最も印象に残る一節
"わたしの行動指針はただ二つ、ジェイクが好きなことがやれるようにすることと、ふつうの子どもらしい生活を送れるようにすること、それだけです。"
「ぼくは数式で宇宙の美しさを伝えたい」11~13章の印象的なことば。
わたしは保育所の健常児たちにも、好きなことがあったらそこに飛び込んでいくよう促してきました。
大好きなことに打ち込んでいると、それ以外のスキルもおのずとアップする
天文台は息子にとつて大事な基盤になりました。大好きな天文学について誰かと話せる環境ができたことで、息子はただしゃべることと、コミュニケーションをとることの違いや、母親だけでなく他の人ともコミュニケーションをとることを学んでいきました。
子どもが自分の世界から出てくるのを期待するのではなく、こちらから子供の世界に入っていくようになれば、明るい道が開けると、・・・みずからが子供とのかけ橋になり、彼らが見ているものを見ることができれば、彼らを連れ戻すことができる。
得意なこと、好きなこと、打ち込めることもしっかり観察して、そしてこちらから、子供の世界に入っていければ、明るい道が開けると、著者のクリスティン・バーネツトさんも言っています。
似たようなことを、いろいろな講演会の先生から聴いています。
すべての専門家が、絶望にいざなうとか、障害児を操作することしか頭にないとか、障害児の苦手なことにしか関心がない、わけではなく、希望に導く、自主性・自律性を伸ばす、得意を伸ばす支援をする支援者もいるのです。
゛自閉症は泥棒です。わが子を、希望を、夢を奪っていく。"
(クリスティン・バーネット著「ぼくは数式で宇宙の美しさを伝えたい」角川書店 より引用)
その本では、こんなことも語られています。
"なぜみんな、この子たちができないことにばかり焦点を当てるのだろう?なぜできることにもっと注目しないのだろう?"
じつにその通り。大きな疑問です。
私も、希望的なことはあまり教わらず、できないことにのみ関心を持つように大学で教わり、職場で「できないこと」のみに焦点を当てる実践を命じられるまま、行ってきました。
自閉症診断は事実上の絶望宣告です。現実に、多くの人がこの本で語られているバーネット少年が多くの専門家・セラピストから言われたように「一生言葉をしゃべらない。靴のひもも結べない。」のです。
そして、専門家・セラピストの関心は、その人の「できること」には関心がなく、ひたすら「できないこと」の矯正に、その関心は集中するのです。
エジソン、アインシュタイン、ジョブズ、スピルバーグのような「例外」も数多くあり、現役の大学教授や会社経営者の自閉症者も何人も自ら名乗り出ているのですが、専門家や専門教育はそれら「例外」は完全無視で、社会的成功例から教訓として学ぶことはこれまでもありませんでしたし、これからも無関心だと思います。
アカデミック系の専門家が関心を持っているのは専ら、自分の論文だと感じています。自分の学派や学会(たとえば応用行動分析学会、など〉の正当性を強める研究や実践には、きめわて熱心です。クリイエントはモルモット。モルモットはデータ取りと仮説の証明が目的。
クライエントの将来のことなんて、応用行動分析をさせられていたころは「将来を考える」というカテゴリーの回路はありませんでした。ただひたすら職員側が勝手に設定した「標的行動」の達成や「問題行動」の消去にのみ、職員集団の関心は集中していました。
大きな反省です。これではだめです。
その人の「できること」という資源に関心を向け、「できること」が突破口になると私も今は信じているので、それを現場で行っていきたいと思います。
先日、アスペ・エルデの会様のグループホーム計画に触れ、衝撃を受けました。
私の出会ってきた、知的障害のない発達障害の人たちはほとんど、生活も経済も自立しています。
職場の人間関係で困っていたり、気分障害になって通院して服薬している、という声はよく聴きます。
しかし、「障害者の親亡き後」のグループホームや介護ヘルパーによる支援を受けている方とは、リアルには接っしたことがありません。なので日本屈指の高機能発達障害支援団体による介護系障害福祉サービス参入の研究の記事には衝撃を受けました。
なのですが、やはり「親亡き後」の介護支援の必要な方がいらっしゃるのだと認識しました。幼いころからピアノの才能を認められながら紆余曲折を経て、「広汎性発達障害・解離性障害・・・・・(障害名多数)・・・・のピアニスト」という触れ込みをされているピアニストの方の本をざっと目を通して、これはアスペ・エルデの会様のような立派な支援団体の重厚な支援が必要な方の典型なのだと思いました。
このピアノの先生には、障害者でなければならない、それを前面に出さずにはいれらない、どうしようもない理由があるのだと、読んでいて感じました。
あまりにも痛々しい内容で、悲しすぎる自分の曲を専門でもない歌の多いCD付きの本で、私は買うのをやめました。
著書の中にありました。これは虐待なのではないか、と。近所の人に通報され、パトカーがしばしば巡回されていた記述もありました。
ご両親とも立派な方で、ピアニストの先生は構われ過ぎているのではないかと。熱心に将来のことをお考えになられているのだと。ただ、それが大変問題なのだと感じました。だから、「治らない。脳の障害だから何もできない。」と言い切ることで、そして障害が苦しいままであることで、この先生は何とか生きてらっしゃるのではないかと感じました。
家族的な背景やブラックな職場環境、などの心理社会的背景により、「治りたくない患者」が大勢いるのです。
納得しました。立派なご家庭の高機能発達障害ご子息・ご令嬢向けの「親亡き後」の支援。ぜひとも必要です。
この子を自閉症と診断した医師によると、一生涯言葉もしゃべれず「靴の紐をほどく」ような日常動作もできないだろうと言われ、特殊教育の専門家たちはこの子の才能には無関心でひたすら「普通の」行動をさせることにのみ、熱心だったという。
療育とはいったい何なのだろうと、考えさせられる日々です。
いま発注したばかりで、読むのが楽しみです。