昼行灯(だった)トキの大雑把なひとりごと

クレヨンしんちゃんよりもユルく生きていた(当面過去系)私の備忘録と、大雑把なひとりごと。時々細かく語ることも。

老化なのか劣化なのか

2014-10-03 22:20:10 | 仕事
暇があると眠り、暇じゃないはずなのに怠けて寝ている。動けないのか、動きたくないのか、最早区別がつかない。
ここに来て、知識欲すら減退してしまった。久しぶりに書店を彷徨いたのだが、食指が動かない。難しい本を読むことが、心底面倒に感じる。
僅かに心を動かされたのは、かつてオタク少年だった中年向けの商品に対してのみ。しかしそれも、買うだけ無駄との思いが勝り、結局は買わず。今しがた書店を後にした。
知識は終生の友、思索は永遠の伴侶と感じていた日々は、どうやら過去に過ぎ去ったらしい。

何もしたくない。何もしないで良い身分になりたい。
半年前の激務疲れとは、明らかに違うフェーズに居る。意欲が負の値から虚数に移行したように感じる。色々な事が色々な意味で終わっている。
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身体が重たいです。

2014-01-17 00:47:03 | 仕事
おかしいなあ。半年前に比べて14キロは痩せているのに。

丁度先週、睡眠薬切れで死にそうになりながら仕事してた時と同じような症状。
鉛の半纏でも着ているかのような感覚。

とりあえず、今週はあと一日だ。
それだけは、何とか。

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前言撤回しようかな。

2014-01-07 23:51:33 | 仕事
仕事始めから連続して深夜残業してます
昼行灯は、まだ棚上げのようです。
こうなるともう厄年関係ないっすね。
しかも仕事進んでません。ううう。

鬱の薬も切れちゃった。大丈夫かな自分。もう知らないや。
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明日から仕事。

2014-01-05 23:24:24 | 仕事
うーむ気が重い。それに体調管理を失敗した。風邪気味で微熱がある。
酷くならないように寝よう。

今年の目標は「スマートに生きる」だ。
いらんことはしない。最小限のことだけやる。周囲に惑わされない。
やれるようにやろう。やりすぎないようにしよう。


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プラダを着た悪魔

2013-12-31 01:01:17 | 仕事
女性に人気の高い映画である。半年前に録画していたのを、ようやく年末になって視聴。
アン・ハサウェイ演じるジャーナリスト志望の冴えない新卒者(アンドレア)が、就職活動で何故か、メリル・ストリープ演ずる、世界的カリスマファッション雑誌の編集長(ミランダ)の第二アシスタントの面接に漕ぎ着けた。
この業界は、ミランダに憧れて入社を希望する女性が世界中から集まって来る。そんな中、ジャーナリスト志望でお洒落には無頓着なアンドレアは、明らかに「浮いた」存在だった。面接は当然×と思われたが、何故かミランダは、彼女を採用する。
ミランダは、辣腕編集長であり、ファッション界のトップとして、セレブ社会で華やかに暮らしている。部下に対する要求は、とにかく厳しい。仕事から私生活のケアに至るまで、あらゆる注文を付ける。ときに、わざと我侭に振る舞い、単なる憧れだけでこの世界に飛び込んできた女子を蹴落とすようにも感じられる。
色々致命的なミスを犯しながら、アンドレアは次第にファッション界に馴染んでいく。先ず彼女は、お洒落をすることに決めた。同僚の男性を巻き込み、ドレスアップすることからスタート。身体のサイズもワンサイズ落とし、その変貌振りは同僚女性を驚愕させる。
そして、あるとき、怒りを買ったミランダから不可能なミッションを言い渡される。もうやめる、我慢出来ないと絶叫する彼女。同棲する彼氏も、馴染めない職場で無理をしている彼女を見かねて「それがいい」と勧める。
しかし、ミランダのアシストをする中で様々な幸運な出会いがあり、ジャーナリズムの世界にも人脈を築くことができた彼女は、ミランダの無理難題をやってのけた。
そこで、ミランダのアンドレアに対する見方が、変わる。
他方、古くからアンドレアを知る家族や友人たちは、無茶振りの女王様として有名なミランダの元で、どんどんお洒落になっていき、ファッション業界に染まりつつある彼女に警告を発する。だが、困難なミッションをやり遂げ、鬼編集長のお眼鏡に適うまでに至ったアンドレアに、彼女らの言葉は無理解と攻撃としか映らなくなっていった。そして、彼女を理解し,心配し、応援していた恋人も,彼女から離れるという。
偶然が重なり、本来なら第一秘書しか同行できないパリでのショーに、アンドレアが抜擢された。そこでミランダは危機に合う。アンドレアは、あれほど自分を苦しめた上司のために、必死になって彼女に警告をする。

様々なことを考えさせられる映画である。
まず、女性社会の上下関係と、嫉妬。男性にも勿論あるのだが、おそらく女性にしか分からない何かがあるものと思う。
アン・ハサウェイ演じるアンドレアは、生来の美貌はともかく、服に頓着がない。それが、ミランダの憶えを良くするために、劇的に変わる。
勿論、素の美貌がないと、こうはならない。そういったファッション面での楽しみも見所の一つ。
また、無茶振りばかりしてハードルあげまくる上司と、それに翻弄される部下という構図は、いたたまれないものを感じた。2つ前の記事に書いたとおりである。これが我が社の現状で、ミランダのようなカリスマではない上司が、そういう無茶振りをして来るという話をかなり見聞きする。その結果、病んでしまったヒトも多く知っている。この映画では、ハードなミッションはエンターテインとして描かれており、現実の生々しさを捨象しているので、まだ観ていられるが、演出によっては視聴を続けられなかったかもしれない。

さて、今回の本題は「タイトル」である。
プラダを着た悪魔とは、誰か。何が「悪魔」なのか。
鬼編集長・ミランダが「悪魔」か。そうとも言えるだろう。
ジャーナリストへの人脈作りを目的に、偶然飛び込んだ畑違いの「ファッション界」において、変貌を遂げざるを得ない「夢魔」の様に魅惑的なアンドレアか。
そうとも言えるだろう。
しかし、私の見立ては違う。これは、キリスト教圏のヒトでないとわかりにくい感性だと思う。この映画に付された「Devil」の意味は。

キリスト教における悪魔、或いは悪霊は「誘惑する者」である。ヒトを欲望に縛り付けようとし、信仰に自らを捧げ、禁欲することを止めるよう、あの手この手で迫って来る。
イエスの40日間の荒野放浪のエピソードを思い出すといいだろう。荒野の中、空腹に堪えかね、イエスは幻覚を見る。悪魔が「自分に魂を売れ。そうすればこの石をパンに変えることも出来る」と。
ラストシーン、ミランダはアンドレアに語る。「私とあなたは、同じよ。」と。そして「私達は、世界中の女性の憧れなの」と。
これは、部下に苛烈なハードルを課すミランダが、アンドレアを認めた瞬間である。望んで入った世界でも、ジャーナリストへのステップであったとしても、いずれにせよ最大限の成功を、彼女はその努力で、手にした。その瞬間である。
そこで、アンドレアはようやく気づく。自らがファッション界という「悪魔」に魅入られ、誘惑されていたことに。
それは、本来の自分を見失っていたことに。父や友人や恋人が警告してくれていたように。彼女は「なりたい訳じゃないセレブ」に、半ば「なってしまって」いた。
ジャーナリズムは、事実を冷徹にレポートするところから始まる。産業としての欲望はあれど、基本的には禁欲的、抑制的な仕事だ。
他方ファッション界は「美」が最優先である「真・善・美」のうち「美」はおそらく最も「快楽」に近い。しかしそれが「世界中の憧れ」であり「一大産業」であり、そのトップになるということがいかに「激烈な競争に打ち克つ必要があるか」。現代アメリカの価値観をもってしても、それほどの世界に食らいついていくのは「正気じゃない」とまで思われている。
だから、ここで描かれるファッション界は、世の女性の快楽を刺激し、誘惑して已まない「美しい悪魔」として描かれる。褒め言葉と皮肉の両方を纏いながら、それでも魅惑的なものとして。
それが、「プラダを着た悪魔」の、正体だ。この業界自身の有り様、現代社会の有り様そのものが「悪魔」的に、皆を誘惑しているのである。
ヒロイン・アンドレアは、そのことに気づいた。それまでは「社畜」的にひたすら頑張って来ただけだが、いつの間にか「悪魔」に魅入られていたのだ、ということに。
そのことに気づいて以降の、彼女の物語の帰趨は、控えたい。しかし、佳作といってよい内容だった。華やかさだけでない、様々な要素を織り込んだ「ドラマ」があった。本質的な悪人が一人として登場しないのも、良い。


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私的脱社畜論、あるいは脱社畜できない我が身への呪い。

2013-12-25 00:03:24 | 仕事
我が社はどちらかというと「親方日の丸」的な会社であるが、それでも、労働福祉的な面が充実しているとは言えない。
具体的に言うと、できるヒトに仕事が集中する。それが全く改善されず、拡大再生産される。
他方、できないヒトややる気のないヒトは、疎んじられ、相応の「外れクジポスト」を回り、碌に仕事をしない。
古い言い方をすれば「窓際族」というヤツである。
困るのは、その地位に安閑とし、仕事はしないが給料だけは貰っていっかな恥じない、というタイプを一定数抱え込むことになる点である。
フツーの会社なら堪り兼ねて自主退職するような冷遇でも、彼らは全く気にしない。
ひどいのになると、ゴマスリだけして仕事と責任は投げ出している「愛嬌のない植木等」タイプになる。こういうヒトは、仕事をしなくても上の感情を害さずに居るので、なんとなくそれなりに評価されているようなポジションを回ってしまう。
こういうヒトの部下になると、たまったものではない。「自分は仕事をせずによい」「すべて部下にやらせればよい」「仕事を覚える気もない」というスタンスを隠しもせず、日中は新聞を手に情報収集を気取るか、若しくは上司の機嫌取りに終始し、時間がくればとっとと退社する。「それでいい」と、本気で思っている。
こういった社員の有様が、長い勤務年数の一時であるならまだしも、常態であるとなれば、働き手としては無駄銭ということにしかならないが、それでも解雇はされない。
ゴマスリタイプなら尚更、上司の覚えだけはいいので、どんなに仕事をしていなくても評価は下がらない。
それすらしないようなヒトでも、いざ解雇をするとなれば、実は次に、それを決断したヒトの責任が問われることになる。そして、決断すべき立場のヒトは、それを嫌う。
つまり、人事管理の責任者にしてみれば「問題を先送りしておこう」という判断に傾きがちになる。結果、こういう「評価は気にしない。椅子を尻で磨いているだけで給料が貰えるならそれでいい」というヒトが減らないということになる。

他方、「できないヒト」の中には、うつ的に、あるいは統合失調症的に、もう日中ぼんやりとしかしていないとか、ひどいといつの間にか居眠りしているとかいう場合がある。
私も鬱で苦しんでいるので、一歩間違えばいつでもそちら側に行きかねない。ヒトゴトではない。
ただ、こういうタイプにも二通りあって、本当に苦しみ、仕事ができないことを申し訳なく思って、治療を粛々と(鬱のヒトは「頑張ってはいけない」ので)するヒトと、病気と怠惰の区別が最早つかなくなってしまったようなタイプのヒトに、分かれる。
これは残念ながら、労働福祉制度上の観点により、現状、どちらのタイプであっても、よほど酷くない限り解雇の対象にはならない。
そのことだけをもってすれば、むしろ我が社の「労働福祉面は手厚い」ということになるのかもしれない。私自身も鬱持ちである以上、私欲を優先すれば厳しい人事管理は困る。たぶん、ご同様に考えるヒトが上にも居られるため、こういう部分も温存されてしまう。
ところが、その負の側面がある。結果、上記の一見「手厚い」労働福祉は、全体としてその効果が相殺されてしまい、むしろ、負の側面が大きくなる。詳しくは後述する。
であるから、俯瞰的に見れば、上記二通りがある程度区別出来る以上、その線引きは常に考えておくべきなのが、本来あるべき姿であろう。
すなわち、ちゃんと仕事に責任感を持っているヒト、治療を真面目にやっているヒト、そういうヒトは残しておき、そうでない「怠惰と区別がつかなくなった」ヒトは、辞めていただけるような制度設計なり人事管理なりを、早急に実現すべきである。
もっとも、私見を述べれば、我が社の場合、精神系トラブルの大半は職場の理不尽が原因にあるように見える(私自身について言えば、半分はそれだが、半分は異なる)。どちらかといえば、職場の理不尽改善を優先すべきだ。さすればサボリはともかく、傷病系の問題は改善に向かうはずであるし、何より人事管理者だって評価を下げることがない。
なぜそうならないのかは、謎だ。というか「問題だ」という意識がないのかもしれない。何せ、尻で椅子を磨くだけでも給料が貰えているヒトが現に居るのだ。自分がそうなりたいとか、自分がそう看做されるのは嫌だが仕事は増やしたくないという場合は、そういったことを「問題視しない」というバイアスがかかっておかしくない。我が社という部分社会における適者生存が起こった結果、そうなっているのかもしれない。

さて、病理発生の原因たる「理不尽」の一つが、冒頭に述べた「できるヒトに仕事が集中する」という事態である。
「できるから」というだけで安易に「できないヒトの分の仕事」も負わされる。仕方ないからと、できるヒトはしゃかりきに仕事をやってしまう、あるいはやらされてしまう。無論、やった分だけの正規の労働報酬は出ない。本人が空気を読むのと、単に部門に金がないのと両方で。
結果、いつしかできるヒトは、その限界を超え、心身に不調を来す。そうして、優秀なヒトも磨り減っていってしまう。ひどくなると、できる人は大抵マジメなのであり、真面目な分だけ自己の状況に耐えきれず、自責の念に駆られて自主退職してしまったり、自死を選んでしまったりする。
それでも上は「人事管理者たる自分の評価が下がる」ことを近視眼的に恐れるばかりで、こういった悪い傾向を改善しようとしない。ひたすらに、そういった最悪解に「自分が当たらない」事を祈るだけだったりする。更には、万が一そういう事態に至っても、別に反省もせず改善もせずボヤくのみでありもする。そうして今度は、次に出来るヒトに仕事が回っていくだけである。

あるいは、そういった修羅場をくぐった「できるヒト」が、幸いにして「やりこなせてしまった」場合どうなるか。
今度は、何時しか怨嗟を抱えるようになる。「俺はあんなに酷い仕事を押し付けられ、でもこなしてきた。お前らだってできるだろう、いや、俺と同等には苦労して当たり前だ」とばかりに、自分が地位を得ると、今度は、自覚してかせずしてか、部下に理不尽を強いる上司に変貌してしまう。
そういう上司に当たった部下は壊れ・・・以下同文と、負のスパイラルが続くようになる。
そうやって、何時まで経っても、こういった傾向は、改善されずに残る。劣性遺伝が続いてしまうのである。
これが、手厚い労働福祉を「相殺」してしまう。
むしろ負の側面が大きくなる理由である。
考えるだけで気が滅入る。
しかも今の私には、鬱の所為で気が滅入るのか、事実だから気が滅入るのか、最早区別がつかない。

私自身は、仕事に関する問題意識は高いつもりだ。ただ、個人的なコネクションや飲み会的な非公式な場を通じて築き上げた、横の関係というものがない。
したがって、例えば知り合いの感情に訴えて助けを乞うような解決手段は、持ち合わせていない。そういうコネのあるヒトと比べると、与えられた課題への対応は遅くなりがちである。つまり私は「できない」タイプに属するといえる。
ただし、そのかわり私は、ほとんどの課題を独力で解決するノウハウだけは、蓄積している(自慢げに書くことではない。要するにそれが自分にとって一番楽だからそうしているだけである。昼行灯は伊達じゃない)。
その方法も、別にどうということはない。単純に、問題を冷静かつ客観的に分析し、最短の方法でゴールにたどり着くやり方を提案するだけだ。それもできるだけ「身も蓋もなく」である。
言ってみれば、ここに書いているような類のことだ。誰もが内心思ってはいるが、言葉にしない、できないでいるようなことを、私は意識的に「言語化」するようにしている。
しかも私は割合、職場でもオブラートにくるみつつ、こういった「身も蓋もない話」を口にしてしまう。なぜなら、そこから目を背けていては問題解決にならないからである。問題解決にならなければ、私の仕事は片付かないのだ。それは、私も困るし、たぶん私にあてがわれた業務に関わるヒトも困る。だから私は、分かっていても、私流で身も蓋もなく、日々残業をして、どうにかこうにかあてがわれた業務をやっている(やれているかどうかは、知らない)。
とはいえ、そういった頭でっかちの議論は、親方日の丸的な我が社では、好まれない。
結果、上司が私に抱く印象は、悪くなりがちである。特に「横の関係」こそを重視するような「体育会系のヒト」にとっては尚更覚えが悪いであろう。
仕事をやったか否かにかかわらず。

まあ、もっとも私が何か提案したところで、私に部下が居るわけではないから「じゃあお前がやれ」という話になってしまう。
果然、自分がやりやすく、効率が良く、かつ仕事の質も一定を保てる方法を、一層「自己実践」する羽目になる。
そうすると、実のところ、それなりに仕事はこなせてしまう。特に最近は鬱からの回復基調にあるので、尚更、やれてしまう度合いが高い。
そうした結果、私の立場はどうなるか。
まず、私は「できないヒト」なのに、仕事は集中するというパラドックスが起きる。
しかも一向に減らない。
それでいてなおかつ、上司の覚えは宜しくないので、評価は低いという状態になる。

理不尽極まる。
私の「努力すればするほど事態が悪化する」状況の、一例がこれだ。

別に高評価は要らない。
ただ、適正な業務量にして欲しい。
締切が重なっている仕事をぽんぽん投げて寄越すのは、いいかげんにしてほしい。
頼むから遠眼鏡を持っておくれ。実際、回ってないやん、うちらの仕事。
たぶんその半分以上は、きちんと組織内の仕事分担を考えずに、私に締切重複の仕事を複数あてがっているせいだよ。
年末年始どうすんのよ、いやマジで。
病院に行く暇もありゃしないよ。やってらんない。

ってか、ボヤいてる位なら退職すべきだよなあ。好きでやってる仕事じゃないし。
そう出来ないのは、結局「俺が悪い」のだ。鬱。
そんな2013年のクリスマス。

(次回記事は楽しいものにする予定です)
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本厄納め

2013-01-05 13:01:33 | 仕事
昨年は本厄だったのだが、その前年の震災とか、まあ他にもいろいろ(これとかこれとかこれとか)あって、ここ数年厄まくりみたいな感じだったので、特に意識したことはない。
勿論宗教学徒の私は、厄払いなどということはしない。ただ、いかにも厄年っぽいことを当てはめて面白がるだけである。
聖地巡礼後の高熱もそれに当たるかもしれない。40度を超える高熱が丸二日続いた。その後、弱った身体に後遺症が襲い、結果半月くらい仕事を休む羽目になった。
あれは酷かった。

そんな私に訪れた、昨年最大の凶事。

この週で年内の仕事が終わるという時。私はとある担当行事の準備に専念していた。
その他にもこなさなければいけない大仕事はいくつも抱えているのだが、年内はこの行事関係に専念し、他の業務は放置する事に決めていた。
前日までに綿密に資料を準備し、関係者への連絡を怠らず、当日の案内表示も完備。
前日は少し早めの21時半に退社し、翌日に備えた。
就寝し、翌朝目が醒める夢うつつの時に、案内表示の中で南北の表示を間違えていたものがあったことに気づく。
出社後、早速当該表示を修正。行事は午後からなので、一息ついてすべての資料を確認してから、案内表示を貼りに建物内を巡った。
1階玄関ロビーで案内表示を貼っているとき、スラックスのお尻の部分が破れた。
そのときは、「まさかスラックスが破れたわけじゃないだろう。中の下着だろうか」などと思い、そのまま作業続行。
そんなことをしているうちに破れは広がっていった。

ひとしきり作業を終えた後、化粧室にて事実を確認。
しかし、午後からの行事本番が迫っている。着替えに帰ったりしている時間はない。
やむを得ず、黒いスラックスの破れた部分に裏から黒い製本テープを貼り、これ以上破れが目立たないようにする。
幸いというか、破れた箇所が深い部分だったので、足を閉じ気味にして、背広を着ていればそれほど目立たない。
こうして、来訪者に対応し、ひとしきりの行事を終えた。ときに15時30分。予定より1時間早い終了であった。
本当はすぐに帰宅したかったのだが、周りが私以上に残業ずくめの職場なので帰りづらく,結局22時まで残業していた。
(それでも早い方で、23時越えが当たり前である。なんだこの職場)

「どうしても外せない日に限って、ズボンが破れる」なんでこの日に限って?
これが昨年の厄納め。
今年はこんなことないといいけど、って、後厄か。はあ。
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結構変わるもの

2012-01-29 23:48:52 | 仕事
仕事上の不調がずーっと続いていたのですが、心療内科受診を考えたのが5年前。
その時には元妻に「旦那が心療内科にかかってる等と知れると、世間体が悪いからやめろ」と反対され断念。
その後色々あり、ここ2~3年、結構な努力を要することと、結果的にことの始めからそれを全否定するような出来事があり、仕事にますます集中出来ない状態になりました。
人生が虚無的だと悟っているような人間は、やっぱり仕事になんて集中できません。だって、それをする意味が見出せないのですから。
ただ、仕事やめて一人でなるようになりゃいいかというと、そうもいかない事情もあり。
それで「人生が虚無的なのは変わらないので、とりあえず仕事時間だけは仕事進められないといけない」と思い、ようやく受診。
今は数種類の抗うつ、抗不安薬を飲んでいます。
薬を飲み始めると、不思議なもので、仕事効率は上がりました。最大時100とすると、今まで20だったのが60くらいにはなりました。
ただし、「仕事が進んでない不安」とかを考えなくなっただけかもしれません。つまり、気のせいなのかもしれない。
そのかわり、はっきりと変わったことがあります。本来、特に職場では寡黙な自分が、結構雑談に混ざるようになりました。
これは劇的です。自分でも驚いています。

ところで、私が虚無的なのは実は昔からで、今に始まったことではないのです。元妻との出会いをピークにいろいろあって、しばらくそうではなくなっていただけで。
だから、今の状態は、人格が幼さを取り戻している、つまり逆行してしまっているのかもしれません。
それはともかく、仕事は進むようになったのですが「人生が楽しいと思えない」のは相変わらずです。
「虚無的だ」と思い至った「真実」が変わらないのですから、それはもう仕方ないとしか言えないのですが。
なかなかつらいです、仕事も人生も。
いまも、これから持ち帰り残業をしようか、寝ようか、迷っているところです。休日も仕事ってのはきついですね。本当。


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また風邪ひいた。

2008-11-09 15:36:14 | 仕事
1ヶ月ぶり2度目。
ちょっと外に出て、坂を上り下りする用事があって、忘れ物したために2往復するはめになった。
秋だというのに結構汗をかき、用事を済ませ、遅い昼食をマックで摂った。
職場に帰り、残業をして10時ごろバスに乗る。家が近づいてきた頃、やけに鼻の奥が痒い。
翌日、雑用のために妻と外出したが、夕方、とうとう倒れた。
リビングのソファに横になる。ペットの世話は妻に任せた。
相当睡眠を取った筈なのに、熱がどんどん上がる。
今日も1日寝ていることになるのだろう。

さて、今週火曜日、仕事で納得できないことがあり、上司らと議論した。
その夜はストレスで眠れなかった。そのあたりから免疫力が落ちたのだろうか、と思う。
その仕事も佳境で、本来、休める状況にない。が、どうなるか。

頑張って仕事をこなし,風邪を引く。
家庭サービスが出来なくなり、妻に迷惑をかける。
これでは意味が無い。

私の仕事量は、「私にしては」働き過ぎの部類に入る。昨年から上司には事あるごとに訴えているが、改善はされない。
昨年の上司はまだ理解があったが、今年の上司は今年の状態しか見ていないから、それで当然と思っているようだ。
結果、健康を害したりしている状況だ。
もっとも、私の仕事能力は高くない。むしろ『著しく低い』のかもしれない。だから過剰だと感じているのだとすれば、あまり声高に言えた話でもない。

パソコンに向かっていたら、また熱が上がってきた。寝るとしよう。
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休暇。

2008-03-12 12:27:44 | 仕事
仕事を休んで、パソコンで音楽を聴きながら、これを書いている。
朝は近所の診療所に行き、薬を貰って来た。
それから、食材を買い、帰宅し、調理し、遅い朝食と、服薬。

こちらもすっかり春めき、空気はひんやりしているが、日差しははじけるような黄色。
元気なら、このままドライブに行きたいくらい。

しかし、寝ていないと。ああ。

(シゴトノコトハ、カンガエナイ、カンガエナイ・・・)

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