「生涯引きこもり」と宣言された私の、超豪華オプション生活

 登校拒否となり、生涯ひきこもりであろうと決めつけられて四半世紀。社会人として生きる記録。#発達障害 #自閉症 #ニート

速報 元名大生殺人事件 裁判所は発達ギョーカイ鑑定を採用しない

2018-03-24 07:10:23 | バカの壁

一審に引き続き、二審も無期懲役判決。まことに妥当な判断である。

検察側鑑定医は国立病院機構東尾張病院長の舟橋龍秀医師。犯罪を犯した精神障碍者が措置入院させられる、重い精神障害に携わる愛知県唯一の国立精神科病院の医師。毎日裁判所が心神耗弱と判断して県知事が措置入院させる患者を診察している医師は「障害は軽度。完全責任能力あり」という。いつも診ている患者さんのレベルと比較されていると思うので、社会の現状に照らし正しい鑑定だと思う。

対する、無罪を主張する弁護側鑑定医は、現時点で把握している範囲では、

一審鑑定医は長尾医師。東三河方面で児童精神科クリニックを開業する、県内の発達ギョーカイでは名の通る医師。

「自分のところに中学生の段階で来てくれれば、すべての犯罪を防げた」

とのたまう。

デイケアもするような先生だから、治そうとする医師なのかもしれない(自分の得ている直接情報ではあまりかんばしくない情報しかないが)。もしかしたら、防げたかもしれない。ただし、刑事責任能力はないという判断は、通らなかった。

二審鑑定医は京都大医学部の十一元三(といちもとみ)教授(児童青年期精神医学)。発達障害研究の権威。自閉症10%説を唱えている先生と記憶している。比較的明るいことを発信する方と記憶している一方で、患者サイドの風説からは浜松医大杉山先生への風評とは異なり、かんばしい治療効果が聞こえてこないことが残念。

「重い精神障害により犯罪を自制できなかった」

という十一先生の主張を裁判所は採用しなかった。

ギョーカイの判断は社会では通らない。これはギョーカイの言うことを聞いて「家事をする引きこもり」や「旧帝大歯学部出た歯科医師が特例子会社福祉就労」「トヨタの金でMIT出て社会の理解が完全になるまでB型就労」という選択をしようが、一般就職して二次障害で苦しむことを通って社会で生きてい行こうが、どういう選択をしようが厳然たる真実。

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自由意志

2018-03-22 22:25:47 | 仁義なき医療福祉~地獄の沙汰も金次第~

 今日は今の仕事の話もしたい。

 自分は知的障碍者向けの作業所の介護職をしている。

 職場の利用者の自閉の人には、大きく分けて二種類の人がいる。

 強度行動障害で毎日他者への暴力のある人。言ってもわからない人。反省する能力のない人。こういう人たちにはTEACCHABAを手続きに基づいて強力に実施する必要があると強く思う。もう、外からコントロールするしかない。

 もう一種類の自閉の人は、知的には重い障害ではなく自傷他害もあまりない、自閉傾向の顕著な「某社社長の御曹司」たち。彼らは、覚悟と矜恃を持つことかできれば、一般企業で仕事のできる人たち。

 ただしもし、御曹司たちが企業で仕事をしてまともな給料にありつきたければ、それは普通に、二次障害を通り抜けて、幾多幾重もの苦しみと困難を乗り越えなければならない。

 親がそれほど金持ちでなければ、生きる知恵のある一部の自閉っ子は、頑張って企業社会で生き残るいばらの道を歩んでいることは、杉山先生の調査や自分の製造業経験を通して理解している。

 私のお客様の親御さんたちからは、そういう道は歩ませたくはなく、自分の職場のような立派なビルを自前で構え財務諸表の立派な優良企業に自分の愛する子供を一生預けたいのだ、という思いが日々の会話からにじみ出てくる。

 プロとしての自分は、職人は自分のしたいことではなくお客様の求める仕事をしなければならないとトヨタ系でとことんしつけられているまま、自閉のお子様が二次障害にならないように保護するべく、彼らが頑張りすぎないよう環境に飽きないようにと頑張っているつもりである。

 自分は今の会社と労働契約を結んでいる身だから、会社に保護を求めるお客様には誠心誠意尽くさなければならない。

 ただ、就労能力がある(児童精神科医たちが否定しても自分は勝手に能力があると思う)御曹司様たちが、リスパダールとか飲みながら強度行動障害を繰り広げる人たちと一つの部屋で一緒にすごす環境が本当にいいのだろうかと、今ふと、疑問も思っている。

 自分本位の良心は出さないで、ひたすらお客様の目指す幸せを実現したいと思う。

 お子様に負担をかけたくない親御様の思いに反して自立したければ、やはりご本人の強い意志と主張と行動が必要だと思った。本人の精神的経済的自立を追求することは、本人のリスクをとる意思表示と行動があってもなお、支援者としては自分の首と家族の生活を失うリスクを背負って(もうからないこと、親が嫌がることをするから)支援することになる。厳然たる事実である。

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自閉症は完全責任能力がある。

2018-03-22 21:06:40 | 日記

 本日、川崎の老人ホーム「3人転落死」事件について、横浜地裁から自閉症と診断された被告人に死刑判決が下った。

 要介護3(車いす)の人たちが120センチの柵を登れるとは全く考える必要もないことであり、誰かが落としたとしか言いようがない。最初は真面目に真実を語っていたのが、へんな知恵をつける弁護士がついてから完全否定しだした。そして、仮に被告人が犯人だとしても、「重篤な精神障害で、心神耗弱iなので無罪」とかいう主張。

 もう、なんでもいいからやっているようにしか見えない。

 はっきり言う。川崎老人ホーム事件とか、元名大生によるエホバの証人信者殺人事件とか、自閉症者の犯した裁判で弁護側は心神耗弱で無罪を主張するが、現実の判決は一ミリも動かない。

 「事件の動機に障害の影響は認められるが、犯行を思いとどまることが著しく困難だったとは言えない。」

まさに、発達障害を適切に理解したうえでの判断であり、誠に妥当な判決であると思っている。

 介護職とか、あるいは旧帝大のエリートとか。断じて入所施設や生活介護を利用しているような強度行動障害の自閉症者とはレベルが違う。そこを一緒くたにする弁護士はまさに発達障害支援ギョーカイそのものである。被告人たちはしっかり教育を受け教養と経験を積んでいるのだから、衝動性を理性で抑制できて当然である。一線を超えてしまったのだから、重い罰が下ることは誠に妥当なことである。

 明日は元名大生の控訴審判決が名古屋高裁で下る。当然、一審の無期懲役判決が維持されると確信している。

 ただ一つ残念なのは、これは先日の矯正系の講演会でも話されたのだが、日本の矯正司法は懲罰一辺倒で、ひたすら権威的で治療するということができない。元介護職被告人は知的な遅れはないのだから、せめて自分のやったことに責任を感じて死んでいただきたいものだ。また元名大生は、なかなかかなわないと思うけれど、人生の師となるようないい先生と出会って、心から悔いたことが認められて娑婆に戻っていただきたい(懲罰一辺倒の現状では一生刑務所にいる確率が高いが)と、勝手な思いを描いている。

 

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発達障害は仕事ができる。四半世紀前からすでにわかっていたこと。

2018-03-17 20:46:25 | バカの壁

杉山登志郎「発達障害の豊かな世界」飛ばし読みで読了。

杉山先生と某県発達障害者支援センター長「ひげの医師」は同じ医局で教育をする側と受ける側だったことが分かった。

発達障害有病率0.1%だった90年代初頭から「発達障害は仕事のできる障害」だったことが、すでに統計的調査で分かっていた。

にもかかわらず、診断バブルで発達障害有病率10%以上ということになっている昨今に至ってもなお、

”吉川:自分は発達障がいの方、特に自閉症スペクトラム障害の方の場合に目標となるのは、実は「家事をするひきこもり」だと思っています。そこが目標で、それ以外はオプションだと考えらています。”(大高ら 2012)という発言で代表される横やりを、全国津々浦々で発達障害にまつわる社会生活での困難に如何に対応するかを真剣に話し合っている場で堂々と述べる「ひげの医師」センター長。

これはもう、発達障害者支援センターセンター長自らが、「発達障害には社会の理解が必要です」の"理解"を社会的に地位があり発達障害を理解することを最も期待されている存在が放棄していると、私は結論付けるしかないと考える。

治療的または療育的介入がそれなりに功を奏することや就労実績が報告されてもなお、今や労働局が障害者枠就労統計でおびただしい成績を公表してもそれらを反映せず、将来を異常に低く見積もる「家事をする引きこもり」が治療の目標である少なからずいる医師・支援者たち。

彼らの言う「エビデンス」とやらは一体、なんなのだろうか。きっと発達障害の人たちが児童精神科医やエンジニア、職人などとして社会各層ですでに花開いている事実は、彼らの仕事にとっては邪魔なのだろう。

「頭かくして尻隠さず」である。不都合なことはわかったとして、せめて私たちの邪魔をしないでもらいたいと思うのだが、彼らは隙あらば私たちの排除に取り掛かる。

今日の矯正関係の講演でも披露されたが、「どうせ彼らの行く場所は刑務所かホームレスと決まっている」という事実に反する決めつけで、熱心に保護に当たる先生の足を引っ張ることに熱意を持つ一部専門家が、何処の分野にも存在する。

自分も思い出すに、私から一度福祉の道を断念させた刺激は、困難事例などでは決してなく、老舗入所施設で私に対する退職勧奨の表向きの理由「虐待的養育をされた人は必ず虐待する」という統計資料を曲解した決めつけであった。それを言い渡した施設長こそ暴力を利用者にふるう人物であった。私は施設長から「ぶん殴れ」と言われても壁を叩いてやったふりをするような、施設側からすれば使えない職員だった。「暴力を振るわない職員」という言質まで退職勧奨面接では施設長から私に発せられたが、それでもこの「被虐待者は必ず虐待側に回る」という信念は揺るがなかった。さらにその施設長は近隣施設での虐待事件では第三者委員会の団長まで勤めた。ブラックジョークもいいところだと感じたものだった。

「発達障害の治療目標は家事をする引きこもり」

「非行少年のいくところは刑務所かホームレス」

「被虐待者は必ず虐待側になる」

いずれも呪いの言葉であり、当事者を社会から排除し、医療福祉の「固定資産」にしようとする言葉でしかない。正直に言って、医療福祉のトップレベルの認識がこれである現実は誠に嘆かわしいが、自分の目の前にいる人を何とかしたいとか、自分の人生を何とかしたいという、今ここの現実課題の解決に、自分の意識を集中させたい。


※参考文献

杉山登志郎 2000 発達障害の豊かな世界 日本評論社


※引用文献

大高ら 2012 発達障がいを持つ青年の社会復帰支援 こころの健康 第47号 愛知県精神保健福祉協会(愛知県東大手庁舎内) p28


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神田橋本「付録」やってみました

2018-03-10 19:37:17 | 神田橋治療の活用

神田橋先生の気功治療実践の、主観的報告です。

「治療のための精神分析ノート」の付録にある、イメージした針を通す方法、自分には効果てきめんでした。

私は2年前、胎児期愛着障害があると、神田橋先生に師事されている某臨床心理士から指摘され、そうかもしれないと思っていました。

神田橋先生の方法を何回か(ひと月くらい)やってみて、親との距離感がなんとなく上手にとれるようになりました。親の期待に応えていないからといって、自殺企図することが、そういえばここ一年くらいはないかもなあと。

そんなに熱心にやったわけではないのですが、悩みが一つ亡くなったような気がして(障害が完全に消失したわけではないですよ)、いいんじゃあないのかなあ、と思いました。

統計的エビデンスなんてないですよ。自分が簡易な方法で少しでも良くなれば、それでよしですから。

 

※参考文献

神田橋條治 2016 治療のための精神分析ノート 創元社

 

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専門家は役に立たない。自分で治すように頑張ろう!!

2018-03-05 21:50:02 | 仁義なき医療福祉~地獄の沙汰も金次第~

僕はどうやって不登校から脱出したのだろうか。

僕はどうやって治ったのだろうか。私の過去を知る多くの専門家たちは、私がこうして仕事をしていることが信じられないと言う。(そして、仕事をすることはふさわしくないから「定位置」に戻れ、といって己の固定資産化を目論み、私の人生を破壊しようとする専門家も少数いる。)

でも、かつて出会った大原健四郎先生(故人・浜松医科大学名誉教授)は、「お前は病気ではない。しっかりしろ!」と怒鳴り散らしてくださり、私を精神医療から追放してくださった。私は帝国陸軍仕込みの叱咤激励をされて何とかなるような人間だった。

「今の社会が悪いから、社会が変わるのを待ちましょう。」と、東京シューレなどの人たちが今でも唱えているであろう口上を真に受けていたら、一生引きこもりであろうと推定したので、自分は今井先生のような、たとえ変わった人であっても自分を一歩前に引き出せると思った「支援者」についていくことにした。

今井先生のところをベースにしていたが、自分は結局机にしがみつけるような人間ではなかった(今でも多動で衝動性が強いと一部の精神科医は自分のことを断定すると思う)から、やがて23時間程度のバイトに出るようになった。高校中退で大学入学資格検定合格者の私を不採用とする会社はたくさんあったが、マクドナルドの某大規模店が雇ってくれた。以降、大学卒業までマクドナルドさんで働くこととなるが、有給でフィットネスかジム通いのような「エコー」と呼ばれる働きをさせていただき、ハンバーグやホットケーキのうまい焼き具合を教えてもらい、面白い遊びを教えてくれる友達とつるむ機会をもらえ、人間関係が厳しいことで知られるファストフード業界で社会性を鍛えられ、マネージャーにはなれなかった(そこまでのめり込まなかった)けれどニッチな分野(エコー係と始業係)ではかなり頼りにされ、他人を指導する経験も積めて、とてもとても良い思い出ばかりだ。「大学時代のバイトはずっとマックでした。」という口上とファストフード業界トークは、自分のタイネスとバイタリティーの証明となり、正社員の仕事を見つける時の非常に大きなブラスになった。

今井先生の専門は形成皮膚科であり発達障害のことは門外漢である。ましてやバイト先で自分を鍛えて元気にしてくれたバイト先の人たちのなかに、専門知識のある人間が一体何人いたのだろうか(ひとり、息子が不登校で悩んでいる英語通訳資格者のおばさんがいたが。その方ぐらいかな)。

自分の場合は「信仰心」というファクターも極めて重要だった。キリスト教の信仰を与えられたのは大学卒業の時だった。神様は仕えられるためではなく、人間に仕えるためにこの世に最も貧しくみじめな出自を伴って来た。世の人々の救いのためにご自分を「贖いの子羊」として差し出し、十字架にかかって死んでくださった。ということを本気で信じることができて(今でも固く信じていて)、「なら、自分も人に仕える」ということを実践することを喜びとするようになり、それは今に至っている。製造業にいた時も、役に立ちたいという思いを職場の人たちに伝え続けたものでした。神様だけは自分のことを知っている。神様は信じる者の味方だ。と思えることは、なんというありがたいことかと思っている。

私は、たとえエビデンスの確立されていない方法でも、自分が例外的な1%であったとしても、自分にとって役に立つ方法を使って生きていく。生きている限りどのような絶望下にあろうとも「神様、私はここにいます。どうか私を用いてください。」と、熱烈に叫び続けるのだと思う。

自分のような選択をする人はむしろまれかもしれない。多くの医療福祉の専門家が己の利用者や病人・障碍者の人生をかなり低く見積もる理由もわかる。この私自身も、入所施設勤務の時は、知的重度の自閉症者とはすなわち強度行動障害という経験しかつめず、皆そうだと信じていた。同時代に発行された杉山先生の本を読んでいたら、もうあんな仕事やってられなくてもっと早く施設を飛び出していたと思う。製造業には確かに、知的ボーダーや学習障害者、自分にさらに輪をかけたレベルの自閉症者がクローズ(未診断または非公表)で職人芸を発揮して、苦労しながらも才能を開花させていた。彼らの人生に、私の人生にも、「統計的エビデンス」など必要ない。

私にとって大事なことは、自分の手の業が人様の役に立っているという真実。家族を養っているという真実。自分を使ってもらって世の中の一歯車として機能しているという真実。専門家の還元主義思想など、ペンテコステ派の人たちの悪魔払いの真似でもして追い払ってやろう。

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「いい支援」と「専門性」は、相関しないのではないか

2018-03-04 12:32:59 | 仁義なき医療福祉~地獄の沙汰も金次第~

 いい支援とは何なのだろうか。といつも考えています。

 今、「発達障害の豊かな世界」という杉山登志郎先生が四半世紀前に書いた本を読んでいて、いろいろ衝撃を受けています。

 四半世紀前から、自閉症の人たちの就労能力が、仕事にはまれば非常に高いことが、調査で分かっていました。

 この本で紹介されている「J塗装」という会社や、ノンダストチョークと障害者雇用で知られる日本理化学工業のような会社で障害のある人たちと働いている人たちこそ、そこに就労する知的障害のある自閉症の人たちにとって最高の支援者なのだと思います。かれらはそこで仕事をして頼りにされて、仕事をほめられて、世間並みの給料をもらって暮らしていけるわけですから。

 そのJ塗装さんに言わせてみれば、パニックのある重い知的障害のある自閉の人こそ、欲しい人材とのことで、彼らは通常の二倍の仕事をするそうです。パニック時の対処は、ただその場から離して「そこでじっとしてろ」だけのようです。もちろん、働いている人たちは就労意欲のはっきりした人たちですから、落ち着けば仕事に戻るようです。

 J塗装さんは障害者従業員向けの保護者会を持っていて、給料日には必ず働いている人が好きなこと、カラオケでもボーリングでも外食でもなんでも、必ずやってくださいと言っているようです。

 杉山先生はいろいろな規模や形態の会社に対する調査もしていて、その結果は今見てもよく理解できる、当てはまる内容です。いろいろ困難はあるけれど、塗装工から大学教授まで、働いている自閉の人がたくさんいることが、四半世紀前からわかっていました。

 J塗装の人たちは医療福祉や教育の専門家ではなく普通の工員さんたちです。日本理化に至っては福祉学部や教育学部卒業の人たちと有資格者は採用しないと、明言されていると記憶しています。私も、福祉の人には就労支援はできないと感じています。私は就労支援がしたいと思っていますが、役に立つのはトヨタ系で働いた10年の職人経験であり、仕事をしようとするような自立心の高い人には(たとえ重度の障害者でも)福祉的な概念は不要だと思っています。政策により障碍者雇用が進められていますから、必要なのは福祉教育を受けた人間による「支援」ではなく、ただ法律遵守。それだけです。

 いわゆる専門性と「優秀な支援」との相関は、まったく無いのではないのかと、思うこともあります。今、私が従業員として働いている障害者作業所の従業員は、全員「大卒」ではありますが偏差値43とか38とか、そういうところの出身者がほとんどです。四半世紀前の福祉職は事実上の準公務員で、旧帝大教育学部卒とか駅伝の選手とか音楽コンクール受賞者とかざらにいました。古巣と今の職場とどちらがいいかといえばもう絶対今の職場です。

 古巣は老舗の知的障害者更生入所施設で蒼々たる面々が職員として仕事をしていました。キリスト教原理主義(福音派)を明白に掲げ応用行動分析(今はそのことを「ABA」と呼ぶことがほとんどですね)と伝統的な福祉施設の管理を徹底している会社で、箸の上げ下ろしのスピードまで0.5秒単位でコントロールしなければならない職場環境でした。「自閉の東大」を自称(この文章を読んだだけで固有名詞わかる人はわかりますね)していましたが、利用者は軍隊的統制とオペラント条件付けで修道院生活を強制されていると感じていました。自分の意思でキリスト教の修行をするなら結構なことですが、宗教的に確立されたゆるぎない確信でセンサーとカギで管理され調教の技術で理念を実現するようにコントールされている入所施設に自分の意思で入る知的障害の人なんて、何人いるのでしょうか。私の受け入れているキリスト教は施設側の説く行いによる証明とはちがうので、私のそれは信仰による救いなので、全く相容れないものでした。

 偏差値の高い、大学入試でいい成績を収められた人たちが多いからとか。あるいは専門資格を持っている人たちが多いからとか。管理が厳しくなるだけで必ずしも「いい支援」とは結び付かないと感じています。

 今の職場は多くの問題を抱えた決して誇れるような環境ではありませんが、自らの支援を絶対視する古巣と比べれば相当ましだと感じています。自分は専門教育と福祉系最難関国家資格の教育がありますから、発達段階や学習レディネスを考慮した支援、それからはノーマライゼーションや障害者基本法や障害者権利条約の精神を旨として仕事をしていきます。ただ、自分の人生を歩むだけです。

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