昨夜は仕事で知り合った人たちと食事をしました。
同じ仕事をしている者同士なので
色々な話で盛り上がっていました。
長い間、やっていると色々なダークな部分も見るし
あまり好ましくない話もあります。
でも、帰ってから思ったのです。
その時は嫌な思いも沢山ありましたが、
結局はそこで色々な人間というものが持つ性質を
学ぶことが出来たのだと・・・
そのおかげで、世の中を知らない考えの甘い私も
気づかないうちに随分成長しました。
同じ仕事をしている人でも、
特に驚くような人に出会うことなく過ごす人や
沢山の驚きに遭遇する人・・・
嫌だと思うことやショックな事、悲しいことなど
自分にとって良い話ばかりででないことが起こっているときは
どうして?ともちろん思うわけですが
私のようにずーと後になって理由がわかるかもしれません。
その理由は、どっちが悪かった正しいでもなく
それを通して変化した部分がどうなのか?ということなのですね。
誰が正しい、何が正義などというものではなく
自分にとって起こった出来事と「どう向き合ったのか」という
あくまで、それぞれ個人の問題となるようです。
どうしても、なんて汚いやりかた!、なんてひどい裏切り!など
その行為そのものに対しての評価をしようとして
ひどい!と思うわけですが
ひどいことをしたとしても、パワーがないほうが泣くことになります。
不条理と思うことがまかり通ることも多々あります。
でも、それぞれの立場でそれぞれが何かしら
変化するきっかけを与えられているようです。
何だか、細い糸のように全ての出来事が繋がっていて
その先に自分の人生が紡ぎだされて「個の人生」と言う
完成した一つの織物ができあがるような気がします。
良いこと、悪いこと・・・
色とりどりの細い糸をどのように使って
どのように紡いでいくのかは全て自分次第です。
出来上がったものは人生が終わるときにしか
分からないかもしれません。
だからこそ、そのときの自分にっとっての
精一杯、そして正しいと思う選択と行為をしていく
ことが必要なのかもしれませんね。