義父の死を見届けた。
人の死に関わる仕事はしていないけれど
死に対面することが何度かある。
そんな時、色々考えさせられる。
現代は、祖父母の死に対面するとか葬儀が初めてだったり
死に対面することが少ないだろう。
でも、死があると実感して
生も実感できるのではないかと私は思う。
当たり前と思っているのと実感しているのは全く違うことだ。
実感する事ができて生も死も活かせるのかもしれない。
真面目に生き、何も後悔がない人生のように見えるのに
死にゆくものは生への執着を残しているように見える。
真面目が故の残していくものが心配でたまらないのだろう...
真面目で抱えているものがあると心配も残る。
ちょっと、いい加減なくらい適当な方が執着を残さずに済み
気楽にいけるのかもしれないと思えてしまう。
また、残されるもの...
対応も対処、痛みや様々な感情も人によって色々だ。
愛するもののの死にで合わず済むのならそれは有難いけれど
逆に考えれば、誰かは悲しみを味わうと言うことでもあるし
愛するものが多ければ遭遇する機会も増える可能性は出てしまう。
けれども、それは人生をとても豊かにしてくれたものだったに違いない。
愛され人生を豊かにしてくれた感謝をしっかり抱き
残りの人生もしっかり豊かに全うしなくてはいけない。
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