変化が起きる前触れって気を付けてみていると何となくある。
だからと言って、気をつけようもなく
心が痛むことも混乱することも同じようにあるわけで
上手く対処できるわけではない。
そこが人の出来事のように冷静にみられないところ・・・
そんな人間臭さから学ぶことや成長することができ
必要なことなのかもしれませんね。
そう考えると、人生って
自分ではどうすることもできない、ある川の流れがあって
そこをどう進んでいくのか・・・?
というような感じに見える。
穏やかな流れもあれば
激流にのまれるときもあるかもしれない。
流されないように必死で何かに掴まって
流れに逆らおうとしたりして苦しむ。
もう耐えられないと手を放して身をゆだねると
案外また違った流れがあったりするもの。
ずっと悪いままの流れもなければ
良いだけの流れもない。
そこを、どう流されていくのかは自分の意志。
次の流れがどうなっていくのかなんて分からない。
そこで、しっかり身を委ねる。
いつも、「自分が」と傲慢に思い込みが過ぎたとき
ガツンと流れが変わり無力だということを気づかされる。
上手く手の上で転がされているようなもの
なのかもしれませんね。
本当に自分の中でストレスをため込んでいく人が多い。
あれが嫌、これがダメ、気に障る奴・・・
周りのことにしても人のことにしても
自分自身のことにしても、
そんな風に一つ一つのことを黒いごみ袋に入れ
心の中に残していく。
それが心の中に少しずつ溜まっていくのだから
ガスが口からでるようなことになる。
ガスが口から出る・・・
そんなものを受け取りたい人なんていない。
自分の心の中のことは自分で対処していくしかない。
物事の見方を変える
変えられるものは変える
なるべく関わらない
努力する
自分自身が変わらなくてはいけないことも沢山ある。
考え方もモノの見方も正しい、間違いも
多くの基準は自分自身で枠を設けたもの。
そんな足かせを緩めることも
宙にふわふわ浮いて漂うのをやめることも
本当は自分で決められる。
そう簡単じゃないかもしれないけれど
心底自分が決めれば自分自身を変えることはできる。
習慣的に心にごみを増やすことをやめよう。
必要のないごみは沢山あるはず・・・
「本音と建て前」と言う言葉が日本にはある。
どうしてもっと人は本音で話したり行動しないのだろう?
私は少しこのことについて疎いのかもしれないけれど
好きじゃない人と行動することも
全く思っていないことを平気で口にすることも
かなり無理しないとできない。
これは多くの先進国ではある話しなのだろうけれど・・・
先日のブログにも書いたように
人は自分自身のことをいい人だと思い込みたいところがある。
ましてや、人にはいい人だと思われたい。
それくらい表面的には良い人っぽく演じようとするし
好きな人の前では特にそうするだろう。
自分自身のこともだまして良い人であるようなふりをする。
どれほどの人が本当に本音か?
自分のことでなければ多くの人は「かわいそう」「もっと公平に」
とか言ったりするけれど実際自分に降りかかる問題なら
そんなきれいごとも言えないだろう。
差別とかの問題もそう。
本当に心底自分自身にはそんなところはないか?
私はあると思う。
誰もが公平で差別もなく良い人なら
人前で正々堂々と本音もいえるだろうし平和になる。
きれいごとを言う人の多くは
自分以外の人の話しで自分が優位な立場にあるからだ。
きれいごとも偽善も・・・
もっと、自分自身が本物を見る目を培わなくてはいけないのだと思うし
偽善的な言葉や表面的な心地の良い言葉に
流されない芯は持ちたいものです。
私は自分自身を単純だ・・・と思っていたけれど
何だかそうじゃないように感じてきた。
わがままじゃないとも思っていた。
どうやらそうじゃないのかもしれないと
薄々気づいてきた・・・
何だか気難しい?
何だかわがままかも?
何だか面倒な人?
だから何?って感じだけれど
自分が思っている自分像もまだまだ勘違いしているかもしれませんよ?
しっかり自分を分かっている人もいれば
私のようにそれさえもおぼつかない人もいる。
前者のタイプは比較的色々な物事が明確かもしれませんが
後者のタイプはもっと人生がぼんやりしているかも?
ぼんやり手探りしながら、
どこかにガツンとぶつかったり迷ったりしながら
少しづつ少しづつしか進めないかもしれないけれど
そんなのが自分なんだよね・・・
周りからどう見えようが
自分自身なりに頑張っているのは同じ。
そういえば、今年の初夏あたりから
ダイエットのことをブログでかきましたが・・・
実は細々とやっております。
某有名パーソナルジムのような大きな結果を短期間では
出していませんが少しづつ落ちてはいます。
まぁ、アップダウンしての結果ですが・・・
半年くらいたっているのかな?
2~3㎏くらい。
甘いものも外食もしているし、全く動かない日だってある。
ピークの時に比べたらって感じだけれど
もう少し快適でいられるように続けよ~
もう一つ、今年も英語を何とかしたいと言っていましたが
相変わらずぐずぐず続けられずにいました。
やっと、今月になって始めましたよ!
もしも、私の歳でできるなら皆さんもきっと励みになりますね。
だって巷に出ている本って30歳そこそこでも
この歳からでもできるって書いてあることも多いでしょ?
それに、本当に基本も発音もダメで
表面的にはチョッとしゃべったりするけれど
基本が弱すぎて伸びしろが今以上にないから
底上げからしなくちゃならなくて・・・そこが大変なんだなぁ~
これも、今回こそ結果をだすためにヤル!
昨日の夜ベットに横になって目をつぶった後すぐに
一瞬ピッカっと光ったので
電機でもつけられたのかと思った。
すぐに目を開けたのだけれど同じように暗いままだった・・・
何だったのかな?
年齢と共に身体の不具合や病気などもあるだろうから
変わったことがあると驚きますよ~
人も世の中も色々変化が起きています。
どのように変化していくのか・・・
それはそれぞれがどう意識していくかなのだと思うのですが
個々、集団、もっと大きなもの・・・
そんな風に個の意識から大きな意識まで
関わるということではないでしょうか。
個の責任は分かりやすいかもしれないけれど
集団という大きな責任もあるということを忘れてはいけませんね。
自分はどうありたいだろう・・・
いつも、なりたい自分なんてない。
その都度、その都度対応していくだけ。
もっとフラットに心があれば
外側もそんなに変わらないのかもしれないけれど
それがなかなか難しいのですね・・・
もっと自分の心、内面と対話が必要なんだなぁ・・・と思う。
世の中には色々な考えを持ち、
色々な感情や思いを持っている人と共にある。
自分一人だけが世の中に住んでいるわけではない。
自分が誰よりも秀でて完ぺきであるわけでもない。
どの人も同じように未完全。
実際のところ、何が正しいのかさえ分からない。
道徳だって思いやりだって正しいなんて分からない。
だから、自分の心が健全であるように努めたい。
人のことについては皆おしゃべりになるけれど
自分のことについてはどうだろう?
良いことまたは悪いことは沢山でるけれど、
良いことも悪いことも客観的に評価できるだろうか?
客観的な位置に自分が常に立ちながら自分自身と対話しよう。
自分が上手くいっている、幸せ、特になにもない・・・
そんなときには優しいことも言える。
きれいごとも言える。
自覚がなくても自分の中に余裕があるのだろう。
それが、また自分が辛い思いをしているときや
苦しいときにはどうだろう・・・
毒を吐きたくなったりします。
それくらい思ったこと、考えたこと、気づいたことさえ
実際に自分自身がしっかりと行動するということは
難しいものです。
同じ出来事で同じように感情が揺さぶられるとは限りません。
ある人には耐えがたく、ある人にはそれほどでもなく・・・
出来事は違えどどの人にも苦しい辛い、悲しい
虚しいといった出来事はあります。
人生の中でこれお程ないくらいに辛い、
虚しいといったことが起こったりします。
そんなときに自分がどう対応し対処できるのか・・・
悪い時こそ自分自身をチェックできるとき。
人のことより、自分自身が成長しなくては意味がありません。
そんなときこそしっかり、客観的に自分を眺めてみたいものです。
まだ日本には来ていないけれど「Wonder」という映画。
ジュリアロバーツも出演している。(久しぶり?)
これ、日本に来たらおススメです。
内容は顔に障害を持って生まれた男の子を通し
家族や友達が成長していくという話し。
そういえば、今まであまり映画の話はでなかったかも?
これからは私が好きな映画の話しもしようかな。
今日から新しい月がはじまりました。
気持ちを新たに過ごそうと師走を迎えています。
私のもとにやってくる
今やる必要なことを一つづつやる。
あれもこれも、やたらとやらないことばかり思い浮かべて
焦ることがありますが
「今」できることをしっかりやる。
不思議と今できないことや、
やらないことに思いをはせて
人は無駄な焦りを持ちますね。