ここ最近、戦争中であっても笑うことを忘れないウクライナ人たちに、
テレビで連日ウクライナ人に降伏命令している某元市長が、
笑っているから深刻でない、とか、何とか言っていたことについて、
怒りの反応をウクライナ人たちがしている文章を読んでいる。
たとえ苦しい状況にあっても、苦しいからこそ、毎日の些細なことに感動したり笑ったりする人が、最後まで生き残るのかもしれない。
一番有名な事例が、このブログでも取り上げている、アウシュビッツを生き抜いた精神科医V.E.フランクル。
これは著書で何度か書かれ、NHKの番組でも取り上げられたエピソードで、
強制収容所から工事現場への移動中の、朝焼けや夕日をきれいだと思い感動する。そんな些細なことで心を和ませていた。
もちろん当時フランクル博士の状況は、食べ物にも困る状態。労働不能と判断されればその日のうちに殺らされる環境。
フランクル先生は書いていたと思う。希望が無くなると、死ぬと
だから今日も、戦争で命からがら脱出した、日本語ができるきれいなウクライナ人女性が、
みらいは あかるいです
苦しくても笑う。
にもかかわらず、笑う。
これは、精神的病などにもあてはまる。
このブログでも一昨年触れ、強く非難した介護系企業経営者による
うつ病の診断書出して辞めるやつが職員と笑っていたから、あれは仮病だ。俺は元精神科病院看護師だからわかる。笑えるあんな奴はうつ病ではない。
とかなんとか堂々と会社のブログに掲載したいたことが、思い出された。
うつ病でも笑う。
苦しいから笑う。
にもかかわらず、笑う。
当事者の精神を命令するな。
どうせ苦悩に寄り添う気持ちのない貴様らにはわからない。
と、私は今日もテレビやネットで誰かを冒涜している元政令都市市長や、
コロナ検査でさらに一儲けした介護系会社死茶長に言いたい。
最後に、ツイッターで出会ったウクライナ人デザイナーのエレナさん。
彼女の投稿内容は2月24日以降、激変している。
エレナさんだけではなく、幾千万のウクライナ市民の人生が激変させられた残酷な現状を、私たちはわずかではあるが、ネット上の痕跡で想像することができる時代にいる。
今日もキーウからバッハを演奏し世界に配信し続けるアコーディオンの先生とか、
そしてこの、日本びいきの若い女性の方とか、
とてつもない苦しみの中でも、人生の喜びを忘れない。
※下のリンクはエレナさんの作品を見ることを通して支援するリンク。