自分を何かの型にはめられて言われるは
とても不愉快だ。
ほとんど話したこともない人に
自分のことについて上から目線で
知ったようなことを言われるのは
これもまた不愉快だ。
あいさつ程度で
ほとんど知らないのに
知ったようなことを言われるのは不愉快だ。
でも、人は不思議なことに自分が上に立って人を評価し
イメージを使って知ったような気になるのかもしれない。
真実はどうでもいい。
人によって、
または職業によっては
自分自身で自分がよく分からなければ
それに流されてしまうかもしれないし
イメージされたものに対し
自分もそうだと思っていくかもしれない。
少し前にも、またそんなことで私も腹を立ててた。
でも、よく考えてみると面白いもので
人によってイメージするものが真逆だったりする。
誰しも他面性を持っているし
自分で自覚のない自分自身もあるだろうし
あまり表に出さない嫌な自分もあるかもしれない。
だから、人が言うイメージは
何処かの角度で見える一面でもあるのかもしれない。
ただ、誰に言われるか?で不快に感じてしまうのかも・・・?
結局よく考えてみたら
不愉快だったことも不愉快でもなくなってくる。
「そんな面もあるかもね~」と聞き流しておけばいい。
イメージはイメージでしかない。
実際ではないものさえイメージしてくるのも
また、何かの面をみてイメージしたのだろう。
自分でさえ自分のことが
よく分からなかったりするのだから
イメージされることも自分の一片であるかもしれない。
そんな曖昧なことで
私たちの身の回りは出来上がっている。