コミュニケルーム通信 あののFU

講演・執筆活動中のカウンセラー&仏教者・米沢豊穂が送る四季報のIN版です。

諸人よ思い知れかし・・・

2023-01-12 | life

        

 三十年を 経ても忘れず送りきし 美しき花 我が誕生日

 

 6日の朝、家の電話の着信メロデイが。

 まさか と。昨年丁寧に、来年からはご辞退 の旨伝えたので、お花屋さんからではないだろう・・・と。

 ところが、まさかだった。

 「ミス・フラワーです。お花をお届けに参ります」と。しばし絶句だったが「有難うございます」と応えた。

・・・・・それでも、贈って下さるのだから、素直に頂戴するのが心だろうと決断した。贈り主のお心に感謝を込めてすぐお礼状を認めた。

 これまで1度や2度、或いは2年や3年ぐらい同じ方からお花やプレゼントを頂くことはあったが、30年余となるのはこの方のみである。並のことではない。まっこと忝い限りである。

 亡き母がいつも言っていた。「恩は石に刻み、恨みは水に流せ」と。贈り主は身をもってそれを実践してくれたのだ。私もまた石に・心に刻みたい。

 母はまた、私の生まれた日は大雪だったと。仏壇に手を合わせながら、噛みしめていたのは、

 諸人よ思い知れかし己が身の誕生の日は母苦難の日(詠人不知)であった。

 誕生日 母の遺影に水仙を 供えてひとり 経を読むかな 

 母を偲び、釈尊とその母・麻耶夫人を想う睦月の夜半である。

                            今宵これにて。

⭐お寄せ頂いておりますご要望・ご質問につきましては、個人様に回答させて頂いておりますが、内容によりましては次回に本欄に記させて頂きます。

⭐拙ブログは只今コメントを受け取らない設定にしてあります。現在、なかなかブログの更新やチェックする時間が取れずにおります。私へのご連絡は本ページ左側(プロフィール欄の上)のメッセージを送るよりお願い致します。


世の中安穏なれ仏法弘まれ

2023-01-04 | life

あのの・・・暮れから元旦へ yo-サンの近況・心境です

元旦や今日の命に遇ふ不思議

 今は昔、福井の東別院さんでお話をさせて頂きました。その翌年の元旦に、当時のご輪番(東本願寺の福井教務所長)様から頂いたお年賀状に、この一句が添えられていました。以来、毎年元旦には深く・深く味わさせて頂いております。誠に有難く、ただただお念仏申すのみです。不思議とは不可思議のことで人間の思議を超えたことなのです。

 親鸞聖人は 世の中安穏なれ仏法弘(ひろ)まれ と残されました。この言葉は聖人のご消息集(お手紙のことです)にあり、関東の門弟に送られたお手紙の中の一節です。

 本当に、今年こそ、世の中が安穏にと願うばかりです。それは、今日的にも世界の全ての人々が共に生きるための願いが込められていることだと思います。それにはやはり、仏法の広がることだと信じて止みません。

聖徳太子のお心「和をもって貴しとなす」、「篤く三宝(仏教)を敬え」をしみじみと思い返しております。親鸞聖人は太子を日本のお釈迦様と称えられています。さて、

法語カレンダー表紙の「親鸞聖人の出現は私一人のためであった」は、実は歎異抄の中に「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり」とあり、それと同じ味わいなんですね。このことは12月に小さな・小さな仏教講座をさせて頂きお話させて頂きましたが、少し難しくブログでは長くなりますのでまた別の機会に。

 もう一つカレンダーの話題です。毎年、このような素敵なカレンダー(下図)を送って下さいます。勉強会「自分学の会」の代表をして下さったSさんからです。お手紙も添えて頂きました。いつもながら優しいお人柄が溢れています。(この絵の原画はSさんのお友達のお嬢さんの作品です。)私の書斎に飾りました。

閑話休題

 12月に、本ブログのダイジェスト版を有縁の方々にお送りしました。(基本的にはPCやネット等をなさらない方々に)このブログ以前から継続している紙印刷版ですが、いつもお一人・おひとりに一筆メッセージも添えて投函します。

  皆様から自筆のお手紙を頂戴しました。勿論、メールでのメッセージも返ってきます。どちらもいいのですが、私のようなアナログさんは肉筆のお便りは、ホントほっこりします。特に今回は皆様長いお便りを書いて下さいました。とても嬉しく拝読しました。

 暮れには形ばかりですがお仏壇を拭いました。亡き母はお盆やお正月の前にはとても丁寧にお仏壇や仏具を磨いていました。そんなことを想いながらお経を読誦し(12月は両親の祥月)今更ながら父母を懐かしく偲ばれて涙する私でした。

⭐末筆になりましたが、ご提言やご質問等のメッセージをお寄せ頂いております。今回は、

Mrs.modest様からご提言の「オンライン講座」についてですが、私、相変わらず身辺慌ただしくて、一定時間PCの前でのお行儀は無理なのです。今後の課題とさせて頂きます。リアルの講座も、いつも主催下さる会や組織の担当の方が準備や進行等万事フォローして下さいますので、可能という有様です。本当に不器用な私です。どうぞご寛容にお願い申し上げます。

いつも、温かなお心遣いの数々、とても有難く存じております。心より厚く御礼を申し上げます。変わらぬご支援をどうぞよろしくお願い致します。

NPO法人あのの も、現・代表世話人さんのお身体が復調されたようですので、この春には、新しい世話人さんとも十分なる打合せをしまして、通信会員(仮称)制等も具体化出来ますれば幸甚と存じております。

それでは、今宵はこれにて。

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移ろう季の間に。近況・心境

2022-11-30 | life

通称yoーサンこと Counseling Supervisor 米沢豊穂の近況・心境です。

 晩稲(おくて)と呼ばれる最後の稲刈りが終わると、北陸路の冬は駆け足で近づいてくる。山々も美しく染められ、人も自然も冬支度に入る。

 豊作を寿ぐように虹が美しい。刈り終えた圃場は安らぎの表情を見せる。

 早苗が春風にそよぎ、夏の日差しに輝き、そして黄金の波打つ風景がつい昨日のように思われる。

 この地で生まれ育まれたコシヒカリは美味しい。越前福井が生んだ秀逸の銘柄。ネーミングの由来は「越の光」である。特に九頭竜川、竹田川の両水系の清流が坂井平野を潤しよいお米を育てる。

 画像は我がふるさと福井県坂井市丸岡町。虹の下付近に国道8号、北陸道が走る。画像の手前後方には北陸新幹線工事が急ピッチで進められている。金沢・敦賀間の開通も近い。

 

 

北陸道・丸岡IC を降りるとやがて→の標識が見える。直進すると福井市へ。左折すれば永平寺、右折すると丸岡城を経て芦原温泉方面へ。

いずれへも30分もかからない。丸岡町(お城を中心に)は丁度その中間地点である。近年はコロナ禍で観光の車両も少ないが、以前は春秋のシーズンには大型バスが何台も連なっていた。

コロナが収束して、芦原温泉や永平寺へおいでの節はどうぞお立ちより下さい。私宅もここから丸岡城方向へすぐです。

坂井市は東部の丸岡町の山を源流にもつ竹田川が、西部の三国町の日本海に注ぐまで、とても広い。久々に海に会いたくなって愛車を駆った。下記画像左は三国港付近の河口、右側はまさに Beautiful sunset!だった。 ひとり見入っていた私。

移ろう季(とき)の間(はざま)に。

  

 閑話休題

時は疾風(はやて)のように駆け抜けて行った。地球の回転が3倍速になったのかと思えるほどに11月も慌ただしく過ぎた。

終活が脳裏を過る。想うこと全てをなし終えて還りたいものだ。ひと時の時間も疎かにはしない気持ちでいたいと自らに言い聞かせているこの頃である。

 最近 with corona  なんて言われる。コロナと共生・共存を意味するそうだが、英語圏では通用しそうにもない和製英語だ。それはともかく、コロナとの共生なんて御免蒙りたいものだ。with her ならgoodだが。

振り返ってみると、私宅(本宅・店舗)の内外の改修工事。所謂リニューアルで(リノベーションとまでは行かないが)工事の職人さんたちが入られると、打ち合わせや何かで結構たいへんなものだ。外壁工事は1個月余、内部は突貫工事で終えたが中の整理・配列等はそうは行かない。慢性的な人手不足の私宅、焦っても仕方がない。常に「今を生きる」私のカウンセリングの根幹でもある。

研修・講演の依頼も相次ぎ、久々に水を得た魚の如くでもあった。これぞ私の identity、yo-サンのyo-サンたる所以でもある。しかし、いずれも私の専門中の専門のカウンセリングや人間関係・コミュニケーションの分野である。まだ、啄木や文学を情熱的に語る機会がないのはチョッピリ寂しい。

 画像は長年に亘りお招き頂いている大手の社会福祉法人さんの新人職員研修である。コロナの中でも一度の中断もなく今年で35年になる。この2年間はオンライン

リモートであったが、今回は3年ぶりに集合研修であった。      

 勿論、広い会議室で受講の方々互いの距離は十分に取られている。

会場に入ると正面のスクリーンには一際大きな字で「お仕事、お疲れ様です」と映し出されていた。担当して下さる職員さんの温かなお心遣いを感じる。いつも一生懸命にお世話をして下さる。それは、私が40年間提唱し続けているカウンセリングマインドであり、とても嬉しく思うひと時であった。

 コロナによる機会減少で発声や声量に不安があったが、スズメ百まで何とやら、無事に務めさせて頂いた。

 第2講の「共感的理解」についての講義中で「傾聴」について話している。本来はこちらを最初にするのだが、今回は2回目にもってきた。聴くことは話すことよりずっと難しいからである。

 

共感的理解や傾聴については拙著「あのの・・・カウンセリングに学ぶ人間関係」に縷々書いているのでお読み頂ければ幸いである。                                                          

 自己表現については self‐expression であって、決して自己主張 self-assertionではない。

 世にあるアサーショントレーニング等とは似ていて非なるもの。私自身、自己主張はあまり好まない。最も大切にしていることは、肯定的自己表現である。

 

 否定形や命令形の言葉はイヤなもの。「よかった」「うれしい」「助かるわ」「楽しい」「素敵だ」等々をたくさん使いたい。「ありがとう」は最高の肯定的自己表現である。

末筆になりましたが、更新なき拙ブログをお訪ね下さったり、ご心配や励ましのメッセージを賜りました方々に心より厚く御礼を申し上げます。

お寄せ頂きましたご質問・ご提言につきましてのお返事は次回にさせて頂きたいと存じています。お陰様で yo-サン元気です。今宵これにて。

 


タイトル「コミュニケルーム通信 」そのルーツについて( 再掲)

2022-10-14 | はじめに。

タイトルについて質問メッセージがありましたので、現在休止中の記事を暫く再掲致します。


通称yoーサンこと仏教者にして Counseling Supervisor の米沢豊穂です。
以下は本ブログのルーツです。

まだパソコンなど無かった時代の頃。文具店をしていた友人が「ワープロと言うものを扱うことになったので、ぜひ買って欲しい」と言ってきた。1984年・昭和59年の夏であった。「へぇー、ワープロねぇ」、彼は「yoーサンには必須のアイテムだよ」なんて・・・。

それで、初めて「キャノン」のワープロ「ワードボーイ」を買った。当時としてはとても高い買い物だった。148,000円也。現在に換算すると幾らぐらいかしら。(画像はその頃の日本経済新聞の広告です。何故か大事に。)

液晶のモニターで1行ずつしか見えなかった。数年後、「キャノワード」という大きなものに替えた。デスクトップのパソコン並みの大きさだった。画面も大きく見やすくなった。プリンタはまだインクリボン式だった。その後、次々とラップトップ(古いねぇ、お年が分かるって)の新型が出てキャノワードを3回更新した。都合ワープロ4世代買い替えた。
ワープロを買ったのをきっかけに、今のブログの前身とも言うべき紙印刷の「コミュニケルーム通信」を四季報で発刊した。そのうち月1程度で発行した。その後パソコンの普及で、ワープロは次第に少なくなった。私の友人たちがパソコンに乗り換えても、私はワープロに愛着があり遅くまで使っていたが、メンテナンスなどに不都合が生じて遂にパソコンを買った。そのパソコンも現在のダイナブック10で3代目である。最後に買ったワープロ・キャノワードは今も持っているが使うことは無くなった。
ところが、先日、家の片付け中に未整理の書類の入っている段ボール箱から、ワープロで作成、紙印刷の「コミュケルーム通信」が出てきた。ふつう、ブログは日記や備忘録的に記している人が圧倒的だが、私の場合は元々色々な勉強会や、各地での講演研修の受講者の方々へのニュースレター的なものとして出したことが、ルーツとも言える。まあ、現在も基本的にはそのようなものだが。

これはNO.90 とある。99年8月1日付である。今から丁度20年前である。この時が90号なので、それ以前から発行していて、当初は四季報で徐々に月報になったので現在は創刊以来30年余になる。今でも一部の方々に、紙印刷でダイジェスト版も出している。
実は、バックナンバーは当時は3,5インチのフロッピーで保存していた。数年前にふと調べたいことがあり、そのフロッピーを、最後に買ったキャノワードで確認したら、全て「破壊されています」というメッセージが出て愕然と。紙印刷の物は殆ど散逸してしまったので残念で仕方がない。
しかしながら、辛うじて手元に残っているものを読んでみると、今更ながら懐かしく、輝いていた頃にタイムスリップしたひと時を過ごした。本当に当時は東奔西走していたのだなぁと・・・。
当時、ワープロも進化して、イラストなどの機能もあったが、敢えて自分で描いていた。これは出雲大社をイメージしたのかな。ちゃんと、toyo ってサインもしてるよ。(w)

P.S
コミュニケルーム
という名称ですが、かつて、福井市内にささやかな相談室を持っていました。それをコミュニケルームと称していました。それがこの通信のネーミングの由来です。
私へのご連絡は左サイドのプロフ画像の上部✉「メッセージを送る」からどうぞ。 

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近況・心境 文は人なり

2022-09-07 | Weblog

ある会の文芸誌が本年で終刊となる。私は会員ではないが乞われて創刊以来20年書いてきた。いよいよ最後の原稿を脱稿した。バックナンバーを繙いてみると、故人となられた方が何人もある。皆それぞれ生きてきたことの一つの証でもある。

創刊号の巻頭には、もう故人となられたが福井の詩壇をリードされた広部英一氏(詩誌・木立同人)より詩「夏空」が寄せられた。なぜか私のエッセイが次に。

その次の福田強氏は会の創立者であり、中野重治記念丸岡町立図書館(現・坂井市立)館長をされた。亡くなられてやがて7年になるが、私は長年氏の薫陶を受け恩人でもある。

この誌のネーミングは丸岡町(現・坂井市)出身の内田忠(大正、昭和前期頃の詩人、昭和19年39歳で没)の同人詩集「山桐」からとった。福田氏の本心は山桐本来の詩集にとの思いであったが、詩は簡単そうに見えても、とても才能のいる文芸なので書き手があまりいなかったようだ。私自身、詩は好きだがその才なく書けない。

私は生来、文を書くことは好きであった。小学生の頃の綴り方に始まり、読書感想文、青春時代は当時流行っていた若者向け月刊誌や抒情文芸誌に投稿。長じては新聞の随想等の連載、著書出版等。書くことは私の自己表現であり、常にアイデンティティの確認でもあった。

この頃は殆どの原稿は編集者の方からの要望で、パソコン打ちした原稿をEメールに添付送信する。以前は原稿用紙に書いていた。愛用の万年筆で升目を埋めて行くのがとても快い作業でもあった。勿論今でも筆記用具は万年筆である。漢字などを忘れると即辞書を引き、まずはメモ紙に書く。何よりのボケ防止でもある。ネットで一発で分かるが又すぐに忘れる。と言うか正確に書けなくなる。所謂、漢字ゲシュタルトが崩壊してしまうのである。読めても書けない人は多い。

近年は遅筆も著しくなった。今回も締め切りはギリギリ延ばして頂きながら推敲も十分出来ず終いであった。しかしながら書き終えた後の安堵感の中で飲む久々のビールの味は格別であった。ふだんはあまりアルコールはやらない。

<閑話休題>

長年、多くの方々の文章を読んできたが、読むほどに書き手の人柄、性格、或いは価値観等が解って面白い。文章とは必ずしも纏った作品に限らない。手紙やハガキ、或いはEメール、ブログもまたしかりである。取り分け私の専門のカウンセリング心理学からも裏付けられる。当に文は人そのものである。

締め切りまでに何日間もの時間をかけて書き上げた作品などは、書き手にある程度の文学的素養や文章作法も備わっている。また推敲も重ねているのでピタリと当たると言う訳ではないが、当たらずとも遠からずである。

日々更新されるブログの類は、前者のような背景はあまりなく、思いのままに書き連ねていることが多いので、その人の行動傾向がよく見えてくる。勿論、文章の巧拙を論じている訳ではない。多くのブログなるものを読んできたが、その書き方や内容を分析・考察して「ブログ人間模様」なんて書いても面白いかなと思っているこの頃である。今宵これにて。 


歎異抄と平家物語

2022-08-19 | life

以前、拙著「カウンセリングに学ぶ人間関係」を課題図書にされた読書会にゲスト参加させて頂いた。そのときに「今度は歎異抄を読むことになっていますので是非に」とのことだったが、折悪しくコロナの感染が広がり、一堂に会しての読書会は出来なくなった。その後、係の方から何度かメールやお手紙を頂いた。いつも「コロナが終息しましたら是非とも」とのメッセージを添えて下さる。

先日も近況を知らせて下さるメールがあり、会員の皆さんが歎異抄の文庫版を購入して読まれたそうだ。その感想として「現代語訳との対比の記述なので言葉の意味は分かるのですが、今ひとつ胸にストンと落ちないので」とのことであった。

たしかにそうだと思う。仮に私が行って単に高校の古典の授業のように講じても同様である。歎異抄には生き生きと響く親鸞の生の言葉が鏤められている。なので、親鸞の思想を理解し、その信仰に生きる者が自らの言葉で語ることによって理解を深めて頂けるのだと思う。しかしながら、コロナは終息どころか収束の兆しもなく更に感染拡大しているこの頃である。

近ごろ流行りのzoomやyoutubeなどの利用もあるが、皆さんはやはり一堂に会して、リアルに聞きたいとのことであった。私も本当にそう思う。長年お呼び頂いている研修先ではオンライン・リモートでの講義をさせて頂いている。しかしそれは会場、設備機器等が整っており、スタッフの方々の万全のフォローがあるから出来る。またそれは、あくまで研修であり講義だからでもある。

私は読書会やカウンセリング等の学びや集いは、参加者がお互いの表情や声がリアルに伝わり・感じられることを何よりも大事にしたいと思っている。同じ場で同じ空気を吸いながらやりたいと思っている。

ところで、読書会の次なる課題は平家物語にされたそうである。「こちらの時もぜひ出席を」とのこと。コロナの先行きは一向に見渡せないが、その日を心待ちにしている私。

<閑話休題>

歎異抄も平家物語も日本の中世的世界を支える国民的古典である。平家物語の冒頭の、

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。風の前の塵におなじ。奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者も遂にはほろびぬ風の前の塵におなじ。

けだし名文である。これほど人口に膾炙された文はないであろう。全編を通してその低流にあるものは「無常観」である。一介の武士であった平清盛が太政大臣に上り詰め、「平氏にあらずんば人にあらず」とまで豪語したが、その極めた栄華も「盛者必衰の理」、高々20年ほどで滅びを迎えたのである。

もう800年も昔の物語ではあるが「無常」は今も変わらぬことである。それは釈尊のお悟りの根本「諸行無常」である。永遠不滅なんてものはないのである。清盛は、天皇により武士階級からは初めて「太政大臣」に任じられた。太政大臣とは、今で言うならば総理大臣のような地位であった。平家物語について長々記す余裕はないが、ふと先般のあの事件を思った。物語冒頭の「奢れる人も久からず」である。

「無常観」と言えば「もののあはれ」等と同様に日本独特の、ものの見方(観想)と捉えられるが、それは仏教思想の基本である。釈尊が辿り着かれた道は「諸行無常」であったと思う。「全てのものは移り変わる」ということである。それに気づけば自ずから如何に生きるかが分かるというものである。30年前の自分の写真を見てみよう。今の自分と比べてどうだろう。この先10年後は。いや1年後でもいい。自分の存在さえ不確か極まりない。

事件以来今なおネットやメデイアの情報穏やかならざるこの頃である。被害者と言い、加害者と呼ぶも、いずれも因果であり業である。「宿業」なのである。前回記した歎異抄の「人を千人殺してみよ」の数行先に、

よきこころのおこるも、宿善のもよほすゆゑなり。悪事のおもはれせらるるも、悪業のはからふゆゑなり。故聖人(親鸞)の仰せには、「卯毛・羊毛のさきにゐるちりばかりもつくる罪の、宿業にあらずといふことなしとしるべし」と候ひき。と唯円は書いている。意訳はせずにおこう。このまま味わって頂きたい。更には後序に親鸞の言葉が、

煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもってそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします。とある。

「火宅無常の世界」とは、火に包まれた燃え落ちる家のような世界、つまり無常の世のこと。今の世も当にそうである。「そらごと たはごと」とは「空言(虚言)」、「戯言」と書く。事件の後、背景が露になってくる。関わり深い権力の側の発言は皆「そらごと たはごと」に聞こえてならない。

我が国中世に著された2冊の古典を繙きながら、しばしお盆のひと時を過ごしたyo-サンでした。お盆明け、相変わらず為すべきことがあれこれとあり、更新もお訪ねもなかなかままならぬ暮らしをしております。どうぞご寛容に。

それではまた。今宵これにて。

 


歎異抄とクリスチャン八木重吉の詩

2022-07-24 | life

前号で歎異抄より親鸞の言葉「ひとを千人殺してみよ」を引いたところ、何人かの読者の方よりメッセージを頂いた。

その中で、ある方が「歎異抄についてもっと知りたい・学びたい」とのことであった。お言葉はとても嬉しく有難いが、私はブログでそれを講じる器量はなく、他に多くの人たちが書物に著わしたりネットでも書いているのでそちらをご覧頂くようにとお返事をさせて頂いた。

歎異抄第二章に、はるばる関東から京都の親鸞の元へ「往生の要」を聞くために訪ね来た人たちに「・・・南都北嶺(奈良や比叡山)にも、ゆゆしき学生(がくしょう・先生)のおわします。どうぞそちらで聞いて下され」(筆者意訳)なんて言ってのける親鸞。趣旨はやや異なるが、私も何となくそんな感じであった。

これまでに何度も記してきたが歎異抄は短編である。まずは自ら繰り返し読んでいるうちに必ずや心に響く。その後、お尋(訪)ね下されば、私が感得し得たところをお話出来ると思っている。

<閑話休題>

先日の「小さな小さな仏教講座」の続きをとのご要望もあったので、以下少しばかり記しましょう。

クリスチャンの詩人の八木重吉の詩「秋の瞳」の中に「人を殺さば」と題して、

 ぐさり! と
 やつて みたし

 人を ころさば
 こころよからん

たったこの4行である。八木重吉のような敬虔なクリスチャンであっても、このように思うことがあるのである。人間誰しもこのように思うことがあっても、やらないだけのことである。

まさにそれは親鸞の言う「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」なのである。

八木重吉の詩は短いものが多いが幾つか紹介しながら、ご参加の皆さんと分かち合った。また何かの機会にup出来れば幸いである。

例の事件の加害者の行為は哀しいが、私は彼を責めることは出来ない。仏教は「殺すなかれ」と説く。されど、そのような因縁に繋がれば殺し、殺されてしまうのである。親鸞の言葉が殷々と私の耳を打つ。

命の尊さは誰であっても何も変わらないのである。この被害者のために文書を改竄させられた近畿財務局の職員さんの命もまた同様に尊く重い。

ロシアとウクライナの戦争はなおも続いている。幾千、幾万の兵士や無垢の人々が命を失っている。殺し合いは即刻やめるべきである。両国の指導者の責任は重い。 今宵これにて。

⭐八木重吉 詩人。東京都生れ。東京高師卒。敬虔(けいけん)なキリスト教信者で、キーツの詩を愛した。詩集《秋の瞳》は純粋な美しい心境を歌っている。没後《貧しき信徒》《神を呼ばう》《定本八木重吉詩集》等が出た。日本近代のキリスト者の詩として最も高い地点にあるものとされる。(百科事典マイペデイアより転載)

 


人を千人・・・歎異抄の言葉

2022-07-17 | Weblog

 近況&心境

あのの風 の皆様。

お心遣いのメッセージ等痛み入ります。体調万全ではありませぬが、お陰様で生かされております。まっこと有難きことと存じつつ暮らしております。

若狭路は海辺の町の麗しき人より届く紅白の桃

ゆうパック届きて嬉し蓋とれば桃の香りの部屋に満ちたり

昨年も、(クリックOK)その前にも書いたのだが、今年も極上の桃が届いた。何よりも亡き母の好物、早速お仏壇に。ひと時を在りし日の母を想ひて過ごした。

いつもながら贈り主のお心に感謝しつつとても美味しく戴いた。毎日、あれこれと為すべきことが多く、時間と駆けっこの暮らしで、体調も低下気味だったので、旬のフルーツは格別であった。

その後に頂いたお手紙も、これまたお心のこもったものであった。ケータイやメール全盛時代だが自筆の便りに勝るものはない。これもお人柄である。私流にはカウンセリング・マインドの豊かな方である。

<閑話休題>

昨年11月24日付けの「友・朋へのメッセージ」(クリックOK)にも記していますが、先日「小さな小さな仏教講座」の3回目をしました。いつもながら私の講義などよりも、その後の皆さんでのお話合い・分かち合いが盛り上がります。

話題のひとつに、先般の事件のことがありました。このことについて私に「どう思うか」とのことでしたので、今後「歎異抄」について学びあう予定ですので、歎異抄の中から引いてお話をさせて頂きました。

「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」

歎異抄の中で唯円坊(歎異抄の著者)が記している親鸞聖人の言葉です。

「たとえば、ひとを千人ころしてんや、しからば往生は一定(いちじょう)すべし」と、おおせそうらいしとき、「おおせにてはそうらえども、一人もこの身の器量(きりょう)にては、ころしつべしとも、おぼえずそうろう」と

チョー端折って意訳してみます。

親鸞「唯円よ。私の言うことを信じるか」

唯円「はい。もちろんでございます」

親鸞「では、ひとを千人ころしてみろ。そうすれば極楽往生出来る」

唯円「めっそうもありません。私はひと一人も殺せません」

親鸞「それは自分の心がよくて殺せないのではない。殺さねばならないと思う条件・そのような縁にふれれば殺してしまうこともあるのだ」・・・

いつもこの辺りを読むと唯円の顔を想像します。親鸞の問いかけに、きっと鳩が豆鉄砲をくらったようではなかったかと。

親鸞の発したこの言葉は本当に人間の心の奥底を突いていると思います。私はあの事件の加害者を責め罵る気持ちは起こりません。彼の母がカルト的な教団に入らなければ、そして殺された人がその教団に賛辞等を贈らなければ、殺さず、殺されずであったでしょう。

お一人の方がいみじくも仰いました。「人はその人が生きてきたように死ぬ」と。言い得て妙ですね。死を悼むことは人間の美しい心情ではありましょう。しかしそれは静かになすべきことであり、大騒ぎすることでは決してありません。

お話し合いは続きましたが、それは次回に譲りましょう。

最後に皆様と「讃嘆の歌」を歌っておひらきとなりました。皆様のお顔が光り輝いていましたよ。「讃嘆の歌」とはお経「仏説無量寿経」の中にある「偈」(うた)なんです。経典では難しい漢字ばかりですが、それを易しく意訳して曲がついています。私はお歌のお経なんて呼んでいます。

  光かがやくかおばせよ みいずかしこくきわもなし
  炎ともえてあきらけく ひとしきもののなかりける ・・・♪

                今宵これにて。 三帰依 yo-サンこと 釈豊照でした。


親愛なる友・朋へ(補筆修整)

2022-06-17 | life

(事務局は便宜上当面、私の研究所に置いております。)

「その後の あのの情報を」とのメッセージを頂きました。

ホント!間延びもいいところで失礼致しました。ごめんなさい。まず、個人的には身辺あれこれと目の回るほどの用事がドットコムで、共にフォローの方々のブログ訪問も間遠いこの頃です。

あのの につきましては、6月はNPOの組織上、事業計画や県NPOセンター等への書類提出等があります。それらは世話人代表の方がして下さるのですが、現在体調をくずされていて今しばらく休養されていますので、会務も只今小休止中です。

長年、理事長をして参りましたが、本来は常任講師でした。前任者の退任により次なる世代にお繋ぎするまでの間ということでした。それが、長々と今日に至ってしまいました。

それで、新しい行事計画も再吟味して実行へと思っております。何とか私の願いの通信会員(仮称)制の再開実現のために、ぜひご参加、お力添えをお願い申し上げます。

閑話休題

拙著の読者の方から私の昔のコミュニケルームについて「ご本の中にも出てきますが、どのようなところだったのかと想像しましても楽しいです」とのメッセージを頂きました。(あのの・・・カウンセリングに学ぶ人間関係 第2章20頁)

先日、福井市内へ出かけましたので久々に行ってきました。内心「昔のままにあるだろうか」と何だかドキドキでしたが、ありました。ホント、昔のままでした。

勿論、中へ入ることは叶いませんが、昔のままの風情に思わずムネキュンでした。大家さんは前庭も綺麗になさっておられるようでした。皆さんから「埋もれ木の家(や)」等と呼ばれていました。たしかにその形容が似合いますね。コミュニケルームなんて言いますとビルの一室みたいな気がしますね。市内中心部にありながらとても閑静な一角でした。これぞ「埋もれ木の家(や)」です。

あの頃、おいで下さいました皆さん、どうぞ思い出して下さいね。これもGood old daysなんですねぇ・・・。

 

それでは今宵これにて。


自分を知ることから始まる

2022-04-29 | life




読書とは、著者の魂との邂逅である。」亀井勝一郎さんの「読書論」の言葉である。

今、暁烏敏全集を読み直している。敏師の魂との邂逅である。一字一句を心して読んでいる。
いつも残命を算えながら読書をしているので、つまらぬ雑本の類は読まない。
しかしながら、本書はなかな大部のものなので、そう簡単には読み切ることは出来ない。日々あれこれと用事が山積している。いきおい夜間寝る時間を惜しんで読むので、拙ブログの更新はいよいよ優先度が低くなる。

前々回も紹介させて頂いたが、畏友釈真聴(鈴木新太郎)さんは会報「落穂拾い」の冒頭に、私の本棚 いちばん古い居住本(?)は「毎田周一全集」(全12巻)昭和45年8月第2刷です。随分とシミも出てきましたが、もうしばらく凭(よ)りかかります。と書かれる。



釈真聴さんも私も同行(どうぎょう)・同朋であるが、お互い本当によく似たことを思っているものである。毎田師は金沢の方で、暁烏師に師事された方である。釈真聴さんとは本当に浅からざるご縁とつくづく思っている。

<閑話休題>
新あのの ANONO FU (釈真聴さんは、FUの方がと仰います。FUは優しい響きかしら)
皆様からのバックアップがうれしいです。
こちら地元の方でも「お手伝い出来ますことがあれば」とのお申し出を頂いております。リアルでの会を持つことが出来れば参加したいとのお声も頂きました。皆様のお知恵をお借りして前進して参りたいと存じております。




どのような内容ですかとのご質問もありました。前々回、大まかには記しているのですが、私なりのプログラムがあります。何と申しましても30余年に亘って研修・ワークをしてきましたからね。まずは「自分自身を知る」からスタートです。
殆どの人は本当の自分自身を知りません。知っているつもりなだけなんです。長年、数多くの方々にこのセッションを体験して頂きましたが、皆様方に沢山のお気づき(気づかされ)がありました。



暁烏敏師の書にも「汝自身を知れ」を引用されています。この言葉は暁烏敏師の師であった清沢満之先生が大切にされていました。これはギリシャの古言ですが、ソクラテスは「己の無知の自覚」と捉えな直しています。まことに不思議な符合と存じております。それでは今宵これにて。つづきはまたね。