「生涯引きこもり」と宣言された私の、超豪華オプション生活

 登校拒否となり、生涯ひきこもりであろうと決めつけられて四半世紀。社会人として生きる記録。#発達障害 #自閉症 #ニート

障害者の「プライバシー」について、考えました。

2019-06-30 11:09:31 | 仁義なき医療福祉~地獄の沙汰も金次第~

障害者の「プライバシー」を守る。ということについて

 

このテーマについて、非常にこだわって考えてきました。

まず断っておきますが、ここでいう「プライバシー」と人格権の一つである法的な「プライバシー権」とは違う、ということです。

法的な「プライバシー権」は、関係する判例と個人情報保護法を学習すると「プライバシーを持つ本人が、本人の個人情報開示レベルをコントロールする」ということが肝だと思っています。

一方でここでいう「プライバシー」とは、「精神障害などの人が、自分の名前を自らの意志で学会など公共の場で名乗り、自分の人生の物語の書かれた文章を配布したり語ったりすること」です。福祉の世界では当事者のプライバシーも専門家が管理しようとすることがよくあります。

 

障害を得ることそのものについて、世の中にはスティグマ〈偏見〉があります。

スティグマを生む障害をカミングアウトすることについては、多少それなりにインパクトのあることだと思います。

世の中には、メディアに対して自ら堂々と、病名とともに自分の氏名と顔写真を公表している人たちがいます。

例えば、浦川べてるの家の、かつてはほとんどの利用者さん。今は一部整ったメンバー出身のスタッフとメンバーさんたちは、氏名顔写真と病名を公表しています。ダルクもそうだと思います。彼らの活動は自ら公演活動や著作物で発信し、メディアで取り上げられ続けています。

 

その環境で生きてくためには周りの理解や支援がどうしても必要であるならば、その説明のためには適切なカミングアウトする必要です。

そしてそのカミングアウトは、他者の回復に貢献しています。私の経験では、浦川べてるの家やダルクの人たちなどのカミングアウトは、私の人生の回復に対し、確実に貢献しています。とても感謝しています。

 

しかし福祉現場の現実として、べてるやダルクなどの動きを嫌がる専門職も、数多くいます。現実に足を引っ張る専門職の姿も、私はこの目と耳で感じてきました。

向谷地生良先生の著書「技法以前」の158ページからしばらくつづく記述(2009)が、ずっと心に残っていました。

それを引用します

 

このテーマを考えるときに、私がよく引き合いに出すエピソードがある。七~八年前の出来事だが、ある精神保健分野の研究発表の場で会場に配った追加資料が、座長の判断により回収されるということがあった。

 発表内容はある地域の精神保健福祉活動を支える関係者に聞き取り調査をして、実践の特徴を明らかにするという地道なフィールドワークの結果であった。調査結果はすでに報告書の形で公開されていて、調査に協力した人たちの名前も、感謝の言葉とともに記載されている。

回復者クラブのリーダーをつとめる当事者の一人も調査に協力し、報告書には実名が載っている。その彼も会場に来ていて、発表の時間を前にして緊張の面持ちの発表者に歩み寄り、笑顔で「がんばってください」と激励していた。

 ネクタイ、背広姿で会場のいちばん前に陣取った彼にとって、自分が協力した実践研究が発表されるというのは、まさしく晴れ舞台でもあるのだ。

 会場では報告書の抜粋が追加資料として配布されていた。しかしその晴れ舞台は、間もなく暗転する。

 発表が終わると、まず座長から厳しい質問が発表者に向けられた。当事者へのインタビュー内容が実名で公開されていることに対して「このことによって未来永劫当事者に不利益が及ばないということを確約しましたか?」というのである。

 発表者は、実名の公開においては当事者の了解と積極的な協力があったことを説明したが、「未来永劫当事者に不利益が及ばないこと」の確約という点では、明らかに返答に窮している様子が伝わってきた。会場からも同様な指摘が述べられた。緊張感がみなぎる異様な雰囲気のなかで発表者は「今日は協力したくださった当事者の方が来ておられまので、ご本人にも意見をうかがっていただければと思います」と座長に提案した。

 座長に促されるように、私の横に座っていた本人が立ち上がった。緊張で震えながらマイクを待ち、

「今日はどうもすいませんでした・・・・・・・」

 

 彼にとっての晴れ舞台が「謝罪」の場に変わった瞬間だった。「実名を出してもかまいません」という彼の意向が、発表者を追い込んだことへの謝罪であった。自分の病気の体験を恥じたり隠したりしないという彼の生き方は、座長の威厳に満ちた「学識高い見解」によっと、いとも簡単に排除されたのであった。

 座長は横文字を並べながら難解な学説と研究者としての倫理と人権の擁護を説き、「追加資料は座長の権限で回収することと致します」と宣言した。フロアからはそれを支持する拍手が沸き起こった。〈向谷地 2009

 

この座長判断は、「精神保健福祉士の倫理綱領、倫理基準1-3

a 第三者から情報の開示の要求がある場合、クライエントの同意を得た上で開示する。クライエントに不利益を及ぼす可能性がある時には、クライエントの秘密保持を優先する。

に基づくものと推察します。

この「プライバシー」は、本人意思を通り越して、クライエントに不利益を及ぼす可能性があるときは、クライエントの秘密保持を優先する。と規定されていています。

この規定は業界内々のもので、裁判所の判決によつて蓄積された「プライバシー権」とは違い、本人の意思を通り越して精神保健福祉士などの専門家が本人の秘密まで管理する、とも読み取れますし、現実にそのようになっています。

私も福祉士関係で様々な事例研究に接してきましたが、資料は現実をぼかしたり、イニシャルで表現されます。福祉士研修関係で実名の事例を聞いたことはありません。そして資料はその場で回収されシュレッダー処理されます。やり取りされるのは、あくまでもその「事例」です。

しかしその「事例」は誰かの「人生」の話であるはずです。私もイニシャル表示されたことがありますが、変な感じがしたことをよく覚えています。自分の話のはずなのに、なあと思いました。

私が利用者の立場なら、イニシャル表示されるくらいなら、秘密保持を優先してもらいたいものです。

もし私の事例を出すのであれば、私自身も協力する形で、私も同席の上、名前を出して行っていただきます

自閉症の著名作家を事実上排除した某精神医学会のような場で、私が当事者として登壇することは、それこそその作家さんや当時小学2年の自閉症の子供が精神科医たちから被ったような卑劣な実害が容易に推定されるので、そのような危険な場で登壇することは絶対にありません。

 

「当事者に不利益を被らせる可能性」は、実は支援者にあると私は強く感じています。私の実際被った被害について、過去いくつか書いています。

国立職業機関などでの実害

国立機関での実害

 

べてるさんでもダルクさんでもどこでも、すべての回復して支援側に回りたいと志した当事者たちに、出身施設のピアワーカーポストがあるわけではありません。なので、実名と病名と顔写真を出して自分の回復を公表して、様々な媒体に自分の痕跡を残していった人たちが、全国に散らばっています。

そしてその各地で、せっかくべてるなどで回復し精神保健福祉士の資格まで取得しピアスタッフとして働き始めた当事者たちが、そこの医療福祉関係者によつて、かれら当事者スタッフが「専門職による差別対応と偏見による苦痛」により、病気が再発し退職した事例を、自分はいくらでも知っています。当然私もそれを覚悟せざるを得ません。

もし「座長」のような方がご君臨あそばす施設様に双方とも知らずに採用されてしまうと、過去の病歴を公開していることが「不利益を被らせる可能性」を大いにもたらすことになります。

私は過去、「医原性精神病」について書かせていただきました。そのクライアントに影響力を持つ専門家が障害疾患などの課題に対して悲観的なことしか想像できないと、そのクライアントまで「精神病」になってしまう、ということです。

 

医療福祉関係者の言うプライバシーは、人権を守るという大義名分ながら、プライバシー権の法理からはかけ離れた「自己保身」になりがち、なのではないのかと私は思い、考えていかなければと思います。

私は一部の方々には傷病を開示していますが、このブログでは私の氏名などは公開していません。私の個人情報開示の範囲と権限は、この私のあるというのが「法的なプライバシー権」であると主張します。

もちろん、さまざまなリスクについては覚悟し、リーガルチェックをしているつもりです。

今日は「世の中で、特に障碍者福祉とりわけ精神保健福祉分野において、クライアントが自己開示することが、クライアントの将来に不利益を及ぼす可能性がある」という残念な真実について考えました。

これは各々が考え、各々が行動することですね。

※引用文献 向谷地生良 2009 技法以前 医学書院

※参考文献 浦川べてるの家 2002 べてるの家の「非」援助論 そのままでいいと思えるための25章 医学書院


「治る」は科学ではなく物語であった。

2019-06-30 05:37:14 | 引きこもりからの復活

治る、回復する、リカバリー、などは「科学」ではなく「物語」だと、心から思います。

昔から、治る、回復する。という事象はありました。例えば聖書には、イエス様に癒された。あるいはパウロの話を聞いて癒された。という記述がよく出ています。

しかし聖書の時代なら知識人である「パリサイ人」にその癒しは否定され、今も「治る」が「良識に反する」という信念である医師たちによって否定されます。昨日のツイートで某県発達障害者支援センター長が裏アカで、「〈たぶん発達障害や自閉症が〉治るは良識に反する」「〈内観法であろう〉臨床心理学で宗教的なやり方が取り上げられること」を白眼視しておられました。

この「治すことは科学的にあり得ないから、治すは良識に反する」と考えているであろう先生に、何を求めたれるのか。

この先生の周りには、行動に応じて強い薬とか、この先生の理想郷的な閉鎖病棟とか。行動分析で外からコントロールするとか。それがこの先生の信じる「良識に基づく医療」なのでしょうか。〈行動分析は保険医療ではありません。多分「行動論的認知行動療法」としてレセプト上の処理さをれるのでしょうけれど〉

この先生は東田直樹さんの学会講演が中止になったことを喜んでおられた。青木先生など臨床の大家たちが東田さんの生きておられる現実をしっかりと見てもらおう。という企画を、「教育された方法がエビデンスに基づかない」などなど東田直樹の人生を否定すると受け止められる無礼極まりない運動をしてつぶれたことが、「良識」であるという方。

医者はたくさんいるので、みなさん自分が診察してもらいたい先生のところにいかれればいいのです。

支援もたくさんあるので、自分に必要な支援をするところに行けばいいのです。

 

治ることを否定する人は、どんな癒しも否定します。当事者であれ、専門家であれ、知識人であれ。

それでも、人生を回復した人たちは、今も昔も大勢います。この私もそうだ。私の身に起きた現実を、私は否定しません。人生の回復に貢献したい人たちも、大勢います。

私は健康寿命を延ばしたい。大いに神様に用いられて、世の人々の福祉に携わりたい。だから健康な体が心から欲しい。心身の健康を維持発展させたい。と強く思い、今日も生きています。

だから私は、医療を受けるなら、神田橋先生のような、治すことを徹底的に志向する先生のもとに行きます。「医者なら治さないかん」と思います。

 

治るも治らないも、その方の人生の選択の自由。

たとえ治らなくても、態度で示す価値もあります。

私は「れいわ新選組」から参議院選挙に出馬された木村英子さんの活動を強く支持しています。木村さんたちによる自立生活活動については、それなりに知識を持っているつもりです。「生きる」ということを行動で教えてくださる。すばらしい方々です。

すべての人間の命は高価で貴いのです。その人の生きる価値は、顔の見えない・言葉の汚いネトウヨや自民党サポーターが決めるものではありません。神様の領域に人間が介入してはいけないと思います。

 

治りたくない方はそのままでいい。社会人として生きることは大変リスクを伴うこと。労働の強制はできません。その人の生き方。スタイルのこと。わたしはクライエントであれ全くの他人であれ、その人はその人の人生を歩まれればいい。思う通りのことを実験的にやってみて、いろいろ失敗しながら学べばいい。絶望から学べばいい。あるがままでいていいのだと、きっぱりしたいと思います。

もちろん、障害者であれ何であれ、何かを壊せば賠償し場合によっては出禁となり、犯罪行為をしたら罪を償わなければいけないのです。障害無罪ではありません。

障害のある方であれだれであれ、私は自分を含め人々の人生を取り戻す運動に、これからもかかわっていきたいと思います。自分の行動に責任を持つ。というのはその最初のステップだと考えています。

 

治る、回復する、自立生活する、などは、科学ではなく価値判断。文学であり物語です。エビデンスは自分の体が教えてくれれば十分です。


ネガティブ・ケイパビリティ

2019-06-24 20:57:41 | 当事者研究

「ネガティブ・ケイパビリティ」

これは、不確実なこと、答えが得られないこと、明白でないことについて、それを耐える力。と自分は思います。

ウィキペディアではこのようになっています。また、その名の本も出ています。

最近、「ベーリーオーディナルピープル」という記録映画を見ました。これは「浦川べてるの家」の四半世紀前の姿を記録した作品です。

浦川べてるの家を中心とする北海道浦川町の精神保健福祉がなぜ、世界最先端の実践とまで言われるようになったか。それは一言で言ってネガティブ・ケイパビリティの力だと感じました。

浦和は地の果てのへき地。競走馬の産地で日高昆布で知られているが、過疎化の進む、本当に何にもない貧しい街。そこで暮らすひとのひとりの精神障害者たちはまことに悲惨な境遇を過ごしてこられています。それでも心からよく笑う人たちです。

これまで大勢の人たちがここを通りすぎて回復していかれました。あるいはここにとどまって病気とともに楽しく生きておられます。どうしてこんなに大変な境遇を堂々と生きておられるのかなあと思っていますが、それはとあるべてる本の題名でもある「悩む力」または「ネガティブ・ケイパビリティ」なのだと感じました。

どうやったらこの「ネガティブ・ケイパビリティ」を自らに養ってけるのだろうか。ということが、これからのテーマであると考えています。

その一つの手がかりは、語り〈他者との対話・ダイアローグ〉、だと考えています。私はこの、語り〈ダイアローグ〉をこれからも大事にしていきたいと思います。

 

 


面白い記事~発達障害は「治る」こともある。という実例~

2019-06-16 22:10:04 | 当事者研究

榊原洋一先生〈お茶の水女子大名誉教授〉による、日本の発達障害の診断が硬直していて、多くの専門家が昔のイメージに固執している。という記事を読みました。自閉症の診断は変わりうる。面白いと思い、そうだと思ったので、健忘録の意味も込めて、記事を書きます。

これが榊原先生による記事です。

精神科の診断は主観によるものです。医師によってはころころ診断を変える人もいます。また時代の変化とブームによって、診断がついたり消えたりする現実があります。

一方で、一度付けた発達障害系の診断を「生得的脳機能障害」と定義して、変化があっても診断を変えないことが正しい。という専門家が、むしろ多いと思います。それまもた、事実です。

専門家は、非常に悲観的な思いをもつ人が多く、それが「医原性精神病」さえ起こしていると、このブログでは過去に指摘させていただきました。そこは注意して自らを処する必要があると、私は思います。


病気になるわけ

2019-06-10 22:05:45 | 当事者研究

病気は、苦しい。だから、ならなければいい。

そう思いますが、そう単純ではないことに、最近非常に納得しました。

人間は、環境がのっぴきならない事情が発生すると、それから逃れるために、「病気」になることがあります。生き残るために、無意識のうちに本人が意図しないところで、病気になってしまうのです。

のっぴきならない事情のゆえに究極の自助として病気という形ではなく、弱さを出して、それを周りと共有して、現実的な折り合いをつけるほうがいい。というのが浦川でいわれていることとのです。〈浦川べてるの家 2002〉

この私にも、そういうところがあったなあと気づきました。

自分の成育歴に関すること。親子関係に関することです。

私の発達凸凹は、親の不適切な子育てにより発達障害となったと、杉山先生の本を読んでいると理解できます。〈杉山 2011〉

発達障害は生まれつきの脳神経発達障害かもしれないけれど、成育環境によって良くも悪くもなるという研究は、杉山先生以外にも世界各地でみられると、私は学習しています。なので、発達障害は目立たなくなる可能性。あるいは「治る」可能性もあると私は思っています。

ただ、私の場合、成育環境や現在の環境により、完治は困難であると思っています。〈そもそも、何をもって「治る」とするか。科学的基準はありません〉

私の場合、家族とは絶縁せず距離をとっていますが、やはり顔を合わせると病気が出ました。完全に関係を断つほどの思いは私にはありませんが、厳しいしつけと要求水準をされた親子関係が、やはり私の障害の根本部分だと悟りました。親子関係の障害は、神田橋先生をはじめとする諸先生方、いろいろな人たちと積み重ねた多くの努力を一気に崩壊させるほどの威力がありました。

あの神田橋先生をもってしても、多少楽にはできても、スーパードクターが外科手術できれいに治すようにはならないです。というのも最近、神田橋先生の本を読めば読むほど、自然治癒力を引き出し、医師に頼らなくても養生できるようにしているのが神田橋先生の方法なのではないか。黙って座ればぴたりと当たるとか。やはりそういうのではない。と、私は思います。〈私の私的意見です。感想は様々です。役に立てばそれでいいです〉

なぜ、私が発達凸凹ではとどまらず、障害の域に達したか。そして今だに苦しんでいるか。それは私の家系に生まれたことによること。地域性によること。国民性によること。そういった側面がやはり否定できません。

神田橋先生の方法などを使って自分にさんざん工夫を施しても、やはり家族親戚から厳しい目が注がれるとたちまち私は病気になってしまう。弱いどころでは済まされず、即座に命に係わる危機が到来する。という現実があります。

小さな努力の積み重ねは、大きな環境の影響によって簡単にぶち壊されてしまいます。愛知県は傷病のある人たちとともに生きるのではなく特殊な施設に隔離したがる県民性が顕著です。つい最近も、愛知県発達障害者支援センター長肝いりの強度行動障害専門閉鎖施設が完成したと新聞で報道されました。愛知県の現状を考えると明らかに必要な施設ですが、障碍者を閉鎖施設にではなく地域で共存しようという世界の流れに逆行しています。愛知県は発達障害の人たちにとって大変生きづらい地域性です。

多くの場合、発達障害は治らない。あの親たちでは治せない。と、愛知県で活躍しているある大御所が業界誌で書いていたと、どこかの誰かが怒っていましたが、私はその通りだと思います。

発達障害が治らない。治ることを阻害する環境がある。発達障害が治る環境になることを拒む地域性や家庭が非常に多くある。自分はそれを強く感じています。自分の一族もそうです。私のクライアントの家庭もそうです。

たとえばあるクライアントさんは、他のクライアントさんたちへの暴行行為がひどいので、思わず神田橋先生から教わった方法を親御さんに提案してしまいましたが、その提案が親御さんの癇に障ったようで、担当から外されてしまいました。

なぜ治ることを拒むかと言えば、治るような環境にすることは、その家庭や地域・学校・職場などに根本的な変革を迫るからだと思います。ほかの人たちにとっては問題がないから、弱い人たちが住めるように変えたくない。あっちに行け。ということかな。と思います。

共存を目指す環境にいれば治りやすくなり、共存のための変革のできない環境であれば、病気が重いままでいるか、自殺してしまうか、あるいは距離をとって折り合いを図るか、座して死を待つよりかはむしろ出でて活を求める。しかないと思います。

私は何とか現在の環境と折り合いをつけて、生涯を全うしたいと思います。

でも、自分を教育虐待した親の介護はできないと思っています。自分と自分の核家族の障害との格闘で精いっぱいな状況で、しかも医師からは治りたければ距離をとるようにと言われていますし、距離をとったところで回復していますから。

これからも回復することを希望しますが、自分を守るために、折り合いがつかない、話し合いができないなどが発生した場合、私は病気になってしまうだと理解しています。仕方がないのかなあと感じています。

 

※参考文献

浦川べてるの家 2002 べてるの「非」援助論 そのままでいいと思えるための25章 医学書院

杉山登志郎 2011 発達障害のいま 講談社現代新書