6,434人の尊い命が奪われた阪神・淡路大震災から今日で22年が経ちました。
あの時は大阪府河内長野市に住んでいて、まだ寝ていた時に起きた地震。
関西は揺れを感じるほどの地震は滅多に起きないので暫くは何が起きたのかわからず、とにかく怖くて動けませんでした。
時間が経つにつれてわかった被害の大きさ。
何度も走ったことのある阪神高速道路が倒れ、火の海になった神戸の映像は今でも目に焼き付いています。
これは真実なのか? ただただ目を疑うばかりでした。
報道ヘリコプターの音で倒壊した家屋の下敷きになった人の声がきこえず救出の妨げになり、規制がされるようになったこと。自助・共助が9割であったことから、自主防災がクローズアップされたこと。仮設住宅での孤独死の問題など学ぶことは多々あったはずです。
22年が経った今日はどんな報道があるのかと思っていたら、今朝のテレビでは数分触れただけで、新聞の番組欄には掲載もない。
こうして風化していくんでしょうか・・・。
今日会った人の中で唯一この震災に触れたのは、息子が通院しているこども病院の主治医でした。
関西では新聞で大きく取り上げていましたが、関東の紙面はほんのわずかしか掲載されていません。
同じように東日本大震災も被災地でなければ報道は年々減り、やがて忘れ去られてしまうのでしょうか。
災害の備えは過去の教訓をいかに生かせるかが問われ、そのためにも風化させず私たち一人ひとりが意識して継承していかなければいけないと思います。
これは先日行われた消防の出初式。すっごく寒かった!
今回はヘリも登場。
過去の大地震を再現する起震車。
寒風吹きすさぶ中での演技。
お疲れさまでした。