「生涯引きこもり」と宣言された私の、超豪華オプション生活

 登校拒否となり、生涯ひきこもりであろうと決めつけられて四半世紀。社会人として生きる記録。#発達障害 #自閉症 #ニート

神田橋先生の紹介する「5本指いい子」気功の効果。

2018-05-13 20:39:15 | 神田橋治療の活用

 


神田橋先生が「ゆほぴか」誌2月号にて紹介された「5本指いい子」法。やってみて効果てきめん。

リラックスできるし、逆に回せば精神を高ぶらせることもできる。気持ちのいい方向に回せばいいと考え、実行している。

 

思うのが・・・

自分は自分の気持ちをコントロールしようと、自分の意思で「5本指いい子」などをやる。

でもこれ、自分の気持ちの上げ下げの始末を他人にさせようという人に対して使える方法ではない。

自分が受け入れている考え方では、利用者の気持ちの浮き沈みのことは、利用者自身でコントロールできるように、グッズや何らかの作業などを与えて支援する、ということだが、利用者さんからは結構な頻度で「(弱い他人を)ぶん殴ったらすっきりする」「この気持ち、あんた〈支援者〉が解決してよ!!」ということに出くわす。自分は暴力を容認しないし、気持ちのモヤモヤを自分で解決する方法を自分は提案するが、そういう甘ったれ障害者は私が自分自身で解消する方法を提案すると、踵を返して「おおよしよし」してくれる支援者の基に行く。組織は私に「おおよしよし」するよう指示はしないが、どうもそれをしない・できないことに対してマイナスの評価をしていると最近明らかになった。自分が稼がせてもらっている組織は就労支援しないと公の場で宣言しているし、利用者の恋愛を嫌がる。障害状態の人が自由になるために家族を持ったり一般枠でフルタイムの仕事を持ったりすることを支援したい自分との方向性の齟齬が明らかになっていることを残念に感じている。

 

自分の状況を自分で客観的に見据えて分析し(当事者研究)、対応法をリハーサルし(SST)、実際にやってみて(認知行動療法)、結果を評価して次のアクションを考える。という一連のサイクルは、厄介な自分を自己コントロールするという自己選択と決意と覚悟が必要となっている。

自分の人生を自分で引き受けようという覚悟と行動が、何よりも医療福祉ギョーカイの「囲い込み」から脱出することの大前提だと、自分は信じている。

試行錯誤を繰り返し、なんども失敗したり成功に味をしめたりしながら、社会経験を積み重ねながら、人は成長していくのだと信じている。

これからも神田橋先生から受けた「いろいろ導入容易な健康法をためしてみる」という指導を心に刻み、自らと家族がよりよく生きていけるようにしていきたい

 

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豪華なゴールデンウイーク・オプション生活

2018-05-06 20:20:49 | 日記

少しは「家事をする引きこもり」+「豪華オプション生活」のことを書いてみようという気になった。

ゴールデンウイークが終わりつつある。引きこもっていたころは毎日が苦痛だったなあと。自分の職場の周りにも長期休暇中何をしたらいいかわからない。という声をちらほら聴く。

今年は東京で毎年行われているクラシック音楽祭に、数年ぶりに参加した。そこで感じたのは、やはり自分は音楽が好きなのだなあと。かつてはこの音楽祭に出演することも目論んでいたか。夢中になって打ち込める趣味があったことは幸いだったなあと。これからも仕事以外のことで何か打ち込めることがあればあなあと思った。

行き来の新幹線で、神田橋先生が「ゆほぴか」誌に書いた文章を読み、ホテルの中で実践。気功に興味を持った。

昨日は前川・前文部科学事務次官と大河原・中京大教授の対談を聴きに行った。制度や法律などは、①それができた背景を自分で学び ②自分の頭で考え ③自分で実行する ことなのだと盛んにやっていた。憲法や教育基本法のことを聴きながら、発達障害者支援法の成り立ちについて思い出し、考えた。

そして偶然、音楽仲間の法律家が「ハヤト裁判」と呼ばれる名古屋地裁で係争中の障害者入所施設での死亡事故裁判の原告弁護団に入っていることを知った。帰宅後公開されていた訴状と答弁書、証拠に目を通し、施設の職員として知的障碍者の親として、気持ちの悪い思いをした。重度の知的障害者の命の価値はないのかと、いう思いもあるし、とっぴな行動が重なり死亡事故となったことについて、予見しろと言われてもそれは無理だろうと。「自閉症にはどこの施設でも実践され確立された方法論が確立されているか行わなかった」などというめちゃくちゃな主張もされていた。施設側の努力もうかがえた。家族の問題も浮き彫りになった。それでも裁判闘争は弾丸を使わない戦争なのでつぶし合い。勉強していてすっかり嫌気がさした。「ハヤト裁判」の帰結に関心を持ちつつも残念ながら、友人の活動にも施設側の理屈にも賛同できないという結論に達した。

今週はよく外食した。もちろん家事もした。今日も「家事をする引きこもり」以上の人生が私にはあった。

私単独の給与所得はトヨタ系企業の大卒新人レベルだが、妻はパートで働き障害を持つ子は手当が付くので、世帯収入は世間並みを保っている。倹約好きなので金融資産は平均値以上を持っている。目指すは稼働できなくなり年金生活に入った時に3千万の資産を形成すること。生活保護なんて論外。利用者を見ていて垣間見える生保ワーカーのえぐさとグロテクスな様相からは、自分の人生に社会福祉事務所なんて絶対関わらせたくないという強い思いが生まれる。

明日から、中産階級として生き残るための戦いが再開する。私は自分の障害や疾病・加齢などの特性による至らざるところを認識しつつ、神様の子供として恥じない生き方をしよう。

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