昼行灯(だった)トキの大雑把なひとりごと

クレヨンしんちゃんよりもユルく生きていた(当面過去系)私の備忘録と、大雑把なひとりごと。時々細かく語ることも。

鳥を見た

2024-04-24 22:57:31 | Weblog
野趣溢れる住宅街の外れにある我が家の近くでは様々な野鳥が姿を見せるが、今朝、見慣れぬ羽色の鳥を見た。
自宅近辺ではたまにツグミが姿を見せるのだが、大きさはそのくらいかと思えど色は明らかに異なる。
車を走らせながら記憶を辿った結論は、迷鳥であるヤツガシラ。特有の桃灰色と羽先の黒い斑点。もっともすぐ飛び立ってしまい頭部は確認できなかったので、何とも言えない。

そして毎朝寄るコンビニの電線を見上げると、そこには鶺鴒。顔を見ると白斑がなく、こちらは1980年代から南下し本州進出したハクセキレイにすっかり追いやられたセグロセキレイであろう。
肉眼視は約40年ぶりである。

以上が仮に事実ならば、今日は珍なる経験をした日ということになる。

プリンタ買い替え

2024-03-24 00:43:32 | Weblog
マカーで27年通しているが、現在はM1 Macminiをメイン機にしている。
そして3代前くらいに使っていた黒Macbook(まだ動くので動態保存中)の頃から使っていたプリンタ EPSON PX-7Vが、遂にインク詰まりが解消しなくなり寿命を迎えた。

この機種は写真印刷の美しさがウリで、インクも9色も用意する必要がある贅沢品。インクセットだけで一万円超えるコスパ悪商品である。
なぜこれだったか。まずA3印刷がしたかった。それで当時、Mac用でWifi接続可能なプリンタが他になかった。ただそれだけのことである。
とはいえ購入後、名刺印刷と年賀状印刷くらいしかプリンタを使う機会はなかった。そして最近、皆年賀状の習慣がなくなったので我が家も基本やめている。そうすると用途は名刺印刷くらいしかしない。そのために高精細写真用9色インクのプリンタは明らかにオーバースペックである。

それで代替機を探すに当たっては、5万円以下の低価格品から選ぶことにした。結果、A3印刷できてWifi接続できるものからCanonのPIXUS ix6830にした。
EPSONの同等品はカセット給紙、自動両面印刷ができるタイプで、かつ安かったのだが、前後幅がデカくて我が家のプリンタ置き場であるサイドボードに底面が収まらないため諦めた。
スキャナも数年前にEPSONからCanonに買い替えており、これで印刷周りはCanon製に統一されたことになる。

さて購入した機種は、調べると2014年くらいから販売しているらしい。どうやら最近は皆A3プリントできるインクジェット機なぞ買わぬらしい。
使用にあたりネット上からドライバやらセットアップ用プログラム等をダウンロードしたが、説明用HPはいかにも10年前のそれで、古臭いしわかりづらい。
無線接続用のソフト一式をインストールできるアドレスに辿り着く前に、意味なく個別にプログラムをダウンロードしてしまった。
それでもとりあえず動くようにはなったので良しとしよう。

動かしてみた感想。うるさい。ガシャガシャ動作音と揺れがすごい。
PX-7Vはミドルエンド機だったこともあり比較的静かだったので、かなり気になる。
しかし良いこともある。印刷開始までの準備時間が圧倒的に早い。作りが簡素なためと思われるが、用途からすればこの方が都合がよい。
本格的な印刷はまだしていないが、とりあえず早々に壊れたりしないことだけを願う。


能登半島地震私考

2024-01-10 00:35:34 | Weblog
正月の夕刻、昼寝をしようとしていたところに、能登で震度5強のアプリ速報。飛び起きてNHKニュースを点けたら、その数分後に震度7。珠洲市ライブカメラでの住宅倒壊を生で見て「これ震度7ある」と分かってしまった。

その後の直下型での大津波警報は大変ビビった。例の山内アナの声はかくあるべしと思ったが、次第に神経に刺さり一時民放へとチャンネルを変えたりもした。そして後日集められた津波映像は東日本大震災と同じだった。それが揺れとほぼ同時に来るとは。
今回の地震は阪神淡路と東日本大震災の両方の特徴を併せ持つ非常に厄介な災害と思う。
以下私見。

一連の地震活動の始まりは平成19年の能登半島地震と考える。ここは当時「地震の空白域で起きた」と言われた。つまり観測史上初であった。
その後の新潟県中越沖地震もやはり空白域だったようで、この2つが能登半島沖の活断層を目覚めさせた端緒と想像する。以後、謎の群発地震に次いで、昨年5月の震度6がいよいよ本震かと思えば、今回の事態であった。確かに、群発はこの震度6以後も継続していたが、これほどとは、である。
長さ150kmに渡る複数の断層が浅い地域で一気に動き、震度7の強烈な揺れと、多くの木造家屋倒壊に繋がった。直下型で揺れの周期が木造家屋にダメージを与える点は阪神淡路に似る。火事は起こったが予想以上に少なく、これは阪神淡路の教訓を踏まえた成果であろう。
そして一連の地震の原因は地下の流体移動にあるとされるが、長距離に渡り複数の断層が連動して動いた点は、メカニズムは全く違うが東日本大震災と似ている。なお東日本大震災でずれたプレート境界に進入した水分が能登半島地下で上昇したと見る向きもあるそうだが、東日本大震災よりも平成19年の地震が先行していることから、私は両者の直接的な関係性には懐疑的である。
今回、直下型・断層型地震であるが、陸地近傍の海底断層が動いた為に津波発生となった。東日本大震災では震源が沖合であったため、揺れと津波規模は大きく長時間であったが建物倒壊や地割れ崖崩れ等は今回の地震ほどはひどくなかった。そのため、地盤沈下で津波浸水が引かない地域以外は道路啓開が比較的早く進んだ。仙台空港を米軍が片付けてくれたのも大きいが、津波による瓦礫堆積だけでなく地盤が能登空港並みにガタガタだったらこれは無理だっただろう。今回、道路復旧がなかなか進まないのも同じ理由で、揺れの被害が酷すぎるのと、かつ山岳地形がほとんどで土砂崩れの道路寸断が致命的に多すぎるのもある。余震もこう多くては手のつけようがない。
また、能登では海岸線が東日本とは逆に大きく隆起しているのはまずかった。しかもこれは一説には数千年に一度起こるレベルで、能登半島には同様に数千年おきに形成された断層崖が3つほど見られるという。つまり、地質学上は知見のあった、しかし東アジアの歴史上記録のない大事件に我々は居合わせてしまったのだ。
ということは、この現象について我々は予測の術を持っていないということになる。今後どのような周期で、ひょっとしたらさらに大きな地震があるのかもしれないが、それをわかりようがない。
それもあり、東日本大震災の時、宮城県は発災後数日のうちに市町の復興グランドデザイン案を作ったのだが、これが今回の石川県では難しい。
というのは能登半島北岸の漁港は軒並み隆起しており、元の位置に港を復旧するには大きく掘削、事実上の掘り込み築港を行うことになる。これはとても現実的ではない。かといって新たに生じた土地の外部に港を作るといっても、当面地盤は安定しないだろうから、実用的な港の再建は、できても30年後くらいになると思われる。付言すれば工事に先立ち測量や表示登記といった事務手続きも要する。そんなことをしている間に、超高齢化していた被災集落の多くの人が再建を待たずに去ることだろう。
東日本では牡鹿半島などで「過疎化が10年加速した」と言われたが、能登半島地震ではおそらく「都市消滅が加速到来した」ことになる。生業を支えるインフラが当面再建できないのなら人は住み続けられない。
つまり復旧・復興の青写真を今回のケースで描くのは非常に困難である。これは液状化が激しかった新潟県なども同様で、どこに住宅再建を進めるのかといえば、防災集団移転どころではなく、もう既存の生き残った宅地に移ってもらう方がましだ。この20年の間だけでも何度もこうした住宅倒壊規模の地震が起きているとなれば、宮城県のように防潮堤や高台移転で何とかするレベルではない。100年単位で様子を見なければ安心して再建などできないように思う。現実的には「現地復旧は諦め、災害救助法など各種法制度の枠組みをフルに使い、なんとか故郷を離れ、先祖伝来の土地を捨て、他の仕事を見つけて生きていく」しかないであろう。つまり、事実上「復旧」は無理で、取りうる選択肢は人生のリセットしかない。ハワイの大規模溶岩被害のように、もう住めないレベルで地質学的変化が起きてしまったという事実を、今度こそ受け入れなければならない。とりあえず地殻変動が沈静化するまでは、断層から離れた箇所に仮設住宅を早く整備し、そこで住むしかない。
しかし、自らの家屋敷や土地といった財産が無価値になるという残酷な事実を人は受け入れることが難しい。そういう現実に、旧住民の心は東日本の時以上に荒むだろう。被害面積は東日本の時よりは狭いので、県外への二次避難などはやりやすい(道路が通れば)と思うが、おそらくこういう地方集落の人はそこを離れたがらない。まず、自宅や埋まっている家財道具、財産など心配なものが多くあるだろう。まして行方不明者がいる人は尚更である。ましてや、1月1日という、よりによってほとんどの人が休みで、かつ田舎に帰省でキャパ以上の人が存在しているときの災害である。深刻すぎる。本当は、もう何もかもを無くしたのだと割り切って二次避難をすぐにすべきである。そして元の家に戻ることは諦め、新しい生活を模索することだ。年配者ほど辛かろうが、そうすることが最も合理的である。
そして人は、合理性では決して行動決定しない。感情的好悪でその行動を最終決定する。これも東日本大震災の復旧・復興で得られた大きな教訓である。ヒトという生物はそんなに合理的にはできていない。

セカオワ「habit」

2023-01-11 08:34:00 | Weblog
今更だけど年末のモノマネ番組と紅白で知ったこの曲
滅多に歌詞に共感なんてしないけどこの詞は非常に刺さった
何が凄いってそのまとまり完成度なんだけど
詞の内容に限定して言えば言ってることが全て正しい事実認識も論理も正しい
その言ってることは要するに実存主義だったり論理学だったりそういう背景が色濃く滲む哲学専攻にとっては馴染み深い「議論」の類でそれが単純に心地いい表面を繕わないという徹底した態度も良い

アジテーション系としては完成系なんじゃないかって思うわ

2023-01-01 18:44:00 | Weblog
初夢は今晩見る夢だというから今朝方見た夢はどうなのかと思うが、内容は足の指が増えているというものだった。本来の指の間から細い指が生え、一部は枝分かれしている。
吉兆だと良いが。

シンウルアマプラで視聴

2022-11-30 13:02:00 | Weblog
なんつーかもっと怪獣を大事にして欲しかった

なんでウルトラマンは成田亨デザイン尊重で他は変えんのよ宇宙人もゼットンも
あと幾何学的造形と生物っぽい何かのミックスデザインもう飽きたわエヴァーで十分やったじゃん

後半は結局地球外知的生命体の話だけになったのも不満
庵野はそこにこだわるんだろうけどさ
怪獣も生物兵器にしちゃって知性体が絡んだものに落とし込んじゃうしさ
いいじゃん自然現象のままで

怪獣の脅威って自然災害のそれじゃん本来
そこ大事にしてよ

猪木よ

2022-10-04 12:49:00 | Weblog
年齢的にこの世代は皆プロレスブームを通っていて男子なら多少なりとも猪木に関心を持っていたと思う。
自分は猪木信者&アンドレ先生信者だから、今回のことはショックなはずだが、病状がほぼリアルタイムで公開されていたからか、驚きはなかった。
何より、9/30は午前3時まで残業していたのだ。訃報を知ったのは兄からのSMSで、午後2時くらいにソファで目覚めた時だった。

今年は藤子A先生も逝った。これは前置きがなかったから驚いた。昭和の少年時代が終わったのだろう。

あまりいい時代ではない気がする。世間を揺るがす嫌なことが多い。生活の危機もリアルに迫っている。

今朝は久しぶりにJアラートが鳴ったらしい。損害が生じなくて良かったが、それは運不運にすぎない。

ともあれ自分は、昭和の少年として生きようと思う。だって、他の生き方を知らない。