タイトルの本を入手し読んでいる最中である。
8年半前、自宅に帰り、いつものようにネットブラウズをしていたか、TVニュースを見ていた。「プロレスラー試合中に心肺停止 広島」という見出しを目にし「どこのインディーレスラーだろう」と思ったのを覚えている。
それがまさか、あの「三沢光晴」だなどとは夢にも思わなかった。
今、読んでいるのは前半、事故当日のドキュメントである。その日、何が起こったか、医学的にどのような判断が行われたのか。それが書いてある。
受け身の天才と評された選手が、その受け身を失敗したのではなく、それでも死んだ。
しかも、46歳という年齢は、力が衰える年齢ではあるものの、プロレスラーとしては第一線で活躍しておかしくない年齢である。
46歳。今自分がその年齢になった。
三沢光晴は、トップレスラーとして、社長として、この瞬間まで生きていた。
それは苦闘の連続であったはずで、このときも苦境の真っ只中だったであろう。
こんな形で、苦闘に幕を引くとは、思っていなかったはずだ。
色んな事を考える。
プロレスラー三沢光晴を最も間近で目撃したのは、多分、大学卒業後のいつかだ。
その日、宮城県スポーツセンターで「世界最強タッグリーグ戦」の試合が行われる。私は、大学、そして試合会場からほど近い「仙台模型」に入った。そこにひときわ大柄な男性が居た。よく見ると三沢光晴その人であった。
三沢光晴に模型趣味があることは知っていた。その年代の男性の多くがそうであったはずだ。私は、三沢に声を掛ける事はできず、店を後にした。
その後、彼は社長レスラーとして日本のプロレス界を牽引する。力道山、馬場、猪木、前田、天龍などの先輩レスラーと同じく。あるいはそれ以上の足跡を残した。そして、それほどの不世出のレスラーが、トップ選手として活躍している最中に、試合で、落命するという恐るべき事実。
試合中の事故で落命したレスラーは他にも居るが、トップ中のトップがそうなるという事例はなかった。その後も起きていない。
この事故は、日本プロレス界最大の悲劇であり続けるだろう。
人生はほんとうにそれぞれである。それぞれがそれぞれの人生を引き受けて生きるしかないのだ。それ以外、何が出来るというのだ。