昼行灯(だった)トキの大雑把なひとりごと

クレヨンしんちゃんよりもユルく生きていた(当面過去系)私の備忘録と、大雑把なひとりごと。時々細かく語ることも。

久々に時事問題を書く気になりました。

2010-07-13 23:50:08 | Weblog
なにげに前回の記事は、weblogカテゴリー100件目だったんですね。キリ番だ。

さて本題です。
ネタは今回の参議院選挙。

私自身のことを言えば,投票への意欲は正直いまひとつでした。
投票率は低調だったようですから、どうやら皆さん同じだったのでしょうか。

与党苦戦は伝えられていたところであり,みんなの党躍進も予想の範囲内といえます。
ところで,比例区では民主党が結構得票していますね。
このあたりは,バランス感覚なのでしょうか。

以下,分析も何もない単なる感想です。

民意が増税論を嫌ったにしては,今回,与党・民主党と同じ増税を掲げた自民党が伸びています。
ということは,もちろん増税反対の人もいたでしょうが,そこが真の争点だったかというと違うように思います。
思うに,民主党が政権を担うことに対する不安や不信のゆえ,ということでしょう。
同じ増税を言うのであれば,以前からそれを匂わせており,戦後ずっと政権を担ってきた自民党のほうが政策立案・実行力の点で信頼性があるということかと。

それとは別に,みんなの党が躍進したのは,やはり皆「ムダ削減」を第一に考えているということになりましょう。
では「ムダ削減」の「ムダ」とは何か,と言う話になりますが,要は官における不要のポストや高給,がイメージされているように思います。
選挙民には役人も居ますから,そういう人は当然こういった政策には是非があるでしょうが(とはいえ、役人の中にも是の人は少なからず居ると思います),大多数の非「公務員(又はそれに類する職の方)」にとっては,「高給公務員の天下りポストや給料の削減」が財源となるのであれば、それは「自分に痛みのない改革」というふうに見えます。

ただ,解せないのは,渡辺代表の掲げるアジェンダは,小泉構造改革路線の継承と考えられる点です。
小泉政権は熱狂大人気のなか幕を閉じましたが,その政策は後になって弱者切り捨てと強烈に批判されました。
その結果,後の自民党政権では大きな政府路線を取らざるをえなくなった。

みん党のいう「小さな政府」では,当然セーフティネット機能が小さくなります。セーフティネットを用意するのが政府なのですから、それが小さくなればネットも縮小するのは道理です。
つまり,ムダ削減をしたとしても,結局はまた弱者切り捨てが起こることは想像に難くない。

それで,いいのでしょうか?
いいと思っているならば,小泉路線への批判は何だったのか。
なぜ,郵政改革を逆戻りさせる民主ー国民新党連立政権の誕生を許したのか。
どうも,民意が読めません。

負担が増してもやむなし層は自民に,負担増絶対反対層はみん党に入れたのではないでしょうか・・・とも思ったのですが,
思い返すと民主が政権奪取に至った公約では,「増税の痛みなくムダ削減で財源が出てくる。それが埋蔵金だ」というものでした。
そして,いざそれをさせてみたら,どうもそんなことはなかったらしい。
ということは,みんなの党に,民主ができなかった「埋蔵金発掘」を期待しているということですかね。
でも,自民もできず,民主もできず,ということがみんなの党なら可能なのか?と考えると,どうなのでしょう?

それから,ねじれ国会となったことや,選挙区と比例区の投票行動が異なる点は,以下のように思えます。
すなわち,国民はいずれか一党に権力が集中することを望んでいない。

ねじれ国会では意思決定が遅れがちであり,有効な政策を早急に実現するという点では劣りますが,それでも国民はこういう選択をした。
ということは,「一つの政党には任せられないが,政治家みんなでよく話し合って最適な政策をとれ」ということやに思えます。
これも選択といえば選択でしょうが,どうも,具体の政策を国民自ら決定するという図式からは遠い。
なんとなく「お上頼り」「お上任せ」の姿勢であるような気がしてなりません。
「下々の庶民は考えられない、又は考えないので,上の人たちみんなで相談して,いいようにやってくれ。任せるから。」という。
これを,投票行動の責任回避,と言うと言い過ぎでしょうかね。
あまり好ましいとは思えない感じ。あくまで「感じ」ですが。

 数年前は,社会情勢についてあれこれ思いを巡らし,駄文を書き散らしてきましたが,最近は力不足に加え、情勢の不透明さに、正直歯が立ちません。
 今後、日本って、どうなるのでしょうね。

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