言葉と言うのは
自分の思いや意志を他に向かって伝えるようにできている。
それは単に言葉や字面だけでなく、
そこに含まれる多くのものも汲み取れるから。
言いにくいことがあっても、
それをどう相手に使えるか考えたりして
言葉を扱うことも学んでいったり
さまざまな合った表現を見つけていく。
言葉を扱うことが上手い人もいれば
あまり上手いとは言えない人もいる。
けれど、上手い下手というよりもそこに乗っている思いを
私たちは汲み取ることもできる能力も持っているのだ。
だから、自分が言いたくないことを人に言わせることは
そこに問題が起きていくのは当然のことでもある。
言いたくことをどう伝えるかや
場の雰囲気を考慮しながら言葉を足していくこともできるのに
他人にとっては単に伝えるだけか
本人を悪者にしながら皮肉まじりに伝えたりするので
聞く者にとっては傷つくことだったり嫌悪するものになってしまう。
よっぽど、本人の性格を熟知した誠実な人が
伝言者にならない限りは良くない状況が生まれるだけだ。
せっかく言葉があるのに言葉を使わないのは
使わなくてもいいからだろう。
人はどれほど本来備わっている機能を退化させているのだろう?
それらは当たり前過ぎて気づかない。
言葉に限らず、人間は自分が思う以上の性能なのに
その無限大の力を自分自身で閉じ込めていく。
閉じ込めていく力が大きくなるのに比例して
幸せから遠のいてしまう。
人は当たり前になるものには感謝しない。
どれほどの人が日々感謝することを忘れてしまっているのだろう。
私も忘れてしまった全てに
改めて感謝し、日々を過ごそう。
私たちは、感謝しかないような中で生かされている。