いちはら市民ネットワークの総会がありました。
例年通りに粛々と進められ1時間で終了した後、第2部の講演会になると人が押し寄せ会場はみるみる満席に。
講師は市原市で在宅医療に携わって25年、これまでに3,000人以上の患者さんを在宅で看取ってこられた、五味クリニックの五味愽子医師。
「すてきな終活 ~がんになっても大丈夫~」と題して、終末医療についてお話しいただきました。
人が死ぬときは食欲が低下し脱水傾向になり、血液が凝固して脳の循環が悪くなり、意識がもうろうとしてきて呼吸が浅くなり、低酸素になり、さらに意識が落ちて、脳内モルヒネ様物質βエンドルフィンが分泌して、幻覚が見えて、安らかに美しく点に召される。これは神様が動物すべてにくださる、この世で最後のプレゼントです。
ただし、自然にまかせ、あらがわず見守っていられた場合に限ります。
症状が悪化し、食べられないからといって胃ろうなどで人工的にチューブで栄養剤を流し込んだり、脱水だからといって点滴をしてしまえば、プレゼントは消えてしまいます。
意識がなくなったと家族が救急車を呼べば病院に搬送されて、点滴が始まると天国から引きずり戻されるのです。
この医療行為は医学的には正しいものですが、寿命が延びる分だけ先の苦しみを伴うものになる。
チューブを抜かないように手を縛られ、長くなると床ずれがでてきて痛みが増す。それでも生きていかなければならない。
だからこそ、患者が自分の最後をどう迎えたいかを事前に意思表示しておく必要があるのです。
日本の最先端医療は世界でもトップレベルですが、終末期の医療についてはここ数十年取り残されたまま。
医療をフルに使うことだけが医療のあるべき姿ではなく、今の終末医療に求められているのは進歩ではなく、荘子の説いた「退歩」ではないかと、五味先生。
がんは闘っているときは辛いけど闘いをやめたらラクな病気。でも入院すれば闘わざるを得ません。
痛みのコントロールは入院よりも在宅のほうがしやすいことを始めて知りました。
一見重苦しく感じる終末医療という言葉ですが、病気を受け入れて自然に老いていくことが命あるものの本来の生き方であり死に方なんですよね。
最後の死に様は、その人の生き様でもあり、お世話してきた家族が納得して死を迎えられるよう、患者だけでなく家族を支えることも大切にしておられ、五味先生のお人柄を感じました。
参加者からの質問に一つ一つ丁寧に答えてくださり皆を笑顔にしてくれるトークは、医師として医療を提供する以前に大切に思っておられることが伝わってきました。
もっともっと多くの人に聞いてもらいたい!
講演会の後は、五味先生との食事会。
在宅医療を支える訪問看護のナースにも参加してもらい、現場の想いを聞くことができました。
思わぬことでしたが、以前息子がお世話になった訪問看護のナースとの再会もありました。
志の高いナース達が言うのは、家に行くと病院では見えなかった患者さんのこれまでの生き方に触れることができるのが訪問看護の魅力。しんどいこともあるけど、病院ではできない患者さんに寄り添った医療を提供できる達成感があり、この仕事が好き。
息子も訪問看護を利用しているので、その大変さをわかっているだけに、天使に見えちゃいました。
在宅医療は医師とナースのタッグがなければできません。
でも市原市にはそれを担う医師は五味先生だけで、24時間体制をとる訪問看護ステーションも少ないのが現状。
こんな志の高い医師やナースをどうすれば増やしていけるのか。
市として取り組めることはないものか、頭の中でグルグルしながら帰宅しました。