「生涯引きこもり」と宣言された私の、超豪華オプション生活

 登校拒否となり、生涯ひきこもりであろうと決めつけられて四半世紀。社会人として生きる記録。#発達障害 #自閉症 #ニート

経験知は、障害特性を凌駕するのか?

2024-09-09 06:21:59 | 当事者研究
ひょんなことから、アドリブで、多動な子供さんの相手をした。
公共の場で、好きにはしゃがせることは、不適切な場面。
もちろん、しかりつけるなど、不適切極まりない。

ぐずりたそうな子供さん本人の気持ちもあるが、公共の場で、様々な人たちの「気持ち」も、配慮しなければならない。

かつて培った杵柄が、効を奏した。
私は笑うのではなく、怒るのでもなく、
子供さんと多少距離を取りつつ、お母さんのところに行くよう促すと、
多動でぐずりたい子供さんは、従ってくれた。

時々、かつて培った介護職経験が、福祉以外の仕事をしていても役に立つことがある。
そういうことがあると、「もったいないのでは」と思ったりもする。
今の自分は、若かりし頃、必死に習得した「技術」を、ほとんど活かしていない。

しかしながら、やはり、私の感覚は独特で、同調性を強く求める人たちと摩擦が生じるのだ。
同調圧力の強い日本社会に「多様性」など、ない。

私の独特の体感は、「自閉症」という言葉で説明できる。
しかし「自閉症」の「症状」は様々。
私のように社会秩序を強く求める人もいれば、
ブリミッティプで「マイルール」に固執する障害当事者もいる。

やはり、「こういう行動は、自閉症という言葉で説明できる」はあっても、
「自閉症診断ある人の、次の行動が予測できる」は、ない。
人は多様だから。
診断名が同じでも、そもそも精神科の診断基準は医者個人の主観だから、
診断基準が自然科学ではなく社会科学、または政治学指標、なのだ。
人によって氏も育ちも千差万別。何一つ同じではない。

診断名で人間行動を予知できるとか、平気で言う自称専門家が福祉方面にはいるが、
医者たちが言うように福祉系の人たちの専門知識は怪しいと感じることがままある。
そういうでたらめな理論を専門家から振りかざされると、私はもう、いやになる。精神症状が出現する。
離れるしかない。人と接する仕事はリスクが高すぎるように感じる。
パワハラ上司やお局様、カスハラ客などとは、距離を取れることが、今の私には何よりも大事。
となると、今のポジション取りは妥当だと感じる。

大事なのは、距離だな

2024-07-08 18:38:46 | 当事者研究

何事も、距離感が大事。

障害者と共存?
密着は無理だな。障害に対する合理的配慮、というよりも合理的調整ができない人や環境のほうが多いから。
精神障害者の場合、一年で半分はやめていく。二年持てば「長期就労」の部類に入る。

それは一見高度な専門性がありそうな、障害福祉団体の職場でも同じ。
リンクの障害福祉団体もまた、職員へはもちろん、利用者への合理的配慮もできてないだろうなと思う。残念ながらそれが日本の現実だ。

興味のない障害理解や、できない配慮を。人事異動の激しい職場の人に求めるより、
通常の事業所とは物理的距離を置き、障害配慮しやすい環境を人工的に作れば、定着率は高まるようだ。

私たち障害者は、他者とは距離を保ちつつ、機械的に淡々と、接することだと思った。

障害者は千差万別だが、世間はひとくくりにしたがる。
ならば仕方がない。どのような場からも離れて、
適当な距離感を取るしかない。

すみやかに、安楽死法制度の拡充を求めます。

2024-05-27 09:46:51 | 当事者研究
私にはもはや、絶望しかありません。
前回のブログで端的に書いています。
私の住む社会がベルギーやスイスなら、
私の状態はすでに安楽死を望む状態です。

カナダやベルギーでは、自閉症を理由とする安楽死が認められています。
日本でも速やかに安楽死の法制化が進んでほしい。
私は私の人生に自らピリオドを打ちたい

日本社会は「空気」を読む社会。
人間のコミュニケーションの9割は「空気」。
「ことば」は1割でしかない。

「空気」を読む能力のない私のような自閉症者が生産性上がらないのは、
生まれつきの脳機能障害によりコミュニケーションが成立しないから。

脳機能障害を、努力や学習でカバーできる範囲は、ごく限らている。

安楽死だけが、すべてを解決します。

日本における安楽死法制化を、速やかに求めます。

小泉進次郎先生が仰せのように、
日本は元気な6千万人だけで動かせばいい。

自閉症は絶望しかない。

2024-05-27 09:35:07 | 当事者研究
自閉症(アスペルガー症候群など)には、もはや絶望、しかない。

自閉症の治療目標は「家事をする引きこもり」なんて、虫取りが抱く妄想だ。

絶望しかない。というのは、肯定するしかない。

最新の研究によれば、人間のコミュニケーションにおける9割は「非言語コミュニケーション」。要するに「空気」だ。

発達障害について、診断してくれたり構ってくれる医者もいるが、
医者は
・同情してくれる
・薬を出してくれる
・診断書で社会的不利を少し補おうとしてくれ
しかできない。

動画の益田医師は、「同情してくれる」系のようだが、
別の動画を見る限りでは、
障害年金診断書については、かなりの塩対応だと感じた。

自閉症への解決策。益田医師がSNSで情報発信・展開するように、

安楽死しかない

と、私は思う。

すでにベルギーやカナダでは、自閉症を理由とする安楽死が認められている。
日本もそうなればいいと思う。

日本は「空気」を読みあう社会。
空気を読めない自閉症者に、よい場所はない。
私を含む自閉症者は、社会に負担をかけないよう、速やかに処分されるべきだと思う。

詐欺師はそこら中にいる

2024-04-29 08:45:20 | 当事者研究
多くの人が、詐欺とか引きこもりとか病気とか戦争とか、自分は厄介ごととは無縁だと信じて生きている。

私はすべて、自分事だと思っている。


お役所が「認知」しただけでもこれだ。
実際の被害はその数十倍だと私は思う。
今や詐欺は日本の基幹産業と化している。

オレオレのような、わかりやすい詐欺は減っている。
私は詐欺的だと個人的に感じている。
これにやられたと思われる人。被害額は兆円単位。かもしれないと感じる。

著名人の名を勝手に語る投資詐欺とか。著名人が被害を訴えても、メタ社とかは全くふざけた対応しかしない。
とのこと。
メタ社としては広告収入さえ得られれば何でもいいのだろう。
今日もどんどん怪しい広告が流れてくる。
私は絶対に引っかかってはならない。やられたら取り返すことは困難。だと感じている。

なぜ詐欺的な業者・団体・個人に騙されるか。
それは「考えている」からだという、マインドコントロールのことで学んだスチーブン・ハッサン氏の言説を、私は支持したい。

いつもなら騙されないけれど。
何かについて、例えば結婚、今後のこと、将来のこと、家族のこと、などについて、考えているときに、
コンディションの悪い時。悪いことの続いているとき、などに
信頼関係を築いてきた人や団体から
自分の愛する人が大変なことになっていると知らされる
あるいは、自分のためだけにとっておきの案件を持ってきたといわれる。
役所の相談窓口などが休みの土日祝日や長期休暇期間に、
愛する人を守るため、あるいは一生に一度のチャンスを逃さないため、
人は騙されると。スチーブン・ハッサンは述べていたことが思い出される。
(今は絶版のスチーブン・ハッサン著「マインドコントロールの恐怖」を何度も読んだ記憶〉

詐欺に引っかかる前に、家族や警察に相談と、弁護士会などは言う

詐欺師はとても巧妙。いまや典型的な「オレオレ」なんてのはなくて、
どんどん悪の手口を進化させている。

「人を信じられない人に、なってはいけない」
「近江商人三方良しを、やらないとね」
などと、詐欺師はきれいごとを並べる。
不思議なことに、どのジャンルの詐欺師、詐欺的業者も、似たような綺麗ごとを並べるようだ。

詐欺師はそこら中にいる。有名企業にもいる。都会にも田舎にも、どの街にもいる。
騙すより騙されるが悪い。騙されても被害は戻ってこない。(だから警察に申告しない被害のほうが圧倒的に多い〉
詐欺的産業は日本の一大産業。悪いやつは大手を振って歩いている。

警察は完全な物的証拠がないと動かない。
逮捕される犯罪者は、ほんの数%だと個人的には思っている。

犯罪行為まではいかないが、悪意を持つ人が、そこら中に、大勢いる。
警戒を怠らず、猜疑心を持って、だれも信用してはならないと思っている。

騙されると、騙された本人だけではなく、本人の周りの家族や職場などにも被害が及ぶこともある。
また、自分の家族や職場の「暗い本質」が見えたりもする。

世の中ペテンと詐欺師だらけだ。

精神障がい者の役所に対する対策は、大変だ

2024-04-28 19:18:52 | 当事者研究


役所窓口との対応、これまでもいろいろ苦労している。
そして研究もしている。

障害認定されると、何かと役所窓口に行くことになる。
これは生活保護でもよく言われるけど、
役所窓口は「水際作戦」がデフォルトだ。

福祉サービスを受けるための受給者証でも水際作戦。
医療証発行でも水際作戦。
障害年金申請でも水際作戦を感じてきた。

障害当事者が自分の意志で行くと、相手にされない。テコでも動かない。
それが、支援者と行くと、あるいは電話してもらうと、あるいは法曹士業を代理人に立てると、スムーズに動く。

同じことを求めているのに。
理不尽だと思うが、役所とはそういう組織なので、仕方がない。

役所窓口で怒鳴ってみても、対やくざ対応をされるだけ。
必要な手続きを進めてもらえない場合、福祉団体なり法曹士業なりの支援を受けて、進めることにしている。

役所窓口は水際作戦をやる。ことと同様に大事な知識がある。
役所窓口は、実は行政制度や手続きを、知らないことがある。ということだ。

たとえ法律や条例に存在する制度も、
役所窓口が知らない。知らせない。存在しないふりをする。ことがある。

対策は、役所のホームページを細かく観察し、印刷、記録し、引用すること。
役所は法律や条例で動く。法律や条例の履行を求めれば、さすがに屁理屈の貫徹は困難なようだ。

役所が市民最善の方策をするのは、タテマエ。
役所の本音は自分の利権拡大。
自分の利益を図ることは人間の本質だから、役人を責めても仕方がない。
どうやったら法律や条令どおりのことが実現するか、
冷静に考え、粛々と実行することだと思う。

フェミニストは怖いな。二度と近寄ってはいけないな。

2023-12-25 17:44:44 | 当事者研究


まず、この典型的動画二本を、シェアします。
裁判所の判決を無視。三度も強制執行を停止させられた恐怖。
最高裁判所判決で、違法行為を助言したフェミ系弁護士など48弁護士に損害賠償確定。

調べれば調べるほど、この貧困ビジネスの創業者は、えせ同和、社会のダニ、ごろつき、と判断されても仕方がないと、私も思う。

私はこういう、正義の味方のふりをした、
実は大変攻撃的な人、他者の人権侵害を躊躇なく行える人に、
私自身もまた、人権を侵され、精神をむしばまれた過去があります。

そういう人からは離れる。これしかないです。
フェミニストから離れられてよかったです。

浦河べてるの家の方々、ありがとう。父さん母さん、ありがとう

2023-10-19 13:23:12 | 当事者研究
この度、十年来の念願かない、べてるまつりに参加することができました。
概要は、以下の北海道新聞の記事に書かれています。登録されれば全文無料で読むことができます。

10月18日の記事からの引用を、少しさせていただきつつ、私が強く感じたことから書きます。

まずは北海道新聞報道をコピペします。
(以下引用)
“ 続くミュージカル「ありがとう。」は、べてるの早坂潔副理事長が長年つきあってきた「幻聴さん」と対話する形で、自身の半生を振り返った。幼少期のトラウマとなった怖い父にも良い思い出があったと気づき、当事者研究に役立てる内容。手作りの小道具を使ったメンバーの熱演に会場から盛んな拍手が送られた。”(引用終わり)

私の精神疾患名と早坂副理事長(以降、十年来の尊敬と愛情をこめて「潔さん」と書きます)の精神疾患名は異なるし、全然資質も異なります。
しかしながら、この私にも大いに当てはまることがあることに、すぐに気が付きました。
事情は異なれども、親との葛藤にさいなまれ、精神疾患の反応として出ていること。
たしかに私は潔さんのように入退院を何十回もしたわけではないけれども。
幼少期からの恐怖体験が突如よみがえってくるのですよ。
私の場合、フラッシュバックとして。それに続く自殺企図として。

若いころは何とか体力と気合で抑えてきたけど、
今は心身の衰えやいろいろな病で、抑えが利かないのですね。
50をすぎた今頃になって、教育虐待と専門家がいう親からの厳しいしつけの記憶で、辛くなることがあります。
十年前から親と合うと向精神薬頓服のご厄介になり、フラッシュバック多発し、
かつて同居していた事実婚パートナーから散々指摘されてきました。「親と合うと病気がひどくなるね」と。
事実婚解消理由の重要な事情の一つです。元妻は私の病気と私の両親のありようなど背景の事由により、結婚生活解消を同意したのです。

私の場合、十年ほど前に発達障害専門医の権威筋から診断を受けた際、両親とも面識のあるその専門医と紹介状書いた当時の主治医から、
私が教育虐待を受けていること、
当時の主治医病院の親と距離を詰める指導は間違っていて、親とは距離を取る必要があると、
散々指摘されてきました。

頭ではわかっているのです。
わたしは大事にされていることを。
私が厳しい社会に適応できるよう、両親は厳しく育ててくれたことを。
これが私への親からの愛情なのだと。

だからいくら旧帝大教授の権威の言葉であっても、すんなり受け入れることはできませんでした。むしろその診断を手掛かりすするも、「治していく道」を模索する10年でした。

結果はこれまでブログで書いてきた通り。
うまくいくこともあったし挫折もあった。
総合的にはやり切った感あり、悔いはないのです。

でも今は、親から厳しくされ嫌味たらしくされ極端に楽観され極端に悲観されると、自殺企図という病的反応が出るのですよ。
神田橋先生の方法も藤川先生の方法も、そのほかの先生方の方法もやってみましたが、環境や過去のトラウマ記憶からの影響を超越することは、できませんでした。

私の病気は治らない。両親を含め、私の病気と共存できる人はいない。
後期高齢者の両親にはとてもじゃないけど、変われない。
児童精神科専門医たちの言うような接し方はできない。
だから距離をグーと取るしかない。
今の主治医からも親とは距離を取るよう、今週の診察でも重ねて言われたばかりです。

結論は分からないけど、フラッシュバックと希死念慮は消しようがないと思うけど、
自殺企図だけは何とは沈めて、自分の生命を全うしたいと今は思います。

潔さんが「親との和解」について語りだしたのは、実は最近のことだと記憶します。
それまではひたすら陽性反応に、どう対応するか、ばかりが語られてきた気がします。
もしかしたら、前までは、いろいろな意味でハイパーアクティブだった潔さんが、
いまはいろいろな意味でおとなしいのは、今の浦河町にはいざという時に緊急入院できる精神科病棟が無くなってしまい、今の浦河で存在できるように、周りの人たちと以前に増して弱さの情報公開して助けを求めるようになり、自分を鎮める方法を見出されたのかなあ。とも考えました。

浦河と名古屋ではかなり地域性も異なりますが、自分の地元で自分なりに、ネットワークづくりをしなければと、強く動機づけられました。
対話できる相手がいることは、大事なことです。

このような思いになれるのは、浦河べてるの家さんのメンバーさんたちが30年以上にわたり、顔と本名と病名とあまりにもひどい病態を赤裸々に「弱さの情報公開」されてきたからです。
顔や本名をあえて世間に晒して自らのままならない病気の情報を公開する。そこで得られる作用反作用を使って地域に進出し、軋轢を抱えながらも理解を得つつ仲間を獲得し共存を図る。
浦河では厚労省表彰をもらえるレベルでうまくいった取り組みです。
心から感謝しています。

でもこれ、浦河でも限界に来てると感じました。
今は個人情報保護の時代。
しかも元気になった精神障害当事者や精神障碍者特性を持つ支援者たちは、浦河にはとどまることができない「ママらない事情」があるようです。
彼らには「次」があり、次の地では浦河のような精神疾患への理解のない土壌がほとんどなのが、世間の現状です。
それでも、浦河の外で生きていくしかない。
となると浦河時代にメディアを通じて出していた顔と名前が悪意ある人の目に届き、厳しいハレーションを生み出すリスクがある。
「障害者に仕事なんてできない。させてはいけない。障碍者となんて働けない。首にしろ」
「あんなに元気なんだから、あれの障害はフェイクだ」
みたいな。
こういうこと言う人、じつは医療福祉にとても多い。
今の医療福祉に精神疾患を救う手立てが乏しいことをよく知っているから、患者が回復するなんてありえないと思っている専門家は、実は多い。
(専門家のとこに足しげく通うのは重度の人たちで、社会的必要と医療福祉経済的事情で専門家は重度の人のケアが中心になるという事情もあると思うけど。)

だから、顔と本名をメディアにも出してるのは、個人情報保護法以前の当事者たちで、浦河べてるの家の重鎮メンバー・当事者職員さんたちばかり。
外に出る可能性のある人は、内々にやる。当然だと思うのです。

顔と本名と自己病名と診断名を出した弱さの情報公開弱まり、
やがてなくなり、
浦河べてるの家さんは近い将来、普通の老舗社会福祉法人になるのでは。と感じています。
10年前の残滓がまだ残る中、べてるまつりに参加できて、本当によかったです。
浦河から発信は弱まると思うけど、当事者研究はこれからも盛んにおこなわれることに期待したいです。

まつりの司会をした、北海道の別地域に住む精神疾患当事者が、
実は親が浦河の名士で立派な実家もあるけど、
浦河の行事でさえ実家には泊まらずホテルや旅館を利用していると暴露され、非常に親近感を抱きました。

なんか自分とよく似ているなあ。
親の愛情はわかるけど、
育ててもらったことや、
今でも愛情を持ってくれていることには感謝しかないけど、
己の精神疾患と付き合い、命を保つのためには、距離を取るしかないんだよなあ。

残念ながら簡単には治らない。ぼちぼちやっていくしかない。
「病人として、障害者として、降りていく生き方をする」
精一杯生きてきて、北海道の僻地まで足を運んで、納得したのかもしれない。自分。

浦河べてるの家、という「職場」

2023-10-16 16:24:23 | 当事者研究

この度、十年来思い続けてきた、「べてるまつり」に参加することができた。

滞在中、浦河で感じたことは多々あった。
この記事では、浦河べてるの家、という社会福祉法人が、
どのような人のやりくりをしているか、という私の観察にフォーカスしたい。

イベントでは、いろいろな人が司会を務めた。
司会のプロではなく、
司会のような人をさばくことに長けた職員でもなく、

しどろもどろの利用者や、体力配分の分からない支援者?当事者?が、
代わる代わる、司会をしていた。

話によると、
発達障害系?でめちゃくちゃだった支援者当事者?以外は、
その場で司会を指名された人たち
だったような。

当然、出てくる成果物は、行き当たりばったり
(浦河弁では「行き当たりばっちり」らしい)
の、しどろもどろだったり、
目線と体制があちら方向を向いていたり、
疲れで座ることもできず寝ながら司会を務める
(これ、本当に障害特性かもしれないし、仕込みかもしれない。どちらかは不明)
とか、

普通ありえん光景。

人の振り方はめちゃくちゃだけれども、
めちゃくちゃな振りによるアドリブ的な成果物を楽しむ。
こういうことが、浦河べてる関係では、よくある。

よくあるパターンは、仕事を振られ、成果が命じた人の思いと異なるとパワハラが・・・
ということはよく聞く。
これまで大勢の人たちが、これで命を失っている。

おそらく浦河べてるの家のような環境なら、
生きづらい人でも、
いろいろなことにチャレンジさせられ、
周りから褒められて楽しい思いを共有できて、
自信をつけるのだと思う。

まあ、そういう環境はこの世には滅多にないけれどもね。

「障碍者死ね」「発達障害死ね」という人たちに対する研究

2022-10-24 09:19:24 | 当事者研究

SNS、特にツイッターでよく目にするキーワードとして

「障害者、死ね」「発達障害者、死ね」

がありますね。

彼らのツイートを簡単な手段で読んでみました。

「簡単な手段」とは、
ツイッターに彼らのツイートを報告すると、
ツイッター社が彼らのツイートを自動的瞬時に提示してくれるのです。

彼らは安易に、いわゆる「弱者」に対して
「死ね」とか「ゴミ」とか「クズ」とか
不特定多数の人たちに書き送っています。

そして、自らが障碍者で苦しんでいることもあります。
その苦しみを自ら知りつつ、共感的に対応できない人たち。です。
当事者会界隈に、結構存在します。

そういえば、双極性障害当事者にして看護師資格保有者を自称される、
ひどい風刺画書いて世界中から公に非難された漫画家が、
裁判で名誉棄損により損害賠償判決を受けた漫画家が、
ヘイトでツイッターを永久凍結された漫画家が(いずれも同一人物〉、
かつていましたね。
専門知識あっても、自ら苦しんでいても、あのような行動がとれる。

そして、そのような方と家飲み友達になる国会議員や雑誌編集者、会社社長などの人たちもいましたが、
いかなる社会的地位があろうとも、
私にとっては無価値かつ猛毒。ですね。

だから私がもし、障碍者支援に再び乗り出そうにも、私は精神障碍者支援だけはできないと感じています。
精神障碍者支援を志したピアワーカーが病気をこじらせるケース、多々見てきました。
基本、ピアワーカーは当事者からも支援者からも忌み嫌われる存在ですからね。
私に関して言えば、もう、身内を含め他者からの暴力暴言に耐えられる力はありません。

私は「発達障害死ね」と書き込みされて、反応してしまい、頓服のお世話になります。

そこで、自殺行動に出る前に、よくよく死ねという連中の振る舞いを研究してみると、反応すること自体馬鹿馬鹿しい存在だと理解できました。

ネット上であれ、職場であれ、身内であれ、何処であれ
「死ね」だの「バカ」だの「あほ」だのというような人。
関わってもしょうがない人。
通報して離れる一択。
です。

日本社会では、障碍者・病人は離れるしかない

2022-10-19 07:23:52 | 当事者研究
ツイッターで、発達障害ネタが盛り上がってます。
内容は大変攻撃的です。
真に受けないようにしたいですが、思うところもあります。
希死念慮も喚起されてます。

障害を持って生きている実感を語ります。
結論から言います。
障碍者は健常者の社会からは距離を取り、なんとなく寄り添って、かかわりを最低限にすること。なのではないかと思っています。

これはあくまでも私の思いです。

社会的に上手に、そして成功されている障碍者さんもいますから、いろいろだと思いますが、
多くは「迷惑」です。私たちは厄介者です。
ナチスのような政権になったら、殺処分される存在です。
多くの人たちが、障碍者の殺処分を欲していると、私は感じています。

なぜドイツで百年前、民主選挙でナチスが政権をとれたのか。
それはナチスが人間主義だったからです。
ナチスはヒューマニズムであること。これは東大の教養学部の哲学講座で最初に教えられることだと、昔記事を目にしました。

2:6:2の法則
人間は本能的に、弱い2割を排斥したいのです。

排斥から離れるには、弱い2割に指定された人は、自らそこから離れるしかない。物理的心理的に離れるしかない。

というのが、今の私の答えです。

自閉症・アスペルガーの抱える、親への介護、について調べました

2022-10-17 08:48:50 | 当事者研究
自閉症・アスペルガー者も年を取り、親への「扶養義務」が生じます。
私たちへの子育ては容易なものではなく、結果として、私たちは「愛着不全」「(広義の〉愛着障害」をかかえたアダルトチルドレンとなり、親は「毒親」になっていることが、ごく普通な状態です。
私は福祉の現場で自閉症当事者や家族たちを見て、よく感じてきたことです。
また、私自身もアダルトチルドレンであり、毒親育ちです。

「当事者にかかる、親への扶養義務」
について、調べました。

「扶養義務」は、以下の二点を踏まえれば、法的に達成されるとわかりました。
1、保護責任
同居するなどして直接介護していた場合や、連絡を取り合っていた場合に、適用されるようです。責任放棄すると逮捕され懲役刑になる可能性があります。
詳しくは、以下のサイトで

2、生活扶助義務
民法上、子は親に対して、自分の社会的地位や状況に相応して、自らの社会的地位を損なわない範囲で、
親の生活にかかる金銭的扶助と、
介護にかかろ作業や生活に必要な支援、
を行う必要があります。
以下、資料です

これは私の感想・見解ですが、
まず、「同居」「別居」で、義務内容が異なるようです。
また、何十年も音信不通な場合は、裁判所が扶養義務者と認めない事例もあるようです。以下、みずほ中央法律事務所さんからの情報です。

それから極端な話、親から「廃嫡」「勘当」されていても、(私の場合は「廃嫡」されています〉
子が親に「絶縁」を宣言していたとしても、
民法上の生活扶助義務は、すべての該当者に平等に科せられる。ようですね。
今の民法には、日本史にある「勘当」とか「廃嫡」とかは、法律上存在しないですから。

とはいえ、「生活扶助義務」は「子の社会低地位を損なわない範囲で」「金銭によって」達成されます。

何が何でも自ら親を身体介護しなければ。ということではありません。

「介護に必要な支援」。具体的には施設探しや利用・入所手続きを手伝う。

ということで、民法上の子の親に対する扶養義務は達成されます。

以前紹介した小早川医師のように、代理人弁護士に自らの扶養義務全部をやってもらうことで、扶養義務を完遂することもできるのです。

私たちは正しい知識を身に着け、自分にできる範囲で扶養義務を行い、落ち着いて、生活したいものです。

自閉の支援は、自閉がいいのか?

2022-08-21 11:44:12 | 当事者研究

支援の当事者性とか、本人の声が大事。とか言われている。
経験者に聞くのが当たり前だろう。と。
それは当然だとおもう。少なくとも本人をリサーチせずして真実にはたどり着けない。

本人の声を聴く必要はある。
ただし、支援者が当事者である必要は、どうなのだろうかと思う。
当事者の支援者を、私は否定しない。
でも、そこにこだわる必要はない。
自分にとって有効な支援者が、良い支援者であり、それは当事者でも当事者でなくても構わない。関係ないと思う。

最近、ブログが更新できなくなっている。
読まれている傾向は、ブログ元のデータから教えてもらえる。
このブログで読まれている記事の多くは、神田橋先生関連の記事。

そうこうするうちに、自分自身に書く意欲が薄れてきた。
SNSで当事者たちとやりとりしているが、特に精神障害方面の当事者と、関わることがおっくうに感じるようになってきた。
発達系の人たちも、どうなのかな、と思うようになった。

私の主治医はアスペと公言している。
 アスペの主治医の助言は、私個人に対するものはそれなりに意味があると思う。
そこに仕事上のことなど他者が絡むと、やっかいになる。
主治医の指導は、多くの社会人には実行不能。
主治医の言う通り、曖昧さを明白にすればいいと思うのだが、それができないのが社会というものだから。
その現実を言うと主治医は発作を起こし、診察中止となる。

精神科医たちは多くの企業人とトラブルになっている。
そこは分かっているので、私は主治医に多くのことを求めないようにしている。
とはいえ、現状を知らせないわけにはいかないので、陳述方法を工夫し、主治医が発作を起こさないように配慮している。
医者には処方箋と診断書を書いてもらう必要があるからだ。それで十分。

口で言うと問題が起きるので、極力箇条書き、数量データ化し、何度も推敲した一枚の文章を、主治医に見せるようにしている。

当事者の専門家に、何でも理解してもらえるとは、思わない。
その専門家が、物理的な作用で何かよいことができるかが、大事だと思う。
今の主治医は、当事者性ではなく、書類通過の成果で評価し、通院している。審査に通らない診断書を書く医師も多い中、主治医は年金機構などからの信頼が厚い。
支援者からADHDをカミングアウトされた。当事者性を支援者は言うが、私はそこではなく、支援者が本社と人脈があるから今でもその人とのつながりを保っている。ADHDの人には興味のあるうちにさっさと仕事してもらわないと。と心がけている。

このブログ、少しずつ読まれているから、意味がないとは思わない。
私の経験が、誰かの参考になれば幸い。
でも、それだけのこと、だよな。と思う。

私がプロだった頃の、当事者性を意識した支援が、どこまで意味があったのか?
人の体験と自分の体験は異なると、最初から意識して支援してきたが、おそらく余計なことが多かったかな。と今は思う。
昔は気力体力があったが、今の私にはそれがかなり制限されている。それだけのことかな?

「毒親」概念は、どこまで信頼できるのか?

2022-07-17 09:23:39 | 当事者研究


私の喘息治療主治医の父親は、「母原病」というベストセラーを書いている。

また、「毒親」という概念が、今、世間で出回っている。

いずれも科学的検証に乏しいが、著者の臨床経験によって提唱されている概念、または疑似科学である。
「医師」が発信していると自称しているサイトで、「科学的根拠に基づく」と称してこれらを出す人もいるが、それはあくまでもこれら概念をその人が認め、その人が医師であれば「母原病」「毒親」ということを臨床の場でも使用している。

動画配信している医師の概念をたどると、私は「毒親に育てられた」典型症状にほぼ当てはまる。
おそら私を喘息治療している呼吸器科主治医は、このようなことを私に言いたいのだと感じている。
母原病著者の子である呼吸器科主治医は、時々この概念を持ち出し、意見をしてくれる。
そして母原病の立場で私の症状をお話しくださることがある。
私は参考程度に、真に受けないようにしている。あくまでも喘息治療で通院しているのだから。

真に受けないようにしているが、それにしても「母原病」「毒親」の概念は、ある程度は当たっていると、昔から感じている。
私を診ている精神科系の医師たちは、多かれ少なかれ、毒親概念を用いている。と感じる。
医師のアドバイスを受け入れて〈アドバスはやってみないと、通院している意味がない〉親との距離感を調整すると、病状が安定したり良くなったりもしている。

だからと言って、私は私の両親を切り捨てたりはしない。親とは「適切な距離感」を意識している。
私は心理検査すると、常識的な判断をする人、と判断される。そういう社会的にはマイルドな行動をとっているのだと思うし、そこは自分を信用したい。

動画や一般書で医師が提唱しているだけの概念で科学的根拠が乏しい〈科学的検証不十分で診断基準にない〉から真に受けないが、親との距離感は今までの主治医、確定診断医から再三指導されてきたこともあり、これからも上手に調整していきたいと思っている。

取り上げた動画で提唱されている対処法も、大したことではない
  1. 親に期待しすぎない
  2. 親以外の人間関係を大切にする
全て、20代以降、しっかりやってきたことだ。

親との関係性はいろいろだと思う。その人がその人の責任で取り仕切ればいいと思う。

このブログでも取り上げた、小早川真実医師のように、親に対する法的義務を弁護士に完全委任し、自らは絶対関わり合わない。という選択をする人もいる。本になっているので、興味のある方はお読みになられればいいと思う。

親との関係を完全に絶った、精神障害当事者の別の医療専門職の話を聞いた。
おそらく上司医師が「毒親」の信奉者で、「毒親」系の患者に悩まされているのだと思う。それが自らの親との関係性に影響したのだと、私は思った。

私はそういう極端な選択を取ることには、慎重でありたいと思う。
なぜなら、「毒親」概念は、科学的検証に堪えない。
そして「毒親」概念の「キリスト教的論拠」が、日本語に翻訳されていないのだ。
〈毒親のリンクで書かれている通りだ〉

欧米著書の宗教的文言が翻訳されずに日本語になることは、よくある現象。
たとえば、カウンセリング概念の背景には自由主義神学があるが、日本人の多くはそこをすっ飛ばす。
また、バイステックのソーシャルワーク概念の根底にはカトリック神学があるが、最新の翻訳ではその部分を割愛している〈古い翻訳ではカトリック的文言を翻訳してくれていたが〉。

「毒親」概念は出版社の「売らんかね」も入っている。
そんな科学的根拠の怪しい概念を、私は小耳にはさんでも真に受けない。
〈医者の意見と具体的対処を、多少試してみてもいいとは思うが〉

その人の人となりによると思うが、私は心理検査を受けると「常識的な判断をする人」と判断される。そういう社会的にバランスの取れた言動のできる自分を信頼したいと思う。

世に出回る情報の信頼性はいろいろ。専門職によるものであっても、真理ではない。
特に精神科医や心理学者の意見は、物理化学の法則のようには当てはまらない。
これは大学で教わるレベルの心理学統計〈重回帰分析、クラスター分析など〉を学べば理解できる。

真理は「聖書」に書かれている。医者の意見は「神の言葉」ではない。

 
 
 

精神発達障害、手帳持ちでも、結構稼ぐ人は稼いでいるな

2022-06-20 10:42:55 | 当事者研究
今日偶然、給与明細を買い取る、どうのこうの、というサイトを発見。
読んでみると、「発達障害」というボタンがあったので、そこをクリックすると…、

精神手帳持ちで、年収500万とか1200万とか…

手帳持ちでも、安定した環境で社会的に成功?すればこうなることは、私も予想はしていた。
このメデイアがどこまで信用できるかはわからないけれども、本当に他者からの情報をまとめて事実を提示いているのであれば、強力な「エビデンス」なのかもしれないと思う。

自分の主治医は自身のアスペルガー症候群を開示していて、実際にそういう空気読まない感の強い方で、それでも開業医としてもかなり成功している方だから、
私に対しても
履歴現象〈注1〉? そんなのない。適切な場で存在感発揮できる仕事できればものすごいパフォーマンス出すこともある。履歴現象仮説はそれを証明できない。

と、私の懸念を切って捨てられたことを思い出した。

上手くいく人はうまくいっている。

現に思い起こせば、私はそのうまくいっている人の典型例のクリニックに、毎月通って話をしている。〈初診一年以上待ち。かつ市販されている著書はないので、氏名は公表しない〉

名古屋大学〈2012年当時〉の吉川徹医師は
"吉川:自分は発達障がいの方、特に自閉症スペクトラム障害の方の場合に目標となるのは、私は実は「家事をする引きこもり」だと思っています。そこが目標で、それ以外はオプションだと考えています。" 〈吉川徹 2012〉 と述べている、
など、「成功例」を否定したり「そういうことはほとんとどど起きないから取り合わないように」とか、あるいは成功した自閉症当事者作家が児童精神科系の学会で講演することを阻止したり、ということを行っているが、
例え支援側が社会的成功例を阻止したくても、それは不可能なのよね。

当事者的に気持ち悪いから、成功している当事者たちは児童精神医学会に手を貸したりはしないね。
私の主治医も彼らとは関わってない。
〈ちなみに主治医は年金機構などからの信頼の厚い医師で、診断書で年金や手帳を確実に通してくれること医師であると、地元の社会保険労務士などでは知られている。逆に児童精神科権威系は、社労士曰く「再重度の子でも1級取れないような診断書しか書かない。手続きにも非協力的。〈診察室では「年金で暮らしていける」と散々言うくせに〉と、受けが悪い印象。〉

私の現状は米田先生の言う「履歴現象」そのものに思えるが、

「履歴現象」「逆耐性現象」ともに、ネット検索では、「薬物依存」「依存症」の話である。
「薬物依存の人が、何年も絶てていても、わずかに摂取しただけで、元の依存症状態になってしまう」というのは、よく聴くことですが、
アスペルガー症候群に「履歴現象」「逆耐性現象」を主張する医師は、私の知る限り米田先生だけです。
米田先生は、どちらかというと、社会活動を応援してくれる感じの先生だと感じますが〈本を読んだだけで面識ありませんが〉、あくまでもあの先生だけの言葉、なのかもしれない。

自分は自分の現実を生きる。だけだけれど、ね。

〈注1〉履歴現象
ネットで調べましたが、よい資料がありません。
米田衆介ういうことかというと、アスペルガー者の一部は、一度大きく挫折すると立ち直れなくなるという、ある種の履歴現象が観察されるということです。
このように、ストレスに対して耐性が増すどころかいっそう弱くなる現象を、精神医学の世界では「逆耐性現象」と呼んでいます。平たく言うと、「つぶれてしまうと、なかなか元に戻らなくなる」ということです。この特性のため、職場で不適応になった後、ストレスの原因を取り除いても、なかなか元に戻らないことがよくあります。"
と書かれています。その他、遷延性うつ病と誤診されやすいけれど、ご飯をおいしく食べられるなど、うつ病の症状とはだいぶ異なった特徴がみられる。ということも報告されています。〈米田 2011〉

※引用参考文献 
吉川徹ら 発達障がいを持つ青年の社会復帰支援~特性理解にもとづく援助について考える~ 2012 愛知県精神保健福祉協会 こころの健康第47号 p28
米田衆介 2011 アスペルガーの人はなぜ生きずらいのか? 講談社