昼行灯(だった)トキの大雑把なひとりごと

クレヨンしんちゃんよりもユルく生きていた(当面過去系)私の備忘録と、大雑把なひとりごと。時々細かく語ることも。

プラダを着た悪魔

2013-12-31 01:01:17 | 仕事
女性に人気の高い映画である。半年前に録画していたのを、ようやく年末になって視聴。
アン・ハサウェイ演じるジャーナリスト志望の冴えない新卒者(アンドレア)が、就職活動で何故か、メリル・ストリープ演ずる、世界的カリスマファッション雑誌の編集長(ミランダ)の第二アシスタントの面接に漕ぎ着けた。
この業界は、ミランダに憧れて入社を希望する女性が世界中から集まって来る。そんな中、ジャーナリスト志望でお洒落には無頓着なアンドレアは、明らかに「浮いた」存在だった。面接は当然×と思われたが、何故かミランダは、彼女を採用する。
ミランダは、辣腕編集長であり、ファッション界のトップとして、セレブ社会で華やかに暮らしている。部下に対する要求は、とにかく厳しい。仕事から私生活のケアに至るまで、あらゆる注文を付ける。ときに、わざと我侭に振る舞い、単なる憧れだけでこの世界に飛び込んできた女子を蹴落とすようにも感じられる。
色々致命的なミスを犯しながら、アンドレアは次第にファッション界に馴染んでいく。先ず彼女は、お洒落をすることに決めた。同僚の男性を巻き込み、ドレスアップすることからスタート。身体のサイズもワンサイズ落とし、その変貌振りは同僚女性を驚愕させる。
そして、あるとき、怒りを買ったミランダから不可能なミッションを言い渡される。もうやめる、我慢出来ないと絶叫する彼女。同棲する彼氏も、馴染めない職場で無理をしている彼女を見かねて「それがいい」と勧める。
しかし、ミランダのアシストをする中で様々な幸運な出会いがあり、ジャーナリズムの世界にも人脈を築くことができた彼女は、ミランダの無理難題をやってのけた。
そこで、ミランダのアンドレアに対する見方が、変わる。
他方、古くからアンドレアを知る家族や友人たちは、無茶振りの女王様として有名なミランダの元で、どんどんお洒落になっていき、ファッション業界に染まりつつある彼女に警告を発する。だが、困難なミッションをやり遂げ、鬼編集長のお眼鏡に適うまでに至ったアンドレアに、彼女らの言葉は無理解と攻撃としか映らなくなっていった。そして、彼女を理解し,心配し、応援していた恋人も,彼女から離れるという。
偶然が重なり、本来なら第一秘書しか同行できないパリでのショーに、アンドレアが抜擢された。そこでミランダは危機に合う。アンドレアは、あれほど自分を苦しめた上司のために、必死になって彼女に警告をする。

様々なことを考えさせられる映画である。
まず、女性社会の上下関係と、嫉妬。男性にも勿論あるのだが、おそらく女性にしか分からない何かがあるものと思う。
アン・ハサウェイ演じるアンドレアは、生来の美貌はともかく、服に頓着がない。それが、ミランダの憶えを良くするために、劇的に変わる。
勿論、素の美貌がないと、こうはならない。そういったファッション面での楽しみも見所の一つ。
また、無茶振りばかりしてハードルあげまくる上司と、それに翻弄される部下という構図は、いたたまれないものを感じた。2つ前の記事に書いたとおりである。これが我が社の現状で、ミランダのようなカリスマではない上司が、そういう無茶振りをして来るという話をかなり見聞きする。その結果、病んでしまったヒトも多く知っている。この映画では、ハードなミッションはエンターテインとして描かれており、現実の生々しさを捨象しているので、まだ観ていられるが、演出によっては視聴を続けられなかったかもしれない。

さて、今回の本題は「タイトル」である。
プラダを着た悪魔とは、誰か。何が「悪魔」なのか。
鬼編集長・ミランダが「悪魔」か。そうとも言えるだろう。
ジャーナリストへの人脈作りを目的に、偶然飛び込んだ畑違いの「ファッション界」において、変貌を遂げざるを得ない「夢魔」の様に魅惑的なアンドレアか。
そうとも言えるだろう。
しかし、私の見立ては違う。これは、キリスト教圏のヒトでないとわかりにくい感性だと思う。この映画に付された「Devil」の意味は。

キリスト教における悪魔、或いは悪霊は「誘惑する者」である。ヒトを欲望に縛り付けようとし、信仰に自らを捧げ、禁欲することを止めるよう、あの手この手で迫って来る。
イエスの40日間の荒野放浪のエピソードを思い出すといいだろう。荒野の中、空腹に堪えかね、イエスは幻覚を見る。悪魔が「自分に魂を売れ。そうすればこの石をパンに変えることも出来る」と。
ラストシーン、ミランダはアンドレアに語る。「私とあなたは、同じよ。」と。そして「私達は、世界中の女性の憧れなの」と。
これは、部下に苛烈なハードルを課すミランダが、アンドレアを認めた瞬間である。望んで入った世界でも、ジャーナリストへのステップであったとしても、いずれにせよ最大限の成功を、彼女はその努力で、手にした。その瞬間である。
そこで、アンドレアはようやく気づく。自らがファッション界という「悪魔」に魅入られ、誘惑されていたことに。
それは、本来の自分を見失っていたことに。父や友人や恋人が警告してくれていたように。彼女は「なりたい訳じゃないセレブ」に、半ば「なってしまって」いた。
ジャーナリズムは、事実を冷徹にレポートするところから始まる。産業としての欲望はあれど、基本的には禁欲的、抑制的な仕事だ。
他方ファッション界は「美」が最優先である「真・善・美」のうち「美」はおそらく最も「快楽」に近い。しかしそれが「世界中の憧れ」であり「一大産業」であり、そのトップになるということがいかに「激烈な競争に打ち克つ必要があるか」。現代アメリカの価値観をもってしても、それほどの世界に食らいついていくのは「正気じゃない」とまで思われている。
だから、ここで描かれるファッション界は、世の女性の快楽を刺激し、誘惑して已まない「美しい悪魔」として描かれる。褒め言葉と皮肉の両方を纏いながら、それでも魅惑的なものとして。
それが、「プラダを着た悪魔」の、正体だ。この業界自身の有り様、現代社会の有り様そのものが「悪魔」的に、皆を誘惑しているのである。
ヒロイン・アンドレアは、そのことに気づいた。それまでは「社畜」的にひたすら頑張って来ただけだが、いつの間にか「悪魔」に魅入られていたのだ、ということに。
そのことに気づいて以降の、彼女の物語の帰趨は、控えたい。しかし、佳作といってよい内容だった。華やかさだけでない、様々な要素を織り込んだ「ドラマ」があった。本質的な悪人が一人として登場しないのも、良い。


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フィギュアスケート!

2013-12-30 21:40:16 | Weblog
スポーツは大の苦手(特に走るのと登山)だが、観るのはそんなに嫌いではない。
ただし、ジャンルがものすごく偏っている。
仙台は楽天球団、サッカーのベガルタ、バスケの89ersなどプロチームが多い。楽天の日本一も記憶に新しい。
しかしこれらに、筆者はあまり関心がない(さすがに今年の楽天だけは注目せざるを得なかったが)。
私が好むのはプロレス、K-1、総合格闘技、大相撲などのプロ格闘ショー、又はより競技色の強いボクシング、アマチュアでは柔道など、いずれにせよ「格闘」である。
それ以外では、幼い頃母と一緒に観戦していたバレーボール、マラソン、駅伝、フィギュアスケートなど。

さて、年末のこの時期は、数年前までの格闘技ブームの時代であれば、K-1グランプリ、大晦日の格闘技興行、年明け1月4日の新日本プロレスと、格闘技三昧を楽しんでいたものだが、今や往年のブームは去り、格闘技はボクシングと大相撲を除き地上波のゴールデンからは消え、プロレスが密かに新規ファンを開拓し復興しつつあるという状況。
しかし私の場合、格闘技は生中継でないと楽しめない。勝敗の結果を先に知ってしまうと興味が失せる。
だから、大晦日興行合戦のような「生中継イベント」が消え去ってからは、どうにも心を熱くするスポーツ観戦の機会には恵まれなかった。

妻がスポーツ観戦にほとんど関心がないこともあって、結婚してから、観戦の機会は格闘技を除いてそもそも減っていた(格闘技は、同世代の妻もそれなりに理解しているので一緒に観てくれた)。そんな中、共通に関心を持てるジャンルだったのが、フィギュアスケート。
彼女は幼い頃、バレエを習っており、浅田真央登場時には「この娘の滑りはバレエを採り入れている」と喝破したものである。以来、時間が合えば、毎シーズンTV観戦をしている。
仕事が多忙を極めているここ5~6年は、ゆっくりスポーツを観戦するのも中々難しかったが、数年前にテレビを液晶デジタルに買い替えた際、丁度フィギュアスケートのシーズンであったことから、よく観戦した。
クリアな大画面でスポーツ観戦というのは、デジタル放送の実に適切な楽しみ方だと感じ入った。

そのフィギュアスケートだが、前々回のトリノ五輪前から今シーズンに掛けて、日本フィギュア界が黄金期を迎えている。
まずは女子シングル。
最後のシーズンとして臨んだ荒川静香の「不動心」が掴んだ日本勢発の五輪金メダルが、一つ目のピークである。
その荒川静香と同世代の選手として、諦めずに現役を続けた(今も!)、ライバル村主章枝。
世界初の4回転ジャンプ少女として華麗にデビューし、その類い稀な美貌と相まって、次代のエースとして、常にマスコミの注目を集めていた安藤美姫。彼女は美貌故に女性としての関心も高く、芸能人以上の過熱報道に悩まされると共に、20歳前後になると身体成長から4回転が飛べなくなり、怪我もあって苦悩の低迷期に入る。
そこから、表現力に磨きをかけての復活劇。さらに2年間の競技生活ブランクと、衝撃のシングルマザー告白。競技者として、女性として、両方を揺れ動き、どちらも求めたある種「泥臭い」生き様も、魅力の一つである。
そして、既に一定の評価を得ていた浅田舞の妹であり、まさかの2人目の4回転少女として彗星の如きデビューをした浅田真央。現在の日本女子シングルの不動のエースである。一度は引退した絶対世界女王、キム・ヨナとの、他の選手とは一線を画したライバル対決は、前回の五輪に引き続き、今回も期待されている。
ブランクから復帰したヨナか、求道者の如く、不調の時も好調の時も,よそ見をすることなく自分の演技を磨き続けていた浅田か。
女子フィギュアのシングル世界大会は、事実上、彼女たちのサシの勝負である。ヨナにいくらブランクがあっても、そのライバル関係は変わらない。まるで「ヒカルの碁」における塔矢アキラと進藤ヒカルのように。或いは高永夏と塔矢又は進藤ののように。
それから次の世代。浅田の背中を追い、素の無邪気さはそのまま、徐々に大人の演技を身につけつつある村上佳菜子。さらに、ジュニア勢からいち早く抜け出した宮原知子が猛追している。
そして、異色・出色の存在として、20台半ばから遅咲きの花を咲かせ、現役最年長グループに属しながら、今なお大輪の花を大きく育てている鈴木明子。

宮城は、民間のスケートリンクがジュニア育成に力を入れていたこともあり、競技フィギュアとは縁が深い。荒川は宮城県育ちであるし、鈴木は東北福祉大時代に宮城のリンクでも練習に励んでいた。しかも仙台は、日本での本格的なフィギュアスケートの発祥の地ともされている。
その日本初のフィギュアのリンクとなったのは、旧制二高前の堀であった。故に日本人初のフィギュアスケーターは、おそらく男子である。
そこで男子フィギュアに目を移すと、何と言っても今は、発祥の地・仙台から、始めはジュニアの「王子様」として登場した羽生結弦。先シーズンから爆上げで一挙に世界一を争うレベルまでジャンプアップし、このシーズン中にも成長を見せつけ、圧巻のグランプリファイナル優勝を成し遂げた。今や男子シングルの最強王者パトリック・チャンと並ぶ、紛れもない「ソチ五輪金メダル第一候補」である。
そして、日本男子フィギュアを世界とメダルを争える地位に持っていった立役者で、今なおエースの高橋大輔。
彼に続いて、様々なアクシデントはありながら、競技者としてはひたすら高レベルを維持してきた、その血筋も話題の一つである織田信成。
織田、高橋を追う世代として、着実に実績を積み重ねてきた小塚崇彦。
加えて今シーズン、羽生の快進撃をピッタリとマークするように、一気に上記ベテラン勢を追い抜いたと言っていい町田樹。

今年の日本フィギュア界は、おそらく史上最高に生き残り争いが激しい。ベテランも新人も入り交じった苛烈な競争が繰り広げられている。
勿論、ソチ五輪代表の3枠を巡って、である。
通常のシーズンは、GPシリーズファイナルでのメダル・順位が一つのゴールとなり、その後の世界選手権へと続く。
その間にある全日本選手権はあくまで国内大会。普通の年であれば、注目度は低い。
しかし今年は、全日本選手権の結果が、五輪への切符を大きく左右する。まず、それまでの成績がどうであれ、全日本選手権優勝者は、自動的に五輪出場者に決定する。
とはいえ、GPファイナル優勝の浅田と羽生は、全日本での結果がどうあれ、すでに五輪出場は確定と言ってよい。そうすると、残り2枠の争いとなる。
これ一本に絞って来たのが、女子の安藤美姫。安藤は、ブランクもあり、Aランク大会への出場ができず、予選を勝ち上がって全日本への切符を手にした。
優勝で一発逆転、五輪切符を手にしたい。
かつては闘志が演技に現れすぎていた安藤だが、今シーズンは自然体でスムーズな演技ができている。ブランクを感じさせない。ひょっとしたらひょっとする。慣れ親しんだ久しぶりの会場で、満員の観衆の注目の中でも、平常心を維持できるか。
他方、昨シーズンまで好調を維持していた鈴木明子。28という年齢もあり、今シーズン限りでの引退を表明。GPシリーズに出てはいるものの、昨シーズンに比べていまひとつパッとしなかったが、それでもGPファイナルへの切符を手にし、見事に入賞を果たした。
村上は、丁度少女から大人の女性への転換期に入り、演技構成が難しい年代に差し掛かっている。安藤も、浅田も、この年代は苦しんだ。彼女も同様に思える。同世代に彼女に匹敵する選手が現れない中、先輩に割って入ることができるか。

男子では、羽生が今シーズン、一気に世界最高峰のフィギュア選手になり、浅田・ヨナのような2トップ体制を、パトリック・チャンとの間に築いたといっていい。しかも、ヨナと浅田の立場とは逆転し、絶対王者が羽生になったと言っても良いと思う。もう、羽生が金メダル第一候補で異論はないだろう。
その羽生を追う第二グループの先頭が、急速に成績を伸ばした町田樹である。派手ではないが、着実で力強い演技をする。
小塚は今季、やや出遅れていた。なかなか調子が出ていない。それでもGPシリーズ出場は果たしている。
織田は、難しい。先シーズンまではショートが素晴らしく、フリーでスタミナが切れて主要タイトルは3位以下止りということが多かったが、今シーズンは引退予告で背水の陣を敷いたこともあってか、安定感が増している。GPシリーズはトップこそなかったが、2位、3位の入賞を繰り返している。仕上がりは悪くない。
高橋は、不運だ。これまでも怪我に悩まされ続けていたが、NHK杯を制しGPファイナル出場権を得ながら、またもや怪我に泣かされ、ファイナルを辞退。全日本を制して3度目の五輪出場決定を最優先とした。安藤と同じである。

こういった、これまでになく厚い選手層が、氷上の闘いを、舞いを、熱くしている。
そして、このような闘いが観られるのは、今シーズンが、最後だ。
上記の選手の大半が、今シーズン限りでの引退を表明している。鈴木と織田については既に書いたが、男子最年長の高橋、そして織田と同年代の安藤、さらに女子のエース浅田までもが、今季を最後と決めている。
つまり、男子は小塚、町田、羽生が残るが、女子は村上、宮原しか残らない。これまで長く、日本のフィギュアシングルは女子が牽引してきたが、来季からは、羽生を軸に、男子が主役となるであろう。

そのような背景を踏まえた、全日本フィギュア選手権を、注目していた。
ますはショートプログラム。
男女どちらにも共通していたのが、滑走順の早い選手が素晴らしい演技を見せたこと。男子なら町田が圧巻であった。そして女子は、結果的に全員がほぼノーミスという、おそろしくハイレベルでの闘いとなった。
そんな中、怪我の影響が長引く高橋大輔は、不満足な滑りであった。彼はSPを終えた段階で、もう悔し涙が目から溢れていた。翌日のフリーが現役最後の滑りになることを予期し、震えていた。まるでボブ・サップにボコボコにされたアーネスト・ホーストのようでもあった。
フリーは、明暗を分けた。女子では悲願の優勝で五輪を勝ち取りたい安藤が、難しいジャンプに賭けた。男子も、羽生、町田の若手勢を追い落とさんと、ベテラン勢が挑んだ。その結果。
事前の予想では、男女ともGPファイナル金の羽生、浅田が1位通過との観測が大半だったように思う。男子は羽生が、次元の違う滑りで皆の予想通り1位通過。2位は、非常に安定している町田樹がそのまま食い込んだ。そして3位には、これまで余り目立てなかった小塚崇彦が滑り込む。織田、高橋は、ミスが響いて、下位に甘んじた。
女子は、浅田以外の2枠を誰が取るかという点が注目されていたが、その浅田がまさかの3位に終わる。1位は、なんと男女通じて最年長の鈴木明子!昨シーズンよりも技の完成度を上げ、しかも表現力では浅田を上回るのではとも思える演技で、五輪第一切符を手にした。

この結果を踏まえ、五輪出場者が決する。競技は、長引いた。

女子は、鈴木以外は浅田、村上で決定である。安藤は残念だったが、やはり現役をずっと続けていた者に、勝利の女神は微笑んだ。彼女は彼女なりに納得した表情で、競技者としての生活に、本当のピリオドを打てた。その笑顔は、胸を打つものであった。
男子が、非常に難しい。羽生、町田は決定である。安定感抜群で隙がない。そうすると、ベテラン勢から3枠目に入るのが誰か。
今シーズンは怪我で不調ながら、過去2回の五輪出場経験があり、GPシリーズNHK杯で金を取っている高橋か。
GPシリーズ優勝はないものの、安定して入賞している織田か。
全日本の舞台に来て、ようやく実力を発揮してきた小塚か。
場内が、固唾を飲んで、結果発表を待っていた。

結果は、御存知の通りである。日本連盟は、高橋に、五輪の切符を与えた。
もう現役を退く覚悟をしていた高橋への、最後のプレゼントのようにも思えた。しかし他方、「メダルを取れる選手を」という意見で彼が推されたとも言う。怪我の回復にいま少しの時間がある。そこに、賭けたのだろう。高橋は、不満足な出来ながらも、GPファイナル出場を蹴った賭けに、勝った。
織田は不運としか言えない。今季比較的安定していたフリーが、ここに来て,乱れた。彼は四大陸選手権代表に選ばれながらこれを辞退。全日本選手権を最後に、現役引退を表明した。
小塚も、彼らに比べればまだ若いが、次の五輪では今の高橋と同年齢になる。今季を逃してしまったことは、悔しいだろう。

女子は、浅田とヨナの対決にも注目だが、とにかく完成度が上がり続けている鈴木が、五輪の舞台でどこまで行けるか注目したい。精神面ではもう十分に安定している。アクシデントさえなければ、2シーズン前の荒川静香のように、勝利の女神が微笑む可能性も十分にある。

今年のフィギュアは、凄かった。格闘技ブームの頃と同じくらい、熱くスポーツ観戦をすることが出来た。
各人各様、とてもドラマチックな生き様を魅せてくれた。
五輪での活躍にも、期待し、注目していきたい。


(追記)黄金期の立役者、荒川静香の結婚の報道があった。プロとして、解説者として、引退後も八面六臂の活躍を「自然体」でこなしている彼女。高校時代までを過ごした宮城が被災したことに心を痛め、様々なイベントで積極的に支援活動を続けてくれた一人でもある。祝福を述べておきたい。
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私的脱社畜論、あるいは脱社畜できない我が身への呪い。

2013-12-25 00:03:24 | 仕事
我が社はどちらかというと「親方日の丸」的な会社であるが、それでも、労働福祉的な面が充実しているとは言えない。
具体的に言うと、できるヒトに仕事が集中する。それが全く改善されず、拡大再生産される。
他方、できないヒトややる気のないヒトは、疎んじられ、相応の「外れクジポスト」を回り、碌に仕事をしない。
古い言い方をすれば「窓際族」というヤツである。
困るのは、その地位に安閑とし、仕事はしないが給料だけは貰っていっかな恥じない、というタイプを一定数抱え込むことになる点である。
フツーの会社なら堪り兼ねて自主退職するような冷遇でも、彼らは全く気にしない。
ひどいのになると、ゴマスリだけして仕事と責任は投げ出している「愛嬌のない植木等」タイプになる。こういうヒトは、仕事をしなくても上の感情を害さずに居るので、なんとなくそれなりに評価されているようなポジションを回ってしまう。
こういうヒトの部下になると、たまったものではない。「自分は仕事をせずによい」「すべて部下にやらせればよい」「仕事を覚える気もない」というスタンスを隠しもせず、日中は新聞を手に情報収集を気取るか、若しくは上司の機嫌取りに終始し、時間がくればとっとと退社する。「それでいい」と、本気で思っている。
こういった社員の有様が、長い勤務年数の一時であるならまだしも、常態であるとなれば、働き手としては無駄銭ということにしかならないが、それでも解雇はされない。
ゴマスリタイプなら尚更、上司の覚えだけはいいので、どんなに仕事をしていなくても評価は下がらない。
それすらしないようなヒトでも、いざ解雇をするとなれば、実は次に、それを決断したヒトの責任が問われることになる。そして、決断すべき立場のヒトは、それを嫌う。
つまり、人事管理の責任者にしてみれば「問題を先送りしておこう」という判断に傾きがちになる。結果、こういう「評価は気にしない。椅子を尻で磨いているだけで給料が貰えるならそれでいい」というヒトが減らないということになる。

他方、「できないヒト」の中には、うつ的に、あるいは統合失調症的に、もう日中ぼんやりとしかしていないとか、ひどいといつの間にか居眠りしているとかいう場合がある。
私も鬱で苦しんでいるので、一歩間違えばいつでもそちら側に行きかねない。ヒトゴトではない。
ただ、こういうタイプにも二通りあって、本当に苦しみ、仕事ができないことを申し訳なく思って、治療を粛々と(鬱のヒトは「頑張ってはいけない」ので)するヒトと、病気と怠惰の区別が最早つかなくなってしまったようなタイプのヒトに、分かれる。
これは残念ながら、労働福祉制度上の観点により、現状、どちらのタイプであっても、よほど酷くない限り解雇の対象にはならない。
そのことだけをもってすれば、むしろ我が社の「労働福祉面は手厚い」ということになるのかもしれない。私自身も鬱持ちである以上、私欲を優先すれば厳しい人事管理は困る。たぶん、ご同様に考えるヒトが上にも居られるため、こういう部分も温存されてしまう。
ところが、その負の側面がある。結果、上記の一見「手厚い」労働福祉は、全体としてその効果が相殺されてしまい、むしろ、負の側面が大きくなる。詳しくは後述する。
であるから、俯瞰的に見れば、上記二通りがある程度区別出来る以上、その線引きは常に考えておくべきなのが、本来あるべき姿であろう。
すなわち、ちゃんと仕事に責任感を持っているヒト、治療を真面目にやっているヒト、そういうヒトは残しておき、そうでない「怠惰と区別がつかなくなった」ヒトは、辞めていただけるような制度設計なり人事管理なりを、早急に実現すべきである。
もっとも、私見を述べれば、我が社の場合、精神系トラブルの大半は職場の理不尽が原因にあるように見える(私自身について言えば、半分はそれだが、半分は異なる)。どちらかといえば、職場の理不尽改善を優先すべきだ。さすればサボリはともかく、傷病系の問題は改善に向かうはずであるし、何より人事管理者だって評価を下げることがない。
なぜそうならないのかは、謎だ。というか「問題だ」という意識がないのかもしれない。何せ、尻で椅子を磨くだけでも給料が貰えているヒトが現に居るのだ。自分がそうなりたいとか、自分がそう看做されるのは嫌だが仕事は増やしたくないという場合は、そういったことを「問題視しない」というバイアスがかかっておかしくない。我が社という部分社会における適者生存が起こった結果、そうなっているのかもしれない。

さて、病理発生の原因たる「理不尽」の一つが、冒頭に述べた「できるヒトに仕事が集中する」という事態である。
「できるから」というだけで安易に「できないヒトの分の仕事」も負わされる。仕方ないからと、できるヒトはしゃかりきに仕事をやってしまう、あるいはやらされてしまう。無論、やった分だけの正規の労働報酬は出ない。本人が空気を読むのと、単に部門に金がないのと両方で。
結果、いつしかできるヒトは、その限界を超え、心身に不調を来す。そうして、優秀なヒトも磨り減っていってしまう。ひどくなると、できる人は大抵マジメなのであり、真面目な分だけ自己の状況に耐えきれず、自責の念に駆られて自主退職してしまったり、自死を選んでしまったりする。
それでも上は「人事管理者たる自分の評価が下がる」ことを近視眼的に恐れるばかりで、こういった悪い傾向を改善しようとしない。ひたすらに、そういった最悪解に「自分が当たらない」事を祈るだけだったりする。更には、万が一そういう事態に至っても、別に反省もせず改善もせずボヤくのみでありもする。そうして今度は、次に出来るヒトに仕事が回っていくだけである。

あるいは、そういった修羅場をくぐった「できるヒト」が、幸いにして「やりこなせてしまった」場合どうなるか。
今度は、何時しか怨嗟を抱えるようになる。「俺はあんなに酷い仕事を押し付けられ、でもこなしてきた。お前らだってできるだろう、いや、俺と同等には苦労して当たり前だ」とばかりに、自分が地位を得ると、今度は、自覚してかせずしてか、部下に理不尽を強いる上司に変貌してしまう。
そういう上司に当たった部下は壊れ・・・以下同文と、負のスパイラルが続くようになる。
そうやって、何時まで経っても、こういった傾向は、改善されずに残る。劣性遺伝が続いてしまうのである。
これが、手厚い労働福祉を「相殺」してしまう。
むしろ負の側面が大きくなる理由である。
考えるだけで気が滅入る。
しかも今の私には、鬱の所為で気が滅入るのか、事実だから気が滅入るのか、最早区別がつかない。

私自身は、仕事に関する問題意識は高いつもりだ。ただ、個人的なコネクションや飲み会的な非公式な場を通じて築き上げた、横の関係というものがない。
したがって、例えば知り合いの感情に訴えて助けを乞うような解決手段は、持ち合わせていない。そういうコネのあるヒトと比べると、与えられた課題への対応は遅くなりがちである。つまり私は「できない」タイプに属するといえる。
ただし、そのかわり私は、ほとんどの課題を独力で解決するノウハウだけは、蓄積している(自慢げに書くことではない。要するにそれが自分にとって一番楽だからそうしているだけである。昼行灯は伊達じゃない)。
その方法も、別にどうということはない。単純に、問題を冷静かつ客観的に分析し、最短の方法でゴールにたどり着くやり方を提案するだけだ。それもできるだけ「身も蓋もなく」である。
言ってみれば、ここに書いているような類のことだ。誰もが内心思ってはいるが、言葉にしない、できないでいるようなことを、私は意識的に「言語化」するようにしている。
しかも私は割合、職場でもオブラートにくるみつつ、こういった「身も蓋もない話」を口にしてしまう。なぜなら、そこから目を背けていては問題解決にならないからである。問題解決にならなければ、私の仕事は片付かないのだ。それは、私も困るし、たぶん私にあてがわれた業務に関わるヒトも困る。だから私は、分かっていても、私流で身も蓋もなく、日々残業をして、どうにかこうにかあてがわれた業務をやっている(やれているかどうかは、知らない)。
とはいえ、そういった頭でっかちの議論は、親方日の丸的な我が社では、好まれない。
結果、上司が私に抱く印象は、悪くなりがちである。特に「横の関係」こそを重視するような「体育会系のヒト」にとっては尚更覚えが悪いであろう。
仕事をやったか否かにかかわらず。

まあ、もっとも私が何か提案したところで、私に部下が居るわけではないから「じゃあお前がやれ」という話になってしまう。
果然、自分がやりやすく、効率が良く、かつ仕事の質も一定を保てる方法を、一層「自己実践」する羽目になる。
そうすると、実のところ、それなりに仕事はこなせてしまう。特に最近は鬱からの回復基調にあるので、尚更、やれてしまう度合いが高い。
そうした結果、私の立場はどうなるか。
まず、私は「できないヒト」なのに、仕事は集中するというパラドックスが起きる。
しかも一向に減らない。
それでいてなおかつ、上司の覚えは宜しくないので、評価は低いという状態になる。

理不尽極まる。
私の「努力すればするほど事態が悪化する」状況の、一例がこれだ。

別に高評価は要らない。
ただ、適正な業務量にして欲しい。
締切が重なっている仕事をぽんぽん投げて寄越すのは、いいかげんにしてほしい。
頼むから遠眼鏡を持っておくれ。実際、回ってないやん、うちらの仕事。
たぶんその半分以上は、きちんと組織内の仕事分担を考えずに、私に締切重複の仕事を複数あてがっているせいだよ。
年末年始どうすんのよ、いやマジで。
病院に行く暇もありゃしないよ。やってらんない。

ってか、ボヤいてる位なら退職すべきだよなあ。好きでやってる仕事じゃないし。
そう出来ないのは、結局「俺が悪い」のだ。鬱。
そんな2013年のクリスマス。

(次回記事は楽しいものにする予定です)
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理不尽な近況

2013-12-10 00:02:32 | Weblog
前回記事にしたラーメン店を再訪し、普通の豚鰹ラーメンを食べたら、かなり美味しかった。
ここの店は、宣伝方法がピーキーなオタにしか訴求しないようなことをしている以外は、なかなかいい仕事をする。
多分ふつうに宣伝した方が、客がつくのではないかと思う。割とガチで。
ともかく個人的には、定期的に訪れても良い気になった。時間帯を選べば、比較的ゆったりできるし。そのうち、また行こう。

最近、鬱から回復傾向にある。おかげで色々とはかどっていることもある。
たとえば減量。3ヶ月かけて、今年のピーク比で約10キロ減らした。
目標はあと8~9キロ減。多分、何とかなる。

しかし、仕事の方は、以前よりもはかどっているにもかかわらず、相変わらず大変である。
しかも、大変の質が、大変理不尽である。もう色々と理不尽。量とか質とか。
「何でこんなことしなきゃなんないの?」
「これ、どの顧客に向けた仕事なの?」ってことばっか。
そんなことが、終わらないゲリラ豪雨のように押し寄せ続けている。
大変とか理不尽とかの数が多すぎて、もはや何を書いているのか分からない。
そのくらいに大変である。

そんなわけで、私はいまの部署をとっとと変わりたいのだが、どうも上層部が私の状況をマトモに捉えている気がしない。
つーか、はっきりと誤解されている。
おいらはそんなに仕事好きじゃねーよ。俺が好きなのは「知識を溜め込む」ことだ。
それがたまたま仕事に生かせるなら「楽でいいな」ってだけ。
あと、鬱の周期が回復期にあるから、改善したように見えるだけ。

仕事が一段落したら、ガチで休んじまおうかと思う昨今。
いや、上の人達は、理不尽な仕事を正面から受け止め、こなしきっているので凄いのだが。

俺は、ついていけません。
頭が狂いそうになります。
たぶんガチでトチ狂ったら、そっちの方が困るよね。
だから、迷惑かける前に休みとりますよ、あたしゃ。

んで,この状況、一歩引いて考えると、鬱が酷かった時期と、何にも変わってないんだよね,
きっかけになった出来事は過去のことで、修復不能。
仕事は年中ゲリラ豪雨。雹や隕石まで降って来る。
努力をすればしただけ,余計に仕事が増える。賽の河原、
俺の努力が無意味どころか有害なのも、変わってない。
これが後厄と言うヤツかねえ。
あと一月で手じまいしてくれりゃいいんだが。

それでも「あーだりぃマジで。」モードから脱せたのは、やはり睡眠薬の力が大きいのだろう。
「鬱の原因になった事実や状況が変わらないのに、鬱が治る訳ないじゃん」と、マジで思っていたが、睡眠の質改善がここまで奏功するとなれば、心身の関係を再考してみねばなるまい。

もう後厄だろうが何だろうが知るか。やりてえようにやるだけさ。



週末は小旅行を予定。
本当はその前の父の命日に墓参りをしたいのだが、できるかなー、無理っぽいなー。
せめて旅行は、ちゃんと行けるといいな。



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