「あなたの敵を愛し、迫害するもののために祈りなさい。」
とは、新約聖書で何度か書かれている有名な、イエス様の御言葉。
これをなんと、職場などでのいじめに悩む人に対して、とある福祉系大学教授がアドバイスしていたという。いわく、
「いじめる人のことを祈りなさい。」
「あなたをいじめる人の良いうわさを流しなさい。」
とのこと。
最近これを聞いて私は、その大学教授の宗教と聖書の御言葉をすぐに思い出したのだつた。
直近の当事者研究の場で、他者の苦悩についての話されていること。私には身につまされてはつらいことだったが、私のこととして受け止めた。
20代の時、私の所属した教会〈福音派〉ではしばしは、敵対勢力に対する祈りが熱心にささげられていたし、敵に祈りをささげることが日常的なものだった。
リベラル派〈宗教的〉の人たちに宗教心が芽生えるように。
カトリック教会の人たちが神様の教えにのみ、従うように。
近所の人たち、特に近所付き合いのある寺院さんのために。
為政者が公平に人々に尽くすよう、お助け下さい。
エホバの証人や統一教会の人たちが、神の教えに立ち返るように。
などなど、自分たちの近くにいる「敵」のことを普通に祈っていた。
イラク戦争でブッシュ大統領がやたら神様を用いて暴力を正当化するのを見て、そしてアメリカの福音派が戦争を熱心に支持している姿を見て、当時の〈今も〉私の心はすっかり福音派に嫌気がさしていた。人間関係も侵襲的だったし
30代の時は、福音派ではなく主流派のキリスト教会に通い、教会学校の教師を続けながら役員までやっていた。主流派の教会での人間関係はドライだったが、熱心さもなかった。
キリスト教プロテスタント系でない人にとっては、なんのことだかさっぱりわからないかもしれないが、教派争いのことは神学者の任せ、私はここでは述べない。
30代の時も熱心に礼拝や祈祷会に参加していたが、そういえば、「敵に祈る」という行為をしていなかったことが思い出された。
40にして適応障害が醜くなり、軽快と再発を繰り返し、ついに「うつ病」という診断が下るに至った。
キリスト教会にとっては、どの教派であれ、自閉など発達障害の人や精神障害の人を受け入れるのは酷なこと、合わないことだと、役員をやっていてよく理解しているから、私は教会から離れている。
障害者は面倒くさいうえに、宗教団体への見返りがない。教会としては実は、求められているのは典礼や儀式などであり、障碍者対応や貧困対応などは信者から嫌がられている傾向にあり、そういう活動を牧師などが熱心にしすぎると教会から罷免されていると、中枢にいて見聞してきたから理解している。
もちろん、受け入れ可能な教会が現れることを望んでいるが、どのような事業であれ、大事なのは「金」「利潤」である。牧師は霞を食って生きてはいけないから、多額の献金を求め、金銭も労働力も多くささげる人を重宝するのは当然のこと。
その「金」「労働力」を多くもたらさないであろう私を歓迎する教会はなかなか現れないとも、考えている。
さて、今の私に何が足らなかったか。
そういえば、「敵のことを祈る」をしていなかったなあと。思い出された。
早速悔い改め、自分に害をもたらす人々や役に立たない人々のことを、名を出して毎日祈るようにした。
私を迫害した人々。病んだ私を悪魔呼ばわりした信者。役に立たず衰退しているキリスト教会。そして富める者は益々富み、貧しきものは益々貧しくさせている為政者のため。祈らねばならないと気付いた。
自分を害する隣人を愛することを忘れていた。自分の役に立つ人のことばかり考えていた。これはいかんと思った。
私にとっての「回復〈リカバリー〉」は「リバイバル〈信仰復興〉」なのかもしれない。という仮説を立て、自らの人生で立証したいと思う。
できるハズがない‼️
だから「キリスト教は欺瞞だらけだ」と思う。そんな欺瞞だらけの宗教に
人類が救えるとは、思わない。
人類を救えるのは、日蓮正宗のみである‼️
芝崎様の信仰は日蓮正宗。とのこと。
日本国憲法では信仰の自由が書かれていて私はそれを支持する立場なので、芝崎様のお考えは尊重されます。
ご意見を尊重したいという意味で、あえて公表させていただいております。
ただし、神学論争、宗教論争には際限がないことは歴史が証明しております。
よってこの返信を最終答弁と致します。
キリスト教は欺瞞だらけ。とのこと。
神様の教えはなかなか人間の力では実現できません。客観的には達成されていないですね。明らかに。
だからと言ってその宗教が無意味であると私は考えておりません。
です。非論理的なことを証明するつもりはないし、延々と話しても仕方がないと考えています。
私は自分の思いを、自分の言葉で伝えているにすぎません。
信仰はおのおの尊重し、私は他者に踏み込むつもりはありませんし、踏み込まれたくもありません。
これまでいろいろな宗教的背景の方々と交流してまいりました。皆様の信教の自由は保障されるべき。というのが私の信念です。
私は無理やり改宗させる行動を嫌悪してきましたし、無理やり改宗させる他者に対しては法的行動を含め自分を守る行動をとります。
皆様のご自身の日常に少しでもお役に立てればと思って、投稿を続けております。
皆様の役に立てれば、今後も読んでいただけますと、幸いです。