最近読んでいる本で臨死体験をした方のもの。
その中で臨死体験の中での気づきの部分が書いてあるのですが
これを読んでいて驚いた。
こんなことを言うのはおこがましいけれど
時々私が気づいて書いていることと同じような
ことを書いていて表現も似ているので読んでいて鳥肌がたった。
私は何者でもない。
特別な経験をしたわけではない。
いろいろな経験から沢山のことを学んできてはいるけど
解るときはフッと気づくのです。
だからと言って、全て悟っているわけでもない。
普通の肉体をもって、この物質世界にいれば
色々な人にも出会うし悩みながら人生を歩む訳です。
どんなに立派な事を言っていても
実際はこの言葉通りに自分自身生き、
物事を選択できる人は僅かではないでしょうか?
下手をしたら自分自身で気づいたものではないかもしれません。
スピリチュアル好きが講じて文才があるのかもしれません。
自分自身で気づきがあったからと言って
日常に巻き込まれて、つい大事な事を忘れてしまって
また気づかさせてもらう・・・この繰り返しです。
それでいいのではないでしょうか?
「気づき」は自分のためにあるのです。
それをどう活かしていくのかは、それぞれの役割だと思う。
その「気づき」を自分の日常に活かすこと・・・
この世界にしっかり生きるために「気づき」があるのだと思います。
私自身、これでいい・・・と
時々気づかさせてくれる機会に出会うと
自信のない私は少し安心して、また前に進めばいいと思えるのです。