- まず医師免許を取って、
- 名大教授以上の社会的実績を医学の世界で上げて
- 私を医学的に正確に診察、検査して
自分に言われていることではないけれど、他の人や報道で、外見上から病気と判断しにくい障害に、「詐病だ」「仮病だ」と言われていると、つらくなります。
病気と診断できるのは、この国では医師だけです。医師が診断し、診断書を書いています。
たとえぱ「うつ病」。うつ病でもかなり重くならないと、明白にわからないことが、よくあります。
笑っているからうつ病でない。とか。すごいこという人が、看護師とかにさえいますが、24時間鬱状態で居続けている人だけに診断が降りるわけではありません。
DSMのことを書いて、簡単に当てはめて診断できるかの如き主張をする記事もありますが、私はアメリカ精神医学会基準を棒読みする医者なんて信頼できません。精神科医はただ診断基準をあてはめているだけではなく、総合判断で診断しています。神田橋先生をはじめ、私が信頼する医師たちはそうです。
病気と報道された人を詐病扱いする人。あんた医者か。と言ってやりたい。
複雑性PTSD、うつ病…「違う病気だ」「詐病だ」という声があがる根本原因 病名にとらわれすぎるのは大問題 | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)
自閉症も、本人にさえ自覚がないことがよくあります。自分の近くに、境界性知能〈IQが知的障害に近い〉を併せ持つ人がいました。
その人は、社会常識がなく、経済的にも破産していて、日常生活にも奇異な行為や外見が目立つ人で、明らかに困っている人なのですが自覚なく、生活保護課から無理やり病院に連行され診断付けられ年金まで取らされている様子。
自閉については心理検査、特にウエイスクラー知能検査をすれば、かなり明白に把握できます。彼は自分の診断に納得できず、いろいろ資料を持って来て見せてくれました。それら資料によると、教科書通りの自閉症者でした。〈ちなみに私の大学時代の専攻は臨床心理学。認定心理士持ってます〉
でも本人自覚なく、自分から支援を離れて、また路頭に迷うかもしれないですね。仕方がないです。
おそらく、昔ながらの、誰が見ても自閉だとわかる自閉症の人は、本人自覚ないと思います。自閉である前に重度の知的障害が伴ってますから、世の中訳が分からないでしょうね。
世の中には多くの、はた目から見て傷病障害が分からない人が、大勢います。脳の病気以外にも、血管や内臓などの病気も、見た目からはわかないことが多いですね。
見た目が病気そうでないからといつて、病気を告白して配慮を求める人を、うそつき呼ばわりして虐待することが、自分自身が苦しんでいるであろう当事者の間でもなされていることに、私は悲しみを覚えます。
タイトル通り、うつ状態のわだち、からの脱出に、一番効果があるのは、「運動」かな?
NHKあたりから、そんなタイトルの本が10年くらい前に出ていて読んだ記憶があります。
うつ状態に対する運動の効果は向精神薬に匹敵すると、いろいろな論文出ていて、自分の主治医をしてくれたドクターや、ユーチューバーの精神科医・樺沢紫苑氏も、よく言っていました。
朝、運動することは、私は習慣化しています。
勤務していれば、出勤が自然に朝の運動になります。
休んでいるときも、朝にジョギングとか何か、やっていました。
とくに樺沢紫苑氏の動画を見るようになってから、「朝散歩」を毎日20~30分くらい、かならずやっています。
朝運動すると爽快感が出て、散歩程度なら苦にならないので、いいと思います。
そして、何か気分の落ち込みがあったら、やはり運動がいい。樺沢紫苑氏は「激しい運動」を推奨していますね。
そういうことがあったので、動けるようになるのを待ってからですが、習慣化されているジム通いを落ち込んだ後にしてみたところ、効果てきめん。頓服のお世話になることなく、運動で精神を穏やかにできました。
この経験は、私にとってささやかながら大きな出来事でした。
うつに打ち勝つ、とかではなく、「うつ」さんを「もてなす」には、運動が一番。かもしれないですね。
もちろん、必要に応じて薬を飲むことや、誰かに相談することも大事だと思います。自分自身服薬や相談をやっているので、「運動」だけが対応策ではありませんが、「気持ち的に軽負荷で心地よい運動」はいいですね。
コロナ禍でなかなか遠出しにくい今、鉄道動画にはまっている。
その動画を見た人から「スーツ〈著名な鉄道系ユーチューバー〉って、自閉だね」と言われた。
「自閉でいいじゃないか。総理大臣よりも稼いどるぞ。」と私は返した。
いいじゃないか。自閉症で。〈確定診断が出ているかどうかは知らないが〉
いいじゃないか。好きなことやって、何百万もの人たちから好かれて。自立できて。
おそらく入社試験の心理検査で兆候つかまれてJR職員にはなれなかったのだろうけど〈内田クレペリン検査を開発するなど、JRは旧国鉄時代から心理検査技術に長けている〉、有名大学に入って学生しながら好きなことをして荒稼ぎして、すでに会社社長なんだから。結構なことじゃないか。
イチロー、おさかなくん、そしてスーツ。
いずれも確定診断出ているかどうか知らないが、突出した能力を活用して、しっかり生きている人たちだ。
こういう人たちを見るとおもしろい。猿真似は困難だが話の内容はとても示唆に富んでいる。少なくとも医療福祉のモルモット・固定資産にすることにしか関心がない虫採りの専門家・営業員どもよりはるかに役立つ。
最近、さる臨床心理士から聞いた言葉から連想されたことがある。
心理士は「自分を信じる力が必要。信じないようにする働きかけが多いけれど。」と言った。
それを聞いて、そういえば、障害者職業センターの職業カウンセラーとか、県コロニーや大学病院の児童精神科医とか、近所の大学臨床心理教授とか、自立しようとする当事者の足を引っ張る専門家と私は何度も出会い、その都度対峙して来た。ということが思い出されたのだ。
医師は病気を治すことが任務だと私は思うが、さる児童精神科の権威はツイートで「治すことは医師としての良心が許せない」との投稿を盛んにしてきたことが思い出される。その権威は医師としての良心が180度異なる神田橋先生を盛んに愚弄し続けたが、やがて本名が暴かれるとツイッターでは沈黙したことも思い出される〈公演では発達障害無能論を強調し続けているようだが〉。
自立を支援することが福祉職の任務だと私は信じているが、これまた医療福祉牧畜産業の固定資産にすることしか考えない支援者が非常に多いとも、感じている。
私は現実を見て、自分を見てくれる医師に患者を治すか楽にする意志があるかどうかを都度しっかり確認しつづけているし、支援者に対してソーシャルワークやカウンセリングなどの支援をする技量と意志があるかどうかを都度しっかり確認し続けている。
神田橋先生のような、どんなことをしてでも目の前の患者を楽にしようという志を持つ医師は全国にいるし、自分の任務は自立を支援することだと格闘している支援者も大勢いることも、私は知っている。
足を引っ張るような支援者からは離れ、自分を助けてくれる人につながればいいと思う。
足を引っ張るような、あるいは奈落の底に突き落とす動きをする「支援者」の言うことなど聞く必要はない。服従する必要はない。環境を変えればいい。
薬理作用の矛盾する多量多剤処方をするような医者の薬を飲む義務などない。医者は巷に大勢いる。当事者会などで情報を集め、自分の気になる人に意見を聞きに行けばいい。
自分は、この度の失業も、きっと超えられると信じている。
支援者に復帰するチャンスがあれば、当事者が自分の人生を歩むことを支援する存在でありたいと思う。
※私のiHerb紹介クーポンコードは BZW9977 です。
このクーポンコードをiHerbのページでコピペしてくださることで、購入するサプリなどで割引があります。
治る、回復する、リカバリー、などは「科学」ではなく「物語」だと、心から思います。
昔から、治る、回復する。という事象はありました。例えば聖書には、イエス様に癒された。あるいはパウロの話を聞いて癒された。という記述がよく出ています。
しかし聖書の時代なら知識人である「パリサイ人」にその癒しは否定され、今も「治る」が「良識に反する」という信念である医師たちによって否定されます。昨日のツイートで某県発達障害者支援センター長が裏アカで、「〈たぶん発達障害や自閉症が〉治るは良識に反する」「〈内観法であろう〉臨床心理学で宗教的なやり方が取り上げられること」を白眼視しておられました。
この「治すことは科学的にあり得ないから、治すは良識に反する」と考えているであろう先生に、何を求めたれるのか。
この先生の周りには、行動に応じて強い薬とか、この先生の理想郷的な閉鎖病棟とか。行動分析で外からコントロールするとか。それがこの先生の信じる「良識に基づく医療」なのでしょうか。〈行動分析は保険医療ではありません。多分「行動論的認知行動療法」としてレセプト上の処理さをれるのでしょうけれど〉
この先生は東田直樹さんの学会講演が中止になったことを喜んでおられた。青木先生など臨床の大家たちが東田さんの生きておられる現実をしっかりと見てもらおう。という企画を、「教育された方法がエビデンスに基づかない」などなど東田直樹の人生を否定すると受け止められる無礼極まりない運動をしてつぶれたことが、「良識」であるという方。
医者はたくさんいるので、みなさん自分が診察してもらいたい先生のところにいかれればいいのです。
支援もたくさんあるので、自分に必要な支援をするところに行けばいいのです。
治ることを否定する人は、どんな癒しも否定します。当事者であれ、専門家であれ、知識人であれ。
それでも、人生を回復した人たちは、今も昔も大勢います。この私もそうだ。私の身に起きた現実を、私は否定しません。人生の回復に貢献したい人たちも、大勢います。
私は健康寿命を延ばしたい。大いに神様に用いられて、世の人々の福祉に携わりたい。だから健康な体が心から欲しい。心身の健康を維持発展させたい。と強く思い、今日も生きています。
だから私は、医療を受けるなら、神田橋先生のような、治すことを徹底的に志向する先生のもとに行きます。「医者なら治さないかん」と思います。
治るも治らないも、その方の人生の選択の自由。
たとえ治らなくても、態度で示す価値もあります。
私は「れいわ新選組」から参議院選挙に出馬された木村英子さんの活動を強く支持しています。木村さんたちによる自立生活活動については、それなりに知識を持っているつもりです。「生きる」ということを行動で教えてくださる。すばらしい方々です。
すべての人間の命は高価で貴いのです。その人の生きる価値は、顔の見えない・言葉の汚いネトウヨや自民党サポーターが決めるものではありません。神様の領域に人間が介入してはいけないと思います。
治りたくない方はそのままでいい。社会人として生きることは大変リスクを伴うこと。労働の強制はできません。その人の生き方。スタイルのこと。わたしはクライエントであれ全くの他人であれ、その人はその人の人生を歩まれればいい。思う通りのことを実験的にやってみて、いろいろ失敗しながら学べばいい。絶望から学べばいい。あるがままでいていいのだと、きっぱりしたいと思います。
もちろん、障害者であれ何であれ、何かを壊せば賠償し場合によっては出禁となり、犯罪行為をしたら罪を償わなければいけないのです。障害無罪ではありません。
障害のある方であれだれであれ、私は自分を含め人々の人生を取り戻す運動に、これからもかかわっていきたいと思います。自分の行動に責任を持つ。というのはその最初のステップだと考えています。
治る、回復する、自立生活する、などは、科学ではなく価値判断。文学であり物語です。エビデンスは自分の体が教えてくれれば十分です。
僕はこれまでずっと、チャレンジを認めない専門家とは縁を切ってきた。
四半世紀前、高校を中退することになってから5年間の時も、東京シューレさんのような支援者からは遠く離れていた。また、それ系の支援者たちは「汚い世の中」に戻ろうとする私を嫌悪した。障害の専門家とは言えないと思っている皮膚科医やその周りの人たち、それにファストフード店の人たちに助けられて、崖の底から這いあがることができた。今となっては、その選択は正しかったと確信している。
ひどい腰痛になって会社を休業した時も、安易に別の人生を勧めてきた専門家たちには「ありがとうございました。」と丁寧にお辞儀をして出て行った。整形外科の権威からは治ってもいないのにほっぽり出され、途方に暮れたこともあった。元阪神タイガースのトレーナーがやっている接骨院が地元にあることを知って、そこで激しいリハビリをして、復活することができた。
そして、そこまでして戻った会社に仕打ちを受け、ついでに障害が「発見」された時も、生活保護を前提とした人生設計を国立施設の職業カウンセラーが言い「障害者職業センターを選ぶかナカポツを選ぶか」と要求されたので迷うことなく、「あなたのしてきた仕事があなたのできる事」と言ってくれた豊田のナカポツの助言的支援を選択し、国立施設の生活保護と絡めた濃厚な支援から敬して遠ざかった。ナカポツでかつて私の相手を担当してくれた支援者は身体障害者だった。彼から自らが障害を持つ身としての立ち位置や社会との関わり方を試行錯誤して学ばせていただけた。私の自己決定を最大限に応援してくれ、己の経験に基づき踏み込んだ助言もしてくれて、失敗経験をたくさん積むことにへこたれることなくつきあってくれ、彼は今まで出会った社会福祉士の中で最も腕のいいワーカーだと思っている。
ちなみに、国立施設は墓場まで支援してくれることはない。生活保護受理に厳しい福祉事務所に何かを働きかけてくれることも期待できそうにない。にもかかわらず生活保護と安易に口にする。わずかに示す仕事は最賃法レベルの単純労働をまったりあっせんして、3年くらい月一度程度連絡してきて支援したつもりでいるだけのことと、当事者会で確認した。
これからもいろいろあるだろう。覚悟している。
専門家という他人が私のために、私の人生を活かすために自分の命を懸けて支援するということもないと確信している。専門家は組織の権益や専門家としての自らの功績のために熱心に動くだけ。自分や自分の組織の利益にならなければ私のためになど決して動くことはないと確信している。
自分の人生は自分で作っていく。
不登校になって3年くらいで、ようやく自分から動き出したのでした。
それ以前には、高校の紹介で名古屋市立大学の精神科にかかりました。清水教授〈当時〉は「学校は精神病と言っているが、全く病気ではないよ。」と母に告げました。プラセボのみ処方され、まったく効果なくカプセルをかみ切ってみたらからで、行くのをやめました。
その後、名古屋市内の某有名クリニックに通い、ようやく「自律神経失調症」というもっともらしい病名をいただきました。要するに「半健康状態。病気でもないし健康でもない。原因も治療法も不明。」という見立てでした。ここも医師との話も合わず薬も合わず集団療法も空振りで、行ったり中断したりで、合わなかったです。
母は宗教や臨床心理学にも頼りました。最初は怪しげな手かざしとかに突き合わさせましたが、結局は父方の親族で入信者の多かった某教派神道に落ち着いてくれました。のど元過ぎればなんとやらで、私が元気になったところで信仰心はなくなったようです。
心理学のクリニックには平井信義先生を頼って大妻女子大と、近所の中京大に行きました。カウンセリングの先生に話をおうむ返しされるだけで、通う意味が本人的にはわかりませんでした。今から考えるとやられたことは来談者中心療法だったのかなあと思います。ロジャーズのやり方は基本かもしれませんが、あれに一回一万円近いお金を投入する価値は、いまだに見出すことができません。ただし大学時代の私には、ロジャーズの概念との出会いは大変大事でした。自分のやっていることと本当の思いの一致は、健康上も大事です。
また、大妻大からは家族療法の誘いもあったようですが、父の参加見通しがなく実現しませんでした。
そして平井先生はアスペルガー先生の直弟子で自閉症研究の権威したが、平井先生のお弟子さんを含め、私の、現在より相当強烈に異彩を放っていたはずの、アスペルガー障害を見抜くことができませんでした。
それくらい、自閉症の診断は難しいのです。今でもきっと、昭和大の加藤先生なら私を自閉症とは認めないかもしれない、とか、思います。
母経由のものは散々でしたが、独力で探した「税所式」は、少し興奮した数か月間は効果がありました。勢いに任せて東京アカデミーという大検予備校に父にお願いして通いましたが、二月でダメになってしまいました。大検予備校からのフォローは何もありませんでした。東京アカデミーさんの体質は労働裁判とかが起きていますから、今となってはお金を取ることには熱心だが精神的に弱い人を集めながらなんのフォローもない。そういう運営のスクールさんだったのかな、と理解します。
税所式の早起きとかを否定するつもりはありません。ただ「通信式」で数十万円かかり、何度か税所先生にお電話いただいたのですが、結局は挫折しました。でもほんの数か月間だけでも昼夜逆転から回復し、家以外の場所で頑張ることができました。
その数か月後、今井先生の情報を入手し繋がったことで、ようやく人生の転換点を迎えることができたのでした。
ここで少し待ち、大原健士郎先生の診察がありました。直前の高校の制服を着た女の子は先生からびんたされていました。今なら障害者虐待と口うるさく言われますか。
私の診察時間は約10分。検査結果を見て開口一番「あんたは病気じゃない。病院は病人の来るところ。こんなところ来てはいけない。」と、温かく厳しく叱られたことを覚えています。私が「大学に行き、将来は自立したいと思います」的なことを言うと先生は「思っているだけか。やらないということか。」と厳しく言葉を返されました。今でも自分の意思をしっかり表明するときは「~思います」というあいまいな表現をあまり使わないようにしているのはこの影響です。最後に「問題ない。今井先生のところでしっかり勉強しなさい。」と、押し出してくださりました。
この診察をもって、私は自分が精神疾患の患者ではなく、このまましっかり勉強して次に進むべきなのだとはっきり自覚しました。また、心理検査担当の判定員の先生のことが気に入り、大学で心理学を学ぶという進路に導かれました。後日心理検査の勉強をして、この先生の手順に少々難があったことを悟りましたが、心理検査では何と言っても被験者とのラポール形成が第一であり、非常にラッキーでした。
今井先生の迷いもなくなったようで、私のスランプ時にもどっしり腰を構えた対応になりました。
大原先生は、私には厳しく追い返して今井先生のところでやらせた方がいいと判断されたのですが、私がいっしょに勉強していた思わしくない別の方には入院を宣告されました。ただし引きこもりの深刻なその方にとって入院森田療法は過酷だったようで、無断退院と治療拒否に至りました。
当時は発達障害という言葉さえありませんでしたし、診断基準も現在とはかなり異なります。大原先生はすでに故人で、精神科診療は先生の主観的判断が全てです。なので現在の浜松医科大学付属病院では私の受診した25年前とは全く異なる対応になると考えられます。
四半世紀も前のことで、今ほどの医療体制の充実はありませんが、それでも私はこのたった一度の診察を機に、引きこもりから社会人へと人生を転換させたのでした。
それは精神科専門医でない人の治療ならぬ「受験指導」と、発達障害概念のない状況での最高度の医療機関での完璧ではない医療による成果の貢献するところの大きいものです。
浜松医大受診の2年位前くらいから母は、名市大精神科や名古屋市内精神科有名クリニック、大妻女子大や中京大の心理相談室に足しげく通っていたり、家族療法が父の不参加で実現しなかったりしていました。私は何度か付き合いましたが、継続してカウンセリングを受ける気にはなれませんでした。
家族の変化といえば、父が仕事の第一線から退き、定時に帰宅するようになつたことでした。これで母の心が少し落ち着いたと感じました。それくらいです。決して家族や社会が根本的に変化したわけではありません。にもかかわらず私は、引きこもり支援者の「社会や家庭が悪いとひきこもりから抜け出せない」という定説に反し、このような文章を書いているのです。
今の児童精神医学会のけっこうな勢力の見解は、私のようなものが社会に出ることなど理論的にあり得ないことであり、某経済評論家のご子息と同じ運命であることが当たり前なのです。
ずっと引きこもり、専門のケアワーカーが複数いないと日常生活が送れない。もちろん向精神薬を常時服薬し続け、時々閉鎖病棟に入院し保護室で安静になるのを待つ。治療目標は「家事をする引きこもり」。家の中で暴れないで、支援施設なのかでただ静かに過ごしてくれて、少し家事でも手伝ってくれれば万々歳。です。これがメジャーな発達障害専門医の描く私の本来のポジションです。
そういう主流の人生を歩まないで、工場でパワハラに会いうつ状態になった時の主治医のいうところの「狭い道を探して通って」社会人を継続しているのです。
大原先生の温かく泰然としたイメージをしっかりフラッシュバックさせ、「思っているだけでやらないということか。」「問題ない。しっかりやれ」と鼓舞させつつ、これからも生きていきます。