外見と内面にギャップがある人は多い。
私もそうだと思う。
若い頃、
「育ちが良さそう」
「大事に育てられてるって感じ」
とかアルバイト先の先輩や大人からよく言われ
そう見られていることが何故かとても嫌だった。
意識的に変えていった自分があり
それとはまた別に内面の表れも混合して今の外見がある。
今はガサツで育ちが良さそうとは一切言われない。。。
そう思うと、人は一体何を見ているのだろう?
完全に内面を見ている人もいれば
完全に外見しか見ていない人もいる。
人それぞれ、勘があるけれど
自分で勘がいいと言う人ほど当てにならないものはない。
とにかく、そう言ったものもひっくるめて感じとる。
外見は自分がなりたい自分、
人がイメージする自分に近づけることはできる。
けれども、内面はそう簡単に変えることはできず
変えたと思い込もうとしてもなかなか上手くいかないものだ。
外見ばかりに意識がいき内面を置き去りにすると言うことは
人生の課題をいつまでも放っておくと言うこと。
その課題を外見に費やすことで
自分自身を誤魔化していこうとすること。
外見は他という対象があって意識する。
内面は表面的には他という対象があるような錯覚をしたとしても
実際はそこには自分自身しかいない。
人が複雑にしているだけで
根本的には全て単純なこと。。。
外見と内面、内面を表現するために外見がある。
美しさは自然なバランスの中に現れていく。