「幸せでいたい」
誰もが願うこと。
幸せって何だろう?
幸せであったかと思うと、
何かがあると幸せを感じられなくなったりする。
幸せってそんなに儚いものなのか?
そんなことはない。
何か解った気になると幸せを感じる部分も
もっと根深いところにあるとわかるのに
やはり直ぐに忘れて儚い幸せで満足していく。
パートナー
結婚
お金
子供
孫
幸せって、
そんな風に全て自分の外側にあるものなのかな?
誰かがいないと幸せにならない?
何かがないと幸せにならない?
外に求める幸せは本物なのか?
幸せはそんなに移り気なものなのか?
幸せを外に求めようとすることが間違い。
本当は幸せは外にあるのではないだろう・・・
自分の中に見出せるはず。
何も持っていなくても幸せでいられる。
誰かが、
何かが
自分を幸せにしてくれるわけではない。
何をしたら心が喜ぶ?
何をしたら魂が喜ぶ?
自分の中に問いかけよう・・・
心が求める答えを根気よく聞いてみよう。
自分の中に痛みや悲しみ、怒りがこみあげるとき・・・
自分にないものに、より意識がいくもの。
そして、それを持っている人は自分が感じるような痛みなど
何もないように見えてしまう。
自分が感じるような感情、そんな手にしていないことからくる
欲求不満な感情はきっとないのだろう・・・と思ってしまう。
どうして人のこととくらべてしまうのか?
そんな時は人を羨む気持ちが湧き出てしまうから。
そんな風にネガティブな感情はまたネガティブな感情を呼び込むように
連鎖して次々沸き起こっていく。
しっかり自分の感情を見ておかなければ
黒い感情に自分がほだされていってしまう。
きっと、そんなところがいじめや妬み嫉妬として外へ
向かわすことを自分が認めてしまうのでしょうね。
自分の中の感情を、
特に黒い感情はしっかり自分で管理しなくてはいけない。
それなのに、現代は特に垂れ流しできる環境になっているので
自分で管理することを覚えずただただ垂れ流してしまう。
自分の中から湧き出る黒い感情は自分が作り出しているものであって
外の物事が要因ではない。
そのことに気づくこと。
それを、外へ向かって吐き出すのはエゴに過ぎない。
感情のようなエネルギーはとても強い。
もっともっと、基本に立ち返って考えてみると見えるものがある。
自分の感情に対して、責任をもって自分が理解すること。
そんなことも必要。
何か調べものをするときなど、
必要なときはパソコンに向かう時間も多いのですが
基本的にネットサーフィンのようなことはしない。
あっという間に何時間もとってしまい
その時間が無駄に思えるから・・・
このブログも何となく思ったことを書くだけ。
特にランキングを伸ばすために工夫することもなく
素晴らしいことを書くわけでもなく
ダラダラ日記のように続けている。
特に注目されているわけでもなく
特にランキングが上なわけでもないから
何も気にせず思うままに書いたりできるのかもしれませんが・・・
人のものをみると、それを自分の気づきのように書く人も多い。
そうすると何だか軽いものになるし何のためなのかわからない。
自分の気づきも自分の言葉もひらめきも
いつも素晴らしくいられたらいいなあ・・・
変な時期
たまに自分の殻に閉じこもってしまう時がある。
ニコニコすることも無く、笑うことも忘れているような・・・
淡々と日々を過ごす。
何だか、自分という中に捕らわれてしまったような感覚。
今は、そんなときでも理由や答えをだそうと躍起になったりしない。
時がこないと見えないものがあるから・・・
全くきっかけがないわけではなく、引き金は多少なりともあるけれど
それを引きずっているわけではない。
それに、引き金があったにしても
今改めて見直す必要があったのでしょう。
物事を違った角度から見る必要がでてきたということはわかる。
それがクリアになるまで待たなくてはいけない。
今もそんな時期。
おしゃべりが上手な人って羨ましく思う。
その人がいるだけで話題もその場の雰囲気も明るくなるような人。
たまにいますよね~
こればっかりはなりたくてなれるものでもない。
才能だし性格もありますよね。
性格も明るいし比較的さっぱりしてるのかも?
すてきだなあ~と思います。
どんな人にも何かしらの才能があるはず・・・
それに気づいている?
気づいていなくてもいいけれど
才能は自分のためだけにあるわけではないと思うのです。
外に向かって生かすことで、自分のためにする。
結局は自分を活かすためのもの。
活かせることで自分が豊かに、まわりも豊かに。
無理やり身に着けるものでもないし
ほしいものが手に入るわけでもない。
外側の物事に興味を持ちすぎてしまうのも人の常かもしれませんが・・・
もっともっと、自分の中身を知って
自分の中身を好きになり興味を持てば
違った見方もできるようになるのかもしれませんね。
今日は映画スターウォーズをみた。
相変わらず、壮大なストーリーを考えるものだなア
と感心してしまいます。
でも、また全編を見直さないとかなり忘れていたりするのですよね。
人の中にある闇と光。
どちらを自分が選ぶのか・・・
これから観る人もいるので、お話しはこれくらいにしておきます。
人のことを思いやったり、気を利かすことはいいこと。
でも、いつの間にか自分のことを後回しにしていて
気が付くとそれが周りの人にとっても当たり前になっている。
いつの間にか自分の中の何かが枯渇しているのに
自分自身は気づくことができずにいる。
周りの人のことも大事なこと。
状況によっては自分以外の人のために尽くさなくてはいけない時期もある。
でも、そういった状況でなくても周りの人のためと
言うことを優先してしまったりする。
それなのに、感謝されないとがっかりしてしまう。
別に頼まれてもいないのに良かれと思ってすることが
自分自身を窮屈にしていく・・・
相手の喜ぶ顔が見たいから・・・
そんな風に自分がしたことの先を想像して
相手から、ある何かの良い反応を期待すること。
たまには良いかもしれないけれど
それが習慣的にしているのなら、少し考えたほうがいい。
相手に勝手に期待しないのならよいけれど・・・
それは、単に自分の期待を相手に押し付けていることになる。
それによって自分の心を満たそうとしている・・・
それではダメ。
自分の心は第三者によってではなく、
自分自身で満たせなくてはいけない。
それで初めて自己完結できるのだから・・・
何かの立場、誰かのため・・・
そんな自分以外のものからの称賛によってしか
心を満たすことができない間は
まだまだ本当に自分が満たされているわけではないし
そんな自分では本当に誰かを自然に喜ばせることなんてできない。
本当に何も、期待の微塵もなく自然と何か人のためにできるのは
自分がすでに全て持っているときに初めてできることなのかもしれない。
表面的である人はとても多い。
もしかしたらほとんどかもしれない・・・
すべては奥が深く、すべてはシンプル。
すでにあって、いつもない・・・
あっという間に一か月が経つ。
今思うのはその都度、その都度、
それをやるための時間があったのに
その時はボケっとしてただ時間を無駄にして
後になってそのための時間を無理してまでも作り出そうとする。
例えば、勉強もそう。
全教科とまでは言わなくても何かの教科、
私でいえば英語。
沢山勉強のための時間を過ごしたのに
その時は全くやらず、今になって無理に時間を作る。
勉強に限らず、
何についてもそんな風な時間の使い方をしていることが多い。
それで、「時間がとれない・・・」
なんて言い訳をする大人の多いこと。
だから時間がないとか言わず時間を作ること。
いつまでも言い訳したって何も変化は訪れない。
だから、見違える変化をあっという間に起こせるなんて考えず
今の自分が望む未来の自分の姿に少しでも近づけるよう
少しづつ時間を積み上げていく・・・
望む完璧な形でなくたって
今より少しでも望む形に近づけられたのなら進歩があった証拠。
今より少し自信が持てる。
同じ時間を使うのなら
未来の自分にも身になることのために使ったほうが
今の自分にも、未来の自分にも素敵なことですよね。
何かが変わる前・・・
何かが自分の中で崩れる前・・・
何か起こった物事などについて思い出して怒っていたり
悲しかったり虚しかったりと何かしらネガティブな感情が
自分の中に沸き起こってきたりする。
それは誰かのせいで自分以外のもののせいにして
だから今こうなった、だから今これが無いとか
自分の中にわだかまっていたような部分が腹を立てていく。
でも、それが自分が引き起こす一部であったり自分が決めたり、
物事の流れの一部になっていたことに気付く。
すでに流れの中に自分はいたことに気付く。
すべてが繋がっていたことに気付く。
そうなるべくして今に至ることに気付く。
理由なんて考える必要はない。
ただ、この形この状態が与えられたものであるだけのこと。
自分が「今」欲したりした形や状態でなくても
これが与えられた形なんだ。
それが自分にとってベストであるような・・・
すでに、ずっと過去から今そして過去と
物事は交差しあっている。
すべて繋がっていて
自分自身が考えるような小さな枠の中である理由なんてない。
人は今、自分が納得できるような理由を欲しがるけれど
そんなものは無いんだ。
それよりも、今自分が手にしているものや状況の中で
自分ができる精一杯を使い生かしていくこと・・・
誰かのせいにしたり
理由ばかり探しても何もスタートしない。
すべて自分が自分自身の流れの中にいたことに気づくこと。
そこでどうするのかは自分次第。
私は随分と前から会社にお勤めという形式をとっていない。
社交性がないせいか多くの人と本音と裏腹な交流が本気で嫌いだし
いじめや妬みの中にいるのに疲れてしまったから・・・
そう思っていてもできない人は多いと思いでしょうが。
それでも、まったく多くの人の中に行かなくていいわけでもなく
仕事によっては「得意」な社交を活かさなくてはいけない。
先日、ある忘年会にお邪魔したのですが
対外そんな時は端っこに静かに眺めている感じ・・・
私は前からこういったサラリーマンの飲む席が嫌い。
必要以上に大声で騒いだり
甲高い声で面白くもないことで笑うのはなぜだろう?
きっと、面白いし楽しいのだろ。
普段と話し方も笑い方も違うのは
ストレスが溜まっているのが爆発するのかな?
それでも、上司にや権力者ににゴマゴマすりすりすることは
忘れずに、よりくどく褒めちぎる。
なんとなく、不思議な環境。
もっと、普段から自分のままでいたらいいのに・・・
といつも思ってしまうのだけれど。
たまに、不特定多数の中にいくと
とても不思議な何とも言えない雰囲気に圧倒されます。