「中西準子のホームページ」から引用。
B. 損害賠償請求事件(松井三郎さんによる):研究者の自己認識
松井さんが06年4月14日に出した(甲)準備書面(3)に、以下のような文章がある。
“こうした状況下にあって、「環境ホルモン問題は大した問題ではない」という意見から、「未解明なことは数多くあるが、人間や野生生物にとって看過できない重大な課題である」という意見まで、専門家の間でも大きく意見が対立している。
(中略:tokiによる)原告をはじめ環境ホルモン研究者の多くは、むしろ後者の立場に立っている。”
環境ホルモン研究者の多くは、環境ホルモンが重要だと思っているという文章を読んで、私は呆れかえってしまった。
何て、自己認識の欠如した文章だろうと。しかし、待てよと、次に思ったのは、松井さんだけではなく、かなりの日本人研究者が、このような内容の文章が説得力を持つと思っているのではないか、つまり、自己認識ができていないのではないかということだった。
“「環境ホルモン研究者の多く」が、環境ホルモン問題が重大だと思っている”ということが、自己の正当性を主張する根拠になると考えることが、おかしいのである。
何故なら、重大だと思うから研究しているのであり、また、重大だと主張することが自己の研究費の獲得にもつながるから、環境ホルモン研究者だけが集まれば、「重大だ」と主張しがちなのである。環境ホルモン研究者だけが集まればそうなりやすいということを自覚し(つまり、それで利益を受ける集団であることを自覚し)、どのように他の専門家や国民に分かって貰えるか考え、できるだけ客観的に説明できる材料を揃え、最終的には外部の人の判断に従うしかない。
(中略:tokiによる)最近、一般の人が研究者と研究費の関係を知るようになってきた。「研究者は、研究したければできるのではなく、研究費を獲得しなければ研究ができないのですね。」と感じ入ったように言った人がいた。学者が自己認識を獲得するより前に、周囲の人の方がからくりを理解してしまいそうである。
(引用ここまで)
要するに、自省し、自制せよということですな。このへん、下の「尊属殺/昼行灯の犯罪」にも、あてはまりそう。
B. 損害賠償請求事件(松井三郎さんによる):研究者の自己認識
松井さんが06年4月14日に出した(甲)準備書面(3)に、以下のような文章がある。
“こうした状況下にあって、「環境ホルモン問題は大した問題ではない」という意見から、「未解明なことは数多くあるが、人間や野生生物にとって看過できない重大な課題である」という意見まで、専門家の間でも大きく意見が対立している。
(中略:tokiによる)原告をはじめ環境ホルモン研究者の多くは、むしろ後者の立場に立っている。”
環境ホルモン研究者の多くは、環境ホルモンが重要だと思っているという文章を読んで、私は呆れかえってしまった。
何て、自己認識の欠如した文章だろうと。しかし、待てよと、次に思ったのは、松井さんだけではなく、かなりの日本人研究者が、このような内容の文章が説得力を持つと思っているのではないか、つまり、自己認識ができていないのではないかということだった。
“「環境ホルモン研究者の多く」が、環境ホルモン問題が重大だと思っている”ということが、自己の正当性を主張する根拠になると考えることが、おかしいのである。
何故なら、重大だと思うから研究しているのであり、また、重大だと主張することが自己の研究費の獲得にもつながるから、環境ホルモン研究者だけが集まれば、「重大だ」と主張しがちなのである。環境ホルモン研究者だけが集まればそうなりやすいということを自覚し(つまり、それで利益を受ける集団であることを自覚し)、どのように他の専門家や国民に分かって貰えるか考え、できるだけ客観的に説明できる材料を揃え、最終的には外部の人の判断に従うしかない。
(中略:tokiによる)最近、一般の人が研究者と研究費の関係を知るようになってきた。「研究者は、研究したければできるのではなく、研究費を獲得しなければ研究ができないのですね。」と感じ入ったように言った人がいた。学者が自己認識を獲得するより前に、周囲の人の方がからくりを理解してしまいそうである。
(引用ここまで)
要するに、自省し、自制せよということですな。このへん、下の「尊属殺/昼行灯の犯罪」にも、あてはまりそう。