「生涯引きこもり」と宣言された私の、超豪華オプション生活

 登校拒否となり、生涯ひきこもりであろうと決めつけられて四半世紀。社会人として生きる記録。#発達障害 #自閉症 #ニート

にもかかわらず、笑う。うつ病でも笑う。戦争中でも笑う。

2022-03-28 16:31:32 | 当事者研究
ここ最近、戦争中であっても笑うことを忘れないウクライナ人たちに、
テレビで連日ウクライナ人に降伏命令している某元市長が、
笑っているから深刻でない、とか、何とか言っていたことについて、
怒りの反応をウクライナ人たちがしている文章を読んでいる。

たとえ苦しい状況にあっても、苦しいからこそ、毎日の些細なことに感動したり笑ったりする人が、最後まで生き残るのかもしれない。

一番有名な事例が、このブログでも取り上げている、アウシュビッツを生き抜いた精神科医V.E.フランクル。
これは著書で何度か書かれ、NHKの番組でも取り上げられたエピソードで、
強制収容所から工事現場への移動中の、朝焼けや夕日をきれいだと思い感動する。そんな些細なことで心を和ませていた。
もちろん当時フランクル博士の状況は、食べ物にも困る状態。労働不能と判断されればその日のうちに殺らされる環境。
フランクル先生は書いていたと思う。希望が無くなると、死ぬと


だから今日も、戦争で命からがら脱出した、日本語ができるきれいなウクライナ人女性が、
みらいは あかるいです

苦しくても笑う。
にもかかわらず、笑う。

これは、精神的病などにもあてはまる。
このブログでも一昨年触れ、強く非難した介護系企業経営者による
うつ病の診断書出して辞めるやつが職員と笑っていたから、あれは仮病だ。俺は元精神科病院看護師だからわかる。笑えるあんな奴はうつ病ではない。
とかなんとか堂々と会社のブログに掲載したいたことが、思い出された。

うつ病でも笑う。
苦しいから笑う。
にもかかわらず、笑う。

当事者の精神を命令するな。
どうせ苦悩に寄り添う気持ちのない貴様らにはわからない。

と、私は今日もテレビやネットで誰かを冒涜している元政令都市市長や、
コロナ検査でさらに一儲けした介護系会社死茶長に言いたい。

最後に、ツイッターで出会ったウクライナ人デザイナーのエレナさん。
彼女の投稿内容は2月24日以降、激変している。
エレナさんだけではなく、幾千万のウクライナ市民の人生が激変させられた残酷な現状を、私たちはわずかではあるが、ネット上の痕跡で想像することができる時代にいる。
今日もキーウからバッハを演奏し世界に配信し続けるアコーディオンの先生とか、
そしてこの、日本びいきの若い女性の方とか、
とてつもない苦しみの中でも、人生の喜びを忘れない。

※下のリンクはエレナさんの作品を見ることを通して支援するリンク。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

名前をつける

2022-03-24 07:29:34 | 当事者研究


今、大島信頼氏〈心理カウンセラー〉の本「無意識さんの力で無敵に生きる」を読み始めている。
冒頭で「メタファー」という単語でいろいろ説明していることで、インスピレーションを得た。

私は「名前を付ける」という言葉にしたい。
これは、べてるの家やダルクなどですでに行われている営み。とはいえ、彼らは大嶋先生の立場とは心理核的にも異なる。
べてる・ダルクは心理学的には認知療法の立場。
一方で大嶋先生はミルトン・エリクソン療法の立場。

べてるやダルクは「広義の福祉」〈社会福祉学とは異なると思うが〉であり、純粋な心理療法をされている大嶋瀬先生とは違う立場かもしれないが、「メタファー」の説明で、私は「名前・ラベルつけ」の効果のことだと思った。

べてるの家などでは例えば、幻聴のことを「幻聴さん」、自傷行為をもたらす衝動のことを「刃物屋さん」などと名前をつけて「もてなす」。
なぜそうするか。べてるの家などでは、当事者たちの経験知として、症状緩和策として、集団を維持する方法の経験値として用いられている。

「名前をつける」「ラベルを付ける」ことの心理学的意味を、大島先生が教えてくれたと、私は思い、記録に残したいと思った。
私なりの解釈では、「名前を付ける」ことの心理学的価値は「無意識の力をかりる」ということ。
詳細は大嶋先生の著書に委ねる。
名前を付けることで、意識的な判断から無意識的な「メタファー」の力を引き出すことができる。だということだと、私は思う。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「見ない、聞かない、反省しない」〈大嶋信頼著〉

2022-03-20 22:23:38 | 書評


直観力を大事にするために「見ない」。
直観は人間の経験や学習に影響される。
赤ちゃんの時から備わった直観力を養うために「見ない」と言い聞かせる。
そうすることで、見えることからよぎる自分の嫉妬心とさらに沸き起こる破壊的人格を呼び覚まさず、直感で生きれるようになる。

イエスセットを使って直観力を磨く。イエスセットとは、相手に3回「はい」と答えてもらうことで、相手を催眠状態にさせる技法。

「聞かない」で、相手の言外の思いを「聞かない」。
そうすることで集中力と直感力が向上し、自分の無意識の声を聴けるようになる。
相手の声のトーンで発作が起きそうになったら「聞かない」。
自分の心臓の拍動に耳を傾ける。
人の言葉の向こう側にあるものを「聞かない」。言葉はただのおもちゃ。
辛辣な言葉の裏にある不快感を「聞かない」。
決め付けない。決めつけは間違っている。
人の気持ちを決めつけることは止められれないから「聞かない」。
責任感の裏にある孤独感。「孤独の足音を聞かない」。

反省は毒。脳内麻薬の発生器。麻薬中毒で反省は危険。だから「反省しない」
反省は悪循環。反省し改善すると、周りが感づき、嫉妬の発作を呼びし、さらに反省の脳内や幕中毒を起こす。
色眼鏡はサングラス。相手のダメ出しは嫉妬の発作。嫉妬の発作を反省するとさらに悪循環。
反省も発作。
「反省しない」ことによる孤独の喜び。
「孤独の色眼鏡」で世の中を見ると世界が変わる。「孤独の色眼鏡」で見るとみんな幼い子供。
「孤独の色眼鏡を識別する」と唱えて世間を見たとき、知らず知らずのうちに反省から解放され、今までできなかったことに挑戦できるようになる。
 誰からも理解されない孤独を楽しむ。
「見ない。聞かない。反省しない」の先にあるのは、人の気遣い。嫉妬の発作の無限ループから解放された喜び。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

NO WAR IN UKRAINE !!

2022-03-14 21:49:03 | バロック音楽
最近、ブログを書く手が止まっている。
ロシアによるウクライナ国内でのあまりの暴虐に、非常に多くの感情が起きている。
これまで、非戦闘員を中心に、幾万の人が故なく殺され、幾百万の人々が避難を余儀なくされた。
侵略されたからだ。

某政令指定都市元市長は、ウクライナに無条件降伏を声高に叫んでいる。
そんなことしたら、大量虐殺が待っているから抵抗するしかない。というのが9割のウクライナの人々が持つ総意だ。
私はウクライナの人々の抵抗を支持する。

ロシアによる無差別大量殺戮が今日も行われている。
現代ロシア史を紐解くと、これから数百万人の死者が発生しても、何らおかしくない。
日本人もロシア人には随分ひどい目に合っているから、現代日本史を学べば想像はつくはずだ。

なかなか手が動かなかったが、私もブログでウクライナを応援する。
手始めに、TBS系列で先日放映されたウクライナ在住の世界的アコーディオン奏者が、キーウ〈キエフ〉攻防戦の中、市内の自宅に留まって演奏活動を続けていることを広め、拡散し、応援したい。

これは、先日放映されたインタビュー動画

イゴール・ザバドスキー先生の演奏動画の数々。偉大な演奏をたくさん聞くことができる。

すでに演奏仲間の若いバイオリニスト女性なども、ロシア人に殺されている。
身近な人たちが無残に殺害されてもなお、ウクライナの人たちはロシアへの抵抗を辞めない。諦めない。生きていたい。自由でいたい。と彼らは言う。命がけで。
(1) Igor Zavadsky | Facebook 

思うところが多い。
日本にはロシアシンパやロシアに雇われたエージェントも大勢いて、そいつらは今日も日本語でロシア擁護のプロパガンダ活動をしているから、注意しながら書いている。

私は明白にウクライナ支持を表明する。すでに募金にも参加した。
寄付したのは、人道支援だけする国連機関だ。
もちろん今後、ウクライナ中央銀行の緊急口座に寄付してもいいと思っている。
ウクライナの武器弾薬を支援したければ、ウクライナ大使館の口座に寄付したほうがいいかもな、と思う。

ロシアの非道はウクライナで止めてほしい。
露助、帰れ!!


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「努力します」という返し方

2022-03-07 21:55:04 | 当事者研究

最近、職場で明白に答えることが困難なことに遭遇した。
私はとっさに「努力いたします」と返事した。

「はい、わかりました」だと、相手の要求どおりにできないと「できないじゃないか」ということになり、詰問され、うつ病が再発することになる。

「努力いたします」だと、「努力する」ことは確約するけど、相手の思っている成果を達成する。ことまでは確約していない。

努力はするが、達成が確約できないような要求が出された場合、そう答える。ということを、私は社会で学んだ。

世の中には無茶な話や理不尽な話が転がっている。
 ましては私には、障害認定レベルの得手不得手があることを、明白に認識している。
障害配慮する気のない相手に不得意なことを強いられた場合、「努力します」という返しは有効なライフハックだと思う。

「努力」はするけど、残念ながら「達成」は確約できない。
そもそも空気の読めない私には、何をもって「達成」なのか、物理的に提示されないとまったくわからない。
空気を読めと言われてもできない。空気の読めないことが障害認定されていること、なのだから。
私は職場に障害名と具体的配慮事項を文章で開示したうえで採用されている。
言われんでも分かれ。では困る。
私は脳神経の機能障害が生得的にあると。日本国から認定されたのだ。
私は脳機能障害により空気を読む能力が生得的に欠如していると日本国が認証し、具体的に提示されないと理解できないから、障害認定を受け障害開示したのだ。

これからも努力はしていこうと思う。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「すみません」という言葉を、意識して言わないようにしている。

2022-03-04 21:14:13 | 生活と療養の工夫
よく、私たちが頻繁に使う言葉「すみません」という言葉。
非常にいろいろなところでこれを使ってきた。
いつも、「すみません」「すみません」と言ってきた。

しかし今の私は、意識して「すみません」と言うことを慎んでいる。
「すみません」と言わなければいけないのは、明らかな私の過失によって相手が損害をこうむっ時は、従来通り「ごめんなさい」「すみません」と言うが、あいさつ代わりに「すみません」と言うことを、やめることにした。
私は何か相手から良いことをしていただいたときは「すみません」と言うのではなく
「ありがとうございます」
と言うように、心がけている。

というのも、「すみません」と言うと、それを聞いた他者の共鳴反射〈と自閉症者への支援歴の長い私は言う〉を招き、
「こいつには何をしてもかまわない」という雰囲気を作ってしまうからだ。
私は「共鳴反射」と表現したが、これは今読んでいる心理学者・大嶋信頼氏が折に触れて使っている「ビビッの嫉妬反射を作動させ、相手の破壊的人格を引き出す」という表現に構想を得たのだと思う。
また、大島氏や精神科医ユーチューバー樺沢紫苑氏などがよく言っている〈ように感じる〉、「無の境地」「無理に関係性を構築しない」ということも取り入れ、実精んしているのだと思う。
 私は目的をもって他者とコミュニケーションを取る。他者に同志になっていただき、共通の目的に向かって協調して作業する、ということは意識している。
しかし他者におもねって、入っていって、積極的に人間関係を構築したいとは、今は全く思わない。
フラットな状態で、無の状態で、いいと思っている。この静けさを維持したいと思っている

「すみません」と言わない。なにか他者からしてもらったときは「ありがとう」と言う。というのは、心理カウンセラー・ユーチューバーるろうに氏のボイシーでの発信で初めて聴いた。
それがちょうど読み進めている大嶋氏の本に触発され、大変腑に落ちている。
「ありがとう」と説教的に言っていこうと心がけている。ほめられて悪い気持ちになる人は少ないと思う。

私は他者に感情をこめて反応していたと思う。
そこで、自分の感情表出を必要最小限したいと思う。
感情表出は極力フラットにしたい。

それから「すみません」を発するのは必要最小限して、相手に対してこいつには何をしてもかまわないと思わせることを避けたいと思う。
フラットに無の境地で生きて、「ありがとう」と言っていたいと思う。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする