昼行灯(だった)トキの大雑把なひとりごと

クレヨンしんちゃんよりもユルく生きていた(当面過去系)私の備忘録と、大雑把なひとりごと。時々細かく語ることも。

大晦日ですな。

2006-12-31 02:34:46 | ものおもい
 今年は積雪もなく穏やかな暮れです。
 さて、昨年は父の死というおおごとがありましたが、今年はどうだっただろう・・・などと思い、私的重大ニュース2006なんぞを考えてみようかと思い立ちました。







 ・・・何も思いつきませなんだ。





 まあ、平穏無事が何よりということで。
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ふたたび『砂漠』

2006-12-28 22:11:19 | 読書
 書き忘れていたことがある。
 これまで読んだ伊坂作品では、問題の解決は非日常が担っていた事が多い。
 『砂漠』は、そうではない。事件(問題)自体がミステリに比べて小規模だということもあるが、本作で『非日常的な解決』にこだわる西嶋の役割は、そこにはない。むしろ彼のそういう「主義・主張」が、その意図とは異なる形で力を発揮する。仲間の力を借りて。
 また、非日常性を担うもう一人の南は、徹底して「明るくも控え目」な性格として描かれる。彼女もまた「自分だけ」では、問題解決をするキャラクターにはなれない。
 ならば本作ではどうなっているのか。この作品では、問題を起こすのも解決するのも彼ら自身だ。無論、意識的であれ無意識的であれ、つるんでいる仲間の影響、助け、励ましがあってのことだ。そこに、これまでのような「解決を非日常に委ねざるをえない」というペシミスティックな構図は見られない。
 それは、作者の大学生活を反映しているからなのか、作家としての構成の故か。
 いずれにせよ、そうでなければ面白くないのだ。そのストレートさだけは、変わらない。
 
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環境ホルモン濫訴事件:陳述書に見える価値観

2006-12-27 01:43:56 | 裁判
 「環境ホルモン濫訴事件:中西応援団」で、新たな書証等がUPされていました。
 今回取り上げるのは、原告が証人申請していた熊本県立大学環境共生学部・食環境安全性学講座の教授である有薗光司さんの陳述書です。
 なお、 裁判所は本陳述書の提出を受け、人証の必要はないと判断しています。
  有薗さんがどのような方かは全く存じ上げないのですが、少しこの陳述書を検討してみようと想います。
(全文はこちら→甲23号証 )

 原告側の証人(予定)ですから勿論、内容は原告の主張に沿ったものになっています。大きくは3点。
1)被告雑感は事実ではない。
2)被告雑感の記述によって、原告の名誉は毀損される。理由は、シンポ会場には中西雑感の記述により原告に失望するであろう立場の研究者も多かったからである。
3)原告のプレゼンテーションは、環境ホルモン研究者にとってはよく分かりかつ興味深いものであった。

 以下、私が気になった点を、原文を引用しながら記載します。

4 このセッションで座長を努めた中西準子氏は、松井氏が研究代表者だった文部科学省科学研究補助金特定領域研究(1)「内分泌撹乱物質の環境リスク」の公募研究の審査委員(主査)をしており、私もこの特定領域研究に加わって研究を続けてきました。この研究は9億円もの補助金を使った大変重要なものでした。
 中西氏は、ダイオキシン問題は空騒ぎだったという文章も書き、また環境ホルモン問題についても、マスコミや一部の学者が誤った情報を流したなどと主張しておられる方ですが、それでも上記研究の審査委員(主査)を勤められたのです。私はその中西氏が、上記セッションのはじめに「私自身は環境ホルモンやダイオキシンなど内分泌攪乱化学物質に関してそれほど詳しい人問ではありませんし一一」と述ベセッションを始められたので、おかしな発言をするものだと違和感を覚えて』いました。


中西さんの専門は環境リスク学である、とすれば、例えば化学物質の内分泌かく乱作用だけを研究している訳ではないのですから「それほど詳しい人間ではない」旨の発言も特に違和感はないように思います。逆に、「詳しい」と言われるためにはどれだけの経験なり実績なりが必要なのか、という点についての認識のずれの問題ではないかという気がします。おそらく、中西さんが「詳しい」と言うためのハードルはかなり高めなのでしょう。

5 セッションの中で松井氏はただ一人の環境ホルモン問題専門家として、リスクコミュニケーションの前提となるリスクについてご自分の研究成果を発表しました。特に松井氏の研究室が解明したインディルビン、インディゴの代謝についての説明は非常に興味深いものでした。会揚でも、もともと環境ホルモンの研究者向けの国際会議ですので環境ホルモン問題についてバックグラウンドのある参加者(研究者)には、松井氏の発表はスムースに飲み込まれたはずです。

 いち素人の私にはここが分からない。インディルビン、インディゴの代謝に関する説明は、なぜ興味を惹くのでしょうか。というより、原告は準備書面等で、「人体内でインディルビン、インディゴが産生されていることを世界で初めて発見した」と、その実績をことさら強調しているのですが、これは専門家からすれば「凄い事」なのでしょうか、という疑問です。

最後に述べた「インディルビン研究及びダイオキシンを中心とした環境ホルモン研究で得られた成果を生かす(松井氏の)次のチャレンジはナノ粒子です。」という趣旨の一言を「環境ホルモン間題は終わった。」という趣旨だと理解したのは間題です。松井氏の発言を全部理解すれば、松井氏がみつけたインディルビン・インディゴ研究の成果をナノ研究へも応用できるという趣旨であることは当然理解できたはずです。

 これは本当かな?テープ反訳をもういちど確認してみましょう。

もう一つ、最後になりますけど、我々は予防的にどうやって次の問題に比べるのか、今回学んだ環境ホルモンの研究はどうやって生かせるのか。私は次のチャレンジはナノ粒子だと思っています。ご存知のようにナノテクノロジーがこれからどんどん進展します。私はそのこと自身は非常に重要と思います。人類が地球上で生存するために大変重要な技術とおもいます。しかし、ここに書いてあるようにナノ粒子の使い方を間違えると新しい環境汚染になる。我々はこのナノ粒子の問題にどのように対応できるかが一つのチャレンジだと思っています。時間が来たのでここまでにします。

どうでしょう。ナノ粒子についての言及はここだけです。ここで示された京都新聞の見出しは「ナノ粒子 脳に蓄積」というものです。スライドには本文も映ってはいたでしょうが、中西さんには見えなかったとのことです。聴衆にもどれだけ見えたでしょうか。

つまり、ナノ粒子の話を出す前には、確かにインディゴ、インディルビンの(というかダイオキシンの)解毒機構の話をしています。そして、話の流れ上、それが「細胞内に蓄積するから問題なのだ」という趣旨の発言である必要があります。
再びテープ反訳から該当箇所を探すと、以下のものがそれに該当しそうです。

インディルビンとTCDDとほとんど同じ領域の遺伝子を動かしている。いったいどこに毒性の差があるのかということになってきたんですけど、TCDDはなかなか体内から出て行かない、しかし、インデルディンはすみやかにOHラジカル、CYPが動いてそれ自身がインディルビンに作用してOH基が勝つことによって、その次にサルフェイという芳香体が出来てすぐにおしっこから出てくる。その差に大きな点が出てきたわけです。

「TCDDはなかなか体内から出て行かない(から毒性の差がある)」+「ナノ粒子 脳に蓄積」→「蓄積することが共通だ」
だから、
「松井氏がみつけたインディルビン・インディゴ研究の成果をナノ研究へも応用できるという趣旨であることは当然理解できたはずです」
ということになるようです。

私の疑問は
「これだけの情報源で、当日プレゼンを見聞しただけでここまで理解できるものだろうか?」
「よしんば専門家なら理解出来たとしても、『リスクコミュニケーション』をテーマとしたセッションで、そういうレベルのプレゼンをするのはあまりに不親切ではないか?」
というものです。
そして、中西さんが問題にしているのは、まさしく上記2点目のことのはずです。

ですから、ちょっと飛びますが、有薗さんが、
松井氏が新聞記事を示したことは事実ですが、ナノ粒子をきちんと管理しないと新たな環境汚染を引き起こす、だからインディルビン・インディゴ研究の成果を利用して、これからナノ粒子の評価にチャレンジしようと思っているとの趣旨で発言されたと思います。ナノ粒子の科学的評価が必要であることは中西民にも異論はないはずです。当日、松井氏は原著書論文の趣旨を説明する時間的ゆとりがなかった可能性もあります(実際にナノ粒子のところは時間切れで終わっていると思います)から、松井氏が新聞記事だけでナノの有害性を主張したととられる趣旨の文章をホームページに記載したのは不適切であったと思います。
と述べているのはどうかと思う訳です。
 まず、「ナノ粒子をきちんと管理しないと新たな環境汚染を引き起こす」ことが確実かどうかが分かっていないのが現状でしょう。だからこそリスク評価をしなければならないのであって、つまり、ここでは、分からない事は「分からない」と言うべきなのではないでしょうか。なぜ「ナノ粒子の科学的評価が必要」であることと「ナノ粒子をきちんと管理しないと新たな環境汚染を引き起こす」ということが等価で言われなければならないのか。
もう一度テープ反訳を引用すると、

しかし、ここに書いてあるようにナノ粒子の使い方を間違えると新しい環境汚染になる。

と言っている訳です。私にはここの部分、「新聞記事はナノ粒子が環境汚染を起こすと書いてあり、かつそれは真実だ」と言っているようにしか聞こえません。もちろん、上記には原論文についての言及はありません。そして、ここでの中西さんの指摘は、「原論文を松井さんが読んでいるか読んでいないか」を問題にしている訳ではなく、「新聞記事を引用して発表するなら、少なくとも記事のもとになった論文に基づいた発言をしないと、誤解を招くことになるのではないか、それは本シンポのテーマの『悪い見本』ではないか」ということであると思われます。
また、有薗さんは「松井氏が新聞記事だけでナノの有害性を主張したととられる趣旨の文章をホームページに記載したのは不適切であったと思います」と述べているわけですが、反訳を見る限り、松井さんはナノの有害性については新聞記事だけで主張しています。「毒性の作用機序の要素のうち『排出が遅い』ことが重要であり、ダイオキシンとナノ粒子はそこに共通点があるかもしれない」という主張は、特に「ナノ粒子に関する」研究データや論文に基づいて発言されている訳ではないのですから。

最後に、

3) 松井氏は、前記公募研究グループのリーダーで、この研究に加わった研究者は総数300人位に昇ります。中には松井氏を直接知らない人もいます。こういう人達は、役に立たないと言われ続け、研究費がなかなか出ない地味な基礎研究をコツコツ続けてきたのです。そしてこのグループ研究に参加して、自分たちの基礎研究が環境ホルモン問題の解明に役立ったということを知り、喜びと誇りを感じていたはずです。


ここまではまあいいでしょう、しかし、


 そういう人たちが、中西氏のホームページを読んでその内容を信じたら、「松井氏は何という人だ。9億円もらって自分たちを利用しただけなのか!時流に乗って金がつく間だけやり、金がつかなくなったらすぐ次の問題に移ってしまう人なのか!」と思うことは明らかです。また「松井氏が原論文も読まず、新聞報道だけで問題提起するような底の浅い人なのか!」と思い・松井氏に対する信頼感、尊敬の念を失い、自分たちの研究に対する熱意さえ失うことになりかねません。


 このように続くと、なんだかおかしな話になるような気がします。なぜなら、松井さんがどんな人であれ、自分達の研究が環境ホルモン問題の解明に役立ったと言う事実は変わらないのだから、その喜びが左右される事も特段ないはずだからです。つまり、前段と後段で因果関係が成立していない。

ところで、ここで見られる「研究グループのリーダー像」って、何なのでしょうね。
 素直に読むと「研究者というものは、自らの研究テーマそれ自体ではなく、そのテーマを掲げたリーダーへの信頼感や尊敬の念で研究意欲を抱いている」という風にしか読めないのですが。
そんなことってあるの?そんな訳はないでしょう!
 それでは、「松井さんは自分の研究に予算を付けて脚光を浴びせてくれたから尊敬する」っていうのが、研究者の価値観だ、ということになってしまう。
 研究とは、そんな人間関係のみで意欲が左右されるものではないでしょう。本人が重要なテーマだと思えば、松井さんに頼らずとも自分で何とか予算の都合をつけて研究を継続しようとするものなのではないですかね?

 私は、外野の勝手な意見かもしれませんが、研究者が研究を、研究者を評価するときは、その「研究内容」に依っていただきたいと思います。ここで述べられている見解は「研究者社会における研究者の評価は、その研究者の人物像で左右され、研究内容や研究実績は考慮されない」という意味に取れて仕方が無い。そういう要素が入る事は否定しませんが、本来、それが全てではない筈です。

(追記)
中西さんの人証の調書がUPされていました。
ダイオキシンの毒性機構とナノ粒子の毒性機構との関連性については、「ナノ粒子はサイズに起因する毒性が疑われるのであって、ダイオキシンの細胞内での動きと共通性があるとは思えない。だから、当日のプレゼンで両者の関連が分かるということはなかったし、法廷で出された説明を聞いても『それは違う』という意見」と、一刀両断です。言われてみれば確かにそのとおりで、「蓄積」という言葉からの連想は、まあ着想としてはいい・・・といったところでしょうか。ここは、松井さんの研究成果に期待しましょう。是非いい結果を出して頂きたい。
 あと、ついでに書いてしまうと、神山弁護士の尋問がすごかったですね。「生まれてこれないリスクについては調べることができないですよね?」ってこれ、モロに悪魔の証明でしょう。大体、調べることができないリスクを心配する根拠って何なのよ。
 他にも、神山弁護士は理系で教官が研究室を持つことがどういうことかイメージ出来ていないようだし、もう少し準備しても良かったんじゃないかなあ。

 
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睡眠不足。

2006-12-21 23:59:50 | ものおもい
 イヤな思いにとらわれて眠れなくなってしまった。
 持ち帰り残業で深夜2時就寝だというのに。おかげで、3時間も寝ていない。
 原因はこちら→新小児科医のつぶやき「夢の年収による美しい国」のエントリーとコメント欄の774さんの書き込みを見たからです。

 経済財政諮問会議の八代氏という方が、おかしなことを言っているとのこと。曰く「正社員と非正社員の格差解消のために、正社員の報酬を非正社員に合わせる」。

  ( ゜д゜)ポカーン

 で、これに対する774さんの書き込みは以下(当該部分の全文引用。一部訂正)

 昨日書いたことを少し修正してみました。一つ一つの法案や決議を見るといい面も結構あるのですが、全部総合すると、こういう悲惨なシナリオしか思い描けません。

派遣法改正 → 派遣が可能な業種が大幅に増えました。
  ↓
正社員と非正社員の格差拡大、貧困層・ニートの増加 → 正社員からは、累進課税を緩くしろ、最低課税額を引き下げろ、無駄な福祉を削れ、の大合唱がおこりました。それに乗って政府は、医療・介護など福祉分野の削減、生活保護の制限強化、税制の変更、雇用保険の縮小などに着手し、これからいっそう促進の予定です。これはセーフティーネットの脆弱化を意味しますが、民意であるので仕方ありません。実際に自民党は選挙で大勝しました。
  ↓
医療崩壊、介護難民、所得減少による非婚数の増大 (ここが現在地です)
  ↓
ホワイトカラーイグゼンプション導入 → 正社員を薄給・定額で無限残業することが可能となり、正社員をこき使いますから派遣社員を雇う数が少なくなり、派遣の賃金が激減します。正社員が過労で死のうが、健康管理も正社員側の責任となっていますので、労災認定はされません。
  ↓
退職に関する法変更 → 今まで正社員を解雇するのは大変でしたが、これが通るといくら会社側が悪くても、正社員を簡単に解雇できます(基本給の24ヶ月分で可能といわれています)。つまり、会社に逆らえる正社員はいなくなります。医師では「忙しいんだから7日連続当直しなさい。いやなら首ね。当直料?なんだそれは」といった状態です。
  ↓
派遣の正社員化見送り法→今まで同じ職場で3年間派遣で働くと正社員としないといけなかったのですが、その必要はなくなり、いつまでも派遣のままでいるしかなくなります。非正規社員から正社員への道が閉ざされることを意味します
  ↓
その結果、日本は、少数の正社員と大多数の派遣社員から構成される社会となります。
  ↓
派遣社員の給与は、先ほど述べたように激減しますので、今日のエントリーの諮問会議の結論が法制化されると、正社員は、激安となった派遣社員の給与に合わせられます。
  ↓
その結果、給与・待遇が同じなら、責任がはるかに軽い派遣に低賃金の正社員が移行します。正社員はごく一部の高給取りのみとなります。
  ↓
日本のGDPのうち個人消費が占める割合は60-70%に達します。これが激減します。つまり大不況となります。また課税最低額が引き上げられていますので、食べていけなくても税金は持っていかれます。生活保護に入るのはまず無理です。
  ↓
日本政府・地方都市は財政破綻しかけ、それを防ぐためインフレを人工的に起こし、円安が進行し石油・食料の輸入が滞ります。個人は低所得のため、人口は増えませんし、医療・介護も崩壊しており、自由診療となっているため、まともな医療を受けられません。つまり、セーフティーネットが今よりかなり貧弱です。
  ↓
外国人単純労働者大量受け入れで(1000万人ぐらい?)、企業だけは儲かります
  ↓
日 本 崩 壊


 シャレになりません。ほいで、「私のいまの生活水準はいつまで維持できるのだろう?」と不安に襲われ、眠れなくなってしまったのでした。

 思うのですが、こういったトンチキ発言をされる皆様やそれを指示する財界の皆様は、「日本人の大多数が貧乏になっても、自分(自社)だけはずっと儲けていられる」と本気で考えているのでしょうかね?以前に酔うぞさんの仰ったフォードの戦略を引用しましたが、国民の大多数の可処分所得が下がれば、上記にあるように内需が大きく冷え込んで不景気になるのは確実だし、生活に困窮するような低賃金では雇用の質も量も維持出来るはずがなく、現在と同じ企業活動は維持しようがないでしょう。「企業だけ儲け続ける」なんてどのみち無理ですよ。今から利益を労働者にも分配しないと。
 資本を外国に移転して、外国人労働力を用い、販売先は中国やインド等の新興市場(及び米国)とする、といった考えかもしれませんが、これをやるなら別にいまだって出来る訳です。何も狭くて労働単価の高い日本企業である必要がない。現時点でそうしないのは、「日本にある企業・日本人の労働者」であることにまだメリットがあるからでしょう。日本が貧困にあえぐ国になってしまえば、そういうメリットは失われるし、企業としての信頼性も従来通りには得られないと思うのですが。
 つまり私は「トンチキ発言は、せいぜい向こう20年程度、自分が存命中のことしか考えていないために発せられるのではないか」と疑っています。
 もっと言えば、「自分達は幼い頃戦後の混乱期をくぐり抜けてきた。いまよりずっと苦しい暮らしだった。それを今の若い連中は、俺たちが築いた豊かな日本にあぐらをかいて権利ばかり要求している。我々が戦後築き上げた国富は、我々が食いつぶして次世代には残さないつもりだ」という考えではないかと思ってみたりもするのです。 
 あるいは、日本人にはノストラダムスブーム以降、終末思想がすっかり浸透してしまい、社会がずっと持続するというモデルを考慮出来なくなってしまっているのではないか、とも疑ってしまう。
 本当にたいがいにして頂きたいものです。
 
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今日はなんという日か!

2006-12-20 22:20:20 | Weblog
死去前夜、長女に「ビールでも飲もうか」 青島幸男さん(朝日新聞) - goo ニュース

 青島幸男氏逝去の報を受けて、追悼記事を書こうと思っていたのだが、岸田今日子氏、中島忠之氏(カンニング)も逝去とは。

岸田今日子さん=女優、随筆家(読売新聞) - goo ニュース

中島忠幸氏=お笑いコンビ「カンニング」のメンバー(読売新聞) - goo ニュース

 スーダラ人生が座右の銘の私にとって、クレイジーと青島氏は忘れられない存在であった。(ちなみに、私にクレイジーの存在を教えたのは兄)
 岸田氏、元夫の仲谷昇氏に続くように。年齢と言ってしまえばそれまでだが、あまりにも寂しい。
 カンニング中島氏は、私と同い年。来年5月には復帰と聞いていたが。そういえば、アンディ・フグ氏も白血病で、35で亡くなっていたのではなかったか。
 いま私が生きているのも、本当に妙なることなのだと感じさせられる。
 ただ哀悼の意を表することしかできない。呆然。
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『砂漠』

2006-12-19 16:50:26 | 読書
 大学生活4年間を描いた小説で、直木賞候補にもなりました。
 読んでいる最中は色々ごちゃごちゃと考えていたのですが、風邪を引いて寝込んでいる間にだいぶ吹っ飛んでしまいましたので、箇条書きで書いてみます。
・良い意味で「漫画のよう」な作品。キャラの姿や行動が絵にしやすい。しかもコマ割りを伴った原稿用紙で浮かぶ。
・色々な事件が起こりつつも、基本的にはマターリ過ぎる4年間。公務員指向がある位で、結局登場人物ですごくまともな就職をする人がいないっていうのは、なんとなく文系的というか文学部的。オラほの大学、司法試験目指す奴とか余りいないのだろうか?自分は文学部卒なので、むしろ小説のような進路がしっくり来るが、法学部の実情はとんと分からない。
・麻雀やる連中はまあこんな感じでしょう。(自分は麻雀ができないし、学生時代にやったこともないので憶測)
・恋愛についてはどうだろう?確かにこんな感じで語っていたような気がするが。
・在学中、恋人が出来たりはしなかった(全面的に自分の所為)ので、その辺の描写はやはり当時の自分と比較してしまい惨めな思いをすることになる。それでも物語的には、収まるべきところに収まっておりほっとする。
・ちなみに自分は、{(西嶋-自信-努力)/2}-東堂な感じ。
・作中では、鳩麦さんが仄めかす「実社会」=「砂漠」と形容されているが、東北大学の文系キャンパス周辺が「川内砂漠」と称されていることがウラの意味。蛇足。
・自分も「友達には恵まれた」と思う。
・卒業式の訓示のシーンがあるが、自分が何を言われたかは全く覚えていない。会場内のどのへんに居たのかも。外で何枚か撮った写真のこと以外は記憶にない。
・もっとも、研究室にはその後3~4年位は顔を出していたので、卒業が大学との区切りではなかったから、余り印象にないのだと思う。
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2時間前まで死んでました。

2006-12-18 17:54:55 | Weblog
 ひたすらソファで横になり、うたた寝していました。
 ああ、そうそう、出張記と読書感想文でしたっけ。
 読書感想文といえば、先日、ふと気になって"summer reading"という言葉をググってみました。
 この言葉、卒業論文で取り上げたイタリアの宗教学者の著書で使われていたのですが、私の辞書の引き方が悪かったのか、どこにも意味が載っていない。こんな簡単な単語の組み合わせなのに。
 どういう文脈で使われていたかというと、質的な「軽い」「重い」を表現する際に「summer readingのように軽い・・・」という具合に使われていました。
 仕方がないので「夏の読み物」なんて訳語を当てていた様な気がします。
 この言葉で、私の脳裏に浮かんだイメージは、一つは学生が夏休み中に読むべき「課題図書」のようなもの。もうひとつは、バカンス中にさらりと読めるような本。軽い読み物っていうとこんな感じかな、と。
 あれから10余年。ネットが普及し、わからないことはとりあえず検索すると何かヒントが転がっている時代になりました。そこで、Web辞書で"summer reading"を調べると・・・やっぱり該当ナシ。???
 今度は、辞書ではなく素直にググってみました。そうすると、米国の"summer reading list"なるものが多数ヒット。”for elementary school"なんて言葉も見えます。おや、どうやら上記のはじめの解釈に近そう。
 思いきって、カタカナの”サマーリーディング”で検索してみると、こんなサイトがヒット。どうやら、読書感想文を伴わない(簡単なテストはある)「課題図書」ないし「推薦図書」のようなものらしい。
 なるほど、これで10年来の疑問が氷解。
 しかし、じゃあ、件の文章はどう訳すべきだったのか?わからない。べつに「夏の読み物」でもイメージは間違ってないような気もするし。
 あれ?なんか脱線してしまいました。では出張記等はまた稿を改めて。
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お疲れちゃん。

2006-12-18 00:14:31 | ものおもい
 下の記事のコメントにも書いたが、新幹線車内で『砂漠』を読んでいた。なぜか。
 答え:急な出張だったから。
 前日に「島根まで2泊3日で行ってこい。旅費は清算払い」って。
 で、昼に新幹線に飛び乗り、羽田から出雲空港までフライト。連絡バスと山陰本線で目的地の大田市に着いたのが夜の9時過ぎ。
 今回は、一緒に行かされた別チームの長さんが、全ての旅程を押さえて予約等してくれたので大分楽はさせてもらっているのだが、それにしても強行軍であることに変わりはなく、今もって疲労が抜けない。風邪引いてるし。
 んで、有り余る移動時間を利用し、結局『砂漠』は、この出張中(行きの行程及びホテル内)に読了。帰りの暇つぶしが無くなったので、出張先の大型書店(こういうのが駅前とかになく、1kmほど歩かなければならない)にて購入したのが、と学会会長・山本弘著『神は沈黙せず』(文庫版上・下)。
 いずれ出張記と読書感想文を書くが、いまは体力がないので後ほど。
 
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ひさびさ伊坂幸太郎。

2006-12-09 23:18:54 | 読書
 暫く時間がなくて読んでいなかった伊坂幸太郎の小説。散髪のため一番町まで出かけたついでに、書店に寄って買ってきた。
 今回は『砂漠』を買うつもりでいたのだが、いざ書架を眺めると『終末のフール』と迷う。ここのところ疲れているので、短編形式の方がいいような気もするし、何より、「大学生活」を書いた作品を読むということが、ノスタルジーとわけのわからない嫉妬の両方に煩わされることになるのだ、ということが分かりきっている。何せ作者の書く大学生活の元となっている経験は、その時間と空間とが私(や、同期の皆)と近接しているのである。それで、ああで、こうで、何で俺はこうなのだ?と、まあ慨嘆したり、感傷に浸りきったりする羽目になる。むろん、そういう気分を味わいたくて買おうとしているのである。しかし、いまの自分にその気持ちの揺れを受け止めるだけの体力があるか?
*******
 ところで「終末」という言葉には、私の世代に特有の思いというものがあろう。少年期、世間ではノストラダムスの大予言が既に流行っており、集団ヒステリーの様相を呈していた。米ソの全面核戦争から人類滅亡に至る未来がいつか訪れるに違いない、問題は何時訪れるかだ、と、皆が首をすくめ辺りを窺っていた。「ザ・デイ・アフター」「北斗の拳」「飛ぶ教室」「ゴッドサイダー」等々、映画や漫画でも終末論・核戦争がモチーフのものであふれていた。
 だから「終末」が迫ったらどうするか、というのが、頭の片隅で常にシミュレートされていた。「簡易シェルターの作り方」「死の灰を浴びたときの対処法」が脳裏に滓のようにこびりつき、ヒロシマ、ナガサキのように熱さに苦しんで死ぬのか、或いはコンクリートの階段に影だけを残して蒸発するのか、核の冬で放射能障害と寒さと飢餓で力尽きるのか、いずれにせよ、人類文明の消滅まぎわにいるのだ、という感覚がつねに隣に寄り添い、首筋に冷気を吹きかけていた。
*******
 それで、迷った挙句、結局当初の予定通り『砂漠』を購入した。いま40ページ程読んだが、予想していたのとはだいぶ違った。面白い!いや、ミステリの謎解きとかそういう部分ではない(ここまでにそんなものはない)。コミカルで、しかも慣れ親しんだ感じが、単純に面白いのである。いつもの伊坂作品の登場人物だが、やはり東北大生らしさも滲んでいる。感傷や嫉妬や悔恨ではない、心地よいノスタルジーがある。続きを読むのが楽しみだ。
 
 
 
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マクロビオティックなヒト。

2006-12-07 23:18:43 | Weblog
 やまたろうさんのブログ 「農家のあとつぎの独り言」は、よく読ませて頂いています。
 仕事上の関心からも、トンデモウオッチャーという趣味の点でも、とても面白い。
 そして、このような方が農業後継者で、かつネットでの情報発信もされているというのは、とても嬉しいことです。

 さて、その中で紹介されている「マクロビオティックというニセ科学」という記事。
 そこで引用されている静岡県主催の後援会の様子もすごいですが(そんなに「喰ったもんに似る」って繰り返すなー!!(笑)それなら究極の食事は人肉かっつーの(爆))、個人的に思い出すのは、大学時代のフランス語の講師。
 
 この方、フランス人なのですが、アメリカでマクロビオティックを学び、その生みの親の出身国である日本に興味を持って来日されたというお方でした。(ちなみに来日二週間目で日本語全くできず・・・いやー辛い講義でした)

 で、のちに同じ宗教学研究室に進むことになるAさんも、この先生の講義を受けていたのですが、Aさんが先生を評して言うには、


 「先生って、フランス人だけにタバコ吸ってるんだよね、マクロビオティックやってるのに。健康に気を使ってるのか使ってないのか、さっぱりわかんない」


Aさん、す、鋭すぎ(笑)

 いや、まったくその通り。つか、多分マクロビオティック云々は関係なく、普通にタバコの分だけ健康に悪いんでしょうな。
(まあ、糖分、脂肪分の過剰摂取は免れるのかもしれませんが)
 
 
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