知識とは何だろう…
知識は人を見下すためのものでもなければ
自慢するものでもないと思う。
どんなに知識があっても
それを有意義に使わないのなら無いと同じ。
知識ばかり増やして一向に知恵をつけないものも多い。
未だに大学名で人を計る部分もあるし
更には学部でも計る。
それは周りもそうであるとも言えるから
仕方ないのかもしれないけれど…
これからは、知恵を持つことが重要になる時代だと思う。
知識がなくても
それぞれに必要ならば体験から得られていく。
単に知識を増やすことに時間を費やすより
必要なものに対し活かしていくために、
必要なものに時間を費やすのではないか…
体験、知識、知恵のバランスがあり
その人と成りとなる。
それぞれの分野をつくっていく。
そう思うと、やっぱり
いつの日か等価交換のような時代が可能となる。
今とは人を評価する対象も感覚も変わっていく。
普段、自分で感じている以上に
人生をコントロールしようとしているのだと思う。
そして在りたい形に近づけよう、
目標に向かおうとするのだけれど
もしかしたら私たちは選択をし過ぎているのかもしれない。
もちろん、選択しなくてはいけない事だらけだ。
でも、それと同時にもっと手放さなくてはいけない。
矛盾して聞こえるかもしれないけれど
在りたい形に向かうために
自分を客観的立場にあえて置いておくことが必要。
自分のことだから夢中になってしまうものだけれど
夢中になってはダメなんだ。
一生懸命努力してしっかり責任も持ちながら
他人事のように距離を保って見守る。
そんな立ち位置がいいようだ。
今朝は眠くて眠くて珍しく二度寝してしまった。
起きてからはずっと片付けをしていたけれど…
ここ数日サボっていたので
また、気分を変えて頑張ろうーっと。
片付け終わったら時間を自由に使えばいいけれど
今は、やりたい事にこだわっていると
いつまでたっても家の中が落ち着かない。
最近、生活のルーティンを作っていたので
片付けの時間を少なくしていて、
なかなか進んでいない。
やっぱり、一気にやってから
自分の時間を作った方が効率的かも?
今回は、ずうっと家にこもって片付けをしているので
必要なものがあるときしか出かけていない。
1人の時はほとんどYouTube で
日本語ばかり聞いているので外国にいる感じがしない。
外に1人で出ていないので英語を話す必要もないし
何処へ行っても大してやっていることは変わりがない。
なかなか片付け終わらないし…
今回の滞在中に終わればいいと思っている。
それよりも、今日気づいたことが…
普段は誰にも会わずに家の中にいるので
身なりに構わないまま一日中過ごしている。
買い出しに出る時も気にするようなところもないし
スッピンのまま。
外に出ていないし運動量も多くはないけれど
家の中で20分くらいはやっているし
スーパーに行っても何だか細い感じがする。
何となく私も痩せたような気がしていた。
今日久しぶりにオシャレをして出かけた。
ちょっと体もスッキリしたし…
それが、写真を撮って見たら全然スッキリしていなかった…
みんな体格がいいから自分が細く感じただけだった。
ホント、気をつけないと…
家の中で大して動かないでいて痩せるはずもない。
恐ろしい錯覚に陥ってしまう所だった!
それぞれが自分の世界を生きている。
それなのに、まだまだ力を持ちたいと思っているものが多く
それにつられるもの、それに呑み込まれるものなど
自分の足で立てないままいるものもいる。
そうありながら、自分も同じように力を欲している。
単に同じ中にいると言うことなのだけれど…
昔から「力」と言うものがよく分からなかった。
すぐに人は上下をつけたり
〜の方が力があると思ったりする。
多くの人は瞬時にそんなことを無意識のうちにしている。
自分と周りを別の次元で考えやすいのだと思う。
現代では力と富が等しい働きもしているのも事実。
富があれば多くの欲するものを手にすることができる。
有名になれば力、富に繋がる…
そうじゃないと言いつつ、
心の中では密かにチャンスを待っている。
でも、それが本当の自分の力を持つことになるのだろうか?
いったい何と比べているのだろう?
力を欲すると言うことは
本当の意味での力の無さを
鎧で隠そうとする恐怖心からくるのだろう…
恐怖という感情の根深さは厄介だ。