画像は京都岡崎 白河院のお庭 12月20日午前撮影
暮れも押し詰まった12月26日の福井新聞の文化欄に「かくれんぼ」と題した
1篇の詩が載っていました。
かくれんぼ
かくれんぼが大好きな子どもたち
みつかるとくやしい
みつからないとさびしい
自分からここだよと
鬼に呼びかけたりもする
庭に穴を掘って
すっぽり入り込んでいる少年
胎児への回帰の願いからなのか
かくれると安心する
古来高貴な方が亡くなると
おかくれになると表現した
かくれんぼから出てきて
かくれんぼへかくれてしまう
ふいにざわざわと木の葉がゆれる
目のすみで小さい影が走り去る
光もないのに何かがチラリと光る
かくれてしまった亡き人たちが
ここだよ そばにいるよ と
呼びかけているのか
福井の詩人・有田幸代さんの詩です。
有田さんとは古い知人です。
今までに上梓された詩集も2冊頂いています。
随分長く会っていませんが、新聞のお写真を見ますと、お元気そうな笑顔が
写っていました。
最後の3行を読み終えて涙がほろりとこぼれました。
かくれてしまった亡き人たちが
ここだよ そばにいるよ と
呼びかけているのか
実は12月19日、少し早めですが亡き弟の1周忌で上洛しました。
参列者は、彼の家族と私、そして私の妹のみで、ささやかではありましたが
心のこもった法要でした。
彼の書斎に入ると、そこは全く在りし日のままに書籍に埋もれていました。
まるで時間が止まったように・・・。
ただ、机には彼の遺影が置かれてありました。
それは大学の講義の途中、教壇で微笑む彼の顔でした。
いつの日も 和顔愛語の君なりき
在りし日のまま 笑みていませり
(筆者・近詠)
「いつもやさしく、笑顔の人」皆、異口同音に言ってくれます。
まさに和顔愛語とは彼のことだろうと、しみじみ思うのでした。
現役のままで逝った彼。
大学から「名誉教授」の称号が贈られていました。
法要の後、随心院に建立したお墓に納骨をし本尊如意輪観音に詣でました。
随心院は小野小町所縁のお寺で、広大な境内には230本の梅園(小野梅園)が
あります。梅の花の咲く頃に弟に会いに行き、梅園も訪ねたいと思っています。
12月の京都は寒いのですが、この日は小春日和とまでは言えませんが、お日様が
お顔を覗かせるいい日でした。
その日は皆で岡崎にある白川院に宿をとりました。
白川院は名匠小川治兵衛による、東山を借景とした池泉回遊式庭園があります。
翌朝、宿の玄関をを出ますと朝の陽光にお庭の紅葉が映えて、思わず1枚撮ったの
が冒頭の画像です。
それでは今宵はこれで。思いつくままに推敲もしませずに。
弟さんの遺影を拝見して、yo-サンに良く似た素敵な方だったんですね。
それに、素敵な詩。
yo-サン同様、
「かくれてしまった亡き人たちが
ここだよ そばにいるよと
呼びかけているのか」
の箇所がとても印象に残りました。
この所、父(92歳)の介護に疲れ果てていた私にとって、反省させられる言葉でもありました。
もっと父を大事にいとおしんであげよう!
ありがとうございました。
メッセージ有難うございます。
未だ心癒えぬ私です。
何かと慌ただしいのですが、心の片隅に
ぽっかり穴が開いているようです。