いままで、四半世紀、いや学生時代のバイトも含めれば30年もの間、私は社会で仕事をしてきました。
ずいぶんと無茶なことも頼まれたりしたことは今も昔もですが、昔の上司は責任は俺がとるからしっかりやれ。というのが多かったです。
もちろん口ばかりうるさく過激で、あの利用者をぶん殴れとかあいつを締め上げろとか、虐待命令をするような醜い指揮をする上司もいました。そういえばそうだ。そういうひどいのは福祉の世界に多かったなあ。とも。
今、働くということを振り返って、私は指導を刑法に反しない範囲で忠実に実行してきたけれど、どうだったのかなあ。と。
とはいえ、そうやって稼いできたので、収入は少ないけれど世間の並み以上の資産を所有していて、今このご時世でも、資産の取り崩しはあってもすぐに底をつくことはない。〈もちろん補給があればありがたいけれども〉という状況を作りだせているのです。
それにしても、仕事を自分なりに忠実にやっていて、無茶な指導も受けてきて、その無茶な指導を出した側が忘れていたりなかったことにされてみたり。そんなのやってられるかって。そういう現場が多いですね、福祉は。
福祉に囲い込まれている障害当事者たちの声を時々耳にすることがあります。
「一般企業では味わえないほど楽だ」
「楽して生きていけるよ」
それを自ら選ばれたのなら、それを通されればいいと思う。年金と家族のお金で細々と暮らす。資産が尽きたところで支援者を同伴して生活保護申請。そういう生き方もある。否定しない。十年後の私がそうかもしれない。
でも今はまだ、その道を歩まないで済んでいる。それは今までしっかり仕事をしてきたからだ。
医療福祉に囲われる人生。退屈ではないですか。自分の持てる力を精いっぱい出して生きるのではなく、専門職にコントロールされながら、専門職の敷いたレールの上で専門書が喜ぶようにおとなしく生きる人生。それもありですが、今の私にはできない生き方ですね。
浪人時代のハンバーガーチェーンでのバイトに始まり、福祉の仕事やらトヨタの車に携わるしごとやらをやってきました。若いころはそれこそ命を懸けて仕事をし、酒の席でも命を懸けて飲み、特攻隊というあだ名で通ってきました。まじめに命を捨てることになっても求められた役割を果たそうとしてきたのが、40歳になるまでの私の人生でした。
40を過ぎると心身に異常を来たすことが増えました。障害者雇用も経験しました。配慮は何もありませんでした。障害のあるなしに関係ないことで障害と結び付けられ、合理的でない区別〈差別だと思う〉をされ、合理的配慮は得られず、前職では労基法規定通りの休憩を「障害配慮」とされました。休憩なしでぶっ通しで働くのがおかしな話です。労働者の権利を団結して主張ていかないと、150年前の産業革命期の劣悪な労働環境になるだけです。だから福祉は人が続きません。そんな劣悪な状況で発達障害を公表したところで、ただ不愉快でしかありませんでした。
もう無理がきかない体になったと思っています。また人生経験を重ね。家族を持ち、それなりの資産形成もした今は、自分の命を危険にさらすことに躊躇が出てきました。
でもブラック企業は今も昔も死んでも働くことを求める。若いころはそれに答えて生きるか死ぬかの仕事をしていましたが、中年のおっさんになった今はなかなか折り合わなくなりました。
企業は死ぬか生きるかで成果を求める。しかし結果の責任は取らないで自己責任となる。そういう事実を踏まえつつ、これからを生きていかねばなりませんね。
新型コロナのおかげで、世の人々の本音が赤裸々に明文化されるようになりました。
世の人々は、障害者とか、若い新入社員とか。そういう弱い立場の人たちには非常に厳しい。何か癇に障れば情け容赦なく徹底的に罵声を浴びせてマウンティングしたつもりになり、弱者のあらを探しだして叩くことに酔いしれる。ニッポンの津々浦々で見かける光景。ニッポンすごいね。
日本の基本は自己責任。今だけ金だけ自分だけ。それを前提に、これからをどう生きようか。