉キャンパスってのは気に食わないですな。
もっとも、東北大川内キャンパスなんて殺風景どころかいまどき左翼学生のビラが張られまくっているような汚いところなので、絵になる筈もないのだが。

あとは、ロケ地がどこかってのを映像からだけで探ることかな。といっても、大体のロケ地は既報なのであまり楽しみは残されていないんだけど。

あー、それにしても仕事が恨めしいなあ。まあ、前売り券買ってないだけマシだったか。

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