前回投稿の続きです。
ありとあらゆる「困りごと」にアンテナを張り、「障害者」「要介護高齢者」「生活困窮者」「境界線上の人たち」などを「支援」に結びつけることが社会のため、その方のためと信じ切っている福祉系最難関資格保有者の集まりで、酒の席で福祉のえらい支援者たちの生の声を聴いて感じたことです。
彼ら支援者たちは(自分もその端くれですが)、自分の現場での仕事が提示で終わってから記録や明日の準備をすることが多いのです。現場の仕事は仕事なのですが、記録や準備は「奉仕」「強制ボランティア」いや「労役」なのかな。
深夜まで、労基署や弁護士から教えてもらった考え方で行くと「労働」しているのに残業手当を支払われていない。自らそれを否定して、長々とサービス残業することを美徳とする福祉業界。契約書に書かれていない賃金の支払われない労働を命令する福祉業界。こんなブラックで違法状態を、いや「給料泥棒」を自ら志願して自分はこんなにがんがっているからえらいんだと、労働基準法違反の犯罪行為を偉そうに主張していることが普通である福祉業界。
休憩時間もないことが多く、しかし労務管理はいい加減で管理者が把握せず、安月給を実労働時間で割れると、A型の利用者の時給賃金に満たない現実さえ見えてくる「支援者」たち。
福祉系最難関国家資格者でさえこの体たらく。自分のことを守れない。仲間を守れない。働く仲間がバタバタ倒れていくのに、すべてその人の個人的資質や傷病に還元してしまう福祉業界。こんな、自分や自分の同労者のことさえ守れない私たち支援者なる存在が、何処まで利用者の「権利擁護」「自立支援」「自己決定支援」ができるものだろうか、疑問だらけ。
福祉が確実にやれる仕事は、介護だと自分は思っている。福祉系に高齢者の介護予防や障害者を企業に送り出す能力はないと、自分は自分の経験上言い切る。
ドイツみたいに要介護2状態からようやく公的支援を手厚くすればいいと、自分は思っている。
計画相談事業所への報酬が改定され、今年の四月からは利用人数制限がかかる。一軒当たりの「上がり」も、いろいろ組み合わせれば儲けが維持できる仕組みに改まる。要介護状態の人にとってはいい制度だと思う。しかしながら、計画相談員が薄っぺらなマニュアル知識さえ入れず囲い込みを結果的に行っている旧来の福祉を行うと、その人の福祉に合わない「境界線上の人」たちの混迷が深まるかもしれない。と、危惧する。
自分なら、自分の利用者・支援者としての経験上、確実な要介護状態でない限り、福祉のお世話にはなりたくない。